ブラック企業社員がアイドルになりました 作:kuzunoha
奇しくも本話はこの一年の締め括りに合う内容になったのではないかなと思います。
この痛々しい主人公を見限らずにいて下さった読者の皆様には感謝しきりです。
まだまだ終わりませんが時間が掛かっても完走はしますので、良ければお付き合い願います。
「すんませ~ん。写真撮っていいすか?」
「はい、構いませんよ。可愛く撮って頂けると嬉しいです♪」
「あざーっす!」
ロケバスを降りて歩き出したところ、運悪く男子高校生らしきチャラ男の集団に声を掛けられました。仕方ないので極上の営業スマイルで返します。
「実物もホンットカワイイっすよ!」
「ありがとうございます。今度は是非ライブにいらして下さい」
「ウィーッス!」
一通り写真を撮られてから彼らと別れました。正直面倒ですが、塩対応だとネットに拡散されたくはないので仕方ありません。もしかしたら本当にファンになってくれるかもしれませんし。
「流石人気者ですね。そして完璧なファン対応には心から敬服します」
「あはは、龍田さんはいつも大げさですねぇ。え~と、目的のゲームセンターはここですか?」
「はい。こちらが本日最初のお店です」
そう言いながら目と鼻の先にあるビルを指差しました。
本日は『RTA CX』の収録日です。収録と言ってもRTAをやる訳ではありません。番組中の一コーナーである『まれに行くならこんなゲームセンター』────通称まれゲーのロケです。
このコーナーは各地のゲームセンターに訪問し、そこにあるレトロなゲームを楽しむという内容です。特に目標等は定められておらず適当にゆる~く遊ぶだけなので気が楽ですね。
本日最初のゲームセンターは神奈川県横須賀市内にあるゲーム楽園さんです。景品ゲームやビデオゲーム等、およそ百五十台もの
横浜や横須賀は前世で暮らしていた期間が長く多種多様なブラック企業に酷く痛めつけられてきたので正直トラウマと化しているのですが、今回はお仕事ですから仕方ありません。
超低予算番組のため、まれゲーの収録では一日で複数のゲームセンターを巡ります。本日も後二店舗に訪問する予定ですから頑張りましょう。
「さて、どうしましょうか」
お店に入り店内を歩きながら何をプレイするか検討します。筐体が多いのでちょっと悩んでしまいますね。
すると一台のクレーンゲームが目に飛び込みました。
「おっ、これなんて良さそうです。ではこちらのクレーンゲームをプレイしましょう」
ケースの中には色々なぬいぐるみがありますが、狙いは人気ポケモンであるポッチャマのぬいぐるみです。私のテクニックで華麗にゲットしてあげますよ。
「なぁぜだぁ~!」
十数分後、私のお財布の百円玉だけが綺麗サッパリ無くなっていました。ですがここまで突っ込んだ以上後には引けません!
「ちょっとちょっと、そこのお姉さん」
「はい?」
近くにいた女性の店員さんに話しかけます。
「あのポッチャマぬいぐるみ、あまりにも取れない位置にあると思いません? もう軽く千円以上はお金を投入していますので、ちょっと移動して頂けると嬉しいんですけど~♪」
「わ、わかりましたっ!」
「ありがとうございます♥」
笑顔で凄むと快く応じてくれました。親切な店員さんのいるとても良いお店です。
「本日も
「放っておいて下さい」
龍田さんが何か言っていますが無視します。
その後二回目のトライで無事ポッチャマぬいぐるみをゲットすることが出来ました。やったね!
「これなんて面白そうです」
続いて私が選んだゲームは『鈴鹿8hours 2』というバイクのレースゲームです。コントローラーで操作するのではなく、実際のバイクを模した操縦席に跨って操作するタイプの体感ゲームのようです。
「対戦ができるので、せっかくだからやりましょうよ」
「はい。
龍田さんと一緒に操縦席に跨ります。何だかピザ屋さんでデリバリーの仕事をしていた頃を思い出しますね。
比較的まともな職場でしたが、売上金を盗んだというあらぬ疑いを掛けられてクビになったことを昨日のことのように思い出します。結局副店長が真犯人でしたけど。
するとゲームが始まりました。バイクの排気音と共にサーキット場を駆け抜けていきます。
後ろからプレッシャーを掛けてミスを誘う作戦なので、彼に先行してもらいました。
ふっふっふ。今のうちに精々調子に乗るが良いわ。最後に勝つのはこの私よ!
