ブラック企業社員がアイドルになりました   作:kuzunoha

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第42話 みくまっしぐら

「ふぅ……」

 ダージリンの爽やかな香りとほのかな酸味が乾いた喉を潤します。

 こうやってレッスン後にプロジェクトルームでお茶をしていると何だかほっとします。

 最近はバラエティ番組への出演がやたらと多かったので、こうやって落ち着ける時間がとても貴重です。ほたるちゃん達も私同様、思い思いにのんびりしていました。

「で、キミはいつまでマッサージチェアに座っているんだい?」

「そうですねぇ……もうかれこれ1時間くらいでしょうか」

「紅茶を飲んではマッサージの繰り返しです。……この姿はファンの方々には絶対にお見せ出来ませんね」

「ダラダラ度がまっくすです……」

 どうせ私達以外に誰もいないんですから問題ないですって。ああ~たまりませんわぁ~。

 

「ちょっと入ってもいいかな?」

「着替えている子はいないから、好きにするといいよ」

 アスカちゃんの返事を受けて犬神P(プロデューサー)が部屋に入ってきました。お呼びではありませんが、その腕に抱えられている段ボール箱が気になります。

「みんなおはよう! 今日も元気そうでなにより……だね」

 私を見てさっと目を逸らしました。飼い主に対してその態度は失礼じゃないでしょうか。

「はい、これ今週分のファンレターだよ」

 そう言って箱をテーブルの端に置きました。中にはハガキや便箋が沢山入っています。

 

「今日はもりくぼが仕分けします。……わけ、わけ」

「ありがとうございます、乃々ちゃん」

 便箋などの宛先を確認しながらファンレターを分けていきます。私宛が一番多いですが三人宛のものもかなりの量が来ていました。

 コメットは少し前まで私だけが悪目立ちしていましたが、最近では皆の魅力が徐々に伝わってきておりそれぞれ固定のファンも多く付いています。

 鎖斬黒朱(サザンクロス)の連中も当初は私目当てでしたが、それぞれの推しを見つけており支持が上手く分散しています。とても可愛い子達ですからその素晴らしさが伝わって本当に良かったですよ。

 

「どれどれ……」

 私宛のファンレターに目を通していきます。

 え~と、最初の差出人はたくやくん(7歳)です。

『ぼくは、ななほしさんがだいすきです。このまえのばんぐみでは、うでずもうがいちばんつよかったのでかっこいいとおもいました。ゆびさきひとつでだうんさせててとてもびっくりです。いつかぼくにもほくとしんけんをおしえてほしいです!』

 先日出た腕相撲日本一決定戦を見たんでしょう。体力系のお仕事は別に好きにならなくていいので、もう少し大人になったらライブを見に来てね~。

 

 次の差出人はれんくん(12歳)ですか。

『初めまして、こんにちは。この間の『秀才! 木村動物園』を見ました。動物園訪問の時にトラやヒグマが七星さんを怖がって目を合わせようとすらしなかったところがとても面白かったです。サーバルキャットが完全に死を覚悟していて可哀想だと思いました。次回は海中でホオジロサメと戦って欲しいです』

 私アイドル、私アイドルですよ! 何が悲しくてB級サメ映画みたいなことをしなくちゃいけないんですか!

 

 その後もファンレターを読みましたが、多くはこの手のキッズ達からでした。数少ない残りはどこかの道場からの果たし状か早く次のRTA(リアル・タイム・アタック)動画を投稿しろという脅迫状です。

 いつものことですけどがっかりです。借りてきたAVに出てきた女優さんがお母さんと同じ名前だった時並みにがっかりしました。なお前世で経験済みです。

 こういう色物のネタキャラ的な扱いじゃなくて、もっとアイドルらしくライブや曲の感想等を述べるファンレターを多く頂きたいものです。

 

 

 

