ドラゴンクエストⅧ シアンの人   作:松ノ子

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第46話

 

 零れていく鮮やかな赤が薄光に照らされて、薄暗い部屋でもよく映えた。

 ククールは呆然とそれを目で追う。いまだに情報屋の口元から溢れ続ける大量の血が妙に現実離れしていた。

 凍りついた空気を叩き割ったのは、絹を裂くような悲鳴だった。

 ゼシカが椅子から立ち上がって、後ろに下がるようによろめく。

 その叫びにククールは我に返り、駆け寄る。

 

「そこをどけ! ヤンガス!」

 

 いまだに動けないヤンガスの肩を押しのけて、苦しそうに口元を押さえて、体を曲げる情報屋に向かって手のひらを突きだした。

 

『傷つき倒れた者よ 今、それを癒そう 聖なる精霊よ 我に応えよ べホイミ』

 

 咄嗟に唱えた呪文は中級の回復呪文。

 ククールの唱えた癒しの波動が大きく広がって、情報屋の体を包み込んで輝く。

 正直、この呪文が最古の呪いとやらに効くのか、分からない。

 そもそも表面上のみの傷を癒すだけの呪文。体から出ていった血が戻るわけでもない。

 予想通り、情報屋の浮かべる苦悶の表情は変わらず、血も止まらない。体の中にある血を全部吐き出して、血の海を作るかのような勢いに胸が冷えていく。

 すると、血が喉に絡むせいで、上手く呼吸できない情報屋の血走った目が大きく見開かれる。そのまま、血に汚れた両手を宙へと伸ばして、大きく痙攣すると前のめりに倒れた。

 

「おい!」

 

 慌てて起こすが、返事はない。微かに聞こえていた血が絡んだような呼吸の音も聞こえない。

 まずい、とククールは即座に新たな呪文を唱える。

 

『流るる生命よ 途絶えた生命よ まだ消える時ではない 大いなる息吹と共に息を吹き返せ ザオリク』

 

 天に昇る魂を引きとめるように、寝台の周りを暖かく力強い光が包む。大きく輝き弾けて、情報屋が止めていた息を吐き出すように大きく震えた。

 意識はないが、弱々しいながらも呼吸音が聞こえるのを確認する。

 誰かの命を繋ぎとめるのは、二年ぶりだ。それ以降、使う事もなかった呪文だったが、上手く作用したようだ。

 額に浮かんだ汗を腕で拭って、ククールが息を吐く。

 

「ククール、旦那は!」

「大丈夫だ……とは言えない」

 

 嘘は言いたくない。聖職者とは言わなくても、死と祈りの場所で生きてきたククールには分かる。

 息を吹き返したとはいえ、気を失った血の気のない顔には、死が近い者特有の死相があった。

 

「そんな……」

 

 ヤンガスが唇を噛んで、すぐに顔を引き締める。身に着けている上着などが血で汚れるのも構わずに、彼は情報屋の体を背負った。

 

「今すぐ、行きやしょう! 旦那を助けねえと!」

 

 こんな死にかけの状態の男が泉の水を飲んだところで、とククールは言いかけるが、有無を言わせない黒い瞳が言葉を押し込めさせた。

 すると、それまで後ろに下がっていたゼシカが声を上げる。

 

「私も行くわ!」

 

 大量の血を間近で見たせいなのか、胸元に置かれた手が僅かに震えているのをククールは横目で見た。

 

「お前は来るな」

 

 ゼシカが眦を吊り上げたのが分かったが、すぐに背中を向ける。だが、彼女は肩を怒らせてまわりこんでくると、ククールの前に立った。

 

「足手まといって言いたいわけ!?」

「分かっているなら、話は早い。そもそも何の為に来るんだ? 俺らだけで充分だ」

「ふざけないで! そんなの決まって」

「いい加減にしろ、てめえら! こんな状況で喧嘩をおっ始める余裕がどこにあるってんだ! 俺は一人で行く! あんたらは勝手に、そこらの犬っころみてえに吠え合ってやがれ!」

 

 部屋の壁を砕かんばかりに怒鳴るヤンガスの形相に気圧されて、二人の口は閉じる。

 扉を開き、大きな足音を立てながら、外につながる階段へと走り始めたヤンガスの背をククールはすぐに追った。

 階段を一段ずつ上がる度に、背負われた情報屋の腕が振動に合わせて揺れて、その指先から先程の血が滴り落ちていく。まるで残り少ない命まで零れているように感じた。

 外に出た途端、影に慣れていた目には太陽の光は痛い位に眩しく、思わず顔を背ける。

 すると、同じように追いかけてきたゼシカと目が合った。

 絡まったのは一瞬。すぐにククールは彼女から視線を外す。

 片手で情報屋の体を支えながら、腰の布袋からキメラの翼を取り出そうとするヤンガスに声を掛けて、ククールは移動呪文の詠唱を唱える。

 魔力が渦を巻くのを感じながら、転移する場所である美しくも不思議な水面を揺らめかせる泉を思い浮かべた。

 転移する対象は四人。

 ゼシカを外すことをしなかったのは、結局、勝手についてくると分かっているからだ。それだけの事。

 それ以外にはない。ククールはそう思う事にした。

 

『飛べ ルーラ』

 


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