ブラック企業社員がアイドルになりました   作:kuzunoha

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後語⑦ らーめん水滸伝

「う~ん、どうしましょうか」

 自宅の衣装部屋に私のため息が響きました。パンツアンドブラというあられもない格好をしている私の周囲には、クローゼットから引っ張り出した私服が散乱しています。今度テレビ番組の企画で私服を披露するというコーナーがあるのですが、どの服にするか未だに決めきれませんでした。

「私服ファッションショーなんて、私にとっては完全に鬼門ですよ」

 生まれ変わって十数年が経ちましたけど未だに女性ものの衣服のセンスには自信がありません。動きやすくて紫外線を防止できれば十分という思考の人間なので、私服選びは思いの外ハードルが高いのでした。

 

「とりあえず、これでいいですよね。一番無難ですし」

 悩みに悩んで選択したのは落ち着いた感じのブラウスとロングなスカートの組み合わせでした。やや刺激には欠けますけど、行きつけのお店の店員さんが私の好みに応じて選んでくれましたから変ではないでしょう。

 困った時にはその道の専門家に頼るのがこの世で上手く生きる際の鉄則です。なお前世では人間不信過ぎて誰にも頼れなかったもよう。

「よし! ピカチュウ、君に決めた!」

 再確認のために試着しようと振り返った瞬間、衣装部屋のドアが少し開いているのに気づきました。隙間の闇の中で怪しい眼光が輝いています。

 

「あらあらあら、面白そうなことをしているわね~♡」

 その正体はマイ・マザーかつ私の天敵である七星朱美さん(御年ウン歳)でした。怪しい笑顔のまま部屋に侵入してきます。即刻逃走したいですが、逃げると更に酷い目にあう気がするのでその場で耐えました。

「ど、どうしたの? 今日はまだ医院じゃなかった?」

「患者さんがとっても少ないから早めに帰ってきたんだけど、なにをしているのかしら」

「服の整理を、ちょっと……」

 う、うろたえるんじゃないッ! 北斗神拳伝承者はうろたえないッ!

 

「ああ、なるほど。私服ファッションショーの衣装選び中だったの」

「なぜそれを!」

「だって普段は服なんてそんなに気にしていないじゃない。それにそろそろ朱鷺ちゃんの番かなって思っていたのよ~」

「……はい、そうです」

 どうやら全て見透かされているようです。抗弁しても倍返しどころか千倍返しを喰らうので大人しく正直に自白しました。だって私は清廉潔白な清純派アイドルなんですもの、親に嘘なんてつくはずがないでしょう?

 

「それで私服として選んだのがこの取り合わせなの?」

「ソウデスネ」

「う~ん……」

 すると途端にしぶ~い表情になりました。健康のために超苦いセンブリ茶を飲んでる時でさえこんな顔はしませんよ。

「ないわね~。これは絶対ないわね~……」

「ええっ、何で?」

 自分で選んだのならともかくそれなりのお店の店員さんによるセレクトです。到底納得はできません。

 

「だって地味地味アンド地味なんですもの。十代前半の子が子連れ主婦みたいな守りに入った服を着てちゃあダメよ~!」

「それでも前よりかは大幅に改善してるけど」

「あれはそもそも論外でしょう」

 ちなみにアイドルになる前の私のフォーマルスーツはTシャツとジーパンでした。今から思い返すと、うら若き娘を持つ親から嘆かれても仕方ないでしょう。いやあ当時は若かった。

「せっかく選んだ服を頭ごなしに否定するからには、さぞや素晴らしいコーディネートができるのよね!」

 ムッとしたのでついつい言い返してしまいました。

 

「ええ、もちろん! それはもうとっておきがあるのよ! ちょっと待ってて!」

 途端に笑顔になり踵を返して部屋を出ていきました。これは完全に乗せられてしまったようです。わざと煽って自分の土俵に持ち込むとは流石母娘、血は争えません。

 すると少ししてお母さんが戻ってきました。その手には(私にとっては)禍々しい呪装が握られています。

 

「はい、これが朱鷺ちゃんの私服ね~♪」

「…………」

 手渡された衣服の形状は一般的なワンピースと酷似しています。白いレース生地でオーダーメイドと思われる高級そうな装いが目を引きますが、それ以上にフリフリが目立ちます。

「これ初めて見るんだけど」

「そうねぇ。だって私服ファッションショー用に特注した勝負服だもの」

 え~と、私がこれを着るんですか。そしてテレビを通じてお茶の間にさらすと。

「絶対にノゥ!」

 反射的に叫んでしまいました。ないない、これはない。

 

「大丈夫、朱鷺ちゃんなら絶対似合うわ~♪ それにライブでも似た感じの服をよく着ているじゃない。全然問題ないわよ~」

「ライブ衣装と私服は違うの! それにいつもこんな可愛らしい服を着てるって誤解されるでしょ!」

「清純派アイドルを目指すのならその方が都合がいいんじゃなくて?」

「ああ言えばこう言う!」

 そういうメリットもなくはないですが、何にしても私には華美過ぎます。これじゃなくてなんというかゆるふわ的なアレが良いんですよ。藍子ちゃんみたいなアレが。

 

「それにこういう服が着られるのはせいぜい十代までなの。だから今を楽しまなきゃ!」

「ウチの事務所にはそういう服をノリノリで着こなす二十代後半の元女子アナがいるんだけど」

「……その人は、きっと勇者なのよ」と、お母さんが遠い目をして呟きました。

 川島さんはアイドルから勇者にクラスチェンジしたようです。おっ、こう書くとなろう系小説のタイトルみたいですね。

 

「とにかく、そんな服は着ないから!」

 清純派アイドルとしてのアピールよりも羞恥心が勝ちました。こんな服でテレビに出るのはマジ勘弁です。ミツバチにでも刺されて穴だらけにされてしまいなさい。

「これじゃあらちが明かないわね。なら披露する私服を賭けて勝負をするのはどう?」

「嫌だって。勝っても私にはメリットがないし」

「負けたら今準備している一分の一、等身大の朱鷺ちゃんフィギュアの製作を中止するわ」

「いつの間にそんな誰得産業廃棄物を製造していたの……」

「最近は仕事で家にいなくて寂しいから、せめてウチの医院に飾っておきたくて~」

「やめて!」

 恥ずかしいと言うか医療機関としてどうかと思いますよ。医者が精神状態を疑われます。

 

 あの私服ではない私服を着るのも嫌ですが怪しい人形を勝手に置かれるのも怖いです。勝つ見込みの高い勝負であればやぶさかではないので、とりあえず勝負内容を訊いてみましょうか。

「それで、何で勝負するの?」

「対等な条件で優劣をつけるのなら、料理勝負なんてどうかしら?」

「料理勝負……」

 私はいくつもの飲食店で過労死ラインをレッドゾーンで駆け抜けたことがありますから、正直腕にはかなりの自信があります。しかしお母さんも凄腕の持ち主なので簡単に勝てる気はしません。勝つ見込みの少ない勝負なら降りた方が無難です。

