ドラゴンクエストⅧ シアンの人   作:松ノ子

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第9話

「はあ、美味しかった!」

 

 じっくりと炙った魚の照り焼きをゆっくりと味わって飲み込んだエイトは満足そうに腹をさすって、ため息をついた。

 その様子を向かいに座っていたゼシカが嬉しそうに笑った。

 

「気に入ってもらえたみたいね。ここのお店の料理はとても美味しいもの」

「本当に美味しかったよ。こんなに美味しい魚料理なんて、生まれて初めてかもしれない。連れてきてくれてありがとう、ゼシカ」

「いいえ、どういたしまして」

 

 ゼシカがトロデーン城にやってきた翌日。

 エイトは今、船と船乗りたちが陽気に行き交い、太陽がさんさんと差し込む港町ポルトリンクにゼシカと共に足を踏み入れていた。

 そして、ゼシカの勧めるまま、町の一画にあるこの定食屋で昼食をとることとなったのだ。

 使われなくなった倉庫を改造したというその店の床は、何度も磨かれて、窓から差し込む陽光で白い砂浜のように微かに輝いていた。店内のあちこちにぶら下がる色んな形をした貝の飾りも、この港に流れ着いた丸太で作られたという不揃いのテーブルや椅子も見ているだけでも楽しめた。

 そしてなにより一番なのは、ほっぺたが落ちそうになるくらい美味しい魚料理だった。

 そのおかげでエイトのお腹は、はちきれそうなほどに膨れ上がっていて、しばらくは動けそうにないだろう。

 ゼシカは水の入ったグラスに口をつけながら、首を傾げた。

 

「それにしても、本当に休みがとれたの?」

「え? うん、もちろん。王があっさりと許してくれたのは、少しだけ驚いたんだけどね」

 

 エイトは、上着のポケットから折りたたまれた白い紙を取り出す。

 つたない字で書かれたその手紙を昨日から何度も繰り返して読むと、緩んだ笑みを浮かべる。

 この手紙をゼシカから渡され、そして、このポルトリンクを訪れる理由となった。

 嬉しさがこみあげて、胸が暖かくなった。手紙というものを貰うのは初めてだったが、読んでいるだけで元気が溢れてくるものだとは思わなかった。

 

「それなら、よかったけど。でも、あの王様がねえ……」

「王はとても優しい方だから。理由を説明したら、わかってくれるとは思ってたんだ」

「……あんたの優しい人の基準って、いまだに私には分からないわ……」

 

 額を押さえて頭を振るゼシカをエイトは不思議そうに見た。

 確かに自分が仕える王は、少しだけ我が強い。だが、それは王の一部分でしかない。彼の知る王は誰よりも優しく、責任感が強い。今まで出逢った王の中で一番、王らしい人だと思う。身内贔屓といっても、過言ではないかもしれないが。

 

「そういえば、ちょっとだけミーティアの様子がおかしかったんだよね」

「なに、姫の体調がよくないの? エイト、ここにいて本当に大丈夫?」

 

 テーブルの上に乗りだしそうな勢いでゼシカが言うので、エイトは慌てて両手を振った。

 

「ああ、いや。風邪とかじゃなくて。なんだか、悲しそうというか、申し訳なさそうな顔をしていたというか……」

 

 早朝ともいえる時間帯にも関わらず、中庭まで見送りに来てくれたミーティアの顔を思い出す。

 ミーティアは何かを言いたそうな様子だったが、結局何も言わずに微笑んで見送ってくれた。

 

「ゼシカはどう思う?」

 

 尋ねると、彼女の友人であるゼシカは、悩ましげに唇に指をあてた。

 

「どうって言われてもねえ……。エイトでも理由が分からないんでしょう? 帰ってから、姫に聞いた方がいいじゃないのかしら」

「やっぱり、そうだよね。うん、そうする」

 

 話が一段落すると厨房の奥から、白い前掛けをした中年の女性が二人の席の方に歩み寄ってきた。

 

「ゼシカお嬢様。どうやら、うちの料理にお連れの方も満足いただけたみたいだね」

 

 漁師の女房というのがふさわしいほどに、真っ黒に日に焼けた女性にゼシカが少しだけ頬を膨らませた。

 

「おかみさん、その呼び方はやめてって言ったじゃない」

「おやおや、つい癖でね。ごめんよ、ゼシカちゃん」

 

