ブラック企業社員がアイドルになりました 作:kuzunoha
「それでは失礼します」
「届けてくれてありがとう、白菊さん。最近交通事故が増えているから帰り道は気をつけてね」
「はい、わかりました」
担任の先生に一礼してから放課後の職員室を後にします。先程廊下に落ちていたお財布を職員室に届けていたら少し帰りが遅くなってしまいました。
でもお財布を落としてしまった子はとても困っているはずなので、早めに届ける事ができて良かったと思います。無くした時の大変さは私が一番よくわかっていますから……。
校舎を後にしてそのままの足で346プロダクションに向かいます。すると少し先の交差点で見知った背中を二つ見つけました。そのまま小走りで近づきます。
「おはようございます。朱鷺さん、乃々さん」
「ほたるちゃんですか。おはようございます」
「お、おはよう……」
お二人の横に並んで歩き出します。
「今日のレッスンは何でしたっけ?」
「えっと……。今度の『346 PRO IDOL SUMMER Fes』で披露する新曲の振り付け練習です……」
「ああ、そうでした。大舞台で新曲をご披露とは犬神P(プロデューサー)もたま~には粋なことをするものです。きっと雪か槍が降るんじゃないですか」
「私達のCDもこれで三枚目なんですよね。デビュー前のことを考えたら本当に信じられません」
「それだけ皆が頑張ったということですよ。売上も超右肩上がりなのでもっと自信を持っていいと思います。特に乃々ちゃんはね」
「自信……。もりくぼには一番縁遠い言葉です……」
三人で談笑をしながら進んでいると、朱鷺さんの表情が不意に険しくなりました。
「どうしました?」
「二人共、その場を動かないで下さい。……はぁっ!」
そのまま華麗に跳躍します。すると遥か上空でレンガが勢い良く砕けたような音が響きました。少しして朱鷺さんが優雅に舞い降ります。
「……今の感じだと植木鉢ですか?」
乃々さんがおずおずと尋ねました。
「そうみたいです。そこのマンションのベランダに飾ってあったものが落ちたんでしょう。今日は風が強いですから」
「……いつもすみません」
朱鷺さんに向かって頭を下げます。全て不幸を呼び寄せてしまう私の体質のせいですから本当に申し訳ないです。
「ははは、気にしないで下さい。きっと偶然ですって」
「でも……」
「デモもストもありません。それにもし本当にほたるちゃんの不幸のせいでも私は全然気にしないですよ。デビュー前にも言いましたけど、貴女が呼び寄せる程度の不幸はこの私が全力をもって粉々に打ち砕いてあげますから!」
「ありがとう、ございます」
以前朱鷺さんは同じ言葉で私を励ましてくれました。そしてその言葉通り、様々な不幸から私を守ってくれています。本当に感謝の言葉もありません。
「なんて言っても私にはこの力がありますから、ほたるちゃんの十人や二十人守るのは問題ありません。それに頭だってそれなりには切れますしね」
指でコメカミをつつきながら笑顔で答えます。
すると次の瞬間、急速に落下してきた植木鉢が朱鷺さんの頭に直撃しました!
