ドラゴンクエストⅧ シアンの人   作:松ノ子

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第48話

 

 遭遇は突然でしかなかった。

 ドニの町を出てから、思考という名の出口のない螺旋の渦から逃げるようにククールは、歩みを止めた。

 ため息を一つ吐いて、夜空を見る。

 道の脇に生い茂る草花からは虫の鳴き声がやかましいほどに響き、身を縮まらせるような風が何度も通り過ぎる。

 歩くのに疲れたわけではない。ただ、マイエラ地方とアスカンタ地方を繋ぐ長い路にいい加減うんざりしてきたからだ。

 そのように言い訳して、忌避している問題から逃げているだけなのだと心の片隅では分かっているが、正直な心を彼は無視した。

 視線を夜空から目の前に伸びている路の先を見て、目をすがめた。旅人を泊める川沿いの教会へは辿り着いても、朝になる。それならば、移動呪文で飛んで、一晩過ごした方が建設的だ。行き先のない旅だからこそ、体力面を一番に考えなければならない。

 世界中の街道に沿うようにある教会は、夜中であろうが光が絶やされることはない。どのような者でも迎い入れ、手を差し伸べる。それは、世界を旅する者達にとってはありがたい場所だった。

 その恩恵に自身もあやかろうと、ククールは思考を切り離して、移動呪文を唱えて飛んだ。

 そして、降り立った先で三つの異変に気が付いたのだ。

 まずは降り立った場所だった。思い浮かべた古びた教会の玄関ではなく、教会側へ渡る橋の前にククールは立っていた。橋の向こうでは、教会の灯りが窓からぼんやりと見えた。

 上手く場所を浮かべられなかったのかと、皮肉交じりに声を出しかけて、次の異変に気づき、眉を寄せた。

 いつの間にか、音と気配が世界から消えている。移動呪文を使う前には聴こえていた筈の虫の鳴き声も風すらも息を潜めているのか、一切の音がない。無意識の内に、左手が腰にある相棒に触れた。

 息を一つ、吸う。汗が、額に薄く滲んだ。

 最後に、視線だった。こちらを強く見る眼差し。異様な気配の中で際立つそれはひしひしとククールの背中に当たり、下手に動く事が出来ない。

 心臓が逸りそうになるのを抑えるように、吸った息を浅く吐いた。

視線は、そんな自分をどうかする訳でもなく、固まったように動きはない。まるで考えているようにも思えた。

 一か八かで腰に触れていた手を離し、後ろへ払う。

 

『 風よ、抉れ バギ 』

 

 風の刃によって地面が抉れる。砂塵が巻き上がると、ククールの背中を視線から遮った。

 その間に、回転するように踵を返して、剣を一気に抜く。

 足を僅かに引いて構えた剣先は、視線があった方を指す。初級呪文によって巻き起こされた砂塵の視界はすぐに晴れる。

 そこには、男がいた。すでに風が収まったにもかかわらず、うねる長髪が顔を隠す。

 その容貌も表情は一切見えない。だらりと力なく下がった両手。その片手には剣が一つ。

 遥か頭上で輝く満月が光を伸ばし、その者が持つ剣を輝かせる。

 けぶるような不思議な輝きに既視感を覚えて、ククールは眉をひそめたが、すぐに相手を見た。

 

「……さっきの熱い視線は、あんたか? 生憎、俺には気色の悪い趣味はないんでね。早々にお引き取り願いたいんだが」

 

 皮肉に対して、返答はない。

 突然現れ、微動だにしない男の放つ異様さを感じながら、剣は下ろさない。

 おかしい、とククールは内心で呟く。

 目の前にいる男は確かに異様な気配を漂わせているが、それは負に染まった魔物や、かつて対面した仇でもあった道化師や暗黒神が放つ禍々しさなどが一向に感じられない。

 暗黒神の手先である生き残りが仇を取りにでも来たかと最初は思ったが、自身の勘が違うと答える。

 大分歪んではいるが、男から発されるものは禍々しさとは正反対。

 

「あんたは、何者だ」

 

 やはり、返答はない。

 だから、ククールはそのまま言葉を続けた。

 

「……あんたは、人間じゃないな」

「お前から、匂いがする――」

 

 眼前にうねる髪が大きく広がった。その隙間から、昏い眼差しが片方覗いている。

 距離を詰められたと驚く間もなく、そして一切の躊躇も感じられずにククールの腕は――、

 

「……なんでぇ。誰かと思ったら、ラバでねえでげすか!」

 

 意識を昨夜へと飛ばしていたククールを我に返らせたのは、すぐ横から聞こえた間の抜けた声だった。

 持っていた武器である斧を軽々と肩に担いで、相好を崩したヤンガスが前に出ると、目の前にいる男の放つ異様さに気付いていないのか、気軽に近寄る。

 止める間もなく近寄ったヤンガスはこちらを振り返ると、にっかりと歯を見せて、親指で後ろの男を指差した。

 

「安心してくだせえ。こいつはラバっていいやして、あっしの飲み友達でげす」

 

 ククールは目を大きく見開き、地面を蹴った。

 安心させるように言葉を続けるヤンガスの後ろで、歪んだ笑みがますます広がるのと、男の持っていた剣が鈍い光を放ちながら動くのが見えたからだ。

 横薙ぎの一閃がヤンガスの首を裂き、胴体から切り離す。

 そう思われたが、その前に彼は、地面に突然出現した氷に足を滑らせて、顔面から地面へと盛大に転び、同時に男へ向かって氷の刃が二つ、真っ直ぐに飛んだ。男は一つを剣で弾き、もう一つは身を反らして避けると、こちらへと走り出す。

 ククールは向かい合うように大きく踏み込んで、腹を狙う。それは剣で易々と塞がれ、舌打ちをして、青白い火花を散らしながら、相手と二度切り結ぶ。

 一つ、一つの攻撃が重い。手首で押すように互いの剣で押し合いながら、唇を噛みしめる。

 ここで、昨晩には拝めることのできなかった顔を見ることが出来た。その顔に瓜二つの顔を思い出して、ククールの目が細まる。

 

「お前は誰だ。答えろ」

 

 男の唇は吊り上げて、こちらを真っ直ぐに見ている。

 否、男は最初からククールを見ていない。彼を通り抜けて、ぽっかりと空いた眼窩の片目を晒したまま、ただ一人だけを見ている。

 それに気付いたと同時に、背後から魔力がうごめくのを感じた。ククールは力を込めて、相手の剣を振り払うと、姿勢を低くして、横へ飛んだ。

 瞬間、耳を塞ぎたくなるような甲高い音と共に男の両手と両足が氷に覆われる。

 

「捕まえたわよ!」

 

 荒い息を吐いて、両手を突きだしたままのゼシカが叫ぶ。

 

「さあ、目的を話しなさい。でないと、全身を氷漬けにするわよ」

 

 これが脅しではないというように彼女は氷への魔力を途切らせることはない。徐々に氷が腕や脚へと、覆い始めている。

 ククールもまた、その背に油断なく剣を突きつけようとして、目を疑った。

 男の後ろ姿が奇妙に歪んで見えて、違う姿と重なったように思えた。

 重さに耐えかねたのか、その手から得物が重い音を立てて、地面へと落ちた。剣とは違う広く大きな刃。両断する事に長けた大きな斧。

 それを認識した次の瞬間、男の姿は、見慣れた者の姿と成り替わる。

 なめおろしたままのような毛皮の服を着て、凍りついた両手両足に痛みを訴えるように呻く声は聞き慣れた声。

 

「ヤンガス!?」

 

 ゼシカの氷に囚われたのは、男ではなく、仲間だった。


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