 にっこりと人好きのする笑みを浮かべる女性とつられて笑ったゼシカにエイトは目を瞬かせた。

 

「紹介するわ、エイト。この人はここのお店のおかみさん。ポルクのお母さんよ」

「いつぞやは、うちの馬鹿息子が失礼をしたそうで」

 

 申し訳なさそうに頭を下げたポルクの母に、エイトは慌てて、椅子から立ち上がった。

 

「そんな! どうか顔を上げてください。ポルクは村を守るために当然の事をしただけです」

 

 ポルクの母が言ういつぞやとは、初めてヤンガスと共にリーザスの村を訪れた時の事を指していた。

 村人達にとても慕われていたゼシカの兄が何者かに殺され、その直後にどこにでもいそうな青年と人相の悪い男のいかにも怪しげな二人組が足を踏み入れれば、リーザス村の自警団と名乗る少年達が敏感に反応するのは仕方ない事だった。

 それに、大人であっても怯まずに立ち向かう姿はとても好ましいと思ったものだ。

 

「最近のあの子ったら、口を開けば、ずっとあなたの事ばかり……。聞いているこっちの耳にタコが出来そうなくらいで」

 

 自分の子供の事を話すおかみは、呆れたような表情こそは浮かべていたものの、声音はひどく暖かかった。

 

「実は、僕は二人に会いに来たんです。ポルクは今どこに?」

「今、あの子は停泊中の船に弁当の配達を。……どうして、うちの息子に?」

 

 エイトは持っていた手紙をおかみに渡した。

 怪訝そうにおかみはそれを受け取り、目をすがめるようにして手紙の字を見る。

 

「息子の字だわ。……そういえば、この間、珍しく椅子に座っていて……」

 

 そこまでいって、ポルクの母親は弾かれたように顔を上げた。驚いたように目を丸くさせて、何度もエイトと手紙を見る。

 

「まあ、本当に? それで、わざわざ来て下さったんですか?」

 

 頷いたエイトに、ポルクの母は嬉しそうに目じりを下げて、丁寧に頭を下げた。

 

「本当に、ありがとう。息子も喜びます」

「お礼を言うのはこちらです。僕も意力ある子供の手伝いができるなんて、嬉しい限りですから」

 

 その時、店の扉が大きな音を立てて開かれ、放たれた矢のように店の中を飛び込んできた少年に向かって、おかみがすかさず声を張り上げる。

 

「ポルク! そこはお客の出入口だと何度言ったら、分かるんだい!」

 

 竹で編まれた籠を兜のようにかぶり、青みがかった髪をした少年は、エイトが前に見た時より、ぐっと背が伸びていて、日に焼けていた。

 ポルクは、母親の怒鳴り声に指を耳に突っ込んで、顔を歪めた。

 

「怒鳴るなって、母ちゃん! 耳が吹っ飛ぶっての!」

「あんたが何度言っても、聞かないからだろう! ほら、そのみっともない籠を、今すぐに頭からおろしな」

「へいへいー」

 

 おかみは、生意気を言う息子の後頭部をぺしりとはたいて、籠を彼の頭から引っこ抜いた。

 

「ほら、あんたにもったいないお客様だよ」

 

 そのまま、ずいと母親の前に押し出されたポルクは、目の前に立つエイトの顔を見て、呆けたように口をぽっかりと開けた。

 ひらひらと手を振って、椅子に座ったままのゼシカが笑う。

 

「こんにちは、ポルク。お手伝い偉いわね。今日はご褒美もってきたのよ」

「ご褒美って、ゼシカ……」

 

 だが、ゼシカの言葉も耳に入らないようで、少年は食い入るようにエイトを見ていた。

 

「やあ、ポルク。手紙をありがとう」

 

 エイトが片手をあげて挨拶をしてみせると、途端に目の前の少年は俯いた。

 

「え、ポルク?」

 

 慌てたエイトが、少年の肩に手を乗せて、顔を覗き込むと、彼は小さく声を発した。

 

「う」

「う?」

 

 聞き返したエイトに、ポルクは勢いよく顔を上げて、大きく息を吸い込んだ。

 その瞬間、エイトの視界の隅でゼシカが両耳を塞ぐのが見えて、その意味を悟ったエイトは真っ青になった。

 

「うあああああ!」

 

 だが、興奮した少年の頭に母親がすばやくげんこつを落とした事で、エイトは自分の耳を寸前で守る事ができたのだった。

 


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