「ではそれぞれのスケジュールを確認するよ。明日の土曜日の仕事だけど、白菊さんは撮影だから8時には撮影所入りして欲しい」

「わかりました」

「そういえば、ほたるちゃんは明日はドラマの撮影でしたっけ」

「深夜ドラマのゲストですけど、お芝居の仕事は初めてですから緊張します……」

「オーディションで選ばれたんだから大丈夫さ! 自然体でやればきっと上手くいくって」

 不安げな表情ですが、最近のほたるちゃんは不幸度が目に見えて下がっていますから大丈夫でしょう。デビュー前にはお芝居の稽古も少ししていたそうなので、演技の面でも問題はありません。

 

「二宮さんはファッションモデルの仕事だね。スタジオの場所はわかるかな?」

「一度行ったことがあるから問題ないさ。あのブランドはボクも気に入っているから楽しみだよ」

「そうか。それなら気合入れなきゃな!」

「ああ、任せてくれ。……フフフ」

 アスカちゃんはモデルの仕事です。ファッションには前々から興味があったそうで、こういうお仕事は喜んで受けています。将来は自分でデザインをやってみたいと言っていました。

 

「森久保さんは料理番組のアシスタントの仕事だから怪我のないように注意すること。いいね?」

「は、はい!」

「火や包丁を使う時は十分注意して下さい」

「もりくぼ、子供ではないんですけど……」

「私から見れば十分子供ですよ」

「うぅ……」

  乃々ちゃんは料理番組の週替わりアシスタントのお仕事をされるそうです。1週間分を纏め撮りするので明日は終日カンヅメだと聞いています。

 それにしても皆アイドルっぽいお仕事で羨ましいですよ。私とは大違いです。

 

 認知度が高まってきた影響なのか、このところはユニットだけではなく個人の活動も増えてきました。アイドルとして第一線で活躍できるのは一部のレジェンドを除いて精々20代後半くらいまででしょうから、今のうちから色々なお仕事を体験して卒業後に備えるのは悪くないと思います。個人的にはいつまでもこの四人でアイドルをしていきたいですけどね。

 私はアイドルを卒業したらどうしましょう。今更開業医というのもちょっと地味な気がしてしまいます。まぁ、まだまだ辞める気はないですから気にしても今から仕方ありませんか。なるようにしかなりませんし。

 

「それで七星さんの仕事は……特になし、と」

「はい。明日はゆっくり休養させて頂きます」

 偶然お休みになりましたが、これといってやることは特にありませんでした。積みゲーを崩すか積みプラモを作るくらいしか思いつかないです。ここ暫くは朱莉の相手ができなかったので一緒に遊んであげるというのもいいかもしれません。

 

「朱鷺さんはいつも忙しいイメージなので、ゆっくり休んで欲しいです」

「暴走時ほどではないけど、かなり疲労が溜まっているんじゃないかい?」

「あはは、今は本当に大丈夫ですよ。同じ失敗を二度繰り返すほど愚かではありません」

「……なら、いいですけど」

 私が体調を崩してしまうと三人に迷惑を掛けてしまいますから体調管理には気をつけています。家族にも心配を掛けてしまいますし。

 

「……失礼します」

「はい、どうぞ」

 そのまま五人で打ち合わせ兼雑談をしていると、ノックの後でみくさんと李衣菜さんが姿を現しました。そのままつかつかとルーム内に入ってきます。

「おはようございます、にゃ」

「みんな、おはよ」

 二人共何だか神妙な表情です。

 

「おはようございます。何か御用ですか?」

「うん。朱鷺ちゃんにご相談があって……」

 李衣菜さんの言葉を聞いて何だか嫌な予感がしました。

「その、一体どのようなご相談でしょう?」

「朱鷺チャン、助けてにゃあ!」

「ええ!?」

 言い終わらないうちに抱きつかれます。一体全体何だというのでしょうか。

 

 

 