「……くっ!」
おかしい。いくらプレッシャーを掛けても全く乱れません。このままではスタッフ共の笑いもので終わってしまいます! レース結果はともかく、とりあえず龍田さんを地獄に突き落としたいという欲求が高まっていきました。
するといよいよ最終コーナーを迎えます。
コーナー前でスピードを抑える彼のバイクを尻目に、私のバイクは加速し続けます。
「このバトルの結果は……ダブルクラッシュと行きましょう!」
ゲスな笑顔を浮かべながら突っ込みます! ですが次の瞬間、眼前のバイクが私の突撃をかわしました!
「ダニィ!?」
目標を失った私のバイクは勢い良く障害物に激突しました。リアルだったら板金七万円コースどころか廃車確定です。
一方、龍田さんはゆうゆうと一位でゴールしていました。
「お疲れ様でした。とても良いレースでしたよ」
「イヤミか貴様ッッ!」
思わず
「……コホン。しかしよくかわせたものですよ」
「大方自爆狙いで突っ込んで来るだろうと思っていましたので、ギリギリ回避できるタイミングを狙いました」
「くッ!」
「もういいです! 次行きましょう次!」
その後は店内のゲームをいくつかプレイし、ロケバスで次の店舗に向かいました。
次の目的地である横浜市内の某所に着くとロケバスから降ります。眼前にはバッティングセンターという文字がデカデカと表示されていました。
「あれっ。ゲームセンターじゃないんですか?」
「はい。ですがレトロゲームコーナーもありますのでご安心下さい」
「そういうことですか。わかりました」
まれゲーでは純粋なゲームセンターの他に、ゲームの筐体を設置している駄菓子屋さん等に行くこともあるので珍しいことではありません。
今回伺ったバッティングセンターはメインのバッティングの他、ダーツやビリヤード、レトロゲームを楽しむことが出来る地元の憩いの場だそうです。こうして皆が集まれる場所は貴重なので長く続いてほしいですね。
施設内に入ると早速ゲームコーナーに向かいました。レトロゲームが一列に並べられています。
「一ゲーム五十円ですか。これは嬉しいです」
先程のクレーンゲームでだいぶ散財してしまったのでこの配慮はタスカルタスカル。どんなものがあるかざっと見たところ、私の大好きなゲームがありました。
「ぷよぷよですか。是非プレイして行きましょう」
思わず笑顔になってしまいます。こちらも対戦可能なのでまた龍田さんを誘いました。
「この番組は一応私がメインですからそのことをよ~く心に刻んで下さいね!」
「承知しております」
接待プレイをしろと暗に脅したんですが本当に通じているんでしょうか。
私は操作キャラとして、ドラコケンタウロスというチャイナ服を着た女の子を選択します。とても人気のあるキャラクターで私も大好きな子です。
一方彼は主人公の女の子であるアルルを選びました。ADの分際で主人公を選択するとは舐めたヤツです。私の美麗なテクニックで葬って差し上げますよ!
『ファイヤー、アイスストーム、ダイアキュート、ばよえ~ん、ばよえ~ん、ばよえ~ん……』
無慈悲な連鎖成功ボイスが閑散とした店内に虚しく響きました。ボイスが消えて少しすると、私の操作画面に無数のおじゃまぷよが雪崩のように降り注ぎます。当然耐えられるわけもなくそのままゲームオーバーになりました。
「…………」
沈黙が周囲を支配します。怒りで顔が火のように火照りました。
「ナイスファイトでした」
「どこからどう見ても一方的な蹂躙なんですがそれは……」
体感的には
「恐らく気のせいでしょう。勝負は時の運と言います。今回はたまたま私が勝った、ただそれだけですよ」
相変わらずのクールな表情で言い放ちます。ああ、殴りたい。
「ここのスタッフ達はいつになったら接待プレイという概念を理解するんでしょうかねぇ……」
思わず深い溜め息を吐いてしまいました。
「七星さんは私が見込んだ唯一の
「アイ アム ア アイドル。アンド クールビューティー。ドゥーユゥー アンダスタンンンドゥ!」
「I get the point」
「ガッデム!」
ちくしょう、英語の発音まで完璧です! 何でこんなイケメンで完璧超人な奴がこの番組のADをやっているのか全く理解できません。ホストでもやってた方が儲かるでしょうに。
対戦後は気を取り直して店内を散策しました。一通りプレイしましたのでここの取材はもう終わりでしょうか。
「七星さん。折角バッティングセンターに来たんですからバッティングもやっていきましょう」
「えぇ~……」
野球は大好きですし打つのも楽しいですが、収録中にやるのはちょっと気が引けました。
「もしやって頂けるのでしたら接待プレイについても考えます」
「本当ですか?」
どんな形でもいいから一度龍田さんを負かせたいと思っていましたので、この提案は魅力的でした。それに野球好きとしてはやはり未プレイでは去り難い気持ちもあります。
「わかりました。ならやってあげますよ」
「よろしくお願いします」
そのまま一緒にバッティング場へ移動しました。
「なんですか、あれは……」
「時速300キロメートルを叩き出す世界最速のピッチングマシンです。今回はアレに挑戦して頂きます」
「ピッチングマシンというか、もはや兵器ですよね」
見た目も何かキャノン砲っぽいです。当たったら死にそう。
「試しに私が先にプレイします。参考にして下さい」
そう言ってバットを握ります。野球経験は無いそうですが、構えはサマになっていますね。
マシンの設定をして少し経つと、常人には捉えられない速度で硬球が放たれました!