 

「レシピ本を出しているくらいだから料理には自信あるでしょう?」

「まあ、それなりには」

 負けた時のデメリットが大き過ぎるので返答は慎重になってしまいます。

「テーマと審査員は朱鷺ちゃんが決めていいわよ~」

「え、ホント?」

「最近忙しくてお家では料理をしていないから、それくらいはハンデを付けないと」

「その勝負受ける。題材はハンバーグで、審査員は朱莉ね」

「はいはい、それでいいわ。朱莉が好きなハンバーグを作った方が勝ちにしましょう」

「うん、わかった」

 ククク……。馬鹿めと言って差し上げますわ。今執筆しているレシピ本第三弾でハンバーグは嫌というほど研究済みです。ことハンバーグについてはお母さんを超えている自信があるので勝負をすることにしました。

 

 

 

 その後はキッチンに移動しハンバーグの仕込みに入ります。お互いに手の内がわからないよう、交互にキッチンを使用しハンバーグのタネを用意していきました。味付けや香辛料は違いますが肉や玉ねぎ等の基本食材は同じなので、勝負は焼き方やソースで決まるでしょう。

「ただいま~!」

 妹の朱莉が帰宅するのを確認するやいなや勝負が始まりました。

 

「それじゃあ先行は私からでいいよね」

「お任せするわ~♪」

 朱莉をリビングの椅子に座らせてからハンバーグを焼きます。焼き時間や加減を誤ると最高のハンバーグも炭と化すので細心の注意を払いました。鉄板焼用のプレートに載せ特製のソースを掛けてから朱莉の前に出します。

「いただきま~す! ……うん、おいしい~~~~♪」

 フッ、勝った! 肉汁が迸るだけでなく独自調合のハーブにより一層香ばしい匂いが口いっぱいに広がったはずです。付け合わせには猫とうさぎ型に成形したハッシュポテトを添えており、女児受けするように気を配りました。

 そして一番のポイントは子供の味覚に合ったマヨネーズとケチャップベースのソースです。ハンバーグの味を引き立てるのはもちろん、濃厚さが口の中に暫し残るのでこの後に食べるハンバーグは物足りなく感じるはず。これは間違いなく勝ち確です!

 

 先行のメリットを最大限活かすという作戦は見事功を奏しました。私は『料理は心』が信条ですが今日に限っては『料理は勝負』に転向させて頂きましたよ。料理勝負に勝つためならば文字通り手段は選びません。過程や方法なぞどうでもよいのだァーーッ!

「これは勝負が決まった……ってあれ?」

 あっという間に完食した朱莉を尻目にお母さんがキッチンに向かいました。変ですね、私の予想ではもっと動揺すると思ったんですけど。

 

「はい。お待たせ~♪」

 鉄板焼き用のプレートを持ったお母さんが戻ってきました。それをテーブルに置いた瞬間、朱莉の目の色が明らかに変わります。

「マジカルアイビスだー!」

 目をキラキラさせたまま大きな声を上げました。ん、何これ?

 プレートの上に乗っているのは私と同じハンバーグですが、その形状は大きく異なっていました。私のは普通の俵型ですけどお母さんの方はアニメっぽいキャラの形に成形されています。更にミニトマトやパセリ、ヤングコーン等で綺麗な衣装が形作られています。

 

「ええ~。おねえちゃんしらないの? 『まほーアイドル☆マジカルアイビス』のアイビスちゃんだよ!」

「知らない……」

 朱莉の話をよく聞いたところ、魔法アイドル☆マジカルアイビスとは数ヶ月前から少女漫画雑誌『ちみどろ』で連載されている少女漫画のようです。

 全員が魔法少女のアイドルグループ『魔法坂46』に所属しているアイドル達が知略と策謀で大切な仲間を蹴落としていき、最終的にソロのトップアイドルになるのを目指すという過激な内容が最近の女児に大受けなんだとか。

 なおマジカルアイビスは主人公の女の子で、ステータスを武力と策謀に極振りした腹黒キャラ(ドジっ子属性持ち)だそうです。そういうゲテモノ設定な娘は絶対アイドルとして大成しないので早めに主人公が交代したら良いなとお姉ちゃんは思いました。

 

「今月号はどんなお話だったのかしら~?」

「え~っとね! イービルバットがリリカルキャットになりすましてSNSでえんじょ~させてたんだけど、マジカルアイビスがしょうたいをつきとめて、とくめいでばくろしたんだ! そしたらイービルバットもえんじょ~して、二人まとめてそのままいんたいしちゃった!」

「サツバツ!」

 現実のアイドル界だってそこまで荒廃していませんよ! というかそういう漫画を喜んで読んでいる我が妹の将来が大変心配です。情操教育に悪影響を与えるので天下のPTAが圧力をかけて即打ち切りにして頂けないでしょうか。

 とりあえず朱莉が完食するのを待って勝負の結果を確認することにしました。

 

「朱莉はお母さんとお姉ちゃんのハンバーグ、どっちが好きかしら~?」

 いよいよジャッジメントタイムです。負けたらあのクソみたいな私服(親指定)を披露するんですから頼みましたよ、マイシスター!

 かたずを呑んで見守っていると、朱莉が悩む素振りを一切見せず口を開きます。

「おか~さんのハンバーグがすき!」

「ええっ!?」

「あらあら、ありがとう~♪」

 思わずその場で固まってしまいました。

 

「なぜ負けたのか、まだわかっていないのかしら」

「だって味では絶対に上を行っているはずなんですよ! あのハンバーグは私の努力の結晶なんですもの!」

 お母さんがハンバーグを作る際にタネの製法を盗み見ていましたがいつもと同じでした。あれはあれで大変美味しいですけど今回の私のハンバーグに比べると正直差はあります。それなのに完敗したことについては納得がいきませんでした。

「確かに朱鷺ちゃんのハンバーグは私より上を行っていたわよ。完成度で言えば百点がつけられる究極の子供向けハンバーグと言えるわ~。だけど朱莉がそれを一番好きかはわからないわよね?」

「あっ!」

 そこまで言われてやっとミスに気づきました。

 

「朱莉は、お母さんのハンバーグのどこが好きだったの?」

 慌てて確認すると笑顔のまま口を開きます。

「だってマジカルアイビスのかたちで、とってもカワイイんだもん!」

「ああっ、やっぱり!」

 思わずその場で崩れ落ちてしまいました。

 この勝負、本当に工夫すべき点は味などではなかったのです。朱莉が美味しいと感じたハンバーグではなくて好きなハンバーグを作る対決なんですから、妹に徹頭徹尾媚びを売るべきでした。

 朱莉のトレンドを理解しその好みに合わせて最大限喜ぶ演出をしたお母さんに比べて、一般的な児童に向けて料理を作っていた私では勝負にすらなっていません。

 あっ、これグルメ漫画でよく見る展開だ!

