ドラゴンクエストⅧ シアンの人   作:松ノ子

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第30話

 

「どこだ」

 

 ぐっと首の根を締め上げられ、苦しさから口を大きく開き、低く喘いだ。

 まさか、いつも通りの夜の森でとんだ事件に巻き込まれるとは、誰が思うだろうか。

 体を撫でまわすような暴漢でも、金品を奪い取り、人を殺す卑しいごろつきでもない。それにその程度の輩など、幾ら戦闘が苦手な自分でも、足元にも及ばないだろう。

 だが、どれにも当てはまらない、自分の首を容赦なく締め上げる相手は、何者だ。

 

「あ……んたは……」

 

 ようやく絞り出した声はみっともなく、震えているように思えた。

 それは、首を絞められているせいだけではない。全身にのしかかるような重石のような殺気が、四肢を冷やしていく。

 

「どこだ」

 

 相手――男は、先ほどから同じようにこの言葉を繰り返す。

 

「……なん、の話だい」

「どこだ」

「は、な……せ」

 

 腕を引き離そうと手を伸ばすが、そんな力は残っておらず、僅かに相手の腕をひっかく程度。

 どくどくと一定の心音が自分の心臓から、聞こえる。

 そろそろ駄目だな、と他人事のようにゲルダは薄れゆく視界に思った。

 すると、男は一層冴え冴えとした声音で違う言葉を囁いた。

 

「返せ」

「その人を離しなさい!」

 

 次の瞬間、橙色の大きな炎球が男の頭上を目がけて、落下する。

 炎の球がぶつかる前に男はゲルダの首から手を離し、素早く後退した。地面に衝突した炎が火柱をとなり、男の姿を一瞬だけ、照らす。

 続けざまに、もう一つ炎球が飛ぶ。だが、男はそれも容易く避けるとそのまま闇に消えた。

 

「大丈夫ですか、ゲルダさん!」

 

 駆け寄ってきたのは二つに結んだ髪を揺らした娘だった。

 

「あ……たは、ゼシ…カ……」

 

 急に酸素が肺に入り、激しく咳き込んだゲルダに、ゼシカが慌てて背をさすってくれる。

 

「待っていてください」

 

 ゼシカが持っていた杖を、天に捧げるように、頭上へ掲げた。

 すると、柔らかな白い光が杖に灯り、光はゲルダをゆっくりと包み込む。

 呼吸が楽になっていくのを感じたゲルダは、ひゅ、と息を大きく吸って、喉から手を離して顔を上げた。

 

「すま……ないね……、助かったよ」

 

 まだかすれた声に、ゼシカが首を横に振ると、眉を寄せて、男が姿を消した方を振り返る。

 

「今のは……」

 

 炎が照らした相手は残念ながら顔は見えなかったが、あの身のこなし、かなりの強さを持っていると思えた。

 ゲルダはひりつくような喉をさすって、首を横に振る。

 

「……残念ながら、あたしにもさっぱりだ。この森を歩いていたら、急に襲われたのさ」

 

 繰り返していたのは、何かのありかを問う言葉。そして、返せという氷のような一言。

 

「とりあえず、明るい場所に行きましょう。歩けますか……?」

 

 頷いて立ち上がったゲルダがゆっくりと歩き出すと、気遣うように背に手を添えてくれた娘の眼差しが、睨むように後ろへと逸らされたのを彼女は見た。

 

 

「それにしても、どうしてあんな場所にいたんですか……? もし、私があそこを通りかからなかったら……」

 

 アスカンタ城壁を潜ったと同時に、ゼシカは隣を歩くゲルダに問いかけた。

 先程より、しっかりとした足取りの女盗賊は彼女をちらりと見ると、凄味のある笑みでにやりとした。

 

「それを聞くのは野暮ってもんさ。……それとも、聞くかい?」

「い、いいです!」

 

 ぶんぶんと力いっぱい横に振ったゼシカに、ゲルダはくつくつと喉を鳴らして笑った。

 

「冗談だよ。あんたも、からかいがいのある子だね。まっ、ちょっとした用事さ。……来たのは、別の客だったけどね。それより、あんたこそどうしてだい? あんたみたいな子が、あの森に用があるとは思えないね」

 

 逆に問い返されたゼシカはゆっくりと瞬くと、徐々に視線を彷徨わせた。

 

「そ、それは……」

「まっ、おおかた森に入るあたしの姿を見たんだろう」

「い、いえ……そんなことは……」

 

 言い当てられて、語尾が消えていく彼女の肩をぽんと叩いて、ゲルダが足を止めた。気づいたゼシカが同じように止める。

 胸の前で腕を組んだゲルダは、ついと右へ視線をやる。

 

「どうやら、あたしの下僕が迎えに来たみたいだね」

 

 同じようにゼシカが視線を向けると、建物の陰に隠れるようにして佇む大男の姿があった。確か、以前ゲルダの家を訪れた時に扉の前に立っていた男だ。

 かかとを高く鳴らして、男の方に歩き出したゲルダは振り返らずに、ゼシカに向かってひらひらと手を振った。

 

「それじゃ、この借りはいつか返すから期待しているんだね」

「あ……」

 

 ゼシカが声を出す前に彼女はその男を伴って、街の中心へと消えていった。

 

「突風みたいな人ね……」

 

 つい先ほど、正体不明の輩に襲われたというのに、気にした風もないゲルダにゼシカはため息をついた。

 だが、城壁の中なら、襲われる心配も減るだろう。一応、護衛も付いているようだった。

しばらくの間、ゲルダが消えた方を眺めて、森の方角へと視線を動かす。

 周りの通行人がざわざわと音を立てて、鋭い目をした彼女の側を避けていく。

 その音はまるで、彼女の心の中を表しているようだ。

 自分の中でくすぶるようにあった予感が、大きく膨らんでいるのをこのとき、はっきりとゼシカは感じた。

 そして、その予感をはじけさせるように、遠くから獣の咆哮が響いた。


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