 みくさんが落ち着くのを待って事情を伺うことにしました。真剣な表情の李衣菜さんがぽつぽつと事情を説明します。

「みんな知ってると思うけど、ついこの前私とみくちゃんが『*(アスタリスク)』というユニット名でデビューしたんだ」

「その件は伺っています。私達もデビューシングルを購入させて頂きましたので」

「本当!? ありがとう!」

「ありがとにゃあ!」

 

 二人共、とても嬉しそうな表情を浮かべました。

 シンデレラプロジェクトの最後のユニットが彼女達です。これでプロジェクトの子達が全員無事CDデビュー出来ました。

 猫耳とロックという異色の組み合わせですが意外としっくり来ます。というか猫耳アイドルという時点で既にロックな気がするのは気のせいでしょうか。

 そういう意味では最高にロックな永遠の17歳がいますけどね。ウサミン星出身というあの特殊なキャラ設定を貫き通す度胸は私にはありません。

 

「私達の次の仕事なんだけど、夕方の報道番組のグルメレポートを担当することになったんだよ。そのお店っていうのが、その……鮮魚で評判のお寿司屋さんになっちゃって」

「あっ……」

 その言葉だけで全てを察しました。みくさんの目が(うつ)ろだったのはそれが理由だったんですか。

 

「Pチャン、みくがお魚苦手って知ってるのに~! うぅ……ひどいにゃあ~!」

「まさか、武内Pがそんな初歩的なミスを?」

「いや、Pは悪くないよ。元々仕事を受けた時は洋食のレストランを取材するはずだったんだけど、そのお店でボヤ騒ぎが起きて取材中止になっちゃったんだ。だからその次の回のお店を担当することになって……」

 今回はPとアイドル間のコミュニケーション不足によるトラブルではなく不幸な事故だったようです。それを聞いて少しホッとしました。

 

「そんなに嫌いなんですか? お魚は煮ても焼いても美味しい万能食材ですよ」

「無理無理無理! みくは肉食系女子だからお魚なんて食べなくても問題ないもん!」

 手でバツマークを作りながら叫びました。残念ですねぇ、あんなに美味しいのに。

「それで、前川さんが魚を食べられないことと七星さんに何か関係があるのかな?」

 犬神Pが質問しました。彼の言うとおり、私と魚にどんな接点があるというのでしょう。

 

「人体には色々な効果を持つ秘孔があるって言ってたじゃない。もしかしたらみくちゃんの魚嫌いを治す秘孔があるかもしれないと思って」

「う~ん……。確かに秘孔技術は応用が効きます。ですが魚嫌いを治すようなピンポイントな効果を持つ秘孔は流石に発見していませんね。時間を掛けて研究すれば見つかるかもしれませんけど、今日明日という訳にはいきませんよ」

 

 それにモルモットが不足しています。昔は無邪気な子供を装い七星医院で色々とヤバい人体実験をしていましたけど、今は素性がバレてますから警戒されてしまうはずです。

 一応実験のついでに治療行為もしていましたよ。病弱な女の子を健康体に治した時なんて大層喜ばれました。綺麗な栗色の髪をした可憐な子でしたねぇ。

 あっそうだ。実験材料といえば鎖斬黒朱の連中がいました。あいつらなら多少無理してもきっと大丈夫なので今度から実験台として使いましょう。そうだ、それがいい。それが一番です。

 

「ちなみに味や匂いを一生感じなくなる秘孔や強制的にモノを食べさせる秘孔ならありますけど、それでも良いですか?」

「そんなのは嫌にゃあ!」

「そ、それは流石にみくちゃんが可哀想だね……。うーん、やっぱり難しいかぁ」

 普段はよく喧嘩していますがみくさんのことが心配なようです。

 

「いっそのこと、魚が食べられないと公言してしまうのは駄目なんでしょうか」

 ほたるちゃんが提案します。

「そ、それは駄目にゃ……。みくは可愛い猫キャラだから、お魚が食べられないと知られたくないにゃ!」

 確かに猫は魚を好んで食べるというイメージが一般的ですので、魚嫌いとなると猫キャラとしてのアイデンティティーが揺らぎかねません。

 