「に、弐撃必殺とは……。無念……」
勢い良くその場に倒れ込みます。
「朱鷺さん!」
「二つ目が思いっきりぶつかりました……」
急いで助け起こします。幸いなことに傷一つありませんでしたが、ぶつかった時の勢いのためかコメカミに指が食い込んでいました。
「あわわ……どうすればっ」
「きゅ、救急車を呼びましょう!」
スマホを取り出して119番に掛けようとすると朱鷺さんがゆっくり起き上がりました。どうやら意識は戻ったようです。
「だ、大丈夫ですかっ!」
朱鷺さんの顔を覗き込みます。すると私には目もくれずキョロキョロと周囲を伺いました。そしておもむろに立ち上がります。
「朱鷺、さん?」
「意識はちゃんとありますか……?」
二人して戸惑いながら声をかけると、ゆっくりと口を動かします。
「え~っと。……ここは誰? 私はどこ?」
「……えっ」
一瞬、時が止まったような気がしました。
「記憶喪失?」
飛鳥さんが訝しげな表情を浮かべます。
「はい。先程植木鉢が直撃して倒れてしまって……。起きた時はもう……」
「昔の漫画みたいにベタベタな展開だね。またタチの悪い悪戯じゃないのかい?」
「でも長すぎます。『滑ったネタをいつまでも続けられるほど私のメンタルは強くありません』と以前仰っていましたし」
「それもそうか」
コメットのプロジェクトルームで合流した後、先程の経緯を説明しました。
「この調子だと今日のレッスンは無理そうだな」
「そうですね。先程犬神Pさんに連絡して今日のレッスンはお休みにしてもらいました。今は外出中なので後でこちらにいらっしゃるそうです」
「それまではボク達でアレを何とかしないといけない訳か」
二人して朱鷺さんを眺めます。
「あはは、この髪型面白ーい!」
「や、止めて……止めて下さい」
当の朱鷺さんは、縦ロールに巻いた乃々さんの髪をバネのように引っ張って遊んでいました。
とりあえずソファーに座らせて状況を確認することにします。
「え~と、私の名前は七星朱鷺、でいいんだよね?」
「は、はい」
「それで貴女達は、森久保さん、二宮さん、白菊さんっと。よし、ちゃんと覚えた」
朱鷺さんから名字で呼ばれたのは本当に久しぶりでした。口調もいつもとは全然違うので同じ顔をした他人とお話しているような気分です。
「それで、キミは何を覚えていて、何を忘れているのかな?」
「ん~とねぇ……言葉は喋れるし字も書けるよ。でも過去の記憶は全く無いね。家族や友達に関する記憶が一切合切飛んじゃった感じかな?」
「そうなんですか……」
改めて事の重大さを思い知りました。私達のことやあれだけ大切にしていた家族のことまで忘れてしまうなんて、本当に悲しいです。
「いやいや、そんな落ち込まないでよ。若者は若者らしく元気に生きるのが一番だって」
「何だか、朱鷺ちゃんが一番冷静な気がします」
「だって何にも覚えてないしねぇ。惜しむような記憶や過去が全部抜け落ちちゃってるんだからしょうがないさ」
紅茶をすすりながら平然と答えました。自分の大切なものを全て忘れてしまうこと。それがこの世で一番の不幸なのかもしれないです。
「やっぱり病院に連れて行くべきでしょうか。検査してもらったら原因がわかるかもしれません」
「……いや、恐らく無駄さ」
「な、何でですか……?」
「考えても見てくれ。普通の人間なら脳内出血等が原因で記憶喪失の可能性もあるが、何せ相手はあの朱鷺だよ。『核ミサイルでも直撃しない限り傷を負いません』と豪語していたくらいだから、たかが植木鉢が当たっただけでそこまでのダメージを負うことはないだろう。ボクが気になっているのは自分のこめかみを指で突いていたという点なのさ」
「そのことが何か問題なんでしょうか」
「答えは一つ。植木鉢が直撃した拍子に自分で『記憶封じの秘孔』を突いてしまったんだろう」
「ええっ!」
まさかそんなドジ……朱鷺さんなら、もしかしたらあるかもしれません……。
「ねーねー。秘孔って何?」
