ドラゴンクエストⅧ シアンの人   作:松ノ子

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第40話

 

同じ顔をした二人の娘が二つに分かれた道の前で立っていた。

片方が血に濡れた道を指差し、もう片方は茨が伸びた道を指差す。

 

私は、こちらに根付こう

私は、あちらで国を作ろう

 

手を伸ばし合い、額を互いに合わせて、同じ声で厳かに告げ合った。

 

我らの主を守れなかった罪を

我らの主を護れなかった罰を

 

二人は思いを溢れさせるように涙を流す。

 

この地で語り継ごう

かの地で受け続けよう

 

――どんなに身を引き裂かれても

 

 

***

 

 やわらかな月光にくるまれて、ゆらゆらと狭間をたゆたう。

 まるで揺りかごの中にいる赤子のように安心感を抱いたと同時にエイトは眩さで閉じていた目を開く。

 すでに辺りの眩い光は薄れ、代わりにけぶるような世界が広がっていた。

 地底湖を思わせるようなそこは、水の冷気と月の霊気が満ちたそこは月の満ち欠けを表した十二の台座が水の中から突きだし、その先には、かつて二度、足を踏み入れた美しい宮がある。

 遥か上には一つしかない筈の月が幾つもあり、満ち欠けを何度も繰り返しながら浮かび上がっているお陰で辺りは明るい。

 何度訪れても、この景色の美しさに慣れる事はないだろう。

 

「きれい……」

 

 後ろから感嘆の声が聞こえて、弾かれたように振り返った。

 凝視するエイトに気付く事もなく、夢のような幻想的な世界に頬を赤く染めたキラが目を潤ませて、口元を手で押さえる。

 扉を開く前まで別人のようだった少女の纏う気配は柔らかく、神秘的な景色に目を奪われて言葉を無くした彼女は年相応の振る舞いをしていた。

 丘の中腹で彼女の身に起こった異変や、頂上で変貌した姿など微塵も感じさせられない。

 頂上へと向かうまでにも、何を見たのだと問い掛ける事は出来た筈だったが、あの男との遭遇で余裕があまりなかったという事と、更に不安を与える事は避けたかったのだ。

 緊張のすっかり抜けたキラに、今、問い掛けるべきなのかと悩む。

 だが、この無邪気な振る舞いを見ていると彼女自身、何があったのか覚えていない可能性が高く思えた。

 それでも、エイトの耳からは彼女が漏らした言葉が貼りついたまま消える事がない。

 

『一面の、赤が……。夕焼けに……染まって、さらに濃く……』

『夕焼けに染まった丘……』

 

 この近辺で聞こえるという不思議な音色。それも決まって夕暮れ時。さらに老若男女関係なく聴く人々がいるのだと、ゼシカから聞いた話を思い出す。

 間違いなく、キラの言葉と現象は深く繋がっているに違いないのだ。

 思い悩むエイトに気が付いたのか、キラがこちらを見る。

 しかし、その視線はエイトを通り抜けて、彼女は音を聞くように耳の横に手を当てた。

 目線で問おうとした瞬間、ハープの調べが宮の方から響いてくる。

 それは、誰も知らない忘れられた大昔の曲のようだった。

 引き伸ばされるように静かに始まったそれは、やがて小雨のようにささやかに静まり、ゆるやかに大きく伸び上がって、しなやかな柳のように旋律はたわんでいき、水のせせらぎのような心地よさを生み出した。

 美しい旋律は、エイトの胸に潜り込むように次々と染みわたっていく。

 宝玉をつなぐ糸のように紡がれる音色に惹かれるように、足を一歩、隣に並んだキラと共に進めた。

 

「お前は本当に稀有な存在だな、エイトよ」

 

 中に入った途端にハープの旋律はぷつりと途絶え、二人を待ち構えていたかのような声は会った時と同じように凪いでいた。

 中央にある高台から見下ろされる瞳は声と同じように平坦で、そこに込められた感情というものをエイトには読み取ることが出来なかった。

 

「こちらへ」

 

