深夜の1時。
両親が寝静まった頃に、私はカップに注いだブラックコーヒーを眠気覚ましにリビングのソファーに腰を下ろした。
部屋にテレビが無い為、深夜のアニメを見るときはいつも薄暗いリビングの大きいテレビに頼るしかないのだ。
リモコンを押し、テレビの電源を点けると、光を放ち始めたテレビには芸人とアイドルが楽し気に話し合う番組が。
ただ、私はそれを見ようともせずに、クッションを抱きながらコテンと横になる。
「……」
音だけが耳を素通りし、内容なんて頭にはまったく入ってこない。
今は考えることだけで頭のキャパシティーはいっぱいだから。
好き……。
と、思わず伝えてしまった場所は、色気もムードも無い、ショッピングモールのフードコート。
もしかしたら他のお客さんに聞かれていたかもしれないな…。
でも、どうでもいいや……。
眠気覚ましのブラックコーヒーが舌に馴染むと、苦さと同時に感じるほろ苦い記憶。
『好き……』
『……はは。あの時とは真逆だな。どこかで戸部が見てるのか?』
静かに微笑みながら、慌てた様子を1ミリと見せない彼の姿に、私は思わず逃げ出した。
恥ずかしい…。
恥ずかしい。
彼はまったく、私を意識していなかったんだ。
それなのに、私は1人で舞い上がって…。
「……っ、だから、…恋愛なんて嫌いなんだよ…」
時刻を確認すると、私が見ようと思っていたアニメの開始時間はとうに過ぎている。
はぁ、もうどうでもいいや…。
半分も減っていないコーヒーをキッチンに流し、私は重い足取りで自室に戻った。
明日から、また1人の美術室。
それで、いいじゃない。
創作活動が捗るってもんだよ。
我慢しないと溢れ出そうになる涙腺に力を入れながら、私は暖かいベッドに身を任せた。
………………
………
……
…
.
.
.
「……」
変わらぬ放課後。
変わらぬ美術室。
変わった私。
普段通りを装い、優美子達と接した時間は嫌に長く感じた。
ようやく訪れた放課後に、私は駆け足で美術室に駆け込む。
やっと1人になれた。
……なれるはずだった。
「おっす。はぁ、教室に居れば由比ヶ浜、部室に行けば雪ノ下、廊下をフラつけば一色…、仕事をサボろうにも安住の地が無いってやつだ」
「…な、な、な」
「あ、海老名さん、裁縫とか出来るか?クリパの出し物でちょっと人手が居るんだが…」
「き、キミがなんで…」
「うわ、一色から鬼電が…。シカトシカト」
「ど、どうしてキミがココに居るの?」
「…分かってる。海老名さんが言いたいこと…」
「…っ!」
「…ほら、マッ缶。…ちゃんと海老名さんの分も…」
「要らないよ!クソが!!」
✳︎
コトン、とマッ缶が私の前に置かれると、比企谷くんは満足気な顔を浮かべながら先ほど座っていた椅子に座りなおす。
「美術室でマッ缶…。最強だな」
なんだコイツ…。
若干の苛立ちを覚えながらも、私は昨日、彼の前から突然逃げ出したことについてどう触れようか思考する。
ただ、彼の顔にソレを気にしていている様子はない。
あれ?
夢!?
「あ、あの…、昨日は突然帰っちゃってゴメンね」
「…む。俺こそ気付けなくて悪かったな…」
「へ?」
「あの後、折本から聞いたんだよ」
「え?お、折本さん?」
「んぁ?『海老名さん、急用が出来たって慌ててたよー?比企谷に謝っといてって言ってた』…と、言ってたが…」
似ているのか似ていないのか微妙なラインのモノマネを披露する比企谷くんが不思議そうな顔で私を見つめる。
折本さんから聞いた?
何の事?