「キミがそれをボクに訊くのか……。秘孔とは人体に点在する血の流れや神経の流れを司るツボさ。 北斗神拳ではそこに指を突き入れ気を送り込むことによって、人体に様々な変化を起こすことを奥義としている……らしい。そして秘孔の中には人の記憶を操ることができる効果を持つものもあると以前トキから聞いたことがある」
「へぇ~何か物騒なんだね。その北斗神拳ってヤツ」
「朱鷺さんは北斗神拳の伝承者なんですよ」
「ええっ! マジで!」
本気で驚いています。そのことまで忘れてしまったのですか……。
「その記憶封じの秘孔はどうやったら解除できるんでしょう」
「以前トキと話した時は二通りの手段があると言っていたよ。一つ目は秘孔効果を無効化する秘孔を新たに突く方法だけど……」
「いや~、全く記憶にございませぬ。誰か私以外にその北斗神拳を使える人はいないのかな?」
「……北斗神拳は一子相伝で、他に使える方はいないそうです」
「あちゃー。残念無念また来週だねぇ」
「そして二つ目は、強い精神力を以って秘孔効果を打ち破るという方法さ。だがトキ自身もこの方法を使ったことはないらしい。自分に不利な効果の秘孔を突く訳はないから当たり前だけどね」
「そんな……」
「そっか。現状打つ手なしなんだ」
そう言う割に朱鷺さんはあまり残念そうではありませんでした。
「……記憶以外に変わったことはないんでしょうか」
乃々さんが疑問を口にしました。記憶喪失に気を取られていましたが、もしかしたら他にも異変が起きているかもしれません。
「何か変わったことはあります?」
「そう言われても普段がどうなのかよくわかんないし……。ああ、そういえばちょっと肩が凝るかな。ほら、この体っておっぱいが大きくて重いから」
「重い?」
飛鳥さんが不思議そうな顔をします。
「ちょっとこれを持ってもらってもいいかい?」
「ん、何? ……って何この本! 重ッ!」
辞典くらいの厚みがあるドイツ語の本を手渡すと朱鷺さんがよろめきました。あれっ、何だか凄く違和感がある光景です。
「こっちに来てくれ」
「もう、今度はなんなの~」
飛鳥さんが朱鷺さんの手を取って廊下に連れ出しました。
「この廊下の端から端まで、全力で走って欲しい」
「そんなことしたら疲れちゃうじゃん」
「これは重要なことなんだ。キミの全力────偽らざる真実の力でお願いするよ」
「まぁ、いいけど」
文句を言いつつも走り始めます。綺麗なフォームで、短距離走の選手のように廊下を駆け抜けていきます。記録は図りませんでしたが普通の人より早いくらいでした。
「あ~疲れたぁ……」
走り終えると呼吸を荒くして戻ってきます。これはもう、決定的でした。
どうやら、記憶や北斗神拳だけでなく身体能力まで失ってしまったのです。
「もしかして、身体能力まで無くなっているんでしょうか……」
「そうらしいね」
「記憶と同時に封じられてしまったのでしょうか」
「……多分違うな。秘孔の効果は一箇所につき一つと言っていたから、忌まわしき鎖に繋がれたのは記憶だけのはずさ。
これはボクの推理でしかないから一笑に付して構わないが、トキが持つ果ての無い力は彼女の器ではなく魂に宿っているんだと思う。だから人格を失った状態では特異点を越えることが出来ないんだろう」
普通に考えればありえませんが、私も飛鳥さんの推理に賛成でした。でなければあんなに細い腕や足で超人的な力が出せる訳はないと思います。
「あれ、皆どうしたの?」
私達が深刻な表情でうつむく中、朱鷺さんだけはあっけらかんとしていました。
再度ルーム内に戻り作戦会議を行います。
「他に北斗神拳を使える方がいない以上、強い精神力を以って秘孔効果を打ち破るという方法しかありませんよね」
「だが精神力を高める方法とは予測もつかないな」
「朱鷺ちゃんが好きなものを色々と与えてみるのはどうでしょうか……。機嫌が良くなってポジティブになれば、少しは精神力がアップするかもしれないです……」
「とりあえず試してみるのも一興か」
「そうですね。今私達に出来ることをしましょう」
不安で胸が一杯です。あの時私が声を掛けなければこんなことにはならなかったんです。私のせいで記憶を失ったのだとしたら、朱鷺さんのご家族に顔向けができません。