「……ッ!」
龍田さんは反応するものの、速度が速度です。数発発射されましたがそのスイングが硬球を捉えることはついにありませんでした。
「不覚……」
その場でがっくりと
彼を打ち負かして膝をつかせるのはこの私の役目です。機械如きに負かされた姿なんて見たくはありません!
「次は私の番ですか」
「いえ、ちょっと待って下さい」
戻ってきた龍田さんが一旦ストップを掛けます。
「如何にモンスターマシンと言えども七星さんの前では赤子同然でしょう。なのでハンデを付けさせて頂きます」
「ハンデ?」
「はい。内容ですが……」
その口からとんでもない提案が飛び出します。ですが彼から真剣な表情でお願いされましたので止む無く条件を全て飲むことにしました。
「それでは行きます」
「よろしくお願いします。前が見えないので用意ができたら声を掛けて下さい」
「はい。承知致しました」
ハンデの一つ目が目隠しをつけるというものでした。アイマスクを装着した状態なので目では何も見えません。そしてハンデの二つ目は利き腕である右腕の使用禁止です。
つまり、視界と利き腕を失った状態で時速300キロメートルのピッチングマシンに挑むのです。正気の沙汰とは思えません。
「では、始めます」という声が聞こえました。暫くして鋭い風切音が耳に入ります。
「狙い打つぜッ!」
勢い良く叫ぶと左手のみで思いっきりバットを振ります。
すると確かな手応えを感じました。
鈍い衝撃が肩に走ると同時に、乾いた音が響きます!
「ホームランッ!」
次の瞬間、龍田さんが珍しく叫びました。問題なく打てたようです。
一度要領が分かればこっちのものでした。次々に超速球を打ち返していきます。
私の圧倒的な力があればこの程度ちょちょいのちょいでした。例え視界が塞がれても音で判断できますし、空気の流れで物質の動きは正確に把握できるのです。
前世でプレイした黄熊の本塁打競争ゲームのラスボスと比べたらアリンコみたいなものですよ。奴は多種多様な魔球を投げる上に五十球中四十球以上ホームランを打たないと決して負けを認めませんしね。ロ○カス許すまじ。
「先程までの失態を帳消しにするご活躍に感服しました。やはり私が見込んだ御方だ」
全球ホームランだったので良かったですね!
「全然良くないですよ!」
バッティング後、冷静に振り返るとまたやらかしたことに気づきます。毎回毎回こういうことをするからネタキャラ化が加速度的に進行するんじゃないですか! 清純派アイドル路線が日増しに遠くなっています。
野球好きという記憶がなければそもそもバッティングなんてやろうと思わなかったでしょうに。やはりアイドルとして活動するにあたって、前世の記憶が大いに足を引っ張っていました。
「ふぅ……」
ロケが終わって家に帰る頃には既に日が落ちていました。夕食の後自室でくつろぎますが、先程のことが頭から離れません。
いいえ、先程だけではないのです。このところ、ある考えが頭の中で堂々巡りしていました。
────前世の記憶を消すか、消さないかを。
以前からこの考えは私の中にありました。女性として生きるにあたって前世の記憶が足を引っ張ることは多いのです。
特に恋愛面は顕著です。男性の記憶を引き継ぎながらも女性として生まれ直したことで、男性と女性共に恋愛対象として見れないという問題を抱えています。
足を引っ張っているのはアイドル活動でも同じでした。可憐で清楚な清純派アイドルを目指しているものの、荒みきった前世を抱えている私が本当にそんなアイドルになれるのか疑問です。
今までもそれなりに悩んではいましたが、前回の記憶喪失騒ぎが決定的でした。
全ての過去を忘れ、一人の女の子として考え行動できた時のことは忘れられません。色々なものがキラキラと眩しく感じられました。世界がまるで
もしあの時のまま普通の娘として過ごせたら。そして皆と一緒にアイドル活動が出来たら。そんなことをつい考えてしまいます。
以前死んだ時に記憶を消したくないと言ったことを激しく後悔しています。記憶さえ失っていれば女性として、素敵な家族の可愛い娘として、普通の清純派アイドルとしてまともに暮らせたのに。そう思うと後悔してもし切れません。
あの時は『散々酷い目にあった事実まで無かったことにされて堪るか!』という反骨心で記憶を残しましたが、今思えば馬鹿なことをしました。誰からも全く必要とされなかった下らない人生なんて何の価値も無いのに。
幼少期のネグレクトや虐め、そしてブラック企業での苛烈な勤務で負ったトラウマにより、未だにその時の情景がフラッシュバックしたり悪夢にうなされたりすることもありますので、今のところ九対一くらいの割合で前世の記憶を消す派が優勢です。
