【ある国の大臣の日常の一コマ】
「かわいそうだとは、思わんか!」
ああ、また始まったと彼は内心ため息を吐いた。
朝議が始まった瞬間、国王はそばにあった羊皮紙をくるくると丸めて、ぺしぺしと机を叩く。
「わしは、我が愛娘の花嫁姿を少ししか見れていないのだぞ!」
良い王ではあるのだが、王子時代の時から突拍子のないことを言い出す癖があった。
同じ机に座る他の重鎮たちも、彼と同じような事を思っているだろう。
良い王なのだが、癖あり、と。
「どうなされました、王。それは、また急なお話ですな」
彼は主君に尋ねる。このまま、なだめて流すのもいいが、姫君が関わっているとなると、とてつもなく頑固になる。
すると、王はむっつりとした表情で背中を椅子に預けた。
「わしは、ミーティアの花嫁姿をもう一度見たいのだ!」
「……では、後日ミーティア姫様にその件をご相談になってはいかがでしょうか。きっと王の頼みであれば、受け入れてくれるはずです」
「いやじゃ! わしはそんなものが見たいのではない!」
では、何が見たいのだ。
駄々をこねる子のようにばたばたと両手足を動かす王に、彼の目が据わった。
「…………それでは、どのように?」
眉間に皺がよりそうになる。それを必死に揉んで押さえると、彼は穏やかな笑みを浮かべてみせた。
ここで怒ってはいけない。怒れば、朝議が台無しになる。
何度も頭の中で繰り返して、菩薩のような笑みで主の返答を待つ。
その笑みが重鎮たちの間では、【大臣の鉄仮面】と呼ばれている事を当人は知らない。
「結婚式をもう一度とり行うのじゃ! そうすれば、ミーティアの花嫁姿を見ることができる。ただの結婚式ではないぞ。国中で、それも盛大に!」
ざわりと重鎮たちの間が騒がしくなる。
両手を二度叩いて、それを静まらせると彼は主に向き直った。
「確かに姫君の花嫁姿は王妃様と生き写しと思う位に、美しいものでしたが……。だからといって……」
「言っておくが、わしの為だけではないぞ、大臣よ」
いつの間にか、威厳のある表情を浮かべた王はどこか陰のある眼差しで、彼を見返す。
「あれから、どのくらい経った? 世界が平和となって」
「……約二年ですな」
「そうだ。まだ二年しか経っていないのだ」
ふと、王が視線をどこかへ向ける。その方向に何があるのかは、彼は知っていた。
それは一振りの杖が置かれた封印の間。暗黒神が倒された今、意味をなしてはいない場所だが、王はそのままにするべきだと譲らなかった。
何があったのか、今度こそ後世に伝えられていくように。その杖について知ろうともしなかった己の罪を認め、子孫たちが過ちを二度と起こさぬようにと。
「この二年、平和をようやく噛みしめ、歩き始めた民の中には思う者もおるだろう。いつ、また平和が崩れ去ってしまうのかと」
「だからこその結婚式だと?」
「そうじゃ。国中で盛大な結婚式を行えば、改めて平和を実感できるとわしは思う」
「なるほど、確かに一理はありますが」
「それならば、祭りでもよろしいのでは? 民も日々の疲れを忘れて、つかの間の休息をとれましょうぞ」
重鎮の一人が顎髭を撫でながら、進言する。その意見に賛成するようにまわりの者たちも頷く。
だが、それには王は首を横に振った。
「それでは、弱すぎる。平和の象徴をみせねば意味がない」
象徴、という言葉に彼は、まさかと目を見開いた。
「それは、我が国の近衛隊長の事を指しているのですか」
「そうだ。世界の英雄の一人であるエイトと一国の姫の式ならば、一層平和という印象を強く焼きつけるだろう。二年前の式は、騒動にまかれたような形であったからのう」
頭に乗せた王冠を王は下ろすと、机に置いた。
驚いた重鎮たちの視線を王はまっすぐに見返す。
「わしは、民の為に償いをしたい。民が今度こそ、疑うことなく平和に過ごせるように。どうか、わしを手伝ってくれんか。これは、トロデーン国王としての命令ではない。一人の人間としての頼みだ」
どこか震えを帯びた声音に、彼は苦笑した。
少し横暴なところはあるが、決して暴君ではない。彼も含めて、重鎮たちはそんな王の頼みを無下に出来る筈がない。
椅子から立ち上がり、王のそばへ寄ると片膝を折った。
「もちろんです。あなたの心に従いましょう」
他の者たちも同じように膝をついて、頭を下げた。
その様子を一通り眺めた王は、にんまりと笑みを浮かべ始めた。
「お前たちならば、そう言ってくれると思っていたぞ!」
先程の殊勝な態度もあっさりと捨て去って、丸めた羊皮紙で机を叩く。
「では、早速結婚式の手配じゃ! 二年前の花嫁衣装より、何倍も素晴らしいものにするぞ!」
このままでは、一週間後にでも、最悪、明日にでも結婚式を行いそうな勢いだ。
主君が暴走し始めていると察した彼は慌てて、止めにかかる。
「お、お待ちください、王よ! 盛大に行うのであれば、ちゃんと式の内容を練らねばなりません」
「うるさい! わしは一刻も早く、ミーティアの花嫁姿を見たいのだ!」
「それならば、なおさらです! どうか、もう少しお待ちを」
「じゅうぶんに待った! わしが早く見たいと言ったら、早くするのじゃ!」
ばんばんと両手で机を叩き始める王の姿に、ぷつりと彼の何かが切れる音がした。
重鎮たちもそれを察したのだろう。全員怯えた表情を浮かべて、部屋から避難をし始める。
「ええいっ、いい加減にせんか! この馬鹿王がぁ!」
菩薩から、阿修羅へと変わった大臣の大声は城中に響き渡ったという。