あれ程、毛嫌いしていたキメラの翼を使って、パルミドへ飛んだゼシカを見送ったエイトは、すぐにパヴァン王の私室と玉座へ繋がる階段へと向かう為に歩き出す。
王が襲われたことが表沙汰になってはいないとはいえ、城内の空気はぴんと張っており、あちこちで巡回する兵士が昨日より多くなっていた。
本来であれば、今日は昼に王と客人達の会食となっていた。だが、未だに王は寝台から起き上がれないのだという。
その時間をなんとか夜に延ばしたのだと、事情を知る一人でもあるキラから伝え聞いた。そのキラもパヴァン王が心配のようで、昨晩から王の元へと行っている。
廊下を曲がると、通りかかった兵士が脇に避ける。その際に尊敬の眼差しを浮かべて、礼をしてきたが、それでも表情は硬いようだった。
その様子を見て、王の部屋を護衛する兵士達を説得するのは、間違いなく骨が折れるだろうと思った。
どうやって、部屋に通してもらおうかと考えながら、廊下を抜けようとしたその時、肩を誰かが叩いた。
「はい?」
振り返ろうとすると、今度は体を力強く押され、よろめく。その先に風景画が掛かった壁が眼前に迫り、思わず両腕で顔をかばった。
だが、壁への衝突はなく、気が付けば、エイトの身体は砂や埃でざらついた床に投げ出されていた。
後ろで微かに何かが閉まるような音が聞こえて、床に投げだされた姿勢のまま、体を硬直させる。
混乱する頭で考えついたのは、たった一つだった。
「……閉じ込められた?」
呆然としているエイトの前で、微かに魔力が蠢く。
小さな火の玉が浮かび上がって、一人の男をぼんやりと照らした。いかつい身体に、両角が付いた不気味な覆面を被った男だ。
無言でこちらを見下ろしている男には異様な迫力があり、思わず、這って後ろに下がろうとする。
「おいこら、びびってんじゃねえ。黙ってついてこい。ゲルダ様がお待ちかねだ」
「え?」
ゲルダという名を口にした男が、いつぞや訪れた女盗賊の家の前にいたのをようやく思い出す。
それより、ゲルダがまだこの国にいた事に驚いた。パルミドへ向かったゼシカは、無駄足になってしまうだろう。
固まってしまったエイトに痺れを切らしたのか、男に服の襟を乱暴に掴まれて、立たせられる。
「あ、ありがとうございます……?」
「早くこい。じゃねえと、俺がゲルダ様にどやされちまうんだ」
そう言って、振り返らずに歩き出してしまった男と後ろを見比べたエイトは、仕方なく男の後を追った。
人が一人通れる位の幅の通路は、埃が高く積もっていて、歩く度に舞いあがって息苦しい。見る限り、最近造られたものではなく、このアスカンタ城が出来る時に造られた物のようだ。
隠し通路だという事は分かったが、王族のみが知るようなこの場所を何故、彼らが知っているのか。
「ようやく来たのかい? 待ちくたびれちまったよ」
少しひらけた場所に出ると、灯りの点ったカンテラを持ったゲルダが待ち構えていた。
男に脇を小突かれて、昨日と同じマントを羽織った彼女に歩み寄ると、カンテラの明かりに照らされた細い首に痣が出来ているのが見えて、眉をひそめる。
「……体は大丈夫ですか? ゼシカから聞きました」
「あぁ。これでも、あたしは裏の人間だからね。あれぐらいじゃ、へこたれないよ」
ゲルダは肩をすくめて、持っていたカンテラを差し出してきた。
「あんた、ここの王様と話をしたいんだろう。一回しか言わないから、よく聞きな。このまま、真っ直ぐ行くと三又の道にぶつかる。右の道に向かうと、その奥に長い梯子があるから、そこを登る。その天井の扉を開けると、そこが王様の部屋だ」
「あの……どうして、ゲルダさんはここに?」
すらすらと道順を教えてくれたゲルダに、戸惑いながらもエイトは尋ねる。
彼女は片方の眉を持ち上げて、やれやれとため息をついた。
「あんた、昨日も同じような事を聞かなかったかい? 同じ事を延々と繰り返す男は嫌われるよ」
「す、すみません……いえ、そうじゃなくてですね。てっきり、昨日の事があったから、ゲルダさんはもうこの国にいないかと思っていたんです。それで、ゼシカが貴方の居場所を知るためにパルミドへ」
「まあ、やばい事があれば、あちこちにある隠れ家に身を潜めるのが、普通だろうけどね。これでも一応、あたしは仕事で来ていたんだよ」
「仕事ですか? ……まさか」