消すとしても全ての記憶を失うのは不味いので、『一部の記憶を消す秘孔』を突いて前世の記憶だけを抹消しようかと思います。そうなると北斗神拳が問題です。
以前アスカちゃんが言っていた通り、恐らくあの力は私の肉体ではなく人格に宿っているのでしょう。なので記憶を全て消すと北斗神拳まで使えなくなる恐れがあります。
不要な力だとずっと考えてきましたが、捜査協力や治療行為等、多方面で有効活用できることがわかりましたので今では失いたくはないと思うようになってきました。何よりあの力がないと
対策としては、鎖斬黒朱構成員の犠牲────もとい協力を得て新開発した『一時的に一部の記憶を消す秘孔』を突き、どの記憶を失ったら北斗神拳が使えなくなるか確認する方法を考えました。これならば確認をしつつ、力を消さずに過去の記憶のみ抹消できるはずです。
後は実行するだけという段階まで来ましたが、中々踏み切れませんでした。
前回も経験しましたが記憶を失うということはある意味死ぬのと同じことです。ですから今私がしようとしていることは一種の自殺行為です。
いくら無駄で不要な記憶とはいえ完全に消してしまうのはやっぱり怖い。でも消さないと普通の女性やアイドルにはなれない。ここ数日、そんな考えが頭の中をグルグル回っているのです。
「寝よ……」
結局この日も決心はつかず、掛け布団を頭から被って眠りに落ちます。私の大嫌いな先延ばし戦術ですが、この時ばかりはそうせざるを得ませんでした。
翌日は普段通りレッスンでした。終わった後、これまたいつも通りコメットの皆と一緒にプロジェクトルームでお茶会をします。
「新曲の振り付けもなんとか様になってきましたね」
「もりくぼはいっぱいいっぱいです……。でも今度の曲は四人で作詞が出来て楽しかったです」
「バラード調の曲だから君達の大切な人に向けた内容にして欲しいと犬神Pさんに言われた時はどうしようかと思いましたけど、良い内容に仕上がって良かったです」
「フフッ。ボクも作詞は初めてだから貴重な経験だったよ。この調子なら『346 PRO IDOL SUMMER Fes』にも十分間に合うだろう。ただ朱鷺の動きはぎこちなかったな。特異点を越えた存在であるはずがまるで凡夫さ。一体どうしたんだい?」
「…………」
「朱鷺さん、どうかしましたか?」
ほたるちゃんが私の顔を覗き込みます。その時初めて話しかけられていることに気づきました。
「えっ? 何がです?」
「今日のレッスンのこと、ですけど……」
「ええっと……。そ、そう! 新曲は優しいバラードなので振り付けが難しくなくて良かったですね!」
「……キミはボク達の話を聞いていたのかい?」
「も、もちろん! このデビルイヤーで全て聞いていましたとも!」
何だか気まずいので思わず嘘を吐いてしまいました。
「記憶喪失の後から、なんだか様子がおかしいです」
「あはは、そんなことないですって……」
「前から言っているが、悩みがあるなら相談なら乗るよ。持ちつ持たれつの仲間なんだから、ね」
「もう! 考え過ぎですよ」
隠し事はしたくないですが、いくらアスカちゃん達と言えど前世の記憶のことを相談する訳にはいかないので伏せました。このことは誰にも話さず墓場まで持っていくと幼少時から心に決めているのです。
「さて、ちょっとマッサージでもしましょうかね!」
そのままマッサージチェアへと逃げました。深く追求されたらボロが出そうで怖いんです。皆の視線が集まるので何だか気まずい気分でした。
「ノンアルコールビールは呑まないんですか? 全然口を付けていませんけど」
「今日はちょっとそういう気分ではないんです。後で捨てますから置いておいて下さい」
「えっ……」
ほたるちゃんが信じられないものでも見たかのような表情をしました。彼女の中の私はビール好きのオジサンというイメージなんでしょうか。
前にも凛さんからオジサンっぽいと言われてしまいましたが、そういうイメージを持たれてしまうのも前世の記憶があるからに違いありません。やはり百害あって一利無しです。
早々に抹消しようと改めて決心しました。
翌日は土曜日でした。この日はコメット全員でバラエティ番組の収録をこなした後、単独で声のお仕事をしました。珍しくNGを連発してしまったので少しへこみ気味です。
「ただいま~」
「おかえりなさい、朱鷺ちゃん! もうご飯できてるわよ♪」
「そう……」
確かにダイニングキッチンから良い匂いがします。釣られてそちらに向かうと驚くべき光景が広がっていました。
テーブルの中央には大きなホールケーキが鎮座しており、その周囲には所狭しと色とりどりのごちそうが広げられていたのです。
「えっ、何これは……」
呟いた瞬間、火薬の破裂する音が二回響きます。
「誕生日おめでとう、朱鷺!」
「おね~ちゃん。誕生日おめでと~!」
誕生日? はて?
