袁紹がどのようにしてここまで来たのだろうか。
話は袁紹の決断したときにまで遡る。
「私は董卓、いえ董仲潁殿につきます!」
その瞬間、広間に響めきが起こった。
何せ、董卓は劣勢な状況。そのような沈み掛かった船に乗り込むなど自滅も良いところだ。
「しかし、それでは周りが敵だらけになりますぞ!」
「そんなこと分かっています。ですが、私は漢の民を守る立場。洛陽の民が苦しんでいないにも関わらず、戦争を起こしてはそれこそ民が苦しむことになります。そのようなこと私の望むものではございません!」
そのいつにないはっきりとした意思表示に袁紹の決意の固さがうかがえる。
主の心が決まったのであれば、臣下のやることは一つだ。
「分かりました。そのような旨をすぐに董仲潁殿に打診し、これから先の策を立案してきましょう」
そう言って逢紀は郭図や許攸をはじめとした文官を引き連れ広間を出て行く。
「あたしらは戦支度を始めておくぜ」
そう言って、文醜達、武官は兵舎へと向かう。
広間に残ったのは袁紹と田中だけとなった。
「私は今の選択で間違っていましたか?」
消え入りそうな小さな声で袁紹は田中に尋ねる。
袁紹は優秀な人間だ。自分の統治地域の周りが反董卓連合を組んでいることぐらいは分かっている。
その上で、自ら董卓に着くと決めた。これは下手すれば周囲の諸侯から攻められる可能性すらある。
自ら民の平穏を望むと言いつつ統治範囲の民の命を危険にさらしているのだ。
その判断はどうだったのか田中に聞きたかった。
「統治者としては間違いでしょう」
袁紹の質問をずばっと切り捨てた。
袁紹は予測はしていたが、やはり落ち込んだ。
しかし、田中の言葉には続きがあった。
「しかし、あくまでもそれは統治者としては、です。今は反董卓連合という天下を乱そうとする者達がいます。あなたは勃海群の太守である前に漢の臣下であります。かようなものを討伐するのは臣下たるあなたの役目です」
そう言って田中は一息つく。
「ならば、あなたの選択に間違いはない。故に、この問題に正解などないのです。有るとすれば、それは自分の意志か否かです」
そう言って袁紹の悩みをすぱっと断ち切った。
「田中さん、ありがとうございます」
袁紹はそう言って田中にお礼を言う。
それに田中は黙って臣下の礼を持って答えた。
それから数日後、袁紹の配下が再度集まった。
内容は反董卓連合に対してどうするか。そして戦争となったときはどうするかについてである。
「では、まず反董卓連合に対しての策ですが、反董卓連合に加わる旨を連絡します。なお、董仲潁殿には密使を派遣。味方になることを伝えます。そして公孫瓉軍と出陣を合わせます。偶然を装い、この軍と合流。その後、公孫瓉軍から離脱。一途、汜水関へ向かいます。ここまでで何か質問はございますか?」
そう言って逢紀は周囲を見渡した。
すると郭図が手を上げた。
「郭公則殿」
「周囲の諸侯はどうする。勢力は小さいがまとまってこられたら面倒な上、北には公孫瓉がいるぞ」
小さな声だが良く通る声で尋ねた。
「公孫瓉は自ら軍隊を率いて出陣するでしょうから、それほど心配することはありません。問題は周囲の諸侯ですが、文将軍と顔将軍、それからあなた、郭公則殿には勃海を守ってもらいます。それで対処は十分でしょう」
「分かった」
郭図は納得したようだが、一人不満があったようだ。
「ちょっと待ってくれ。俺たちは出陣しないのか?」
文醜が勢いよく手を上げ質問した。
「武将に関しては基本的には向こうの人間に従います。董仲潁殿は張将軍をはじめとする優秀な将軍を多く抱えていますから、そちらに任せます。本拠地あっての軍ですからね」
「むう。ならば仕方がない」
そう言って文醜は不満げながらも黙った。出陣できないのがかなり不満らしい。
「文将軍」
袁紹が話しかける。
「はい、何でしょう?」
「留守はあなたたちに掛かっています。頼みますよ」
「はい!」
そう言って文醜は張り切りだした。
「他に質問は?」
「汜水関までの行き方はどういたすのですか?周りは敵だらけですよ」
質問をしたのは許攸だ。彼女は基本的には情報を扱う人間への教育指導を行う立場の人間であるが、こうした場面では優秀な人間なので収集される。
「途中までは反董卓連合の陣に向かうように見せかけます。その後、汜水関の南東側にある山中へ入り、諸侯の目をくらませつつ汜水関の張将軍達の軍勢と合流します」
「それでは裏切り行為とみられ、今後に支障が出るのでは?」
「そればかりは仕方がありません。私たちが生き残る方法はこれ以外はありません」
「分かりました」
「他には?」
逢紀が尋ねるも質問はあらかた出尽くしたようだ。
「では今回の出陣における参加人員を発表します」
大将 袁紹
副将 逢紀
その他 田中 許攸 荀諶
歩兵2万 騎兵5千
(荀諶がいるのか!)