「お仕事を断る……というのはナシですよね」

「……うん。みく達はまだ駆け出しだから、どんな仕事でも一生懸命やりたい。Pチャンがみく達のために取ってきたお仕事だから絶対キャンセルしたくないの」

「う~ん……」

 八方塞がりですが、可愛い後輩なので何とか力になってあげたいです。

 

「そうだ、明日はお時間ありますか?」

「えっ? う、うん。明日はオフだから一日空いてるよ」

「なら、明日色々と試してみましょう。どこまで食べられてどこから駄目なのかを研究すれば当日の対策も出来るはずですから」

「じゃあ私も一緒に対策を考えるよ。仲間の危機は見過ごせないしね」

「二人共、ありがとにゃあ……!」

 再び涙目になり私と李衣菜さんに抱きついてきました。だから急にこういうことをされると理性が飛ぶからやめロッテ!

 

 

 

 翌日、家で昼食を食べてからみくさんが住んでいる学生寮に向かいます。運がいいことにお昼過ぎから寮の食堂をお借りすることが出来たので、そこで色々と実験をすることにしたのです。

 昨日のうちに購入しておいた食材も一緒に持っていきました。

 

「おはようございます、お二人共」

「おはようにゃ!」

「うん、おはよう。朱鷺ちゃん」

 既に来ていた二人に挨拶します。すると間もなく、本日のスペシャルゲストも姿を現しました。

 

「おはようなのれす~!」

「……なんで、七海チャンがここにいるのにゃ?」

「みくさんのお魚嫌いを治すという話をしたら是非協力したいとの申し出を頂きましたので、折角ですから来てもらいました」

 実験にあたっては専門家の意見を伺いたいので、魚のプロである七海ちゃんにも協力頂くことにしたのです。

 

「むふー! みくさんに美味しいおさかなをお腹いっぱい食べてもらうのれすっ!」

「…………」

 猫の如き俊敏さで逃げ出そうとしたので、瞬間移動してひっ捕らえました。

「離すにゃ! もうこの時点で嫌な予感しかしないにゃあ!」

「気のせいですから安心して下さいって」

 別に取って食べる気はありませんから怯えないで欲しいです。

 

 

 

「てい」

「うぐぇっ!」

 軽く秘孔を突いてみくさんを落ち着かせます。アイドルらしからぬ(うめ)き声をあげましたが気にしないであげました。武士の情けです。

 魚嫌い克服の第一歩として最初に問診をすることにしました。

「初めに訊いておきますけど、みくさんは魚のアレルギーではないんですよね?」

「うん。別にそういうのじゃないよ」

「それは良かったです」 

 もしアレルギーだとアナフィラキシーショック等で命に関わることもありますから好き嫌い以前の問題です。ですがそういう体質ではなくて安心しました。

 

「それで魚のどこが苦手なんでしょうか。形自体が不得意だったり、苦味が嫌いだったりする方は結構いらっしゃいますけど」

「え~! あの姿や苦さがいいんじゃないれすかぁ~」

 七海ちゃんがぼやきます。魚好きにはたまらないでしょうけどそれが嫌だという人は結構いるんですよ。

「全部!」

「存在を全否定ッ!?」

 みくさんが力強く言い切りやがりました。こんなんじゃ調査になんないよ~。

 

「あ、あの~。もう少し具体的に仰って頂けないでしょうか……」

「なんかもう、魚ってだけで体が受け付けないのっ!」

「しょぼーん……」

 七海ちゃんが暗い表情でテーブルの下に潜ってしまいました。抱きかかえている縫いぐるみのサバオリくんまで萎れています。このままアンダーザデスクの新メンバーになってしまいそうな感じでした。

 