とりあえず冷蔵庫から缶入りの飲料を取り出して朱鷺さんに差し出しました。
「ほらっ! 朱鷺さんの大好きなノンアルコールビールですよ。何か思い出しませんか」
「なぁにこれぇ。私って一応女子中学生だよね? 常識的に考えて、例えアルコールが入ってなくてもビールは良くないんじゃないかな?」
「えっ!」
「その口でそんな言葉を吐くのか……」
意外な反応が返ってきました。普通なら喜んで受け取ってくれるはずなのに。
「じゃあ、ラーメン屋さんでも行きましょうか?」
「ん~、ラーメンかぁ~。悪くはないけど女の子が積極的に行くところじゃないよね。私はもうちょっと雰囲気のあるお洒落なお店の方が好きかな。フレンチとかバルなんていいかも」
朱鷺さんの口からフレンチという単語が飛び出すとは思いもしませんでした。
「ではテレビゲームやプラモデル作り、競馬、麻雀等は今でもお好きですか?」
「ゲームやプラモはどっちかというと男の子の趣味でしょ。それに何だかオタク臭いから私はパスね。競馬や麻雀ってオジサンの趣味だから論外かな」
「な、なら何がお好きなんでしょう」
「アロマやネイルには興味あるかも。お洒落なカフェ巡りとかも楽しそう!」
「ア、アロマ……」
「それだとキミが目の敵にしていた『スイーツ(笑)』と同じじゃないか」
眼の前の女性には今までの常識が一切通用しません。どうやら記憶を無くしたことで趣味嗜好まで一変してしまったようです。
「というか私ってどういうキャラだったの? 物凄く気になるんだけど」
困惑した表情で私達に問いかけます。一言では回答し難い質問でした。
「そ、そうですね。強くて優しくて面倒見がいい、皆のお姉さんみたいな存在です」
「姉キャラだったんだ。自分ではそんな感じはしないから結構意外かも。それで私はアイドルなんだよね? どんな活動していたのかな」
「……ユニットでライブをしたり、イベントに出たりしています。朱鷺ちゃんはよくバラエティー番組に出て活躍しています」
「へぇ~そうなんだ」
「録画しているから見てみるかい?」
「うん! 見る見る!」
ルーム内にある液晶テレビとブルーレイレコーダーを起動します。
そして以前の朱鷺さんが出演した番組の録画を再生しました。朱鷺さんは自分の姿を食い入るように見ています。
いくつかの番組を早送りしながらダイジェストで見終えた後、そっと電源を落としました。沈黙がルーム内を支配します。
「よ~し、過去の人格は抹消しよう!」
「駄目ですって!」
非常に恐ろしいことを言い出したので大慌てで止めます。
「あははは。あんな化物は私じゃないって。人違い人違い♪」
「認めて下さい! あれは朱鷺さんそのものですよ!」
「いやー、冗談きっついわー……」
そう言いつつ思わず頭を抱えてしまいました。どうしても自分だとは認めたくないようです。
「だって普通アイドルってキラキラしてて可愛い感じじゃん。なのに猫カフェの取材で猫を一匹残らず気絶させるってどういうことよ」
「朱鷺さんは可愛いものが大好きですから、沢山の猫を目の前にしてついテンションが上って殺気をぶつけてしまったそうです。あの時は心の底から落ち込んでいました」
お店から出入り禁止処分を受けてむせび泣いていたのをふと思い出します。
「後は背の小さい子と一緒に芸人みたいな仕事しかしていないし」
「幸子さんとのペアはバラエティ番組的に需要がありますから……」
「何かもう戻らない方が良いような気がするねぇ」
「そ、そんなことはないです。朱鷺ちゃんが好きな方は沢山います……。もりくぼもそうですし……」
「いや、ないでしょ。私だったら絶対お近づきになりたくないもん」
手でバツマークを作りながらそんな言葉を口にしました。自分の姿を見れば記憶を取り戻すかもしれないと思いましたが、どうやら逆効果だったようです。
「他に良い方法はないでしょうか?」
「トキが記憶を取り戻したいと強く思えば、秘孔の効果を跳ね返せるんじゃないかな」
「ですけど、朱鷺ちゃん自身が記憶を取り戻したいとは思っていないようです……」
「自分のああいう姿を見ちゃうとねぇ」
