気づかない内にこわばっていた筋肉をほぐすように、ククールは歩きながら、背筋をぐっと伸ばして肩を上下させる。首をぐるりと回して、小さく息を吐いた。
やはり、相手が好意的に迎えてくれても、王族という人間と接するのは疲れるものだ。トロデーンの王族――特に王――には、ずっと共に旅をしていたせいもあるのか、別の意味での疲れはあっても、そんな疲れは微塵も感じた事がなかったのだが。これは、やはり威厳や品格の違いなのだろうか。
そんな事を考えながら、彼は視線を隣に移した。
「おい、ヤンガス」
だが、隣にいるおかしな帽子を被った強面の男から、返事が返ってくることはない。
すっかり生気の抜けた表情を浮かべ、身体を前に投げ出し、よたよたと歩くヤンガスに、彼は内心、このまま放置してしまおうかと、少しばかり思う。
「いい加減、その間抜け面をどうにかしろよ」
「……うるさいでげす……」
覇気のない声でヤンガスはそれだけいうと、ぎりぎりと歯を噛みしめた。
「……お前なー、手紙を届けた位でご馳走にありつけると思ったのか」
「だ、だ、だまらっしゃい! ……って、いや、あっしはそんな、そんなあ!」
そのまま、静かに滂沱の涙を流すヤンガスに、呆れたようにククールはため息を吐いた。
顔の知られているククール達は、あまり待たされることなく、玉座の間へ通された。
「ようこそ、我が国へおいで下さりました! あなた方の世界を救う尊き旅に、我がアスカンタ国が少しでもお力になれた事、それは誇りとして永遠に語り継がれることでしょう。そして、あなた方の御名はこの世界にとって、永久に平和を保つ光となるのです。世界に真の平和を導いた類まれなる勇者として……」
「お褒めに頂き、光栄です。アスカンタ国王」
「光栄でげす」
息もつかずに、賛辞の言葉を並べ立てたアスカンタ国王のパヴァンに、ククール達は内心拍手を送り、王の前でゆっくりと礼をした。
満面の笑みを浮かべて玉座に座る王は、あの頃に比べ、どうやら少しばかり太ったように見えた。頬のこけていた顔は、今は自信に満ち溢れ、瞳は強く真っ直ぐで、王という風格が強く備わっている。
「わたしも、あなた方に会えて、本当に嬉しい。ところで、ご多忙の身であるお二方が何故、我が国に? ……もしや、また世界に危機が」
さっと顔を曇らせて、膝の上で両手を組んだ王に、ヤンガスが慌てて両手を振った。
「違いやすよ。あっしは、ただの使いでげす。王様に渡してほしいと手紙を預かったんでげす」
「わたしにですか……?」
「そうでげす」
一歩、前に出たヤンガスはうやうやしく片膝を着くと、もったいぶった仕草で懐に入れていた青い封筒に入った手紙を取り出し、王の方へと差し出した。
すると、王は大きく眼を見開き、玉座から立ち上がった。
それまでの穏やかな表情を失い、王はヤンガスとその手にある手紙を食い入るように見つめた。顔から血の気を失くし、同じように色のない唇をわななかせて、ヤンガスに尋ねた。
「その、手紙を、わたしに……?」
それには傍に控えていた兵士達も驚いたようで、躊躇いがちに王を呼ぶ。
だが、そんなざわめきも聞こえないかのようで、パヴァン王はヤンガスの返答を待っているようだった。
「そ、そうでげす」
あまりにも、必死な表情に気圧されるかのように、ヤンガスはぎこちなく頷いた。
その言葉に、背中を押されたかのように王は、緩い階段を下り、ヤンガスの前に立つと、震えながら、片手を差し出した。
「……その手紙を受け取っても、よろしいですか」
王の手に、ヤンガスはおそるおそる手紙を乗せた。
受け取った手紙をゆっくり、握りしめると、王はマントをひるがえして、玉座に戻る。
「ありがとうございます、お二方」
座った時には、王は晴れた笑みを浮かべ、最初に迎えてくれたかのように落ち着いていた。
ククールは、表情こそは変えなかったが、路地裏でヤンガスから言われた噂を思い出す。
真偽はどうであれ、どうやら噂は真実を含んでいるように、彼は思えた。
「いやあ、あっしは頼まれたことを果たしただけでー」
先程の異様ともいえる王の姿を、一瞬で彼方に追いやったように見えるヤンガスは、両手を揉みしだいた。
「あなた方には感謝してばかりです。何か、お礼をしたいと思うのですが」
ヤンガスが瞳を無邪気な子供のように輝かせた。ククールはさりげなく、ヤンガスの隣に並ぶ。
だが、王は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ですが、申し訳ありません。これから、所用がありまして……」
「えっ、そ……」
「御国で開かれる市の準備ですか?」
ヤンガスが何かを喋りだす前に、ククールは王に尋ねた。
「ご存知でしたか。二週間後には開催されるので、今はその準備に追われておりまして」
力強く頷いた王に、そうですか、とククールは涼しげな笑みを浮かべて、胸に手を当てると優雅に腰を曲げる。
王宮でも、中々見ることはできない完璧な所作に周りの兵士が感嘆した。
「それでは、王。御前を失礼いたします」
「ええ。また我が国にお立ち寄りください」
「ぜひ、そうさせて頂きます。それでは、失礼を。……おい、行くぞ。ヤンガス」
顔をあげて、微笑んだククールは呆然としたヤンガスの首根っこを掴んで、玉座の間から退出したのだった。
うっ、うっ、としゃくりあげるヤンガスの顔を見ながら、先程の事を一通り、思い出したククールは呆れたように前髪を払った。
「いい加減にその顔をやめろ」
「うるさいでげす!」
「おい、騒ぐなよ。目立つだ……、もう遅いか」
八つ当たりのように怒鳴るヤンガスのせいで、通り過ぎていく通行人がちらちらとこちらを見ているのに気付いたのだ。
涙を滝のように流す強面の不気味男と、貴族のように麗しい青年の異様な組み合わせは、かなり目立ってしまうようだ。
このままでは、この国を出ても、視線の追跡に追われそうだと、ククールは涼しげな表情のまま、げんなりとした。
ふと、脇道に目をやると酒場の錆びついた看板が屋根の下にぶら下がっているのをみつけた。
すると、扉から酒場の亭主であろう禿げた頭の男が計ったように、顔を出した。
酒を呑むには、早すぎる時間ではあるが、この平和な時代だ。酒場は昼夜開くようになっている。
「おい、ヤンガス。一杯、おごってやるから、あっちの酒場にいこうぜ」
途端にヤンガスが顔を上げて、子供のように澄みきった瞳できらきらとこちらを見た。
「本当でげすか!? いっぱいでげすか!?」
「誰が、たらふく呑ませてやると言った。……その気色悪い目をすぐにやめろ」
やさぐれたようにヤンガスは舌打ちする。
「あんた、けちな男でげすなあ」
「おごられる側にしては、顔がでかいな……、お前」
意気揚々と酒場の方へと向かい始めたヤンガスの背を眺めて、ククールは早くも後悔し始めた。