田中は思わず叫びそうになった。
この人物は正史においてあまり記録はない。
しかし、田豊、許攸らと並んで参謀に任命されるなどかなり優秀な人物であった。
袁紹が冀州を獲得する時にも大きく関わっている。なお、姓から分かるように曹操の軍師の荀彧の兄弟である。
「今回の戦に参加する人であったことがない人がいるのですが……」
田中は袁紹にそれとなく荀諶のことを聞いてみた。
「友若のことですわね。友若ここへ」
そう言って一人の人物を呼んだ。
その人物は背が低く、大きな胸が目を引く。髪は金髪で碧眼。活発そうな雰囲気を出しており、頭には犬の耳が着いたフードをかぶっている。
「はい、は~い。袁太守様、お呼びですか?」
「こちらは最近加わった田中殿です。一様、出陣する将軍の一人だから紹介をと思いましてね」
「田中と申します。宜しくお願いします」
「あ~、あなたが噂の人物ね。私は荀諶、字を友若と言います!宜しく!」
そう言って手を握ってぶんぶんとふった。
(これがあの荀諶なのか?)
あまりにも馬鹿っぽい行動に田中は、戸惑いを覚える。
「今回、出陣する狙いは董仲潁殿に付くだけじゃないよね~」
荀諶は突然意味深なことを言い出した。
「何を言っておりますの、彼女の味方をする以外に何があるのですか?」
袁紹はさも知らないという具合に首を傾ける。
しかし、田中はその後ろにいた逢紀の動きを見逃さなかった。
一瞬ぴくっと動いたのだ。それ以外に変わったことはなかったが、その動きは明らかに荀諶の言葉に反応していた。
「太守様も知らないってことは私の勘違いか、ごめんね~!」
そう言ってその場を離れていった。
田中の中には漠然とした違和感だけが残った。
その後、予定通り事は進み無事、汜水関のそばにまでたどり着いた。
予定の場所にたどり着き、あらかじめ準備していたテンポで銅鑼を鳴らす。
すると汜水関の方面から数騎の馬が走ってきた。
「何者?」
その者は静かに聞いた。その言葉には下手な言葉をすれば殺すと言う明確な殺意が込められていた。
さらにその殺意は信じられないほど強く、明らかに普通の人物ではない。
「我が軍は董仲潁殿の援軍に来た袁太守の軍勢であります」
そう言うとその者は殺意を消し、黙って反転した。
そして着いてこいとでも言いたげに走り出した。
「全軍、かの者に続け」
命令を出し、さらに走ること半刻ほど目の前に大きな門が見えてきた。
「これが汜水関」
誰かが呟いた。
これからここが戦場となる。
(もしかしたらここが自分の墓場になるのかもしれない)
そう思うと不安で押しつぶされそうになる。
しかし、賽は投げられたのだ。覚悟を決め、田中は汜水関へと足を踏み出した。