「……あとは、エイトの知っての通りよ」
ベッドから体を起こしながら、話を終えたゼシカはそばの椅子に腰掛ける黒髪の青年を見た。
腕を組んだ彼の表情は戦いのときに浮かべるように厳しく、引き結ばれた口元は堅い。
「リンリンが魔力を奪うなんて、初めて聞いたよ。マージリンリンでさえ、魔力は吸わなかった」
「やっぱり、エイトもそう思うでしょう?」
「うん。……じゃあ、二か月前に願いの丘のふもとで倒れていたっていう羊飼いの人も魔力を抜かれていたんだね?」
「ええ。アスカンタに来る前に家に立ち寄ったのだけど、魔力がなかったわ。元々持っている魔力が少なかったせいか、精力もかなり抜かれてしまっていたみたい。今は起き上がれるようになっていたから、もうしばらくしたら動けると思うわ」
「それなら、よかった。それにしても、仲間を呼ぶんじゃなくて、吸い上げた魔力で赤く染まるなんて……」
実の所、自分達は学者でも研究者でもない。魔物の生態などは、よく知らないのが実状だ。
それに、昨晩倒した魔物もそうだ。旅の間に見ることはなかった。古き時代から存在した竜の里に繋がる回廊や祭壇への道でさえ、あのような魔物はみた事はない。
暗黒神が復活した二年前に出現するなら、分かる。何故、今なのか。
思考が煮詰まっていくのを感じて、ゼシカはため息を一つ吐いた。
分からない事を、分からないままに考えても、仕方ない。
「ところで、エイト」
「うん?」
「いい加減、ベッドからでてもいいかしら」
「駄目だよ。魔力が完全に戻っている訳じゃないんだから」
想像した通りの言葉が返ってきて、眼が据わりそうになった。
朝からエイトは、この調子だ。
アスカンタ国大臣ローレイに用意された部屋は広く、暖かい色合いの壁紙や絨毯。繊細な紋様がこと細かに彫られた寝台やソファなどの家具が絶妙な位置に置かれていて、とても居心地が良い。女性の好みをよく把握していると思った。
その部屋で意識を失うように眠りに落ちた翌日の朝。ベッドからでようとした瞬間、頭に寝癖をつけたままのエイトがすかさず部屋に現れ、起き上がるのを阻止されたのだ。
自分が失っているのは、魔力だけだ。塞がったとはいえ、一番寝台にいるべきなのは彼だというのに、相変わらず仲間や他人を優先させる。
「魔力はなくても、病気じゃないのよ。普通に歩き回れるわ」
「駄目だ。君は、ベッドにいるべきだ」
そして、とてつもなく頑固になるのだ。
これ以上、何を言っても無駄だと判断したゼシカは、ベッドに背中から倒れ込んだ。ほどいた髪が大きく広がる。
「ゲルダさんは一体、あの森で何をしていたんだろう」
吸いこまれるような柔らかさのベッドに身を埋めると、エイトが疑問を口に出してきた。
昨夜のゲルダとの会話を思い出しながら、ゼシカはシーツを肩まで引き上げた。
「人を待っているみたいだったわ。でも、結局あの騒ぎで来なかったみたい」
「襲った相手は、ゲルダさんを狙ったと思う?」
エイトが言いたいのは、ゲルダが待っていたという人物を狙っていたという可能性があるという事だ。
「その可能性もあるけど、私にはそう思えないの」
どうして、と尋ねられて、ゼシカはあの時、聞こえた言葉を繰り返す。
「返せ」
「え?」
「あいつはそういっていたわ。間違いなく、ゲルダさんに向けて」
距離があったというのに、まるで耳元で言われたかのように鮮明に聞こえた。
心臓を一瞬で凍らせるかのような冷たさを今になって思い出し、思わず己の肩を抱く。
「ゼシカ……? やっぱり、体調が」
ベッドを覗き込んでくるエイトに、強張った頬をなんとか動かして微笑む。
「……大丈夫よ。とにかく、ゲルダさんを見つけた方がいい気がするわ。出来るだけ、早く」
だが、昨日の事件で既にゲルダはこの国を去っている可能性が高い。
パルミド地方に居を構えているとはいえ、わざわざ逃げ場のない所に戻るような事はしないだろう。
すると、エイトが組んだ腕を解きながら、呟いた。
「ヤンガスだったら、ゲルダさんが居そうな場所を知っているかもしれない。今から、パルミドに行ってみるよ」
そういって、椅子の脇に立てかけていた剣を掴んで立ち上がった彼がそのまま部屋を出ようとするのを見て、ゼシカはベッドから跳ね起きて、彼の服の端を掴んで引き留める。
「ちょっと、エイト! あなたはこの国にトロデーンの代表として来ているのでしょう!? 脱けだすのは、さすがにまずいわよ!」
「うわっ!?」
つんのめりそうになるのをなんとか耐えたエイトに、ゼシカはベッドから降りると、腰に手を当てた。
「私が行くわ。その間にエイトはなんとかして、パヴァン王と話をして。あの大臣様は、国の方が大事みたいだから、お話にならないだろうし」
「……分かった。でも」
「無理はするな、でしょ。だけど、人の命がかかっているのよ。私はもう嫌だわ。……なにもできずに目の前で人が死ぬのは」
兄と他の賢者の末裔達が暗黒神の杖によって、命が奪われた瞬間の光景を今でも夢に見ることがある。
防げることが出来た筈だった。世界は救えても、救えなかった命があった。
世界を救った英雄だから、高尚な事を思うのではない。一人の人間だからこそ、もう繰り返したくないのだ。