思わず苦笑いをしました。先程の番組がよほどショックだったようです。
「犬神Pが戻ってくるまで少し時間があるから、他のアイドルに引き合わせて見るのはどうだい? 以前の朱鷺が皆から好かれていたことを知れば、今の彼女も記憶を取り戻そうと前向きになるかもしれない」
「そうですね……。他の方法もありませんし」
飛鳥さんの提案通り、事務所内を回って見ることにしました。
「えっ! とっきーが記憶喪失?」
「本当ですか!」
「変な冗談じゃないんだよね?」
シンデレラプロジェクトのプロジェクトルームに向かうとニュージェネレーションズの皆さんがいらっしゃいました。朱鷺さんの記憶喪失の件についてかいつまんで説明をします。
「ええと、この子達は誰なのかな?」
「346プロダクション所属アイドルさんです。私達の後輩にあたる方々ですよ。右から本田未央さん、島村卯月さん、渋谷凛さんです」
「そうなんだ。え~と、七星朱鷺っぽい人です。みんなよろしく♪」
「う、うん……」
普段の朱鷺さんとは口調も雰囲気も全く違うので、皆さん困惑されています。
「彼女達のこと、少しは思い出せないかい」
「そうは言われてもねぇ~。私にとっては会う人全員初対面なんだよ」
朱鷺さんの眉間に皺が寄りました。
「何か雰囲気が普段とは違います」
「うん。心の闇みたいなものと一緒に個性まで無くなったみたい」
「これだとただの美少女だねぇ」
卯月さん達も朱鷺さんの様子がいつもと違うことに違和感があるようでした。
「そんなに落ち込みなさんな。こんなに可愛い子達がそんな顔してたらお姉さんは悲しいよ」
「記憶喪失中の朱鷺ちゃんに慰められてしまいました……。あのっ、私頑張りますから何とか記憶を取り戻せないのでしょうか?」
「それなんだけど、私的には正直どっちでもいいんだよね。いや、むしろ思い出さない方がいいかも……」
朱鷺さんが冗談っぽく言うと、凛さんと未央さんの表情が真剣なものになります。
「……ふざけないで。私はこの前の貸しを作ったままなんだよ。それなのに勝手に記憶喪失になっていなくなるなんて許さないから」
「私だってそうだよ。思い込みでやらかしちゃった後にとっきーが励ましてくれたお陰で頑張ろうと思えたんだ。あの言葉がなかったらこんなに早く立ち直ることはできなかったと思う。それにせっかく未央って呼んでもらえるようになったのに、勝手に消えて欲しくないよ!」
「ちょ、ちょっとお二人共落ち着いて、ね? いなくなるとか消えるとか言ってるけど、私は今ここにいるよ?」
「確かに顔や声は同じだけど、貴女はやっぱり別人にしか思えない。朱鷺はちょっとドジでオジサンっぽくて腹黒いところもあるけど、誰よりも仕事に真剣で仲間のことを大切に想っている、私の大切な友達なんだよ」
搾り出すような悲痛な声がルーム内に響きました。
「……そう。私ってそんな子だったんだ」
「はい。だからコメットとしても元の朱鷺さんに戻ってきて欲しいです」
朱鷺さんが短いため息を吐いてから言葉を続けます。
「あ~あ。残念だけど記憶を取り戻すよう真面目に頑張るとしますか。こんなに多くの美少女達から登場を熱望されているんじゃ仕方ないもんね」
「……ありがとう」
「あはは、お礼なんていいって」
凛さん達に笑顔が戻りました。ニュージェネレーションズの皆さんと私達の想いが朱鷺さんに通じたようです。
「それで、これからどうするの?」
「そろそろ犬神Pさんが帰社される時間なので、一旦私達のプロジェクトルームに戻って相談して見ようと思います」
「では、記憶を取り戻す方法がないか私達の方でも調べてみますね」
「この未央ちゃんに任せてよ!」
「は、はい……。よろしくお願いします……」
卯月さん達に一礼しました。
その後は一旦コメットのプロジェクトルームに引き返しました。記憶を取り戻す方法ついて改めて打ち合わせをしましたが、良い案は浮かびません。
重苦しい空気に包まれていると唐突に部屋のドアが開きました。息を切らせた犬神Pさんがそのまま入室されます。
「遅くなってすまない! 七星さんは大丈夫かッ!」