 

「老若男女問わず版権モノは最強なのよ~。朱鷺ちゃんはなまじ実力があるし無駄に凝り性だから、ついつい腕自慢や技術自慢に走りがちなのが欠点よねぇ~。

 本当に大事なのは相手が何を求めているかじゃないかしら。料理は食べる人を喜ばせるものであって、高尚な芸術品じゃないもの」

「サーセン……」

 今回ばかりは返す言葉もございません。確かに前世での就業経験が豊富な分、経験と技術でなんとかしようとしがちで発想の柔軟さに欠けているので今後に活かしたいです。

 

「それじゃ料理対決も終わったということで……アディオス、アミーゴォ!」

「待ちなさい」

 ダッシュで逃げようとする寸前で腕をつかまれました。大魔王からは逃げられない!

「という訳で、視聴者の要望にも応えないと♥」

「まあ、仕方ありませんか……」

 こうして残念ながら私刑が確定してしまいました。その後撮影がありましたが開き直って笑顔でダブルピースまでかましてやりましたよ、ええ。

 オンエアでは評判良かったんですけど、『嘘乙w』とか『どうせいつもジャージ』『TシャツGパンやろ』等と散々こき下ろされて憤慨しました。残念ながら清純派アイドルとしてはまだまだ認められなさそうです。

 

 

 

 そんなほのぼのした出来事も忘れかけてきた頃、私達コメットは都内にある某駅周辺のライブハウスで単独公演をしていました。今週末と再来週末の二回に分けての出演でして、今週末分について先程無事にやり遂げたところです。

「お疲れさまでした……」

 控室に戻るなり乃々ちゃんがソファーに倒れ込みます。

「フッ、だらしないな。ボクはまだやり足りないくらいだけどね」

「その割には膝笑ってますよ、アスカちゃん」

 余裕そうな表情とは別に、その足は生まれたての子鹿みたいになっています。

「一日三公演でしたから……」

 そう言いながらほたるちゃんもパイプ椅子に腰掛けます。この中では一番経験値が高い彼女でも苦しそうですから、あの二人がグロッキーになるのは致し方ないのでしょう。

 

「お疲れ様! みんな体は大丈夫かい?」

「ええ、疲れてはいますけど支障ありませんよ」

 スポーツドリンクを配る犬神Pに軽く返事をします。

 ファンの皆様のお陰で私達の人気と知名度は日増しに上がっており、今後はハードなスケジュールでのライブが見込まれるため実験的に一日三公演を導入しました。そのせいで体調に変化がないか心配しているようです。

 そのまま休憩をしながら今日のライブの反省会を簡単に行いました。体力面の心配はありましたが、どの回もミスはなくほぼ完璧なパフォーマンスでしたので十分合格点をあげられるでしょう。

 

「三公演であれだけの完成度の高いライブができるユニットは346プロダクションでもそうそういないだろうな。この調子で来週も頑張ろう!」

「そうですね。ただ……」

 犬神Pが絶賛する中、ほたるちゃんは少し曇った表情でそう呟きました。

「なにか問題があったのかい?」

「確かに練習通りの力は発揮できましたし、完成度も凄く高いと思います。でも何かもう一つ足りないような気がして」

「足りないこと、ねぇ」

 一斉に首を捻ります。

 

「セトリや振り付けは問題なかったと思いますけど。あ、ひょっとしてもりくぼがまたミスをっ?」

「いや、それはないよ。今日の衣装は先日届いた物だったからまだ慣れていないのかな?」

「いえ、どこが悪いって訳ではないんです。ただ、昔憧れていたアイドルのライブでは、盛り上がり方がもう一段階上を行っていたような気がして」

「もう一段階上、ですか」

 私同様、乃々ちゃんやアスカちゃんもピンときていないようでした。今回のライブでは新進気鋭のやり手演出家さんにも協力頂いていますし、技術的にも他アイドルに決して負けていないと思います。相手が日高舞クラスの化け物なら話は変わりますけど。

「すみません、具体的なお話ではなくて」

「いえ、いいんですよ。むしろそういう意見の方が今後の改善には必要です」

 誰よりもアイドルに憧れていたほたるちゃんには、ニワカの私に見えていないものが見えているのかもしれません。

 

「よし、反省会はここまでにしよう! もういい時間だから皆でご飯でも食べに行こうか」

 壁掛け時計に目をやると時刻はとっくに夜を指していました。お腹もペコちゃんですからとりあえず何か入れたい気分です。

「わかりました。今日は皆頑張りましたので良いものを食べさせてくださいよ?」

「ああ、もちろん!」

「それでこそPさんです。それじゃあ高級焼き肉店の最上級コースでお願いしますね♥」

「う、うん。……参ったな、領収書分けられるかな」

 こういう時にケチらないのは犬神Pの数少な~い長所だと思います。ほたるちゃんの疑問について答えが出ないのは気持ちが悪いですけど、会場の予約期限も迫っているので慌てて撤収の作業を始めました。

 

 

 

「すまない。俺の力不足だ」

「ええ、どうせこういう展開だと思ってましたよ」

「まさか、焼肉屋はおろかどの店もことごとく満員とは……」

 五人して最寄り駅の交差点前で立ち尽くします。プレミアムフライデーか何か知りませんが行く店行く店満席という有様でした。喫煙可の居酒屋であれば空いていましたけど、私や犬はともかくほたるちゃん達をそういう環境にさらす訳にもいきません。

 よくよく考えるとこの駅の近くにはオフィスビルが多数建っていますし複数の大学校舎もありましたから、金曜日の夜ともなれば近隣のお店が一杯になるのは自明の理です。他の駅でお店を探すことも考えましたが三人の体力は限界に近いため、電車の乗り降りをさせてこれ以上疲弊させたくはないです。

 

「嫌味を言っても何も始まらないですから空いているお店を探しましょう。駅から離れればそういうお店が少しはあるかもしれませんし」

「じゃあ、私が見てきましょうか?」

「いや、皆はここで休んでいてくれ。俺が行って見てくる!」

 ほたるちゃんを制止した犬神Pが駅の反対方向に駆け出して行きました。それでも空いていなければコンビニのイートインで我慢するしかありません。ライブの打ち上げとしてはかなり侘しい気がしますけど。

 

「で、見つけてきたのがこのラーメン屋さんですか」

「ああ、軽く中を覗いたけど人っ子一人いなかったよ」

「……それはそれで問題ある気しません?」

「う、うん……」

 必死に探して貰ったので感謝しているものの、この賑やかな時間帯に誰もいない時点で味の方は察しが付きます。私の頭の中にあるラーメンデータベースには美味しい店が網羅されていますが、この『らーめん水滸伝(すいこでん)』という店名は全くヒットしませんでした。

 