「あの、私の誕生日は7月11日なんだけど……」
ちなみに今日は7月10日です。誕生日を間違えられてしまったのでしょうか。
「明日は名古屋まで行かなきゃいけないから、前夜祭だ! 誕生日イブだな!」
ああ、そういうことですか。
明日は親戚の三回忌のため私を除いて名古屋へ出かけており、帰りは夜遅くになるそうです。当日に誕生日会が出来ないから今日やることにした訳ですか。
「別に無理してやらなくて良いんだよ? たかが私の誕生日なんだから……」
「何を言う! 一生に一度しか無い朱鷺の十五歳の誕生日を祝わずにして、何が父親だぁ!」
無駄に熱血して力説します。こうなると止められないので放っておきましょう。
誕生日と言っても累計で五十一回目ですからそれほど珍しいものではありません。信長さんならとっくに死んでいる頃ですよ。
「えぇ~! おねえちゃん、おたんじょうびパーティーきらいなの?」
「別に嫌いじゃないけど、ここまで大々的にやる必要はないかな……」
「もう、そんなこと言わないの♪ ゲストはしっかり祝われなさい♥」
そのまま着席させられます。
「でも、本当に明日は行かなくていいの?」
礼儀に煩い私としては、一人だけ法事を欠席することは気がひけるのです。
「折角森久保君達が誕生日会をしてくれるんだろう? 法事なんかよりもそっちの方が遥かに大切だぞ!」
「そこまで断言するのはまずいんじゃ……」
「死んだ人間より今生きてる人間の方が大事だろう! 亡くなった親戚も納得してくれるはずだ」
「それに朱鷺ちゃんが帰ったら大変な事態になるしねぇ~」
「えっ……?」
「もう有名人だから、色んな人が押しかけてくるわよ。三回忌の場でサイン会が始まっちゃうんじゃないかしら~」
うへぇ、それは勘弁願いたいです。
「しかもお父さんの家はとんでもないことになってるもの」
「とんでもないこと?」
お母さんのお父さん──つまり母方の祖父は愛知県で大きな病院や会社を複数経営しています。
同じ事務所の超お嬢様アイドルである
お年玉なんてポチ袋が普通に立ちましたからね。ボーナスですらあんな大金を手に入れたことがないです。
流石にこの歳でその額は不味いのでお母さんに没収されましたが、賢明な判断だと思いますよ。絶対に金銭感覚が狂いますもん。
「朱鷺ちゃんの活躍を楽しみにしててね~。庭に朱鷺ちゃんの超大型銅像を建造しているの~」
「……ちょ、待てよ」
それは初耳です。何やっちゃってんですかあの孫バカは!
「非公式の朱鷺ちゃんグッズも色々作ってて好評らしいわよ~。北斗神拳饅頭とか伝承者チョコが特に人気みたいね~」
思わず立ち上がりました。今からダッシュで向かえば朝までには戻ってこられるはずです。まずはそのふざけた銅像やグッズをぶち壊す!
「朱鷺ちゃん。食事中に席を立つのはマナーが悪いわねぇ~」
「だって銅像がっ……」
「ん? 何だって?」
「ナンデモナイデス……」
すごすごと席に座りました。だって目がマジなんですもん。
滅多なことでは怒らない人ですが、怒った時は阿修羅すら凌駕する存在になるので歯向かう気は起きません。仕方ないので今度あちらに行った時に破壊します。
「おかーさん、おなかすいた~」
「早く食べないと料理が冷めるぞ!」
「そうね~。でもその前に……」
お母さんがライターでホールケーキ上のロウソクに火を付けます。全部で十五本ありました。
「Happy birthday to you!」
「Happy birthday to you!」
「Happy birthday, dear 朱鷺ちゃん~!」
「Happy birthday to you!」
三人が期待した目でこちらを見ます。わかりましたよ、やれば良いんでしょう!