「別に七海ちゃんのことを否定している訳じゃないから、気にしないでね。

 こら、みくちゃん! もう少し言い方ってものがあるじゃん。というか、そもそも魚嫌いで猫キャラは無理があるんじゃない? これを機にアスタリスクをロックユニットにするのはどう?」

「お互いのキャラは尊重するってこの間決めたばかりなのにそれは酷いにゃ! ちゃんとギターを弾けないようなにわかロックとは一緒にやってられない! 解散にゃあ!」

「にわかとか言わないでってこの前言ったじゃん! こっちこそ、もう一緒にやってらんない! 解散だ!」

 いつの間にかケンカを始めてしまいました。ケンカするほど仲がいいとは言いますが、五分に一度のハイペースでやるのは流石に問題ではないかと思います。

 

「さて、本題に戻りたいのですがよろしいでしょうか?」

「……! わ、わかったにゃ!」

「顔が怖いって……」

 ポキポキと指の関節を鳴らしながら笑顔で威嚇するとようやく大人しくなりました。こういう時は息がピッタリです。貴女達本当は仲いいですよね。

 

 結局問診はアテにならなかったので実際の食材で実験することにしました。まずは手始めに、来る途中で買ってきたたい焼きを与えてみます。

「にゃふふふ~。ほわほわなたい焼きチャン♪ お魚苦手なみくでも、これならオッケーなのにゃ。あむあむ、もぐもぐ……ん~、最高にゃ~。お魚がみーんなたい焼きならいいのに~」

 美味しそうにたい焼きを頬張ります。魚の形をしていてもお菓子なら問題ないようですね。重要な事実が一つ判明しました。後でみくさんレポートに纏めておきましょう。

 

「あ~ん♪ ……もがっ!!」

「七海特製のおさかなサンドれす~! 食べて食べて~!」

 みくさんがたい焼きの尻尾を食べようと大口を開いた瞬間、七海ちゃんがお手製のサンドイッチをその口にねじ込みました。大きな魚の切り身がサンドされており、パンからかなりはみ出しています。

「~~~~ッ! ……ッ!」

「おいしいれすよね~! もっとありましゅからどんどんたべてくらさい!」

 声にならない叫びが辺り一面に広がったような気がします。顔面蒼白で額に脂汗をびっしりとかいていました。おお、段々と白目になっていきますよ。

 先程の復讐……ではないですよねぇ。七海ちゃんは純粋に美味しいものを人に食べてもらいたいという表情をしています。悪意がないので余計に性質が悪いです。

 

 

 

「はあっ! し、死ぬかと思った……」

「すみませんれした……」

 コップの水を飲み干した後、死にそうな表情で呟きました。思わず猫キャラ口調を忘れるほどの衝撃だったようです。

「でも美味しいですよ、これ」

 七海ちゃんお手製のおさかなサンドを一つ頂きましたが、塩味の利いたサバとパンの相性が意外と良くて美味しいです。少なくとも顔面蒼白になるような代物ではありませんでした。

 

「ひょっとして、ただの食わず嫌いなんじゃないの?」

「そ、そんなことないって!」

 焦って否定する姿を見てふと閃きました。そういえば魚以外の魚介類はどうなんでしょう。

「みくさんは大阪出身でしたよね。名物のたこ焼きは食べられるんですか?」

「たこ焼きは好き!」

「なら貝類や海老はどうです?」

「火が通ってれば少しは食べられるけど……。やっぱり生臭いのは、ちょっと」

 重要な証言が飛び出しました。なるほど、魚特有の生臭さが駄目なんですか。

 

「でも先程のおさかなサンドは全然臭みがありませんでしたよ」

「魚が口の中に入っているっていうだけで、何だか匂いがするような気がして……」

「……そういうことですか。わかりました」

 七海ちゃんのおかげでみくさんの魚嫌いの理由がわかったような気がします。

 根本的な原因は魚特有の匂いに対する拒否感ですね。それに加えて、魚=生臭いものという強い先入観により自分は魚が苦手だと思い込んでしまっているのでしょう。魚介類全般が食べられないのでしたら、そもそもたこ焼きすら食べられないはずです。