 お店の外見ですが良く言えば慎み深い、悪く言えば超クッソ激烈に地味です。実際犬神Pに教えてもらうまでラーメン屋とは気づきませんでした。外からは中の様子が伺えないので営業しているかどうかは『営業中』の看板で判断するしかありません。両隣のお店には貸店舗の看板が掲げられているので一層侘しさを感じさせます。

「皆さんもこのお店でいいですか?」

 一応三人にも訊いてみます。

「犬神さんに探して頂いたので、大丈夫です」

「……座れればもうどこでもいいですから」

「他に空いている店も無さそうだしね。コンビニのイートインよりはマシさ」

 消極的でも全会一致で賛成でしたので意を決してお店のドアを開きました。この際贅沢は言いませんからせめて普通に食べられるラーメンが出てきて欲しいです。

 

「いらっしゃいませ!」

「え~と、五人ですけど入れますか?」

「はい、こちらのテーブル席へどうぞ!」

 店に入るやいなや元気な挨拶が飛び出してきたので却って面食らいます。てっきりしょぼくれたオッサンがしかめっ面で営業しているクソ店と思いこんでいましたが、一人だけの店員さんは若くて爽やかな方でした。アイドルとまではいきませんが彼女には困らなそうなルックスです。

 店内はカウンター席が八席、テーブル席が二つ程とさほど広くはありませんが、掃除が行き届いていて清潔感があり好印象でした。

 

「今お冷やをお持ちしますね。当店のメニューはこちらになりますので、お決まりになりましたらお呼び下さい!」

「ありがとうございます。え~と、皆何にする?」

 メニュー表を見せて貰います。すると『当店の一押しメニュー 極上味噌ラーメン』というワードが目に飛び込んできました。

「へぇ、ここは味噌ラーメン専門なのか」

 アスカちゃんの言う通り醤油や塩のラーメンはなく、普通の味噌ラーメンや極上味噌ラーメン、味噌つけ麺等味噌を中心にしたものだけでした。

 

「味噌ラーメン専門ねぇ……」

 軽くため息を付きます。

「朱鷺さんは味噌味は嫌いなんですか?」

「いえ、嫌いな訳ではありませんよ。美味しいお店のものは私も大好きですし。ただ味噌ラーメンは誤魔化しが効きやすいので手抜きする店が多いんです」

「手抜き?」

「味噌自体とても旨い調味料ですからね。ご飯にお味噌汁をかけただけでも美味しいでしょう? 適当な味噌ダレに市販の業務用スープを注いだ手抜きラーメンでもそこそこ美味しく食べられてしまうんですよ」

 普段匿名掲示板で語るだけで人に話すことのないラーメン薀蓄をここぞとばかりに披露します。だってこういう時くらいしか語れないんですもの。語らせてくださいよ!

 

「醤油や塩は違うのかい?」

「醤油ラーメン等もタレの影響は受けますけどスープの出来不出来は良くわかりますからね。味噌味は個性を出すのも難しいので通いたくなるお店は貴重なんですが……」

 このお店では多分期待できないでしょう、という言葉は失礼なので声に出しませんでした。店員さんも横目でこちらをチラチラと見ていますから、うかつなことは言えないです。

 

「……トキ、気になるものを見つけたんだが」

「なんです?」

 アスカちゃんがメニューの隅っこを指差しました。トッピングの項目を目で追っていくと、そこにはカタカナ四文字で『タピオカ』と書かれています。

 えっ、正気?

 ないわーこれはないわーと思いつつ、どんな感じの仕上がりなのかは超気になります。

 

「ここはラーメン系アイドルとして、一つどうかな?」

「ラーメン系アイドルは先達の大先輩がいらっしゃいますので謹んで辞退致します。というかこういうのは言い出しっぺが挑戦すべきでは!?」

「ボ、ボクはラーメンに詳しくないから普通のヤツで構わないよ。トキは食べ慣れているんだから偶にはこういうのもいいんじゃないかい?」

「私も初めてのお店では素の味を堪能する主義なんです。アスカちゃんこそ偶になんですからこういうインパクトが強いものを食べた方がいいですって! きっとインスタ映えもしますよ!」

「フフフ……」

「アハハ……」

 水面下で決死の攻防戦が始まりました。自分では絶対に食べたくないけどどんなかは気になる。こういう心理は結構あると思います。

 

「この間コーヒーをおごっただろう?」

「ワックのコーヒー一杯とタピオカ味噌は全く釣り合いませんって!」

「ちっ。それならジャンケンはどうだい?」

「一回勝負ですからね?」

「フッ。望むところだ」

 張り詰めた空気が周囲を包みました。大丈夫、私には神様がついているんですからきっと大丈夫です。

「最初はグー!」

「ジャンケンポン!」

 

 

 

「極上味噌ラーメンのタピオカ入り、お待たせしました~!」

 先に提供されたサイドメニューの餃子や唐揚げをつまんでいると例のアレが来ました。オーダー通り私の味噌ラーメンの中心には異物がドンと盛られています。

 そういえば私に取り憑いている神様は死神であることを完全に失念していましたね。あんなのに祈る時点で負けは確定していたのでしょう。

 

「おっふ……」

 注文通り丼の中心にタピオカ共が鎮座されております。味噌ラーメンの色合いもあって正直不気味というか、食欲を著しく減退させる効果がありました。濁った泥の川にカエルの卵が浮かんでいるみたいな地獄の光景ですね。カエルの歌が聞こえてきそう。

 しかし私に食べ物を粗末にするという概念はありません。料理の素材は他の生き物の生命なのですから、無駄にしないよう何でも食べきってやりますとも!

「頂きま~す!」

 決死の覚悟でレンゲをつかみました。まずはスープから頂くのが私の流儀なのです。

 

「あれっ?」

 スープを一口含むと違和感が生じました。てっきり市販の業務用素材を適当に組み合わせたものだと思っていましたが口当たりは全く異なります。

 スープのベースは豚骨白湯ですが、丁寧に仕込んでいるためか雑味が一切感じられません。また煮干しの風味と旨味も嫌味のない程度に感じられます。豚骨と魚介のWスープは今時ありふれていますけど、これだけハイレベルなものは滅多にお目にかかれないでしょう。旨味のある味噌ダレとうまく調和しながらも、しつこくなくすっきりとした味わいです。

 思わず箸を手に取り麺をすすると先程のスープが麺に程よく絡みつき、大変心地よい喉越し感でした。食感や麺の固さ・長さもこれがベストというほかありません。試しにタピオカと麺を一緒に口に運ぶと、もちもち感がこの麺とスープに程よく合っており絶妙な食感を生み出しています。

 

「朱鷺さん? 朱鷺さん!」

「はっ!」

 味に集中するあまり周囲の声が聞こえていなかったようです。ですがもう大丈夫、わたしはしょうきにもどった!

