第43話
終わりを夢見る
***
――ああ、嫌だ。
意識が夢底から、現実へと容赦なく引き上げられるのを感じる。
疲れきった心も体も鉛のように重い筈なのに、眠れば目が覚めるのを毎日繰り返す。
自分はどこに行けばいいのかも、どうすればいいのかも暗闇の中で途方に暮れているというのに。
だというのに。
『……いつか――…』
浮かび上がっていく意識を加速させるのはいつもの、あの台詞だ。
『いつか助けたことを後悔するぞ』
最初に映ったのは薄汚れた天井で、体は粗末な寝台の上だった。
しばらくの間、染みの浮いた天井を眺めた後に、視線を右にずらす。
頑丈そうな鉄格子がはまった窓からは日差しが差し込み、光を受けた埃がちらちらと舞っている。
外からは罵声や大声が絶えず聞こえ、どこからか生臭い臭気が漂ってくる。昔の自分であれば即座に顔をしかめるであろうが、最近の自分には嗅ぎ慣れた臭いだ。
ため息を一つ吐いて、左腕を気だるげに持ち上げた。皮の手袋に覆われていない腕は当たり前のように動き、当たり前のように在った。
その当たり前の事実が不気味に映り、それと同時に苛立ちが募った。
「ああ、くそ。なんだってんだよ……」
「寝起きでそれ? もう少し、まともな言葉はないわけ?」
独り言である悪態に思わぬ返事が返ってきて、ククールはまだ少し呆けていた頭を浮かせて、声の主を探った。
すると、鉄格子の窓の光が届かない壁際の椅子に座る人物と目が合う。
椅子から立ち上がり、ゆっくりと光の方へと歩んできたその華奢な姿は、自分の記憶よりずっと大人びて、美しくなったと思う。
それでも、最後に会った時と変わらないのは、自分へ向ける冷ややかな赤銅色の眼差しだ。いや、ある意味変わってしまったというべきなのだろうか。彼女も、そして自分も。
「……久しぶり、だな。ゼシカ」
「ええ、そうね」
眼差しと同じ位に冷ややかな声音を聞きながら、横になっていた粗末な寝台から半身を起こした。
「ゼシカが、俺をここまで運んでくれたのか?」
寝台に近づいた彼女の顔を見て、改めて綺麗になったなと思いながら、言葉を投げかける。
「ええ、そうよ」
「そうか、悪かったな」
短い返答から漂うよそよそしさに気付かない振りをして、微笑みかけた。
きっとこの薄っぺらい笑みからも、同じようによそよそしさが滲み出ている事だろう。その証拠に、ゼシカの表情が硬くなっていくのが分かる。
その顔から視線を外して、もう一度左腕を持ち上げて拳を握る。全身を一通り見て、傷がない事を確かめた。
昨夜あった出来事の痕跡がまったくない事が恐ろしく、あれは幻だったのかと己を疑う。
否と告げるのは、内にある自分の声。あれは、幻であり幻ではない。確かにあった事だ。
あちこちを確認した後にむっつりと黙り込んだ自分をゼシカが怪訝そうに眉を寄せながら、首を傾げる。
「何があったの? 昨日の夜、気を失ったあんたがパルミドのど真ん中に落ちて来たのよ」
やはり、ここは薄汚いパルミドで、鉄格子のはまったこの宿はパルミド唯一の『牢獄亭』なのだと確信した。
何があったのか。昨晩の事をなんと説明すればいいのか、正直自分でも分からない。
虫の声さえも途絶えた夜の路。突如現れた者が持っていたこの世に二つもある筈のない見覚えのある剣。一方的に襲い掛かられ、圧倒的に斬り伏せられ、そして宙を舞った利き腕。
衝撃も焼けつくような痛みも、驚きもすべて感じた筈なのに、つむじ風が一瞬で通り過ぎるようにすべて掻き消えた。
「……言いたくないなら、言わなくていいわ」
ため息を一つ吐いて身をひるがえそうとしたゼシカの腕を思わず掴む。
驚いた顔と、あの時の傷ついた表情と重なり、すぐに自分から手を離した。
「悪い……」
「…………」
そんなに強く握ったつもりはなかったが、掴まれた部分をさするゼシカとの間に重苦しいものが漂う。
「ゼシカ、ククールは起きやしたか!?」
そんな空気をいい具合に壊してくれたのは、大きな足音を立てながら顔を出した強面の男だった。相変わらず、頭にはおかしなとげのある帽子をのせている。
自分の顔を認めると、彼はにっかりと歯を剥きだして笑う。
「おっ、目が覚めたみてえでがすな!」
「やっぱり、お前の顔は目覚め時に見るもんじゃねえな」
「んなっ!?」
憎まれ口を叩くと、ヤンガスは目を吊り上げて大口を開けて怒鳴り返そうとする。それを遮ったのはゼシカの静かな声だ。
「何かあったの?」
「そうでした。聞いて下せえ! 旦那が、情報屋の旦那が目を覚ましたんでげす! それであっしらと話をしたいって言うんで、あんたらを呼びに来たんでげす」
「……どうして、私達を?」
「それがどうも分からねえんでげすよ。理由を聞いても、あっしらが揃ってからとしか言わなくて」
「おい、情報屋がどうしたって?」
ゼシカとヤンガスの会話に何とか割り込むと、二人はそれぞれ苦々しい表情を浮かべた。
悩むようにヤンガスが鼻の頭をかいて、すぐに「とにかく」と手を叩いた。
「説明するにも時間が惜しいでげすし、悩んでも分からねえでげすから、とにかく旦那の所に行きやしょう」
「分かったわ」
「ククールもでげす」
「拒否権はなさそうだな……」
両手を上げて肩を竦めたククールは、寝台の脇に立てかけてあった己の剣を手に取った。
嫌な予感は既にあった。