「悪いけど、大丈夫と言える状況ではないよ」
「まさか、本当に記憶喪失なのかい?」
「はい。残念ながら……」
記憶喪失と身体能力を失ったことについて詳しく説明していきます。一通り聞き終えると顔が青くなりました。朱鷺さんはきょとんとした様子でそのやりとりを眺めています。
「誰かは知らないけど、とりあえずよろしくね、おにーさん♪」
「は、はいっ!」
朱鷺さんが笑顔で手を差し出しました。犬神Pさんがその手を恐る恐る握ります。
「名前は何ていうの? 結構若そうだけど、歳はいくつ?」
「ええと、犬神
「24歳? もう働いているの?」
「346プロダクションでPをしているよ。君の担当もさせてもらっているんだ」
「あっ、ふ~ん……。彼女とかはいるの?」
「今はいないな。……ていうか俺のことはどうでもいいんだよ! 今は君の記憶をどう取り戻すかが問題だろう!」
「あはは、ごめんごめん。結構イケメンだからつい気になっちゃって」
「君が異性に興味を示すとは、本当に重症だな……」
疲れた様子で呟きました。以前の朱鷺さんは男性を意識している感じはなかったので驚きです。記憶がないだけでここまで変わってしまうものなのでしょうか。
「それで、彼女の記憶を取り戻させる良い案はないかい?」
「こういう悩み事解決や失せ物探しに強い専門家を連れてきた。まぁ、連れてきたというか今日は彼女の仕事に同行していたんだけどね。ああ、もう入っていいよ」
「失礼致しますー」
やや間延びした声が部屋の外から聞こえてきました。すると鮮やかな着物姿の女の子がひょこっと顔を覗かせます。その顔にはよく見覚えがありました。
着物の主は犬神Pさんの担当アイドルの一人である
スカウト対象を探している犬神Pさんの気を感じ取り、スカウトされる前にその元へ辿りついたというとても
犬神Pさんが私達のプロデュースを任されたのは芳乃さんの実績が高く評価されたためとのことでした。朱鷺さんは『芳乃さんの実力が高かっただけでPの育成能力は全く関係ないです。むしろ足を引っ張っています』と評していましたけど。
「経緯は外で聞いてたと思うけど、七星さんの記憶を取り戻すのに協力してくれないかい?」
「皆様のお心はわかっているのでしてー。助けになるのですー」
「ありがとう、助かるよ!」
「礼の言葉は解決してからでいいのですよー」
そう言いながら朱鷺さんの側に近づきます。すると目を
「何かわかったかい?」
「……とても強い力で魂の一部が抑え込まれておりますゆえー。記憶が封じ込められているのでしてー」
「やっぱり秘孔の効果で記憶が封じられているのか。それで、その魂は開放できるのかな?」
「依田の芳乃でもーこの封を開け放つことはできませぬー。なにぶん
「そんなっ!」
芳乃さんでも無理ならどうすればいいのでしょう……。
「いえいえー。封を解く方法は既に視えているのですー」
「どんな方法なんだい?」
「大切な方を護りたいという強く優しき心ー。その心が自らに施した呪いを解くことでしょー」
「心、か……。具体的にはどうすれば?」
「残念ながらーそこまではわかりませぬー。ですが朱鷺は必ず皆様の元に帰ってくるのでしてー」
「わかった。依田さんの予言が外れたことは無いから今回も信じるよ。協力してくれて本当にありがとう」
「ふふふー。近くにーすぐそばに芳乃はおりますゆえー。安心なさいー」
「ありがとうございます!」
改めて皆で芳乃さんにお礼を言いました。
「それにしてもー朱鷺は本当に稀有な
「私ってそんなに珍しいのかな」
「人は
穢れに取り込まれ、戦いを生み出す権化となっていてもおかしくはありませぬがー。家族と仲間という
「もしその光を奪われたら一体どうなるんだ?」
「……現世は恐ろしき炎に包まれるでしょー。そして暴力が支配する世界が訪れるのですー」
「い、一体私は何者なの?」
愕然とした表情で自問自答しています。記憶が戻ればそのことも思い出せるのでしょうか。
相談が終わった頃には既に日が落ちていましたので、芳乃さんと別れ五人で朱鷺さんの家へ向かいます。皆さんとお話しながら346プロダクションの最寄り駅までの道を進みました。
