風が吹いて、四つの影を森へと落とす。
まるで術者の心を映すように、やや乱暴な風によって千切れた周囲の枯れ草が何本か恨めしげに宙に舞った。
降り立ったククールは風で乱れた前髪を払うと、目の前の二人に言った。
「知っていると思うが、近付けるのはここまでだ」
不思議な泉のあるサザンビークの奥地。泉のせいか、それとも周囲に何か不思議な力が働いているのか、ルーラで直接、泉へは飛ぶことは出来ない。
その為、少し離れた場所に降り立つしかない。
正体をなくしたままの情報屋を背負いなおしたヤンガスが頷く。
「分かっているでげす。とにかく、泉へ行きやしょう! ……旦那! もう少しの辛抱でげすからね!」
ククールとゼシカが頷く前に彼はすぐに走っていく。
それほどまでに情報屋という人物はヤンガスにとって恩人でもあるようだ。
ため息を一つ吐いて、ククールもまた走り出す。
うっそうと生える木々に遮られて、太陽の光があまりここまで届かない。時折、吹きつけてくる冷風はまだ秋の最中のパルミド地方と違い、はっきりと冬の気配を纏っている。
落ち葉に埋め尽くされた獣道を駆け抜けながら、僅かに後ろを見た。
少し遅れながらも、二つに結った髪をなびかせながら走るゼシカの表情はひどく険しい。
来るな、と言ったのは自分だ。それで彼女が怒っているのだと容易に分かる。
傷つけてばかりだと皮肉な笑みが浮かぶ。
旅の時と同じように気安く、信頼し合う仲間のままでいられたら、どんなに良かっただろうか。
あの時、彼女を深く傷つけたのは、その【仲間】という言葉だ。
もう一度、彼女の方を振り向く。その俯きかけた白い顔を見て、ふと疑問が持ち上がってきた。
ゼシカの顔が険しいのは、自分だけのせいなのか。
時折僅かに歪む眉や、空気を取り入れるように開かれる唇。そして、これだけ嫌いな相手が振り返っているにもかかわらず、視線にも全く気づかない。
その答えを拾う前に歓喜に満ちた大声のおかげで、我に返った。
「旦那! ここでげす! どんな呪いも――馬姫様は少しでげしたが――、たちまち消える泉でげす!」
追いつくと、ヤンガスはすでに泉の側で膝をついて、慎重に情報屋を背中から下ろしていた。
そのまま、両手を澄んだ泉に差し入れようとして、自身の手が情報屋の血で濡れているのに気付いたようだった。
彼は躊躇うようにこちらを振り返って、そして目を丸くさせた。
どうしたと問い掛ける間もなく、杖をつく音と共に静かな声が後ろから聞こえた。
「そこにいるのは、以前、姫君と共に訪れていた一行ではないか?」
真っ白な髭に覆われた口元を動かして、小さな老人が杖と土瓶を両手に持ちながら、見上げてくる。
その目はまぶたで固く閉じられ、その色を見ることはできない。
だが、真っ直ぐにこちらを視る視線でこの老人が目で世界を見ているのではないと感じられた。
その証拠に、老人は「その声は」と問い掛けずに、はっきりと「そこにいるのは」と問い掛けてきた。
二年前と変わらず、泉と同じように不思議な気配を纏わせた老人の顔が、横たわる情報屋の方へと向いた。
「そちらの、御仁は一体何者だ?」
「この旦那は呪われているんでげす! 早くしねえと、死んじまう!」
切羽詰まったヤンガスの声音に老人の白い眉が片方上がる。
「呪われているとはまた……。話は後で聞こう。これで泉の水を飲ませてやるといい」
渡された筒のような細長い土瓶を受け取ったヤンガスはすぐに水を汲むと、情報屋を起こして、口元にそれをあてがった。
意識のないせいか、口の端から水が溢れていく。これでは、全く意味がない。
「旦那、旦那! 起きて下せえ! ……ククール! 呪文で目を覚ませてやれねえでげすか!」
「無理にきまっているだろう。魔法で眠らされたものじゃないんだ」
考え込むようにゼシカが口元に指を当てて、「魔法……」と呟くと思いついたように顔を上げる。
「……待って。呪いというなら、そこには魔力が働いているんじゃないかしら? 意識がないのも、結局は呪いが原因なら……」
「なるほど! ククール!」
両側から言われては、やらない訳にもいかない。
ククールが片手を上げた瞬間、老人が止めるように杖で腕を押さえてくる。
苛立ったようにヤンガスが拳を握る。
「じいさん! なんのつもりでげすか!」
「待ちなさい。…………どうも、お前さん達は厄介な者を引き寄せたようだ。ただしくは、そこの御仁が、か」
まるで返事をするかのように情報屋が苦しげに呻いて、何かから逃げるかのように四肢を動かす。
――見つけた。
声が響く。
枝だけになった木々がその声を怖れるように、大きく身を震わせた。
鳥達が逃げるように羽ばたく音が聞こえる。
――ようやく、見つけたぞ。
喜びに満ちた低い声を合図に彼らの周囲から、今まで聞こえていた木々や鳥達の音がふつりと消えた。
「これは……、まさか」
ククールは目を見開くと、舌打ちをする。
昨晩の記憶が嫌でも浮かんだ。在るはずの左腕が急に消えたような感覚に陥る。
間違いない。あの時と同じ状況だ。
また遭遇すると誰が思うか。
同時に、やはり夢ではなかったのだと確信を持つことできた。
「……嬉しすぎて、涙がでそうだ……」
苦々しく思いながらも、腰の細剣を抜いて構えると、それを見たゼシカとヤンガスも同じように武器を構える。
警戒する彼らの視線の先に、いつの間にか一人の男が道を塞ぐように立っていた。
その手には、美しい輝きを放つオリハルコンで造られた剣が握られている。
「さあ、教えろ」
青い髪を生き物のようにうねらせて、男は唇を大きく吊り上げて、嗤った。