 しなやかな手がゆらりと動いて、高台へと手招きをした。

 キラの方を見ると、再度、小さな顔に緊張を孕みながらも頷いてくる。

 螺旋階段を昇ると、ハープの音色と同じ位、美しい存在が楽器を抱えて、立っていた。

 瓜ふたつ。

 ますますこうして見ると、一切の穢れや汚れもない端正な顔の精霊と、あの男は合わせ鏡のように同じ顔だった。

 違う所は両目がある事と、歪みきった憎しみや怒りが感じられない事位。

 

「久しいな、昼の光の下で生きる事を選んだ合いの子よ」

 

 息が止まりそうになった。

 イシュマウリがエイトの出生を当然のように知っているとは誰が思うだろうか。

 そういえば、あの夜のアスカンタ城内で、この精霊は自分に向かって、何かを言いかけて止めたのを思い出す。

 あれは、エイトの生まれを既に知っていたからなのかもしれない。

 

「お前が二度も月影の窓を開けたのは、人と竜の本性をその身に併せ持つからだと思っていたが、まさか三度も開くとは」

「いえ、あの……」

 

 少しだけ感心したような感情を瞳に宿した精霊に、エイトは返答に困って頭に手を乗せた。

 イシュマウリの視線はエイトから移り、エイトに隠れるようにして後ろにいるキラの方に転じる。

 

「そちらの小さなお客人は丘の側に根を下ろした一族の末裔だな」

「キ、キラといいます……。月精霊様……」

 

 キラは緊張で肩をすくめながらも、精霊の前に進み出て、少し腰を沈めて礼をした。

 まるで彼女の中を視るようにイシュマウリの眼が細まり、やがて頷いた。

 

「……なるほど。月影の窓が開かれた事も納得できよう。古き世界に取り残された筈の時空呪文を扱える娘まで現れるとは、何かの導きか」

 

 無意識なのか、彼の手が抱えていた月影のハープの絃を弾いて、音が漏れる。

 エイトが口を開こうとすると、押し留めるように精霊は片手を上げた。

 前から感じてはいたが、やはり精霊はあまり言葉を交わすのが好きではないようだ。

 

「……その顔を見れば、お前の口から聞かずとも、そして物達に尋ねなくても分かる」

 

 ここで初めて、イシュマウリの彫刻のように美しい顔が苦痛を堪えるかのように歪んだ。

 

「我が同胞であり、唯一の対であった我が弟――レドルガに会ったのだろう?」

 

 分かっていた、と呟く声も今までの平坦なものから一変して、苦悩を押さえこむかのように重い。

 悲しみの宿った顔は、今まで造りものめいたものではなく、そして、人より遥かな時を長生きしている筈なのに、とても脆く思えた。

 同時にそれは、彼の抱えるものが透けて見えるようだ。

 

「……おとう、と? あの男は僕らを襲い、貴方を裏切り者と呼びました。それはどういう事ですか?」

「私は、置いてきたのだ。このハープのように古き世界に弟を、巫女を、……全てを捨てたのだ。そして、あれは長き時が流れた今もそれを恨み続けている」

「イシュマウリ。僕らの世界でまた異変が起きようとしています。貴方は何を知っているんですか? 赤いベルの魔物や黒い魔物。それ以上に知っている事をどうか教えて下さい。これは、とても大切な事なんです」

 

 押し寄せてくる苦しみを断つように精霊が目を閉じて、その手がぎこちなく絃に触れる。

 だが、すぐに指が滑るように動きだし、一つの旋律を奏で始めた。

 

「ならば、今宵は私の忌まわしき記憶を物語として奏でよう」

 

 海底の奥底で眠っていた記憶を揺り起こすかのように音色が徐々に大きくなり、閉じていた金の両目がエイトを射抜くようにまっすぐに見据える。

 一つ、一つ、旋律を奏でる度に月影のハープから光の玉が浮かび始めて、その玉達の中には沢山の人々や美しい神殿、イシュマウリとあの男の姿があった。

 そして、また一つ、玉が浮かぶ。

 それは、ふわりと舞うようにイシュマウリの周りを回って宙へと飛んだ。

 その光の中には、挑むように強い眼差しを持った一人の少女がいた。

 

「我が弟と、かつてあった美しき神殿にいた最後の巫女の話を。そして、私の奏でる両手が無意味となった話を……――」

 


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