魔物を包む炎はいまだに燃え続けているが、もうすぐ消えるとゼシカは言う。
「燃え上がってはいるけど、あまり熱さはないわ」
炎に照らされた彼女の顔はどこか疲れているように思えた。それを裏付けるように、少し呼吸が荒い。
心配するような視線に気づいたらしいゼシカが苦笑した。
「ごめんなさい。私、今ちょっと上手く動けないの」
「大丈夫。僕が行くから、ゼシカは援護にまわってほしい」
「分かったわ」
ゼシカが頷いたので、エイトは自らの胸に手を当てた。
『 聖霊よ 精霊よ その大いなる優しき腕で 我が身を癒したまえ ベホマ 』
暖かい緑光が煌めきながら、全身を包み込んでいき、傷を急速に塞いでいく。だが、失われた血液や体力は戻ることはない。
拳を握って、感覚を確かめる。胸を押されるような違和感は少し残っているが、これもしばらくすれば治まるはずだ。ゆっくりと顔を上げると、ゼシカが魔物を杖で指して合図を待っていた。
「ゼシカ」
「ええ」
まるで糸を引っ張るように、ゼシカが杖を引いた瞬間、炎は一瞬で霧散した。
忌まわしい炎が消え去った事で、魔物は全身から煙を漂わせながら、こちらに向かって大きく吠えて、残りの火の粉を振り払うかのように大きく身を震わせる。
ゼシカの言う通り、激しく燃え上がっていても、軽い火傷を負わせた程度のようだ。だが、そのお陰で厄介だった剛毛が燃えたようだ。肉が焼ける臭いとは違う毛皮の酷く焦げた臭いがこちらまで漂ってきている。
突き刺さったままの剣の柄が魔物の背中で月光によって鈍く光る。
まずは、剣を取り戻す。
『 伸ばせ 我が手に 我は力を望む者なり 強き力を授けたまえ 大いなる大地の恩恵を今ここに バイキルト 』
力強い詠唱が聞こえ、全身に力が溢れる。
肩越しに振り返ると、地面に座り込んだゼシカが目を細めて、唇を吊り上げた。
それに押されるように走り出す。
先程一人で戦っていた時とは違う。誰かが、仲間が背中にいるという事が、これほどまで自分に力を与える。
頭から突っ込んでいくように走り、一気に距離を詰めると、魔物が牙を剥きだしながら、体を引き裂こうと爪を振り下ろしてくる。
エイトはそれに構うことなく姿勢を低くし、魔物の手のひらに、下から抉るような掌底を叩きつける。
腕力を増幅させた今なら、真っ向から立ち向かえる。
ぶつかり合う音と共に魔物の腕は押し戻され、怯んだように後ろ足で立ち上がりよろめいて、柔らかい腹が剥きだしになる。
『 冷気よ 凍れ ヒャド 』
ゼシカの唱えた氷刃が剥きだしになった腹部に突き刺さり、魔物はそのまま背中から倒れ込んでいく。
その間に素早く魔物の後ろに周りこんでいたエイトは近づいてきた背中に刺さる剣の柄を掴むと一気に引き抜いた。追うように短い悲鳴が上がる。
そのまま背中を踏み台にして、前転しながら、魔物の両眼をはやぶさのような速さで二度切り裂く。
着地したエイトは、痛みでのたうつように転がる魔物にとどめを刺そうと、体をひるがえすが、魔物の長い尾が鞭のようにうねり、エイトの足元を払った。
体勢を崩したエイトに、魔物の巨体がのしかかろうとして、動きを止める。
いつの間にか接近していたゼシカの鞭が魔物の首に巻きついていた。
だが、大きな魔物を縛りつける程の力が彼女にはなく、深手を負ってもなお、抵抗する魔物に引きずられそうになる。
「エイト!」
体勢を整えたエイトは剣を強く握りしめて、魔物の身体を斜めに大きく切り裂く。
魔物の身体が傾ぎ、姿が大きく膨らんでぼやけて、そして一瞬で闇の彼方に消え去った。