「フーッ」
息を吹き掛けてロウソクの日を消していきました。顔がなんだか熱いです。とんだ羞恥プレイですよ、これは。
「頂きまーす!」
料理とケーキはどれも本当に美味しかったですよ。皆笑顔で、この家族の一員になれて本当に良かったです。だからこそ普通の娘として生まれ直したいと思うのですけど。
「食べ過ぎた……」
「はい、食後のお茶ね~」
大きくなったお腹を抱えてソファーにもたれ掛かっていると、お母さんが暖かい緑茶を出してくれました。湯呑みを持ち上げて
うん、美味しい! と思っていると、お母さんが私の様子をじっと見ているのに気づきました。
「何? お米粒でも付いてる?」
慌てて口元を手で触りました。
「ううん。そうじゃないのよ。このところ朱鷺ちゃんの様子がおかしかったけど、今日はいつも通りで良かったな~って」
思わずドキリとしました。
「そ、そう? いつもこんな感じじゃない?」
「ちょっと前みたいに思いつめてたから心配になっちゃってね~」
恐らく暴走時のことを指しているのでしょう。あの時は平常通りの演技をしていましたが、感付かれていたようです。
「……このまま朱鷺ちゃんがどこか遠くに行っちゃうような気がして、みんな心配なのよ」
「大丈夫。私はどこにも行かないって」
そうです。私自身が消えるわけではありません。誰からも必要とされなかった過去の自分を抹消して、ごく普通の良い子になるだけなんです。
「朱鷺ちゃんは強い子だから、どんな悩みがあるか訊いてもきっと教えてくれないわよね。でも、これだけは忘れないで。私も新一さんも朱莉も今の朱鷺ちゃんが大好きなの」
その言葉を聞いてハッとしました。
「……あり、がと」
「うん♥ だから何も心配しなくて良いのよ~♪」
そう言いながら私をぎゅうと抱き締めます。甘い匂いと柔らかい感触が私の体を包みました。
……こういうことをされると折角の決心が鈍るから、本当に止めて欲しい、です。
翌日は夕方頃に346プロダクションへ向かいました。本日は仕事はお休みなのですが、コメットの皆が誕生日会をしてくれるのです。
コメットと犬神P(プロデューサー)だけの
誕生日に一人で雑草を
指定された時間の少し前までコンビニで時間を潰します。10分前になったので会場である地下のプロジェクトルームに向かい、ウキウキで扉を開けました。
「皆さん! おはよ……う……?」
部屋はシンと静まり返っており、誰もいません。
誕生日会の準備の痕跡も見られませんでした。
あれ~おかしいね、誰もいないね……。
思わずその場で固まってしまいました。嫌な予感が沸々と湧き上がってきます。
もしかして、騙された?
その瞬間、思わず膝から崩れ落ちました。『ウゾダドンドコドーン!』という某ライダーの迷セリフが脳内でリフレインします。
これはもしかして、かの
残念だが当然とは考えたくないです。皆からそんなに嫌われていたとは思いもしませんでした。
乃々ちゃんをいぢめていたからでしょうか。いえ、アスカちゃんのスイーツをいつも勝手に食べていたからかもしれません。それとも記憶喪失中にほたるちゃんに暴言を放ったことが原因?
正直、思い当たることがあり過ぎます……。
ヨロヨロとその場から立ち上がりました。とっくに私のライフはゼロです。今なら段差で
もう帰って寝よう。いえいえ、自分の誕生日に自分で特大ホールケーキを作って一人で食べるという最高に虚無な行為をしてやりましょう。クックック……。
「あっ、朱鷺さん! こちらにいらっしゃったんですか!」
そう思って扉に手を掛けると皆がいました。幻覚かな?