暗い隠し通路を見回して、エイトは口元を引きつらせた。盗賊であるゲルダが、城の宝に目をつけない訳がない。だから、この通路のありかも知っていたのだろう。
だが、国の宝を盗んだとなれば、処刑は免れない。
ここは知り合いとして、止めるべきなのだろうかと、頭の中で考える。
それが顔に出ていたのだろう。ゲルダが、また一つため息をついた。
「勘違いするんじゃないよ、坊や。あたしは盗んでくれと言っているような場所にある面白味もない宝なんて、これっぽっちも興味はないよ。……それより、あたしを探していたのかい?」
「はい。……昨日襲った男がまだゲルダさんを狙っている可能性があるんです。僕と一緒に来てくれませんか」
「嫌だね」
間髪を容れずに返ってきた言葉に、エイトは焦る。
まさか、断られるとは思っていなかったのだ。
鼻を鳴らして、顎を上げたゲルダは苛立ったように言う。
「生きていれば、誰かに恨みを買うなんて事は多々あるものさ。それに命を狙われるなんざ、こっちの世界では日常茶飯事だよ」
「そういう問題じゃないんです。それで、ゲルダさんが怪我どころか……」
「あたしが死ぬっていうのかい? 昨日は油断をしちまったけど、そんなヘマは二度も踏まないよ」
どうにか説得しようにも、彼女は聞く耳も持たない。
いつだったか、ゲルダは他人から指示されるのが大嫌いなのだと、ヤンガスがぽつりと言っていたのを思い出した。
すると、二人の言い合いを聞いていた男が口を開いた。
「ゲルダ様。とりあえず、この坊主についていった方がいいんじゃねえですか。英雄なんですから、腕には覚えがありますし」
苛立ちを隠さずにゲルダが猫のように目を細める。
「あんたまで言うのかい」
声音は静かだったが、今にも噛みつきそうな主にたじろいだ様子の男だったが、すぐに言葉を続ける。
「そ、それに……元々、俺らはここの王へ手紙を持ってきたわけですし。この坊主なら、すんなりと王に渡せますよ。報告ついでに頼もうと思っていた御方には会えやしなかったんですから、さっさと用を済まして、この国からとんずらこいちまぐごっ」
「黙ってな、この木偶の坊以下」
ゲルダによって、脇腹を強く突かれた男は、痛みにうずくまり、主の望み通りに黙り込んだ。
「手紙……?」
エイトは、今、男が喋った言葉を繰り返す。
盗賊であるゲルダが王に手紙を渡すというのは、ひどく違和感がある。
ゲルダはすぐにこちらを向き直した。こちらを見る眼は鋭く、まるで喉元に鋭い爪でも伸ばされているかのような感覚に陥る。
「やっぱり、お断りさ。誰かに護られるなら、尚更あたしは嫌だね」
もう一度、説得しようとしたエイトの顔の前に何かをつきつけられた。
よく見れば、それは手紙のようだ。ぼんやりとした明るさでは分かりにくいが、封筒の色は見た事のないほどに深い青をしていた。
エイトの顔の前に手紙をぶら下げたまま、彼女は続ける。
「そもそも、だよ。あんた、このあたしに借りがあることを忘れてはいないかい? 言っとくけど、借りの利子は高いんだ」
「り、利子……?」
「だけど、この手紙をここの王様に渡してくれるなら、チャラにしてやるよ。元々、あんたに頼むつもりで待っていたんだ」
「そうなんですか!?」
うずくまっていた男とエイトは同じ言葉を発する。
その様子をやかましそうにゲルダは目をすがめて、前髪をかきあげる。
「これだから、男って奴は……。それじゃ、頼んだよ」
「待ってください!」
あっさりと背を向けて、去ろうとした彼女の肩を掴む。それはすぐに振り払われ、首だけを後ろを向いたゲルダと視線がぶつかる。
「まだあるのかい? ……あたしはパルミドでの急用を思い出して、急ぐんだよ」
「え?」
「本当に鈍いね、あんたは! ゼシカに借りがあるから、あたしはそれを今から返しに行くんだ」
エイトは目を瞬かせながら、ゲルダが言った事をゆっくりと理解する。
口元が緩んでくるのが分かったが、抑えられない。
「ゲルダさん……!」
自分のにやついた顔が不快だったのか、彼女は視線を逸らしてしまう。
「もう止めるんじゃないよ。その手紙は、ちゃんと渡しな」
「はい。……気を付けてください」
それに対しての返事は来ずに、エイトの足元にカンテラを置くと、今度こそゲルダは男を引き連れて、あっという間に去ってしまった。
彼らが去っていくのを見届けたエイトは、渡された手紙を懐にしまい、カンテラを拾って、教えられた道を歩き出した。