「七星さんには俺が付き添うから皆は学生寮に戻って休んでくれていいよ」
「いえ。朱鷺さんのお母さんには日頃からお世話になっていますから、記憶喪失になってしまった経緯をちゃんとご説明したいんです」
「そうか、わかった」
「私の家族かぁ~。一体どんな感じの人達なんだろう?」
「とても素敵で良い人達だよ。だからこそ記憶を取り戻してもらってから引き合わせたかったが」
「朱鷺ちゃんが記憶喪失だと知ったら、皆さん悲しむと思います……」
「……私があの時、声を掛けなければ良かったんです」
植木鉢が二つも落ちてくるなんて、私が不幸を呼び寄せたに違いありません。私のせいで朱鷺さんの記憶がなくなってしまったかと思うと胸が張り裂けそうでした。
「保護者としての責任は俺にあるんだから白菊さんが気にすることはないさ。それよりも七星さんには早く記憶を戻してもらわないとな。でないと折角のアイドルフェスにも出れなくなるぞ」
私達の様子を察したのか、犬神Pさんにフォローして頂きました。
「そういえば私ってアイドルユニットの一人なんだっけ。……うーん」
「どうかしましたか?」
「いや、どうせアイドルをやるならソロの方がいいな~って思って」
「えっ……?」
思わず息を呑みました。時が止まったように感じますが、朱鷺さんは
「だって出るからには目立ちたいし。ユニットだと埋もれるかもしれないから、できるならソロでやりたいな。今から転向は無理?」
「……本気で、言っているのかい」
その瞬間、押し殺すような低い声が飛鳥さんの唇から漏れました。
「な、なんで皆そんなに怖い顔しているの?」
「本当に私達のことを忘れてしまったんですね……。あれだけボロボロに傷ついてまでユニットで活動しようと頑張ってくれた朱鷺さんがそんなことを言うなんて、思いもしませんでした」
不意にきゅっと胸を絞ったように悲しみが沸いてきます。こんな姿は見たくありませんでした。
「さっきからそう言ってるじゃん。申し訳ないけど今の私と以前の私は別人なんだから、貴女の勝手なイメージを押し付けないで欲しいな」
「……ッ!」
言いようのない憤りで体が震えます。
「そんな朱鷺さんなんてっ……! 嫌いです!」
思わずそんな言葉が声になってしまいました。悲しみや憤り、そして申し訳無さで胸の中がぐちゃぐちゃです。その場から逃げるように駆け出しました。
「はぁ、はぁっ……」
暫く走った後、通りの交差点で呼吸を整えました。私のせいで記憶を無くしてしまったのに、朱鷺さんにあんなことを言ってしまいました。一体何をやっているのか自分でもよくわかりません。
「白菊さん、待ってくれ!」
犬神Pさん達が私の後を追いかけてきましたが、朱鷺さんにどう謝ればいいんでしょうか。
「ええっと、ごめん! さっきは言い過ぎちゃったね。だから仲直りしない?」
広い道路を挟んで朱鷺さんが叫びます。その言葉を聞いて少しだけホッとして振り返りました。
「わ、私こそすみませんでした! 一番不安なのは朱鷺さんなのに……」
「いいっていいって、全然気にしてないから!」
笑顔で答えてくれました。その言葉に安心して、青信号の道路を渡り皆さんのところに戻ろうとします。
「白菊さんっ! 危ないっ!」
「え……?」
道路の中程まで進むと、大型トラックがあっけに取られるような早さで私目掛け飛び込んできました。
逃げなきゃと思いましたが恐怖で身動きが取れません。ライトがグングン近づいてきました。
私の不幸体質が呼び寄せてしまったのでしょうか。いえ、朱鷺さんのことを嫌いなんて言ってしまった罰が当たったのかもしれません。本当にごめんなさい。
もう駄目かもと思った瞬間、ふと人影が視界を遮りました。
濃いピンク色の鮮やかな影です。
「……諦めては駄目です。命は投げ捨てるものではありませんよ」
影が穏やかな声で語ります。なぜかはわかりませんが、レバーを二回動かしたような効果音が聞こえた気がしました。
────その後の出来事は筆舌に尽くし難いものでした。
鋼板を削り取る無数の拳が眼前の大型トラックに叩き込まれ、そのまま真横に吹き飛びます。
