ドラゴンクエストⅧ シアンの人   作:松ノ子

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第8話

 澄んだ輝きを放つ無数の水晶で出来たシャンデリアの下では、トロデーン国の貴族達がそれぞれ着飾っていた。

 若い娘達は顔を見合せては楽しそうにくすくすと笑い、若者らはそんな花のように佇む彼女達をなんとかダンスに誘おうと互いに競い合っていた。

 宴のひらかれているホールを落ち着いた様子で眺めていたトロデーン国王のトロデは、視線を客人に戻した。

 目の前にいる銀製の杯を片手に持った客人は穏やかな表情で佇んでいた。

 

「いやはや。私の為にこのような宴まで用意していただき、何とお礼を申し上げていいやら」

「礼を申される程ではありませんぞ。お客人をもてなすのも、国の役目」

 

 ゆるく笑みを浮かべて、トロデが言う。

 襟に白い毛皮がついた赤いローブを羽織るトロデは重々しい威厳を漂わせており、堂々としたその姿は、まさに王という名がふさわしい。

 

「我が妻が生きていれば、あなたの来訪を心から喜んだでしょうな」

 

 相手は微かに眉を下げて寂しそうに笑うと、整えられた黒いひげがそよぐ。

 

「ええ、はっきりと目に浮かびます。それにしても、トロデーンの酒はまさに美酒ですな」

 

 客人が空になってしまった杯を揺らしてみせると、トロデの笑みが深くなった。

 

「相変わらず、お強い限りで。もう一杯、いかがですかな」

「それでは、お言葉に甘えて……」

 

 その時、出入口である大きな扉の両脇に控えていた二人の兵士が手に持っていたラッパを二度、大きく吹き鳴らした。

 

「トロデーン国の姫君、ミーティア様のご来場!」

 

 ざわめきが一瞬で止み、ゆっくりと開かれた扉から姿を現したトロデーンの宝姫の姿に、あちこちから、感嘆のため息がこぼれる。

 姿を現しただけで、ここにいる貴族達全員を魅了したその美しい姿にトロデは眩しそうに目を細めた。

 どこか夢をみるような微笑みを浮かべて、ミーティアはホールの中を進み、こちらへゆっくりと向かってくる。

 濡れたように輝く黒髪は結わえずに背中に流し、裾がふんわりと膨らんだ薄黄色のドレスを纏っていた。装飾は胸元にある紅薔薇のコサージュ以外なく、あとは左手の薬指にある赤い宝石の結婚指輪だけである。それも、シャンデリアの明かりをはじいて、炎のように揺らめいていた。

 

「……さながら、夜の精霊のようですな」

 

 囁くような客人の声に、トロデは少しだけ胸が痛んだ。

 成長した娘の姿を妻が見れば、なんと言うだろうか。

逝ってしまった暖かさを惜しみながらも、ぐっと目元に力を入れた。感傷なら、後でいくらでも浸れるだろう。

 ようやく、こちらに辿り着いた娘の顔をじっと見て、トロデは微笑んだ。

 

「待ちかねたぞ、娘よ。さあ、お客人にご挨拶を」

「はい、お父様」

 

 客人に向かって、ミーティアは洗練された所作でドレスの裾をつまみ、腰を深く沈めた。

 

「我が国にようこそおいでくださりました。どうか心ゆくまま、おくつろぎ下さいませ」

 

 顔を上げて、新緑の瞳を客人である男性へと向ける。

 その人は、年と背は父とさほど変わらず、年齢は父より少しだけ若いように思えた。

 目が合ったその瞬間、黒い瞳が懐かしむように目を細めたのに、彼女は気づく。

 だが、男性はすぐに柔らかい笑みを浮かべて、彼女の手の甲に軽く口づけを落とすと、年齢を微塵に感じさせない、ゆったりとした礼をしてみせた。

 

「ミーティアや。この方はアスカンタ国の大臣である」

「ローレイと申します」

 

 父の紹介を受けたアスカンタの大臣は目元にしわを刻んではいたが、穏やかな笑みが印象的だった。若い頃はさぞ女性達から好意を寄せられたのではないだろうか。

 

「ミーティア様、あなたは本当にお亡くなりになられた王妃様とよく似ておいでですね。特にその美しい翡翠の瞳は、まさに王妃様そのもの……」

「私の母をご存じなのですか……?」

「それは、もちろん。あなたが産まれる前よりずっと」

 

 戸惑ったように彼女は父の顔を見る。

 すると、父の顔によく城の誰かをからかう時に浮かべる、秘密をこらえきれないといった子供のような笑みが浮かんだ。

 

「あの、お父様……?」

「うむ。ミーティアや、驚くでないぞ」

 

 咎めるようなミーティアの声に、父は今まで纏っていた王の威厳をあっという間に崩しながら、続ける。

 