 気を取り戻すついでにコップのお水を喉奥に流し込みました。あ、全然脈絡はないですけどラーメンを食べた後の口直しのお水って死ぬほど美味しいですよね。個人的にはサウナから出た時の水と双璧をなします。

 

「味はどうだったか……は聞くまでもないようだ」

「ええ。脳内で長々と食レポみたいな感想を垂れ流してしまいましたけど、一言で表現すると『うーまーいーぞー!』って感じです。今まで食べてきたラーメンの中で十傑には確実に入るでしょう。私は本来醤油や豚骨派なんですけど思わず味噌派に転向しそうな勢いです」

「そんなに美味しいんですか……」

 乃々ちゃんの目に光が灯りました。さっきのタピオカを見て超引いていたので良かったです。

「残りの分もお待たせしました~!」

 味の感想を語っていると皆の分も届きました。最初は半信半疑でしたが食べ始めると口々に絶賛します。犬神P以外食べるのは早くないのですが、美味しさと空腹のためか皆あっという間に完食しました。

 

「ごちそうさまでした。朱鷺ちゃんが言ったとおりとっても美味しかったです」

「濃厚なのにくどくなくて、さっぱりした感じがいいですね」

「味噌は差が出にくいけど、この店のラーメンは大したものだよ」

 美味しいものを食べて皆の顔に笑顔が浮かびました。アクシデントから止むなく入ったお店でしたが怪我の功名といったところでしょう。

「うん、大盛りを頼んだけどこんなに美味しいならもう一杯食べたいくらいだよ。この味ならもっとお客さんがいても良さそうだけどなあ」

 犬神Pの忌憚のない感想が静寂に包まれた店内に響きました。そういう口にしづらいことを軽々と発言するからデリカシーが無いと言われるんですよ!

 味と接客に問題はないのにお店が流行らない理由には心当たりが多数ありますけど、しょせん私達はただの客です。経営方針に口出しする権利や義務はありません。

 

「あの、すみません」

 食後に雑談していると先程の店員さんから声をかけられました。お会計を督促されているのかと思いましたが、店内には私達以外に客はいないです。

「はい、何でしょう?」

「間違っていたら申し訳ございませんが、皆様はアイドルの方ですよね? よろしければ、サインを頂けないでしょうか」

 そう言いながら色紙とサインペンを差し出してきました。一緒に写真撮影は昨今の芸能界のアレな問題で禁止されていますが、サイン程度であれば珍しくもないので快く対応します。四人全員書き終えた後で色紙を返しました。

 

「ありがとうございました。最初で最後になっちゃいましたけど、芸能人の方にも来て頂けて本当に良かったです」

「…………」

 店員さんが悲哀混じりの笑顔を見せました。何か意味深なワードが聞こえたような気がしましたがキニシナイキニシナイ! こういうお店の複雑な事情に首を突っ込むとロクな事にならないのは前世で身を持って経験しています。

 

「最初で最後とは、どういうことでしょうか?」

 私が必死こいてスルーしようとしていたのに駄犬が思わず聞き返してしまいました。乗るな犬神P、戻れ!

「この店なんですが、バイトを掛け持ちして必死に働いて先月開店したはいいもののご覧の有様でして。ラーメンには自信があったのでトッピングとか色々工夫したんですけど閑古鳥が鳴いているんです。賃料や材料費も馬鹿になりませんから、このままなら来月にも閉店しようかと」

 その結果があのタピオカだとしたら経営センスがないにも程があるでしょう。というか、お店の複雑な事情をそんなにベラベラと喋らなくていいですって!

「そうなんですか……」

 犬神Pまで神妙な表情になりました。貴方が底抜けのお人良しであることはよく理解していますけど、だからといって首を突っ込まないで下さいね。多分フォローするのは私になると思うので。

 

「本当この際、ワラにでもすがりたい思いですよ。ラーメン愛好家のアイドルさんでもいらっしゃれば、是非ご意見を伺いたいのですが」

「う~ん……」

 二人して困り顔で腕を組みます。おいよせ犬神P、立ち止まるな! 見え見えの挑発に乗るんじゃねえ!

「そういえば七星さんはラーメンに詳しいよね、何かアドバイスとかないかい?」

「まあそう来ますよねえ!」

「なんで急にキレてるの?」

「自分の胸に手を当ててよ~く考えて下さい! このば~か! ば~か! ばか!」

 ガチャ大爆死というタイトルを付けながら無料石分しか回していないクソ実況動画を見た時くらい腹が立ちました。大爆死を名乗るんですから最低でも二桁万円は突っ込んで目当てのキャラを引けずに号泣するという愉悦な結果じゃないと反応に困りますよ。流石に千連を超えるとグロ過ぎて見ているこちらの胃も痛くなるので、一刻も早く出してあげて欲しいですけど。

 

「確かに、このお店のどこに問題があるかは予想がつきます」

「それなら……」

 犬神Pの言葉を遮って話を続けます。

「いいですか。日常のちょっとした助言ならともかく、人様のお店の経営方針に口を出すというのはそんな軽い話じゃないんですよ。ここで私達が変な助言をして更に経営が悪化した時に責任が取れるんですか? 来月閉店していれば最小限の負債で抑えられたのに、助言に従ってだらだら営業を続けたことで負債が拡大することだってあるんです」

 なので人に対して軽々しく助言をすべきではないと私は思います。するのなら結果に対して責任を持つくらいの覚悟はしないと人として駄目でしょう。

「いえ、責任を取れなんて言いませんので何が悪いか教えて下さい!」

「ほら、こう言っているし……」

 捨てられた子犬を拾ってきた少年のような目をしないで欲しいです。

 

「あ、そういうことか」

 犬神Pが何かを理解したような顔をしました。一瞬私を下に見たような感じがしたので無性に気になります。

「言いたいことがあるならはっきり言って欲しいんですけど」

「いや、特には……」

「本当に?」

「本当本当。……ひぎい!」

「何でも自白する秘孔を突きました。今何を思ったか素直に喋って下さい」

 的確に秘孔を突くと口をパクパクさせながら話し始めます。

「七星さんはアドバイスをしたくないって言ってたけど、本当は何も思いついていないからできないんだろうなって気づきました。でもプライドが高いので人から指摘されたら傷つくだろうから、深くは追求しないことにしました」

「……は?」

 この私が畜生から憐れみを受けただと……。前世で和洋中他を極め、現世でもレシピ本を出版しているこの私が?

 

「出来ないことがあるのは恥ずかしいことではないよ。でもそういう時は素直になって皆に相談して欲しいな。だって俺たちはチームなんだか……ひぎい!」

 うつむいたまま指を引き抜きました。

「……らぁ」

「いててっ。あれ、今なんて言ったの?」

「出来らぁっ!」

 怒りに任せて高らかに宣言しました。

「私なら同じ値段でもっと繁盛させられるって言ったんですよ!」

「本当ですか! よろしくお願いします!」

 地獄で仏に会ったかのような表情の店長さんに手を握られました。

「あっ、はい……」

 途端に冷静になりましたがもう遅いようです。あっ、これグルメ漫画でよく見る展開だ!

