ドラゴンクエストⅧ シアンの人   作:松ノ子

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その後
第1話


 

あいしていると、

 

 

***

 

 自分の勘が外れてしまえばいいのにと、今日ほど強く願う事はない。

 だが、こういうときの勘など、今まで外れたためしもなかった。

 小さな雨が、足元や顔に当たっては、ぽつぽつと耳障りな音を立てる。

 頭上から降ってくるそれに、ヤンガスは盛大に舌打ちすると、懐に手を当てて、気まぐれな雨から守るように背を丸めた。

 途端に、かさりと懐で立てた音に彼はため息をついた。

 雨で濡れねずみになろうが、泥をかぶろうが、自分は気にも留めないが、懐にあるこの手紙はそうはいかない。

 この手紙の依頼主も、読めなくなったものを渡してほしいとも思わないだろう。

 ゆるやかとはいえど、雨音が強くなっていく中、辺りを見回して、もう一度舌打ちした。

 パルミドから続く平坦な道に、雨宿りができるような場所があるわけがない。唯一、雨宿りになりそうな格闘場と立っている場所とはそれなりに離れていて、自分の鈍足でどうこうなるものでもなかった。

 かくなる上は、とヤンガスが頭に手を伸ばしたその時。

 

「雨の中、たちんぼかい。友達」

 

 雨音の間を縫うように、静かな声がやけに響いて聞こえた。

 驚いたヤンガスが振り返ると、年老いたラバがぜいぜいと息を吐きながら、つぎはぎだらけの小さな幌馬車を引っ張り上げて、彼の横で止まった。

 

「どうだい、乗るかい?」

 

 御者台から差し出された大きな手とその声の主に、ヤンガスは目を瞬かせた。

 

「よく言うじゃないか。旅は道連れ、世はラバ一頭ってさ」

 

 口も開く間もないまま、大きな手に引っ張り上げられ、そのまま御者台に座る相手の隣に体を押し込んだヤンガスは、そうっと隣を見て、前を向くと、雨に濡れたラバの茶色い背を眺める。

 馬車が進む度に、古い幌馬車はあちこち軋んだ音を立てるが、旅をしていた時を思い出すようでどこか懐かしい。先程まで疎ましかった同じ雨音も、幌にあたっているだけでこれ以上にない陽気な音楽のように聞こえた。

 それらを楽しみながらも、ヤンガスはもう一度、相手――背の高い男を見た。

 ゆったりと手綱を引いて、ラバを先導する男はこの辺りに住む百姓だろうか。

 麻生地のチュニックと何度も洗われて色の薄くなった緑のズボン。擦り切れたサンダルをひっかけた男はどこにでもいる百姓のように思える。

 だが、相手の頭にあるものを見て、ヤンガスはしばし考える。

 百姓というものは、陽を避けるための麦わら帽子ではなく、貴族や金持ちが持つような黒いシルクハットをかぶるものだっただろうか。

 頭と体の格好が別々に分かれて一致しないせいなのか、違和感が先程から拭えない。最初に見た時は思わず固まってしまったほどだった。

 

「運が良かったようだね、友達」

 

 ヤンガスの見つめる視線に耐えかねたのか、男は話しかけてきた。

 慌てて居住まいを正すと、頭をゆっくりと下げた。狭いせいで、ぎこちない動きになったが、仕方ない。

 

「本当に助かりやした。あんたがあそこで通りかからなけりゃ、あっしはあっという間にびしょぬれになるところでげしたよ」

「分かるよ。あの辺りは、どこまでも平べったい道が続いてるだけだからね」

 

 ヤンガスの話に静かに相槌を打って、男はシルクハットを僅かに上げてこちらを見る。

 

「本当に運が良かったね、友達」

 

 シルクハットの影に隠れて顔はよく見えないが、覗いた帽子から見えた瞳が片方だった事に、ヤンガスは気づいた。

 

「あんたもアスカンタの方に、用があったんで?」

 

 相手の風貌に気付かなかったふりをして、ヤンガスは尋ねる。

 男はラバが脇道に逸れそうになるのをとめる為に手綱を僅かに引いてから、首を横に振る。

 

「いいや。ちょっとそこまでだよ。人を迎えにね」

「なるほど。あっしはちょっとしたお使いでげす」

「そうかい」

「そうでげす」

 

 会話はそこで途切れ、代わりに雨音が大きくなる。相手は沈黙が苦痛ではないのか、喋ることはない。

 だが、ヤンガスには、この雨音と車輪の音しか聞こえない静けさがほんの少し、気まずくなって、体をもぞもぞと動かした。

 ふと、男が小さく呟いた。

 

「へ、何か言いやしたか?」

 

 耳に手をあてて、ヤンガスが聞き返す。

 すると、男は片手をヤンガスの前にやった。その手には大きな瓶があり、中に入った紫色の液体が馬車の動きに合わせて、たぷたぷと踊っていた。

 

「一杯どうだい、友達。あんたが禁酒をしているとか、神に誓って酒を飲まないっていうなら、別だが」

 

 差し出されている葡萄酒と前を向いている相手の顔を見比べて、ヤンガスは目を丸くした。

 

「俺とあんたのちょっとした旅の記念にさ」

 

 その言葉にヤンガスはにやりと笑う。

 

「もちろんでげす、友達」

 

葡萄酒を受け取ったヤンガスは一気に酒をあおる。

濡れた口元を拭って、男に片目をつぶってみせると、帽子から覗いた口元が微かに笑みの形を作ったような気がした。

 


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