 ならば、まずはそのふざけた先入観をぶち壊さなくてはいけません。

 

 

 

「調理場をお借りします」

「何か作るの?」

「ええ。お魚嫌いな子猫さんでも美味しく食べられる料理を用意したいと思います」

 冷蔵庫にしまっていた食材を取り出します。中身はマグロの切り落としと長葱、長芋などです。

「簡単で美味しい料理を披露しますから、ちょっと待ってて下さいね~」

 マグロ、ご期待下さい。

 

 まずマグロをみじん切りにした後、包丁でよく叩いてねばりが出たらボウルに移します。長ねぎもみじん切りにし、長芋はすり下ろして深皿に入れておきます。

 形が無くなったマグロに特製配合の調味料を加えよく混ぜて下味をつけ、長ねぎと長芋の半量、そして片栗粉を加えて混ぜます。調味料の中に塩(こうじ)を入れておくのが大切なポイントです。

 フライパンにごま油を熱し、なんとな~く丸くして焼いていきました。焼き色がついたら裏返し、蓋をして弱火で蒸し焼きにします。

 もう一度よく混ぜた調味料を流し入れて煮絡めてから器に盛り、残った長芋の半量、青ねぎの小口切り、刻みのりをトッピングすると……。

 

「はい、特製マグロハンバーグの完成です」

 料理のお皿をみくさんの前に置きます。すると良い匂いが食堂内に広がりました。

「おお~!」

「美味しそうれす~」

「さ、みくさんの好きなハンバーグだと思って食べてみて下さい。魚の認識が変わるはずです」

「だけど元は魚でしょ。きっと生臭いに決まっているにゃ……」

「美味しそうじゃん! ちょっとだけでもいいから食べてみたら?」

「でも……」

 困惑した表情で躊躇しているので、そっと声を掛けます。

 

「人の成長とは、未熟な過去に打ち勝つことだと私は思います。過去の自分に打ち勝つかこのまま尻尾を巻いて逃げるのか、みくさんが自分で決めて下さいね」

 ちょっと冷たいですが、結局決めるのは彼女自身です。私には選択肢を与えてあげるくらいしか出来ません。

 するとみくさんの表情が真剣になりました。意を決したような面持ちです。

「……じゃあ、一口だけ」

 恐る恐るお箸でハンバーグの一片をつまみます。すると思い切って口の中に放り込みました。そして暫くの間、目を瞑って必死に咀嚼します。

「……ッ! あれ、全然臭くない……」

 二口、三口とお箸を動かします。

 

「お、美味しい、かも……。これ本当にお魚なの?」

「はい、そうですよ」

 臭みがないのは塩麹と長芋の効果です。塩麹に含まれる酵素は臭みを消すだけでなく、魚がふっくらと柔らかに仕上がり旨みも増すんです。そして長芋に包まれることにより更に臭みが消えるという寸法です。こんなの絶対おいしいよ。

「信じられない……。みくお魚が食べられたにゃ!」

「凄いじゃん、みくちゃん!」

「やったー! やったー!」

 三人が笑顔で抱き合いました。何とも微笑ましい光景ですが、みくさんの表情がまた暗くなってしまいました。

 

「でも、このお料理は食べられたけど食レポはお寿司だからあんまり意味ないにゃ……」

「そんなことありません。あれだけ嫌っていたお魚を自分の意志で食べられただけでも物凄い進歩です。それに人気のあるお寿司屋さんなら生臭さを出さないような対策をしっかりしていますので、魚嫌いだという思い込みさえ無くなればきっと食べられるはずですよ」

「そ、そう?」

「はい。それでも匂いが気になる場合はお醤油をしっかり付けて下さい。お醤油には魚の生臭さを消す力がありますので」

「わかったにゃ! みく、なんだかいけそうな気がしてきたにゃあ!」

 