思わず目を擦りましたが消えません。
「すみません……。会場が狭くなったので場所を変えたんですけど、伝わっていませんでした」
その言葉を聞いて思わず安堵します。
良かった、騙されたわけじゃないんですね。よくよく考えればこの三人がそんな陰険なことをするはずがありません。私の心が薄汚れていただけでした。
「さぁ、会場はこちらさ」
アスカちゃんに手を取られてエレベーターに乗り、そのまま三十階に向かいました。あれ、この階は確か……。
「こちらが誕生日会の会場です」
「シンデレラプロジェクトのプロジェクトルームじゃないですか。なんでこんな広いところで……」
「詳しいお話は後でしますから」
笑顔のほたるちゃんに背中を押されて部屋に入ると中は真っ暗でした。すると次の瞬間一斉に電灯が点いたので一瞬目が眩みます。
「朱鷺ちゃん! 誕生日おめでと~!!」
すると至るところから一斉に声がします。周囲を見渡すと、凄い人数が笑顔で私を見ていました。その中にはシンデレラプロジェクトの子達やクラスメイトもいます。
「な、なんでこんなに沢山……」
人の多さに圧倒されてしまい、思わず
「だって、朱鷺の誕生日でしょ。お祝いするのが当たり前じゃない」
凛さんがサラッと口にしました。いつも通りのクールな口調です。
「ふっふっふ。とっきーの誕生日をみすみす見逃すはずがないでしょ!」
「朱鷺ちゃんの誕生日だから、準備頑張っちゃいました!」
未央さんと卯月さんがいつもの笑顔で答えました。
「え、だって五人で慎ましくやるんじゃ……」
「ははは、皆で考えたサプライズさ。こうでもしないと七星さんは『恥ずかしいから無理!』って辞退するだろう?」
くっ! 駄犬の癖に小癪なことを考えるものです。
「朱に染まりし鷺の生誕の日……。さらなる覚醒の時に立ち会うのは盟友の務めよ」
「そうそう。友達の誕生日会に出ないなんて薄情なのはロックじゃないしね」
「にょっわー! 朱鷺ちゃん、お誕生日おめでとにぃ☆」
「お誕生日おめでとうございます、朱鷺ちゃん! でも15歳ですか、いいですねぇ……。永遠の17歳までまだ2年もある……」
「あ、ありがとうございます……。それにしてもすごい量の料理ですね」
多種多様なごちそうとケーキがテーブル上を占拠していました。
「はい~。朱鷺ちゃんの誕生日れすから、特製のおさかなサンドを作ってきました~」
「ウチの実家からの明太子じゃ!」
「あたしはお山型のプリンだよ! この弾力、最高!」
「ナターリアはフェジョアーダだヨ! たくさん食べてネ!」
「私も朱鷺ちゃんのために一杯お菓子作ってきました。後で食べてね♪」
「私は、ボルシチとピロシキです。美波と一緒に作りました。どうぞ、召し上がって下さい」
「うふふ。アーニャちゃん特製のレシピなんだけど、とっても美味しいのよ」
「みりあはきらりちゃんと莉嘉ちゃんと一緒にケーキ作ったんだよ!」
「アタシ達のお手製なんだから、星三つは確実だね☆」
「あ、アタシも作ったぞ、ケーキ……。た、たくみんスマイル☆ なんてやらないからな!」
一斉に喋りだしました。女三人で姦しいとはよく言われますが、これだけの人数だとそれどころではなさそうです。
「それにプレゼントも凄いです……」
部屋の一角に山のように積まれていました。
「みくのプレゼントは特製の猫耳にゃ! コレを付けて一緒に可愛いネコ耳アイドルを目指すにゃ!」
「えっと……私は四葉のクローバー型の髪飾りです……。気に入ってもらえるといいな」
「ウチは『Girls&Monsters』の新作フードだ。本当はウチが欲しいくらいだぞ! 感謝しろよッ!」
「アタシは変身ベルトだッ! コレを付けて一緒に悪を打ち倒そう!」
「はい、欲しがってた初代ロックマンの新品ね! 偶然安く売ってて良かったよ~」
「私は特製のポテトチップつまみロボ──『カラビーくん』だ。これでRTA中に手を汚さずポテトチップを食べられるぞ!」
「これからは……観葉キノコの時代。一つお裾分け……」
「これは魔除けの鈴でしてー。朱鷺を危機から救ってくれることでしょー」
「杏はアメあげる~……」
皆さんの心の篭ったプレゼントを頂けて感無量です。
「フフッ。プレゼントはボク達からだけではないさ。君が出演している番組から薔薇の花束が贈られているし、『THE IDOL M@NIA!』の編集部からも贈り物が来ている。それに
「私も
そう言ってクラリスさんが優しい笑顔を見せました。
他はともかく鎖斬黒朱からのプレゼントは爆弾とかではないでしょうか。ちょっと心配です。