 

 

 

「では作戦会議を始めましょうか。僭越ながら議長はこの七星朱鷺が務めさせて頂きます」

 今日は臨時休業にして貰い、私達と店長さんでテーブルを囲み対策を検討することにしました。

「どうせお客様は来ませんからね」と自虐交じりに呟く店長さんは傍から見ていても気の毒です。先程の快活で丁寧な接客は精いっぱいのカラ元気だったのでしょう。

 売り言葉に買い言葉で勢いに任せ快諾してしまいましたが、これだけ完成度が高くて美味しいラーメンをひっそりと終焉させるのは惜しくもあります。

 なので少年ジャ○プの打ち切り危機漫画の如く、学園バトルものから異世界ファンタジーものに転換するくらいの超テコ入れをしていきましょう。飲食店は立地が一番重要なので、駅から離れているこのお店を流行らせるには試せることを全て試す必要があります。

 

「こんなに美味しいのに何でお客さんが来ないのか不思議だよなあ」

「ええ。味には自信があるので、駅から少し離れていても大丈夫だと思ってたんですけど」

 犬神Pと店長さんが首を傾げます。え、店長さんはともかくお犬様もお気づきになっていないんでしょうか?

「いや、そのくらいは小学生でもわかるでしょう。とにかく目立たないんですよ、このお店!」

「目立たなくても地元民に愛されるお店だっていっぱいあるじゃないか。俺の家の近くにもそんな定食屋があるし」

「そういうお店は地元で何年も営業しているからこそ認知されているんですって。オープンしたてのお店を知ってもらうためには工夫が必要なんです。ですからとりあえずリニューアルオープンをしましょう」

「リニューアル!?」

 すると店長さんが青い顔をしました。

 

「それって、結構お金かかるんじゃ……」

 乃々ちゃんが心配そうに呟きます。

「別に内装等を大幅に変えるという訳ではありません。最低でも店名と看板は変更する必要がありますけど」

「名前を変えるだけって、何か意味があるんでしょうか?」

 ほたるちゃんの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるようです。こういう俗っぽいお話を彼女達の前でして良いのか迷いましたけど、お店のためですから仕方ありません。

 

「人間っていう生物は新しいものに弱いんですよ。新商品とか新規出店と聞くとついつい買ったり入ってみたりしたくなりますから、その心理を利用してまず新装開店で人目を引きます。パチンコ屋さんでも同じことをよくやっているじゃないですか」

「でも何も変わっていなかったら不審に思われません?」

「お客さんなんて殆ど来てないので気づかれませんって。それに気づかれたとしても法に触れる行為はしていないんですから何ら問題ないです。夜にお店を閉めて昼に開けたから新規オープンしましたって屁理屈こねて突っぱねればいいんですし。

 リニューアルに合わせて告知のチラシを近隣の会社にポスティングしておけば、少しは認知されますよ」

 後はSNSを活用して近隣の大学生に周知するのも大事です。電気代だけで宣伝できるんですからダイマもステマも盛り沢山にしましょう。

 

「前にオープンした時にも駅前でチラシ配りをしたんですけど」

「ああいうチラシは読まずに捨てられるのであまり効果はありません。ポスティングの場合、少なくとも郵便物の内容は確認されますからそれだけでも宣伝効果はあります。

 それに大体の会社では郵便物のチェックは事務の女性が担当しています。女性は男性に比べ噂好きな方が多いですから、新店のことを話題にする方が十人に一人でもいれば大勝利ですよ」

 サラリーマンの多くはランチのお店をローテーションで回していますけど、一方で新しい味にも飢えているのです。前世にて不正告発の報復で離島に飛ばされた際、島に一つしかない定食屋の数少ないレパートリーに飽きて苦しんだ私にはそれがよく分かるのでした。味に魅了されてランチローテーションの一角に昇格すれば最高です。

 

「ただ今のお店はあまりに地味ですから、リニューアル時には目立つよう電飾看板を取り付けましょうか。あと店内の様子が外から見えないと入りにくいので出入口は少し改修させて下さい」

「あの、申し訳ないですが電飾看板を新しく買うようなお金がありません……」

「知り合いに工務店に勤めている子達がいますので、材料費だけ頂ければ工賃はタダで作らせますよ。それとリニューアル後暫くは彼らをサクラとして並ばせます。行列ができている飲食店は客が入りやすいし話題にもなりますから」

 虎ちゃんを始め鎖斬黒朱(サザンクロス)の連中を動員すればこのくらい簡単です。やはり肝心な時に頼れるものは従順などれ……じゃなかった、大切な仲間ですね♪

「あの、朱鷺さん。それってやらせでは……」

「私の知り合いが自主的にラーメンを食べに来るだけなんですから、百歩譲っても過剰演出の範囲でありやらせではないのです。それに法に触れる行為はしていないので何ら問題はありません」

「……あっ、はい」

 純真なほたるちゃんには毒が強かったようです。ごめんね。

 

「店については理解したけど、メニューの方は問題ないのかい?」

 アスカちゃんから質問を頂きました。確かにこちらもテコ入れが必要です。

「利益を出してお店を維持するには客単価のアップが必要不可欠です。幸いなことにラーメンの原価率は常識の範囲内で収まっていますので、これからはアルコールの販売をガンガン強化していきましょう!」

「確か今は缶ビールしか置いてないようだね」

 犬神Pがメニューを手に取り呟きました。

 

「純粋にラーメンの味を楽しんで頂きたいと思ってそうしていたのですが……」

「お気持ちはわかりますけど、お店を続けていくためにもまずは安定した利益が必要じゃないですか。折角オフィスビルや大学の校舎が近くにあって成人客が見込めるんですから、利益率の高いお酒を沢山売っていきましょう。業務用ビールサーバーだってメーカーに頼めば無償でレンタルしてくれますし、サワー類は原価がメッチャ安いのでボロ儲けできますよ♪」

 未成年が言うことじゃないよなと自分ながら思います。

 

「お酒の提供で忙しくなると肝心のラーメン作りに支障が生じませんか?」

「なら手のかかるサイドメニューを削りましょう。正直言ってこのお店の餃子や唐揚げの味は普通でしたからなくても問題ないです。代わりに簡単に作り置きできてお酒のつまみに最高な料理をいくつかお教えしますよ。そうすれば手間は相殺できます」

「なるほど……わかりました!」

 こんな感じで一つづつお店の課題を解決していきました。この店長さんはラーメン作りの才能は凄いのですけど、商売人としては素人未満なのでよく今までお店を続けてこられたと逆に感心してしまいましたね。犬神Pといい、私の周囲には特化型の才能の持ち主が集まるような気がします。いや、全能型の才能の持ち主は超厄介なので一人で間に合っていますよ。

 