私はただ、その場から逃げ出しただけなのに…。
ふと、比企谷くんは思い出したかのようにポケットに手を入れると、小さなメモ用紙を取り出した。
「コレ、折本が海老名さんに渡してって。……LINEのIDだと」
「…LINE…。あ、ありがと」
私はそれを受け取り、直ぐにID検索をかけた。
【折本かおり】
友人たちと映った写真をプロフィール画像にした彼女は折本さんで間違いない。
友達になりました。
と、表示されると同時に、私は彼女にLINEを送る。
『海老名です。昨日のことで聞きたいことがあるんだけど…』
すると、そのメッセージは直ぐに既読となり、数秒と経たない内に返信が来た。
『おっす!折本です! 昨日のこと、もしかして余計な真似しちゃった…?』
『全然余計な真似じゃないよ。…でも、どうして?』
どうしてあなたが、私を助けてくれるような嘘を?
そんな意味を込めた短文に、彼女の返信は直ぐに返された。
『ごめん、実は全部見ちゃってたんだ…(•ω≦)』
『殺す\(^o^)/』
『怖いっ!』
……
.…
..
.
その後、何度かのやり取りを繰り返し、私は折本さんとのLINEを終了した。
ようするに、最初っしょから私の態度がおかしいことに気が付いていたらしい。
カップル用のアイスを2人で、しかも一つのスプーンで食べている時点でバレてるよね…。
「……ぅぅ」
「…?」
狼狽える私を不思議そうに眺める比企谷くんと目が合った。
彼は相変わらずに、どこか自分とは無関係と言わんばかりの態度で缶を傾けている。
「…ふぅ。ここってストーブとか無いのか?室内とはいえ冷えるな…」
「あ、うん。…えっと、私の膝掛け使う?」
寒そうに手をこすり合わせる姿に、私は自らが掛けていた膝掛けを渡してあげたくなる。
それを受け取ると、彼はゆるりとマントのように肩から包まった。
そういう使い方じゃないんだけどなぁ…。
「ん。…あれ、そしたら海老名さんが冷えちゃうじゃん」
「私はそこまで寒くないから大丈夫だよ」
「へぇ、女の子は強いんだな」
もそもそと私の膝掛けに身体を潜らせながら、器用に手だけを出してスマホをいじりだす。
「…そういえば、来週の日曜だね」
「…あー、憂鬱イベントな。一緒に行く事になったんだろ?」
「みたいだね。偶然、私達も同じ日にディスティニー行こうって話をしてたから」
「その偶然は葉山の下心が生み出した必然な気もするが…」
「あはは。…はぁ、人混みを歩いて並んで避けて…、もう今から憂鬱だよ」
私がため息混じりの言葉を呟くと、比企谷くんはいじっていたスマホを私の方に向けた。
スマホの中には綺麗なお城が映し出されていて、それがディスティニーランドのシンボル、ディスティニー城だと気付くのに1秒といらなかった。
「…ここなら雨風雷雪ノ下を防げる。しかも観光アトラクションだから人も少ないときた」
雨風雷雪ノ下……。
雪ノ下さんに怒られるよ。
「鬱仲間同士、迷子のフリしてここに隠れてようぜ」
「…え、えっと…。わ、私とでいいの?」
おそらく彼は知らない。
ディスティニー城がどんな所か。
ネットで流行っている噂を。
「?」
可愛らしく左右に揺れるアホ毛を眺めながら、私は赤く染まり行く頬に手を当てる。
……チャンス、なのかな…。
普段からお参りすらしないような私だけど、ディスティニー城に伝わる”とある噂”を信じてみてもいいのだろうか。
…信じてみよう。
信じなくちゃ。
逃げる言い訳ばかりを探すのはもう止めよう。
ディスティニー城の最上階で、私は彼に想いを改めて伝える。
噂によれば、そこで結ばれる2人には、永遠の愛が宿るのだから。
「ふ、不束者ですが、一緒にお城へ同行させていただきます…」