「今日お仕事で来れなかった幸子さんや楓さん、茜さん、美嘉さん、瑞樹さん、まゆさん達からはビデオメッセージを貰っています……。後で上映しますね……」
慎ましい誕生日会のはずが、何だか物凄い一大イベントと化していました。
「しかし、なぜこんな大事に……」
「記憶喪失の後から朱鷺さんの様子がおかしくなって……。もしかしたら普通の女の子っぽくなるためにまた記憶を消してしまうんじゃないかって思ったんです。だから朱鷺さんが沢山の人に慕われているって気付いたら、思い留まってくれるんじゃないかと……。でもこんなに集まるとは思いませんでした」
ほたるちゃんが不安そうな表情で呟きました。メンバーを不安がらせてしまうなんて私はリーダー失格です。
「朱鷺ちゃんはキャッツと同じくらい人気なんだから、もっと自信持って良いんだよ!」
「はい! 朱鷺おねーさんはいつも優しーので大好きでごぜーます!」
「朱鷺は朱鷺じゃ。それ以外にはなれん。朱鷺らしいアイドル、目指していくんじゃ」
色々な方から励ましの言葉を頂く中、犬神Pがそっと近づいてきました。
「この光景は、今まで君がアイドルとして生きてきた結果だと思う。確かに君は普通のアイドルではないかもしれない。だけど普通のアイドルならこんなに皆から慕われることもなかったはずだ。だから、無理に自分を変える必要はないと、俺は思うよ」
「えっ……?」
ああ、そうか。
普通じゃなくても良いんだ。
皆と違っていても、救いようの無い過去があっても。
それでも受け入れてくれる人が沢山いる。
なら、無理に変わる必要なんて無い。
人は人、私は私。
私は私で、居続けて良いんだ。
そう思うと、何だか急に肩の荷が下りた気がしました。
「あ、あれ……?」
「えっ……ちょっと待って……」
大粒の涙が留め度もなく雨のようにポロポロ落ちて来ました。視界が水びたしになり前がよく見えません。
「だ、大丈夫かい!?」
「あちゃ~、マジ泣きぽよ? あーあ。犬神Pが泣~かした、泣~かした♪」
「レイナサマのイタズラじゃ一度も泣かなかったのに! 悔しい!」
「そ、そんなつもりはっ!」
「泣いてない! 泣いてないもんね!」
嘘です。間違いなく、人生で一番泣いた瞬間でした。犬の鳴き声如きで泣かされるとは……この朱鷺、一生の不覚!
ひとしきり泣いた後、誕生日会が再開しました。
皆飲んだり食べたりの大騒ぎです。でもこの騒がしさが今はとても愛おしく思えます。
すると千川さんから「記念に集合写真を撮るのはどうですか♪」という提案を頂きましたので、全員で集合します。
「……それでは撮ります」
「は~い。皆さんもっと中央に集まって下さいね」
撮影役の武内Pがスマホを構えます。すると呼び掛けていた千川さんも端に加わりました。
「はい。……チーズ」
強面の武内Pから予想もしない言葉が飛び出したので、皆思わず吹き出してしまいました。撮影後は早速、写真のデータを転送してもらいます。
「皆さん、とても良い笑顔でした」
「はい、そうですね」
正に武内Pが提唱する『Power of Smile』です。この写真は私に勇気と力を与えてくれます。
この笑顔を護りたい。心からそう思いました。
会場の隅でぼうっと写真を眺めていると、武内Pと今西部長が近づいて来たのに気づきます。
「七星さん。私は貴女に謝らなければならないことがあります」
「なんでしょう?」
真剣な表情で切り出されます。
「私は当初、貴女はアイドルには向いていないと思っていました。作られた笑顔では人を幸せに出来ない、そう感じたからです」
「仰るとおりだと思いますよ。私も自発的にアイドルになった訳ではありませんから」
流石の慧眼です。私の営業スマイル────偽りの仮面を見抜いていたのですね。
「ですが貴女は多くのアイドルに勇気と力を与えました。そして今の貴女は、良い笑顔です。犬神君は本当に素晴らしいアイドルと巡り会えた。私は心から、そう思います」
言い終わると口角を上げました。彼にしては珍しい笑顔です。
「うんうん。君も犬神くんも、我が346プロダクションが誇るべき財産だよ」
今西部長がにこやかな表情で穏やかに語りました。
「ふふっ、まだまだ半人前のPです。だから私がしっかりしないといけませんよね」
私も笑います。いつもの営業スマイルではなく、心からの笑顔でした。
「さて、リーダーとして場を仕切らないと!」
そう言いながら会場の中心に向かって歩き出します。昨日までの心の
もう迷いません。
記憶も闇も
私は私として、みんなと一緒に進んで行きます。
そのことに気付かせてくれて、ありがとう。
生まれ変わってみんなに出会えて、本当に良かった。
私は今、幸せです。