空が青い。
その青さに、君の色を思い浮かべた。
また泣いているのだろうか。
強がりだった君は、よく隠れては泣いていた。
その涙に触れる役目になったのは、いつからだったのか。
いつから、君に惹かれていたのだろうか。
***
晴れ渡る空。暖かな太陽の恩恵がトロデーンの地にひろがる。
トロデーン城の一室で平和を噛みしめながら、エイトは小さくあくびをした。
大きな窓から差し込む陽の光が体を暖めるせいで凄まじい睡魔が襲い掛かり、その度に首が前へと傾くのを懸命に持ち直すという戦いを、午後になってから、何度も繰り返していた。
「進まない……」
あくびがでてくるのを何とか押さえこみ、彼は椅子の背もたれに体を預けて、小さく嘆く。
大きな机の半分以上も占領する書類の山に目をやって、エイトは天井を仰いだ。
この間に書類が煙のように消えてしまえばいいのにと願うのだが、幻想が現実になる事はなく、頭を下げた彼の目には、書類の山は先ほどと同じように映っていた。
じっと書類を睨みつけている内に、また視界がかすみ、今度は持ち直すこともできずにふっ、と意識が飛んだ。
がん、と部屋中に大きな音が響き渡り、エイトは手に持っていた書類を床に落として、額を両手で抱え込んで呻きながら、悶絶する。
すると、正面にある大きな両扉が勢いよく開かれた。
「エイト、どうしたのですか!?」
先程の音に驚いたのか、美しい黒髪の娘が足元まで覆われたドレスの裾を持ち上げて、エイトの方に急いで駆け寄ってきた。
頭を抱え込んでいる彼の姿を見つけると、その澄んだ緑の瞳を大きく見開いた。
「大丈夫ですか!? 待っていてください! 今、お医者様を……!」
「つっ……、だ、大丈夫です! あの、頭を机にぶつけただけですから……」
慌てて身をひるがえそうとした娘の白く細い腕を掴んで、エイトは痛みをこらえながらも椅子から立ち上がって、笑みを浮かべた。
あきらかに無理をしている彼の表情を見て、娘は瞳を揺らした。
「でも、痛そうだわ」
「大丈夫です。このくらい、しばらくすれば治ります。だから、安心して下さい、ミーティアひ――」
姫、と続ける前に娘――トロデーン国王の一人娘であるミーティアの細い指が、彼の唇に触れた。
驚いて言葉のでないエイトに、頬を僅かに膨らませたミーティアは言う。
「ミーティア、です。エイト、約束を忘れてしまったの? それに、言葉も」
「……あ、えっと、ごめん。ミーティア」
途端に、嬉しそうに笑うミーティアに彼は頬を染める。
それをごまかすように、エイトは顔を逸らして、無意識の内に額に触れた瞬間、電気が走るように鋭い痛みが襲った。
「……本当に大丈夫ですか?」
まるで自分が痛みを感じているかのように眉を寄せた彼女に、エイトは頷いた。
「大丈夫だよ。この机はきっと、オリハルコンと同じ位に硬いんだ。でも、心配はいらないよ。僕の方が強いからね」
片目をつぶってみせると、ミーティアは微笑んだ。
「まあ、エイトったら」
「だから、心配しないで。それより、ミーティアがこの時間にこの部屋に来るなんて珍しいね。どうかしたの?」
エイトの冗談に笑っていたミーティアは、その言葉で思い出したように胸の前で両手を組み合わせた。
「あ、そうでした! あの、今更ですが、お仕事中にごめんなさい。実は急なんですけど、ゼシカさんが明日、こちらにいらっしゃるんです」
「え、ゼシカが?」
かつての旅の仲間の一人だったゼシカ・アルバートとミーティアは、歳も近いせいなのか意気投合し、旅が終わってからも、こまめに手紙を交わしていた。
一国の姫という立場にあるミーティアに心の許せる友人ができにくい。広大な領地をもつトロデーンだからこそ、同じ年頃の貴族の娘と接していても、どこか壁があった。
だが、ゼシカはアルバート家の令嬢で、身分という些細なことも気にしない性格だ。だから、尚更ミーティアにはゼシカというかけがえのない友人ができた事が嬉しいのだろう。
「それで、お茶会を開こうかと思って。あの、エイトのお仕事が忙しいのは知っているのですが……」
物言いたげにこちらを上目遣いで見上げるミーティアに、エイトは口元がにやけるのを隠すために手で覆った。
「エイト?」
「な、なんでもないよ」
不思議そうに首を傾げたミーティアに、慌てて首を横に振ると、胸に手をあてて軽く屈んだ。
「是非、お茶会に僕も招待して頂けますか、姫」
そう尋ねると、ミーティアは花が咲いたかのように目を輝かせて、笑った。
「はい!」
だが、すぐにミーティアは桃色に色づいた唇を小さくとがらせた。
「また、ミーティアを姫と呼びましたね?」
「えっ、あ、申し訳……ごめん」
そのやりとりに互いに顔を見合わせて、揃って吹きだして笑った。
その暖かさを改めて噛みしめて、エイトは幸せだなと思うのだった。