「ローレイ殿は、お前の母の弟にあたるのだ」

「……お母様の?」

 

 口元に両手をあてて、父とローレイの顔を交互に眺める。まあ、と唇からでた声こそは小さかったものの、心の底から驚いたように目を大きく見開いた。

 

「トロデーンの王妃、あなたのお母様はアスカンタの出なのは、ご存知でしたか?」

 

 ミーティアは頷いた。

 母がトロデーンの貴族ではなく、アスカンタ地方の貴族だった事は知っていた。

 王子であった時に、父はよく城を脱けだして、あちこちを周っていた際に、母と出会ったのだと城の誰かから聞いたことがある。

 それに城に来るのは父の一族や遠縁の者達ばかりであったので、母に身内がいるとは知らなかった。召使い達の間で飛び交う噂話を何度か耳にしたことがあったから、大体の事情は分かっていた。

 だから、本当に驚いたのだ。

 

「覚えていらっしゃらないかと思いますが、実はあなたが産まれた頃に一度だけお会いしているのです。姉が亡くなってからは、なかなか機会に恵まれず……」

 

 穏やかに話すローレイは続ける。

 

「ですから、あなたにお会いできたこと。心より嬉しく思います」

「そうだったのですね……」

 

 すると、父がにやりと唇をつきだすように笑いながら、片目をつぶった。

 

「つまり、ローレイ殿はお前の叔父だのう。ほれ、おじ様と呼んでやるのだ」

「義兄上……、気のせいでしょうか? その響きにとげを感じるのは……?」

 

 いつも通りの口調に戻った父に対し、ローレイも少しばかり崩したようだった。

 まるで、本当の兄弟かのように、気安いやり取りが二人の間で飛び交う。

 

「とげなんぞ持っとらんわ。まったく……。遊びに来ないで、なにをしとったのだ」

「大臣をしておりましたよ、義兄上」

 

 旅をしていた頃のようにくつろいだ様子の父とローレイの姿を見ていて面白いが、仲間外れにされたようで少しだけつまらなく感じてしまう。

 

「ひどいですわ、お父様。叔父様がいらっしゃるなら、ミーティアだってお会いしたかったのに……」

 

 唇をとがらせて言えば、父は悪戯っぽく笑う。自分がこんな反応をするのは予想通りだったという事なのだろう。父はどこまでも自由な人なのだ。

 

「怒るではないぞ、愛娘よ。それに、わしが少々楽しんだところで罰はあたるまい」

 

 ふと、ミーティアの脳裏に、エイトが昼間の茶会で浮かべていた楽しそうな笑みを思い出す。

 

「……もしかして、エイトも知っていたのですか?」

 

 父の笑みが深まった。言葉にするより雄弁に語るその笑顔に、ミーティアは肩を落とす。

 

「あの若者はとても良い目をしてらっしゃいますね。さすが、姫が選んだだけあります」

 

 ローレイがそう言うと、父は自分の事のように胸を張ってみせる。

 

「うむ。世界で二番目にいい男じゃからな。無論、一番目はわしじゃ」

「お父様……」

「そういえば、その婿殿の姿が見えませんが……」

 

 辺りを窺うローレイに、父は持っていた杯を傾けて、酒を口に含んだ。

 

「あやつは、城の警護を請け負ってくれたのでな。今は城内を見まわっているに違いない」

「なるほど。ですが、これから先、このような場に顔をださないのはあちこちで反感を買うのではないですか」

 

 周りの貴族に聞こえないように声を潜めたローレイの指摘に、父は微かに呻く。

 ミーティアは、もちろん父も、彼の性格を知っている。地位も名誉も望んでいなかった事も。

 だから、彼の気持ちを汲んで、強要することはしなかった。

 だが、ローレイの言う通りなのだ。今までは良かったかもしれないが、そろそろ改めるべき時期がきているのだ。

 彼は、世界を救った英雄であり、この城の近衛隊長で、一国の姫の夫なのだ。事実は、彼を放っておいてはくれない。

 

「ふむ、お前の言う通りだのう。……エイトには、そろそろ自覚してもらうべきか」

 

 杯を揺らして、深く考え込む父をミーティアは心配そうに見る。

 父が、エイトを息子のように思っているのを知っている。きっと悪いようにはならないだろう。

 やがて、顔を上げた父の表情に、ミーティアは先ほど思ったことを少し後悔した。

 

「我ながら、名案を思いついたぞ。ローレイ、お前の力を借りたい」

 

 不穏ともいえるその笑みが、今まで周りの期待を裏切ったことはあっただろうか。

 そんな父の性格を知っているのか、叔父はひきつった笑みを浮かべてはいたが、断ることなく頷いていた。

 ミーティアは心の中でエイトに謝罪した。

 例え、娘であろうと、こうなったトロデーン国王を止められる者はいないのだ。

 

 


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