次の瞬間には、鋭い手刀でお豆腐を切るくらい簡単に車体が切り刻まれていきました。
周囲に飛び散った破片やタイヤは瞬時に高速移動した影が繰り出す拳で全て撃ち落とされ、最終的に運転席以外は鉄屑と化したのです。
すると運転席のドアが開き中年の男性が這い出てきました。まるで悪鬼に追い詰められたように酷く怯えています。
全てが、あっという間の出来事でした。
ハリウッド映画のような光景が目の前で繰り広げられ呆然としていると、お姫様抱っこの体勢で体を抱きかかえられました。思わず抱えた方の顔を見ます。
「さっきも言ったでしょう? 貴女が呼び寄せる程度の不幸は、この私が全力をもって粉々に打ち砕いてあげますって」
「朱鷺さんっ……!」
「色々とご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした、ほたるちゃん」
私のヒーローが、優しく微笑んでいました。
その翌日の放課後、いつものように四人でプロジェクトルームに集合しました。
「昨日はお手数をお掛けしてしまい本当にすみませんでした」
朱鷺さんが再び頭を下げます。
「ああ、一時はどうなることかと思ったよ」
「あのままだと大変だったから、記憶が戻って良かったです……」
「いくら記憶を失ったとしてもほたるちゃんにあんな暴言を言ってしまうなんて、本当に申し訳ないです」
「そ、そこまで謝らなくていいですからっ!」
華麗な動作で土下座の姿勢に移行しようとしたので慌てて止めました。
「それにしても昨日の暴れっぷりは、本当に凄まじかったな」
「ほたるちゃんを
「あ、あれが朱鷺ちゃんの全力……ぶるぶる……」
乃々さんが少し震えていますが無理はないと思います。駆け抜ける嵐のような勢いでしたから。
「いえ、まだまだ全力ではありませんよ。相手が無機物なのでそれなりに力を出しましたけど、運転席を誤って潰さないように加減していましたし」
「
普段クールな飛鳥さんが思わず動揺してしまいました。
「で、でも、トラックをあんなにしてしまって大丈夫なんですか?」
「警察に裏から手を回して上手く揉み消して貰っていますから大丈夫です。あちらも私を切る訳にはいきませんからしっかり働いてくれていますよ。それに人間が大型トラックを素手で瞬時に粉砕したなんて、どんな名検事でも立証できるはずありませんから問題ないですって」
「はは……」
「元々は運転手の飲酒と居眠り運転が原因なんです。人を轢かずに済んだんですから、運送会社と運転手は逆に感謝して欲しいですよ!」
相変わらず滅茶苦茶でした。でもこの破天荒さが今はとても頼もしいです。
「気になっているんだが、記憶喪失中の記憶は残っているのかい?」
「……はい。あの時のことは全て覚えています」
「ネイルとか言い出した時はどうしようかと思いました……」
「あの時は本気でそう思ったんですよ。何もかも一切合切忘れていましたが、アレはアレで楽しかったですね。あの時だけは普通の女の子になれたような気がしました」
そう呟く朱鷺さんはどことなく寂しそうな顔をしていました。
「今後は植木鉢に気をつけて貰えるとうれしいです」
「そうですね。借り物の力で調子に乗り過ぎました。周囲に対する警戒は怠らないようにします」
「はい。もう二度と記憶喪失にはなって欲しくないですから」
「……大丈夫です。次こそは、上手くやってみせますよ」
「次?」
「い、いえ……何でもないですっ!」
かなり慌てています。その様子が何だか気になりました。
「とりあえず問題は解決したから、後は『346 PRO IDOL SUMMER Fes』に向けて
「はい。私達にとって晴れの大舞台ですから頑張っていきましょう」
「ああ、ボク達の力をギャラリーに見せつけてあげようか」
「そ、そうですねっ」
「えいえい、おー……」
みんなで決意を新たにしました。アイドルフェスには私達だけでなくシンデレラプロジェクトや他のアイドルの方々が多数参加されるので、今からとても楽しみです。
~七星朱鷺のウワサ②~
怒らせると結構怖いらしい。