「とりあえず、今考えられる改善としてはこれで全てです」

「色々とありがとうございました。早速明日から取り掛かります!」

「いえ、まだ立て直しが成功した訳ではないですから感謝しないで下さい」

 店長さんが何度も頭を下げてくるのを制止します。テコ入れ策としては万全という自負はありますけど、私の中で何かが引っかかっていました。

 

「このラーメンはとても美味しいですから、朱鷺ちゃんの案を試せばきっと大丈夫だと思います……」

 優しい乃々ちゃんが店長さんを励まします。確かにラーメン自体の完成度は非常に高いため私が手を入れる余地はありませんでした。せいぜいタピオカのトッピングを即刻廃止させたくらいです。味はまともでしたが見た目的にあれはない。

 完成度が高ければ問題ない……。本当にそうなのでしょうか。最近そのような話でとても痛い目を見たような……。

「うん、そうだね。俺だってここの味噌ラーメンなら何杯でも食べられるし、今だって食べたいくらいさ」

「はい、ありがとうございます。お店には色々と問題はありましたが、このラーメンは何年も研究を重ねた自信作なんですよ!」

 

 何気ない会話でしたが心の中の引っ掛かりが更に強くなります。

「犬神さん、今なんて言いました?」

「え~と……。ここの味噌ラーメンは美味しいから何杯でも食べられるって」

「その後です」

「今だって食べたい、だっけ?」

「あ~、そういうことでしたか……」

 その場で頭を抱えてしまいました。こんな初歩的な欠陥に今の今まで気づかないなんて情けないにも程があります。商売人の勘を鈍らせるとは、この朱鷺一生の不覚!

 

「店長さん、貴方のラーメンには一つ大きな弱点があります」

「ええっ! いや、それは流石に何かの間違いでないでしょうか。確かにお店には沢山問題がありましたけどこの味噌ラーメンは完璧な出来なんですよ!」

 その気持ちは痛いほどわかります。味噌ラーメンとしてここまで完成度を高めるには並大抵の努力ではなかったでしょう。しかしだからこそ問題なのです。

「こればかりは実際に体験して頂かないと理解できないですよね。但し時間がかかりますので今日はここで一旦解散しましょうか」

 夜も遅いのでほたるちゃん達には先にタクシーで帰宅してもらい、犬神Pを含め三人で問題点の確認をしました。上等な料理にハチミツをぶちまけるが如き改善案なので気は進みませんが、これも全てお店と店長さんのためです。

 

 

 

「お疲れさまでした~!」

 ライブハウスから出て、今日のライブで協力してもらったスタッフさん達を笑顔で見送ります。ラーメン屋で経営再建の打ち合わせをしてから二週間後、あの時と同じライブハウスでの公演が無事終了しました。

 ライブの内容自体は前回よりも上でしたがほたるちゃん的にはまだまだ満足の行く出来ではないそうです。改善策も見当たらないので、今後についてはマスタートレーナーさん達に相談した方が良いのかもしれません。

 

「よし、それじゃあ視察に行こうか!」

 掛け声をかけて犬神Pが歩き始めたのでその後を四人でついていきます。あのラーメン屋さんがリニューアルオープンしてから約一週間が経ちましたので、今日はライブのついでにお店の様子を見に行くと店長さんに約束をしていました。

 前回と同じく駅の反対方向に進み商店街の角を曲がると、人の列が不意に視界に入ります。列の先をたどると『味噌麺処 水滸伝』という電飾看板がギンギラギンにえげつなく輝いていました。何が売りのラーメン屋なのか明確にした方が良いという助言を聞き入れてくれたようです。

 しかし、これは目立つ。一瞬場末のキャバクラか何かかと目を疑いましたよ。周囲が空き店舗のため迷惑を掛けていないのは幸いでした。

 

「わあ、凄いですね!」

「この前とは大違いです」

 ほたるちゃんと乃々ちゃんが嬉しそうに声を上げます。外から店内を覗き込むと厨房内を駆け回る店長さんと目が合いました。すると両手を合わせて申し訳無さそうなジェスチャーをします。

 今日は早仕舞いの予定と聞いていましたが予想以上にお客さんが多かったのでしょう。今並んでいる方々で最後のようなので、近くのコンビニで少し時間を潰してからお店に入りました。

 

「いやあ、お待たせしてしまい本当にすみません!」

 店を閉めてテーブル席に案内される間に何度も謝られました。謝罪はしているものの明るい気を感じるので、この間の自虐ムードはどこかに行ってしまったようです。

「先日の虚無からここまでの喧騒に陥るとは、ボクも驚いたよ」

「いや、実のところ駄目で元々って感じでお願いしたのですけど、教えて頂いた改善策がここまでハマるとは思いませんでした!」

「そこはお世辞でも『最初から信じてました』と言って欲しいですね。まあ、どの助言も飲食店の立て直しとしては極めて凡庸な内容ですよ。最終的にお客様を惹きつけたのはこのお店のラーメンなんですから自信を持って下さい」

「ありがとうございます! そのラーメンなんですけど、先日のアドバイスを元に製品化したものを試食して頂いても良いでしょうか」

「ええ、もちろん」

 精魂込めて作り上げたラーメンに横から口出しをしたのですから、その結果に対して責任を持つ覚悟はあります。

 

「お待たせしました。こちらは右から極上味噌ラーメンの『極濃』『王道』『淡麗』になります。いま取り皿をお持ちしますね」

 出来上がったラーメンをテーブルに運びます。

「ラーメンが三種類?」

「この間来た時、極上味噌ラーメンは一つしかなかったですよね?」

「ええ、先日の作戦会議で種類を増やすよう助言したんです。とりあえず頂きましょうか」

 一人で三杯食べる訳にもいかないので、それぞれ取り皿に取り分けて試食します。

 商品名の通り『極濃』は味噌ダレと豚骨スープの濃さをより際立たせ、『淡麗』は逆に味噌の濃さを薄めさっぱりした口当たりを強調したラーメンに仕上がっていました。一方『王道』は先日頂いたものと同じで味のバランスが最適化されています。

 

「皆さんはどれが一番好みですか?」

 一通り完食したので意見を伺います。

「どれも美味しいですけど、もりくぼは前に食べたラーメンが好きです」

「ボクもそうだね。『極濃』はたしかに濃厚だけどその分くどいかな」

「私も同じです。『淡麗』はさっぱりしていて食べやすいですが、ちょっと味気ない気が……。あっ、新製品なのにすみません!」

「いえいえ、提供している方としても同じ意見なので大丈夫ですよ。正直ラーメンの完成度として『王道』が百点だとすると、『極濃』と『淡麗』はせいぜい七十点でしょうね」

 私の採点とほぼ同じでした。これでも最初に試作した時は五十点程度でしたから短期間で大幅に改善しています。やはり店長さんはラーメン作りの才能には恵まれているのでしょう。

 

