昔、人々に悪さばかりをする神官がいました。
そんな神官に怒った神様は、神官を神殿から追い出しました。
神様は、神官に美しい音色を奏でる小さなベルを渡し、こう言いました。
「お前が永遠にこの神殿に戻ることはない。悪さをした数だけ、そのベルを鳴らして大地を彷徨い歩くのだ。それが、お前への罰だ」
神官は言われた通りに大地を歩き、ベルを鳴らしました。
すると、急に空が暗くなり、何もかも吹き飛ばす大嵐になりました。
「木の下で雨宿りをしよう」
けれども、木々は嵐によって吹き飛ばされてしまい、雨宿りが出来ずにずぶぬれになりました。
神官は言われた通りに大地を歩き、ベルを鳴らしました。
とてもお腹が空いてきました。けれども、木々は吹き飛ばされ、木の実もありません。
すると、おいしそうな果物を沢山抱えた親子が通りかかりました。
「食べ物がほしい。どうか恵んでくれないか」
その親子は神官のせいで家族を亡くしていました。
親子は果物の代わりに石を投げ、神官はそこから逃げ出しました。
神官は言われた通りに大地を歩き、ベルを鳴らしました。
空腹のままに歩き続けた体は痩せ細り、疲れ果ててしまいました。
すると、小さな村がすぐ目の前に見えました。
「あそこの村で休ませてもらおう」
その村は神官のせいで大切な人を沢山亡くしていました。
斧や鍬を持った村人たちに追いかけられ、神官はそこから逃げ出しました。
神官は言われた通りに大地を歩き、ベルを鳴らしました。
すると、二つの目から涙がこぼれました。
「私がした事は、なんと罪深いことだったのだろう」
神官はようやく自分がした事の重さを思い知ったのです。
泣きながら大地を歩き、いつまでもいつまでもベルを鳴らし続けました。
ベルはやがて、神官の涙で錆びついて赤くなり、あれほど美しかった音色はひどく歪みました。
それでも、神官は赤いベルを鳴らし続け、永久に大地を彷徨う事となったのです。
***
「赤いベル、黒い魔物。私が小さい頃に祖母から聞いたおとぎ話にでてきました」
薄暗い部屋ではキラがどんな表情で語っているのか、エイトには分からなかった。
ただ、透き通るような優しい声音はいつもよりずっと堅い。
キラの言葉はまるで霧を掴もうとするかのように捉えようのない不安を感じたが、それでも魔物達の手掛かりを得られる事は大きな進歩だ。
だが、喜びで大きく膨らんだ胸はキラが次に発した言葉ですぐにしぼむ事となる。
「……でも、ごめんなさい。あの時の私は本当に小さくて、あまり覚えていないんです。ただ、とても怖かったということは覚えていて……」
「じゃあ、前みたいにキラのおばあさんに聞けば……」
エイトの何気ない言葉に隣にいたパヴァンが小さく息を呑み、キラは俯いてしまった。
「……それは出来ません。祖母は……、去年の冬に亡くなったんです」
絞り出された声は涙がこぼれるのを懸命に押さえこんだかのように震えていて、彼女の華奢な体がますます小さく見える。
「祖母だったら、もっと何かを知っていたかもしれません。……お役に立たなくて申し訳ありません」
エイトは躊躇いながらもキラに近寄ると、彼女の肩に手を置いて、口を開いた。
「……その、おばあさんが亡くなったことは悲しいよね。あんなに優しくて、親切な人だったのに。僕もすごくさびしい……」
こういう時に気の利いた言葉が上手く出ないのが、もどかしい。
それでも、エイトの気持ちは伝わったようだ。俯いたままの彼女から小さく礼を言う声が聞こえた。
「そ、それにキラの話はすごく役に立ったよ。おばあさんが知っていたんだったら、他にも誰かが知っているかもしれない。手掛かりはどこかにある筈だよ」
最後にそう伝えると、急にキラは顔を上げて、エイトの手を握りしめた。
その澄んだ彼女の瞳の中に自分の姿が映り込んでいて、エイトを真っ直ぐに見返していた。
「……そうです。手掛かりなら、あります」
キラは瞬きもせずに、熱に浮かされたかのように呟く。
「エイトさん、行きましょう……。あそこなら、きっと何かが分かります!」
「い、行くって、何処へ?」
今にも走り出しそうな勢いのキラに圧倒されながらも、エイトは疑問をなんとか口にすることが出来た。
それでも、キラが元気を取り戻してくれたことに安堵する。しおれた花のように彼女が落ち込んでいると、こちらまでしおれてしまいそうになるのだ。
「祖母がしてくれた話は全て、かつてあった神殿にまつわる話なんです。だから、行ってみましょう」
その言葉でエイトの頭によぎったのは、現れた別世界への扉と美しいハープの調べを奏でる者。いくつもの不思議な光景が浮かんでは尾を引きながら消えた。
「それって、願いの丘の事……?」
まさか、と見下ろしたエイトにキラがゆっくりと頷いて、すぐに寝台の上に座るパヴァン王の方にこうべを垂れた。
「王。お傍を離れることをお許し下さい。私はエイトさんに、かつてのご恩をお返ししたいのです」
「私も二年前のお礼を結局返し切れていない。だから……僕、の代わりに頼もう」
「仰せのままに」
深く訊く事もせずに、パヴァンは彼女の懇願に頷いた後、よろめきながらもゆっくりと寝台から降りる。
すると、カーテンの隙間から、光が差し込んでその姿をさっと照らした。
その顔は青褪めてはいたが、それ以上に強い眼差しがエイトを射る。
パヴァンをもう気弱な王だと思う者は、もう決していないだろう。堂々としたその姿にエイトは魅入られたように動けない。
「どうかキラを連れていってやって下さい。キラがこんな風に言うという事は、きっとエイトさんのお役にたちます」
「ですが……」
躊躇うエイトにパヴァンが微笑む。
「貴方が望んでいるであろう市の件は、ローレイを始めとした重鎮達を説得しましょう。私は、民が笑顔で生きていける事が国にとって一番だと思っていますから」
その言葉に、エイトの覚悟も決まった。
この人もまた、民あっての王だという事を思っているのだと分かり、安堵する。
エイトは静かに礼を取る。
「キラの事は必ずお守りします」
「どうか、お願いします。私は貴方を友人として信頼しています。だから、貴方も必ず戻ってきてください。……さあ、早く行った方がいい。間もなく、兵士が戻ってくるでしょう」
エイトはキラの方を振り返る。
「行こう、キラ」
「はい」
パヴァンが見守る中、外へ通じる扉を押し開くと、エイトはキラの手を取り、移動呪文を唱えた。
空を滑る間際、兵を連れて、階段を上っていたローレイと目があったような気がしたが、彼の姿はすぐに耳元で唸る風と共に掻き消え、代わりに天へと伸びる丘が姿を現した。