「今すぐ、その氷を解け!」
何が起こったのかを考えるよりも先に飛び出した言葉に、ククール自身が驚く。
だが、自身の言葉が真実を語っているのだと、何故だか強く感じた。
苦しそうに呻き声を上げ続けるヤンガスの背中に向けようとしていた細剣を下ろして、再び叫ぶ。
「早く解け! そいつは、ヤンガスだ!」
「何を言っているの? 解けば、逃げるに決まっているでしょう」
理解不能といった風情で、両手を突きだしたままのゼシカが眉をひそめる。魔力は変わらず氷に注いでいるようで、すでに氷はヤンガスの肩と腹まで覆っていた。
ククールには、目の前にいるのがヤンガスだと分かったのに、彼女は捕らえているヤンガスを男だと疑っていない。
言い分が正しいのは、自分かゼシカか。それでも、今止めないと大変な事になるという事だけは理解できた。
「いいから、氷を早く解け!」
焦燥感に駆られて声を荒げる。それがゼシカには逆効果だというのが分かりきっていたが、言葉を選ぶ余裕はない。「俺を信じろ」などという言葉も口に出せなかった。
「早くしろ!」
「だから、何を」
「ご令嬢。わしの眼にもそこにいるのは、あなたの仲間と映っている。惑わされてはいかん」
口を挟んだのは、いまだに意識を失う情報屋の側に立っている老人だ。
氷像となりつつあるヤンガスを見比べて困惑するゼシカに、老人はひとつ頷いた。
「ならば……。そら、霧を晴らしてやろう」
持っていた杖で宙をなぞる。まるで小さな風が起きたように、ささやかに魔力が動いて、ゼシカの周囲を取り巻く。
「やめろ!」
ククールが叫ぶのと、老人の背に忍び寄るようにして、男が剣を振り上げているのは同時。
「邪魔立てはしてくれるな」
男の狙いなど分かりきっていたというのに、目の前の出来事に気を取られて、存在を彼方に押しやってしまっていた。
老人が振り返り、盾のように杖を掲げた。
まばゆい光を放った杖が見えない壁を創って主を護り、剣を弾くも、重い一撃を受け流しきれなかったのか、老人の体がふらつく。
だが、男の攻撃の手は止まない。二度、三度と剣撃が重ねられていく内に、杖の輝きは瞬く間に失っていき、老人はとうとう膝を着いた。
それでも、杖を男に向かって突きだし、一歩も引かずに情報屋を庇う姿があの夜に十字架をかざし、道化師の前に立った亡き人の姿と重なる。
しかし、助けたくとも、目の前にいるゼシカと未だに囚われたヤンガスがいる為に、下手には動けない。
先程、老人が声をかけたにもかかわらず、ゼシカの魔力は止まっていないのだ。
「さあ、目的を話しなさい。でないと、全身を氷漬けにするわよ」
「ゼシカ! やめろ!」
「さあ、目的を話しなさい。でないと、全身を氷漬けにするわよ」
まるで人形のように言葉を繰り返すゼシカの目は、まるで何も見えていないかのように透明だ。
どうすればいい。
今、老人達を助ける為に動けば、ゼシカはヤンガスを完全に氷漬けにして殺すだろう。
「ク……クール……」
氷に覆われてない残りの首を懸命に動かして振り向いたヤンガスと視線が交差する。
それは一瞬。ククールは、仲間の横を抜けて、老人と情報屋の元へ駆ける。
すると、見計らったかのように獣じみたおたけびが後方で轟き、闘気が一気に高まったかと思うと吹き上がった。
次いで、風圧をともなう闘気に煽られて、小さな悲鳴が微かに聞こえた。
思わず止まりかけた脚を叱咤し、力を込めて飛び上がると、おたけびによって動きを止めた男の頭上目がけて剣を振り下ろす。
怯んだように見えた男は、甘くはなかった。
剣が迫っているにもかかわらず、ゆらりと顔を上げた男が笑みを消し、初めてこちらを真っ直ぐに見返したのだ。
「邪魔立てはしてくれるな、と言った筈」
剣先が空を切る。
そのせいで、ぐらりと態勢が崩れて、男の手前で倒れ込んだ。すぐにククールは、倒れた際に落とした細剣を探す為に顔を上げる。
剣はすぐ目の前にあった。剣を握ったまま、切り離された左腕と一緒に。
剣先が空を切ったのではない。その前に、左腕が落ちたのだ。
だが、そんな事を理解する間もない。
起こった事が全て。ククールは喉が切れそうな程に絶叫した。