「田中殿、外に出てください。袁太守様がお呼びにございます」
牢番が田中のことを呼びに来た。
「処刑か、それとも釈放か」
ぽつりとそれだけ呟き、田中は外へ出た。
そのまま、謁見の間へと通された田中は、袁紹の前へと突き出された。
部屋の奥の方の一段上がったところに袁紹が座っており、そこから入り口に近い方に駆けて部屋の両際にずらりと袁紹の配下が並んでいる。
「田中 豊、あなたの名はこれで間違いないですね?」
袁紹が今まで聞いたことのないような厳しい声で問うてきた。
「はい」
「では、聞きますが、昨日の夜は何をしていましたか?」
「曹孟徳殿と会っておりました」
「その時に何を聞かれましたか?」
「曹孟徳殿に仕えないかと聞かれました」
「それで、あなたの返答は?」
「もちろん否にございます」
まるで尋問を行っているかのように淡々と質疑応答が執り行われる。
一様、彼は袁紹直々に迎えられた配下であるから、たとえ階級が低くても袁紹自身の手によって質問が行われていた。
「そうですか……」
袁紹は悩み始めていた。
果たしてどちらにすべきなのか。
漢王朝の権力が最早、なくなりつつある事は気付いている。
短い期間の内に天下は乱れ、大きな乱世へと突き進んで行くであろうことは袁紹も予測している。
曹孟徳。袁紹にとってのライバルである彼女も予測できているであろう。そのためにも彼女は弱小勢力ながらも挙兵をしようと現在人材集めを行っているのだ。
曹孟徳は現在は弱勢力であるが、元々は自分と同じ地位にまで上り詰めた人間だ。
同僚でもあった故に彼女の能力が極めて高いのは嫌と言うほど知っている。
これから突入する乱世において彼女は最大の袁紹の壁となるであることは間違いない。
そのような人間に寝返る可能性が少なからず存在する人間を生かすべきか否か。
「即刻処刑すべきです!奴は危険です!」
許攸が声を上げる。
「静かにしなさい!袁太守様、ご自身のお考えで判断してください!」
逢紀が、袁紹をいさめる。
(この場でご自分で決断を為さなければ、今後、本初様はご自分でご決断ができなくなってしまう)
逢紀は袁紹の未来を心配していた。
このままでは、いつも配下の言葉だけで動くただの操り人形になってしまう。
そのような人間になってほしくはない。
逢紀が許攸を止めようと口を開こうとした。
「袁本初様」
小さいが、よく通る声で発言した者がいた。
田中であった。
「袁本初様、私は本初様の望みとあらば、喜んで首だろうが何でも差し出す覚悟にございます。しかし、本初様は今、望みではなく疑念で動かれている。曹孟徳に私が寝返るのではないかという恐怖に目を曇らせられているのです。私はそのような状況で無駄死にするようなまねはしたくはない」
皆が絶句した。
誰もが思っていても、袁紹を恐れ口に出さなかったことを平気で口にしたのだ。
しかも、袁紹の指示一つで首を飛ばされるかもしれない人間がだ。
「しかし、」
唖然とする皆に気付かないかのように話を続ける。
「これが袁本初様の成長の糧となるのであれば、どうぞ首をお切りください。その時は他の人間の言葉に従うのではなく、ご自身のご決断で……」
そう言って、田中は静かに目を閉じた。
その顔には静かな笑みが浮かんでいた。まるで重大な任務を終え、安心して眠っているかのような顔だ。
とてもこれから最後を迎えようとしている者の顔には見えない。
「分かりました。田中さんの望み通り私の意思で決断をいたしましょう」
そう言って、静かに袁紹が立ち上がって田中の近くまで歩いて行った。
一歩、また一歩と徐々に田中に近づいていく。
そして、田中のすぐ隣で止まった。
「この者は……」
誰もが息を呑んで、次の言葉を待った。
そして……
「処刑せず、従来通りの仕事についてもらう!」
袁紹が判決を言った瞬間、援護派からは大きな歓声が上がった。
「「やった!やった!」」
援護派についていた顔良や文醜達は他の者と手を取り合って大喜びしている。
逢紀は肩の荷が下りたことで安心したような顔をしている。
逆に処刑派は納得のいかない顔だ。
「お待ちください!」
許攸が声を上げた。
「彼は一体何者なんですか?それすら分からなくては、安心できません!せめてその点に置いてだけでも説明をお願いします!」
それは処刑派、皆の考えであった。
「彼は……」
「良いでしょう」
袁紹が話そうとするのを遮って、田中が前へ出た。
「ただし、話しても信じられないような話でしょうから、信じるかどうかはあなた方次第ですよ。それでも構いませんか?」
田中は、そう前置きをした上で自分がこの世界に来るまでの経緯を話し始めた。