「この中で一番売上が多いのはやっぱり『極濃』ですか?」

「はい、約半数の方は『極濃』を注文されますしリピーターも多いです」

 店長さんが回答すると乃々ちゃん達は驚いたようでした。

「待ってくれ。何故完成度で大きく劣る『極濃』が『王道』を大きく超えているんだい?」

「単純に需要があるからですよ。若い方、特に男性は二十郎の様に味が濃くて食べた後の満足度が高いラーメンを好む傾向があります。このお店の近くには大学の校舎が複数あるので、学生さんに好まれやすいコッテリ味を用意しました。『王道』はしつこくなくて食べやすい分、食後の満腹感は低いという弱点がありますから」

 今やラーメンも値上がりしておりコスパを求められるので、犬神Pのように大盛りを食べてもまだ食べ足りない状態だといくら美味しくてもリピーターの付きは悪くなるのです。私はあまり量を食べられないので当初は欠点に気づきませんでしたが、食べざかりの男の子だと『王道』では全然足りねえじゃんという印象を持つでしょう。

 

「でも濃い味が好きな人ばかりじゃないですよね? ご年配の方とか……」

「ええ。味噌ラーメンは味が濃くて苦手という方も当然いらっしゃいますので、反対に食べやすさを改良した『淡麗』もメニューに加えるようお願いしました。お酒を飲んだ後の締めの一杯としての需要も見込んでいます」

「七星さんの助言通り夜間は『淡麗』の注文率が高いですよ。醤油や塩と違い味噌って締めのラーメンには選ばれにくいんですけど、ウチのは美味しいって大評判です。ラーメンを頼むついでにお酒やつまみを注文してくれるので店としても利益的に有り難いです!」

 三種類のラーメンだと作るのが大変と思われるかもしれませんが、スープや油等の配合と具材を変えるだけなので大した手間ではありません。厨房オペレーションまで踏まえての提案こそプロとしての仕事なのです。

 

「理想のラーメンだけを出せなくなって辛くはないのかい?」

「バランスが悪いラーメンの方が売れているのは確かに複雑な気持ちですが、お客様が望んでいるのならこれもありかなと今は思っています。第一お店を続けられなければ理想のラーメン自体作れなくなってしまいますしね。それに『極濃』と『淡麗』もまだまだ発展途上なので、これから味の追求をする楽しみがあります。

 何にしてもこの店の立て直しがうまくいったのは全て七星さんのお陰です。改めてお礼を言わせて下さい!」

「私にかかれば……と言いたいんですが、ラーメン自体の改善に気づいたのは私のお母さんのお陰でもありますからあまり胸は張れませんよ」

「朱鷺さんのお母さんですか?」

「詳細は割愛しますけど、料理において私は腕や技術に頼りきりで完成度に拘る癖があるって以前指摘されたんです。本当に大事なのは相手が何を求めているかでしょって。食べる人を喜ばせるにはどうすればいいか、何を求めているかを考えたら自然と新ラーメンの案が出てきました」

 何気なく話すとテーブルがガタッと揺れました。よく見るとほたるちゃんが椅子から立ち上がっています。

 

「ど、どうしたの、白菊さん?」

 犬神Pが優しく声をかけます。

「す、すみません。今の朱鷺さんの話を聞いたら、私達のライブにも共通するかもって思ってしまって」

「共通するってどういう意味かな?」

「えっと……。今日もそうでしたけど、アイドルとして色々と経験してきた分、ライブではミスをせずに完璧なパフォーマンスを披露しなきゃって思いが強くて、少し縮こまっていた気がします。でも本当に大切なのは完成度じゃなくて、ファンの方々がライブで私達に何を求めているかをよく理解して、その気持ちに応えることではないでしょうか。

 例え難しくて失敗する可能性があってもファンの方々が見たいと思うパフォーマンスを提供するという気持ちが、私の憧れたアイドルにはあったような気がします」

 普段と同じく控えめな口調ですが彼女の強い意志がはっきりと感じられました。

 

「あっ……。すみません、生意気なことを言ってしまって」

「いや、とても良い意見だと思うよ。確かに、ボク達は更なる高みに向かおうとするあまり足元が見えていなかったのかもしれないな。何よりも大切なのはファンの子達でありオーディエンスなのだから、彼らに向き合うのはとても重要さ」

「もりくぼも、飛んだり跳ねたりするのに必死でファンの方をちゃんと見れていなかったと思います。いや、普段から見れてはいないんですけど、もう少し頑張ります……」

 アスカちゃんと乃々ちゃんもほたるちゃんに同意しました。

 

「すみません。これはユニットのリーダーとして、ライブ演出やトレーニング方針を決定してきた私の失態です。既に親から指摘されていたにもかかわらず自らの過ちに気づくことができませんでした。皆さんにもファンの方達にも本当に申し訳なく思います」

 ラーメン屋の再建でいい気になっていたものの本業で特大ミスをやらかしていた馬鹿中の馬鹿がこちらです。さあ、笑うがいいさ!

「この罪は私の命をもって償いますね……」

 床に正座して即死の秘孔を探し始めます。ええと、頭維(突いた指を抜いてから三秒後に死ぬ秘孔です) はここでしたっけ……?

「ヤメロォ!」

「ちょっと、やめて下さい!」

「何ナチュラルに自害しようとしているんだ、キミは!」

「だ~めぇ~!」

 必死の形相の皆に止められます。

 

「だ、大丈夫です。もう死のうなんて思いませんから」

 少ししてようやく気が落ち着きました。止められなかったら今頃確実に逝っていたでしょう。

「万一のことがあったら悲しむ人が沢山いるんだから、命は大事にね……」

「すみません、ちょっとショックが強かったので……」

 この三人に迷惑を掛けてしまったという事実があまりにも重過ぎました。あのような凶行に走るとは自分のことながら恐ろしいです。

「気付かなかったのは全員同じですから、これからみんなで直していきましょう!」

「ああ、ホタルの言うとおりだ」

「だから、頑張ろう……」

「はいっ!」

 やはり三人とも人間としてとても素晴らしい子達です。特大ミスはしてしまいましたがこの事実を再確認できたのは良かったと思いました。

 

「それにしても、過ちに気づくきっかけがラーメンだと何だか締まらないです」

 私らしいといえば私らしいですけど。

「それも一興だよ。何故ならラーメンもライブもアートではなく、同じエンターテイメントなのだからね」

「お客様を喜ばせるという面では共通しています」

 なるほど、どんな形をしていてもお客様を喜ばせたら勝ちという面ではアイドルとラーメンは大差ないのかもしれません。

 そんなことを話していると不意に乃々ちゃんのお腹が鳴りました。

 

「そういえば、まだお腹がすいていました……」

「よし、それじゃあ何か頼もうか! 皆何にする?」

「へぇ、随分とサイドメニューが増えたね」

「レアチャーシュー丼ってどんなのでしょうか?」

「もりくぼは、キャベチャーを……」

 犬神Pがメニューを取り出すと途端に賑やかになります。

「ふふっ」

 こんな騒々しい日々が永遠に続けばいいのになんて、叶わない夢をつい願ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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