 とりあえず作戦成功です。人間思い込めば大抵のことは何とかできますから、まずは魚を食べることが出来ると思ってもらうことにしたのです。

 私も自分が無敵だと思いこむことで月平均四百時間残業を約半年続けることができましたしね。ですが心が壊れる床寝生活はもう二度と御免です。その後直ぐ死にましたし。

 

「この調子なら大丈夫そうかな。でもあのみくちゃんに魚を食べさせるなんて凄いよ。ありがとう、朱鷺ちゃん!」

 李衣菜さんからお礼を言われました。

「いえいえ。苦手なものを頑張って食べようと決断した勇気が一番凄いですから、褒めるならみくさんを褒めてあげて下さい」

「本当に凄いれす~!」

「そ、そうかにゃあ? 何だか満更でもないにゃ!」

 そう言いながら照れた表情を浮かべます。これにて一件落着と言った感じでした。

 

 

 

 暫く皆で談笑していると寮の子達がちらほらと現れます。そういえばもう夕食の時間でしたか。ここにいてもお邪魔なので撤退することにしましょう。

「それでは、私はお(いとま)します」

「え~! もう帰っちゃうんれすか」

「せっかくだから泊まっていったら? 私も今日はみくちゃんの部屋に泊まらせて貰う予定だし」

「それがいいにゃ! 朱鷺チャンにはアイドルとしての心構えとかを一度詳しく訊いてみたかったのにゃ!」

「で、でもご迷惑じゃないですか? それに泊まる部屋もありませんし……」

「七海の部屋で良ければ使ってくらさい!」 

 思わぬお誘いを受けました。ですがうら若きアイドル達の中にドブ川がしれっと混ざるのはちょっと気が引けます。

 

「前にみくちゃんと同居生活してたけど、寮は御飯も美味しいし大浴場もあって楽しいよ」

「大浴場……だと……?」

 思わず真顔で呟いてしまいました。

「だ、大浴場ということは、他の寮住まいのアイドル達もそちらを使うんですか?」

「うん、そうだよ。前は小日向美穂(こひなたみほ)ちゃんにも会ったし」

 小日向美穂だぞ。アイドルやぞ。

「是非お泊りさせて頂きま~す♪」

 快くお誘いを受けました。

 も、もちろん下心なんて一切ありませんよ。急に大きなお風呂に入りたくなっただけですから。我が心と行動に一点の曇りなし……! 全てが『正義』です。

 

 その夜は同じ寮生であるコメットの皆と卓球をしたり、心霊系アイドルの白坂小梅(しらさかこうめ)ちゃん達とホラー映画上映会をしたりして大いに楽しみました。

 特に大欲情、もとい大浴場は色々と凄かったですねぇ……。前世で負った私の心の傷がどんどん癒やされていきましたよ。あの光景だけで生まれ変わる価値があったと断言できます。二時間程入浴し続けたので体がふやけてしまいました。

 本当にとても楽しい夜で、最高のリフレッシュになりました。また隙を見て泊まらせて貰いましょう。

 

 

 

 その後数日が経ちました。グルメレポートがあった日の翌日、事務所でアスタリスクのお二人を見かけたので上手くいったのか訊いてみることにしました。

「おはようございます。昨日はちゃんとお寿司を食べられましたか?」

 声を掛けると李衣菜さんが微妙な表情をします。

「そ、それがね……。取材先のお寿司屋さんで食中毒が発生したみたいで、結局当日はスイーツのお店の食レポになったんだ」

「ええっ!」

 

 するとみくさんが涙目でプルプルと震え出します。

「あんなにっ……あんなに頑張ってお魚を食べたのに……!! みくの苦労を返せにゃああああ~~~~!」

 絶叫が事務所内に響き渡りました。本当に、みくにゃんは不憫ですね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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