教室に居る彼は特定の人物としか話さない。
彩ちゃん、結衣、そして隼人くん。
この3人だ。
偶にさきさきが顔を真っ赤にしながら彼の側に歩み寄る姿を見かけるが、声を掛けることに失敗し、ションボリとして自分の席に戻っていく。
教室での彼を色で表すなら黒。
周囲と混ざり合うことを拒み、心の内は愚か、表面すらも見せることのない真っ黒な彼。
黒い彼には、結衣すらも話し掛けることを躊躇っている様子で、どこか遠慮気味に近寄る姿を何度か見たことがある。
いつの日だったか、私が奉仕部を訪れたとき、彼は雪ノ下さんとお喋りしながら、文庫本を片手に結衣とじゃれ合ってた。
綺麗な色だと思った。
ふわりと香る奉仕部のティーカップがとても印象的で、教室では見せないような表情を作った彼が優しく結衣の手を振り払う。
罵倒されているのにどこか優しい雰囲気を醸し出す雪ノ下さんとの会話。
初めて見た。
暖かな赤色の彼を。
彼は何か違う。
私の知っているモノとは違う。
だから確かめたくなる。
彼が私の知らないモノならば、確かめてそれを知りたい。
そして、修学旅行を次週に控えたある日に、私は奉仕部を……、彼を訪れたんだ。
.
…
……
………
…………
「……」
ペラペラと小説のページを捲る音が背後から聞こえる。
私はいつもの位置でキャンパスと向き合っているわけだが、普段なら一人ぼっちのはずの美術室に、私以外の人物が居座っていた。
「……」
「……」
「……」
「……あのさ」
「…ん?」
しばらくの沈黙を経て、私はようやく彼に声を掛ける。
言葉少なに返事はしてくれるものの、彼の視線が小説から上がることはない。
「…その、さっきから気になってるんだけどさ」
「ん」
「どうして美術室で本を読んでるの?」
「!?」
私の問い掛けに何故か驚く比企谷くん。
そんなに目をまん丸にさせて、”何をトチ狂ったことを”みたいな顔をされても困るのは私なんですけど。
「…海老名さんが、明日も来ていいって言ったんじゃ…」
「うん、言ったけど。…えっと、それはさ、大事な話があったり、相談があったりするときのことで…。本を読むだけなら奉仕部でもお家でも出来るでしょ?」
「…奉仕部はだめだ。空気が張り詰めてて本に集中できん」
「ならお家に帰ればいいじゃない」
「こんなに早く帰ったら小町に心配される」
「こ、小町さん…、ああ、妹さんだよね」
「天使な」
「……うん」
比企谷くんはドヤ顔で妹さん自慢をすると、再度本に目を落としてしまう。
あれ、もしかして時間潰しのためだけにこの部屋を使われてるの?
変な所で鈍感と言うか、察しが悪いと言うか…。
「…本を読むのは構わないからさ、そんな隅っこに椅子を持って行って読むのはやめてくれるかな」
「…え、なんか都合悪かった?」
「都合と言うか…、体裁?」
「ふむ」
すると、比企谷くんは立ち上がり、椅子を持ってこちらに近寄ってくる。
「…ね、ねぇ。比企谷くん」
「ん?」
「なんで私の隣に椅子を並べて座っているの?」
「ここ、一番 陽が当たるから」
ピタっと。
私の隣に椅子を並べて座り直す比企谷くん。
ふわりと香る甘い匂いはコンディショナーの匂いだろうか。
つまりは髪から漂う香りを嗅げるくらいに近いわけだ。
「…そこに居られると、描きにくいかな…」
「…はぁ」
なんでキミが呆れてるの?
その溜息は私が吐くべきだよね?
「…もういいや。今日は描く気になれないし」
「そうか。鍵なら締めとくぞ」
「なんで私が追い出されるの!?」
横に並んで座った比企谷くんは脚を組み直すと、何かに気づきポケットに手を入れた。
取り出されたの綺麗なスマホ。
カバーも何も付いていないそれは、無機質な形なままに光りだす。
どうやらメールを受信していたようだ。
「…」
「…?」
それを黙って見つめ電源を落とす。
なんとなく眺めていただけだけど、スマホを弄る指がしなやかに動き、細くて長い指はとても綺麗だ。
「…描く気になれないってのは、教室での違和感が原因か?……修学旅行後の遺恨が少し残っているように感じたが」
「…まぁ、ちょっとその事でテンションが落ちてるのは原因かな。よく見てるんだね」
「人間観察は得意だ」
よく見てる…、というか、よく分かったね。
私、隠す事には自信があったんだけど、キミには全部見破られちゃうみたい。
「前にも言ったが、戸部はあれで根は良い奴だし、無鉄砲な告白をしたりもしないと思う」
「うん。そうかもね」
「海老名さんの危惧することは何もないだろ」
「…そう、だね…」
「…?」
優しい彼の事だ。
あれだけ私達の為に身体を…、心を張ってくれたのに、まだ心配をしてくれているのだろう。
ただね、比企谷くんが感じた違和感は、別に戸部っちの告白が関係しているんじゃないんだよ。
時折見せる、結衣の悲しそうな顔。
それがキミの感じる違和感の正体。
結衣がそんな顔をしてしまう原因を私は知っているから、私も気分が乗らないんだ。
「…君は、自分のことには鈍感になるんだね。…それともワザと?」
「…まぁ、鈍感で居ることが一種の予防線にはなっているだろうな」
「そっか…」
美術室を包む静寂は、風にさらわれるのと同時に、彼のポケットから聞こえるバイブ音に壊される。
先ほどから何度か鳴っているけど、誰からのメールなのだろう。
「…メール、見なくていいの?」
「……」
「…。あ!空飛ぶマッ缶!!」
「なに!?どこだ!?」
「スキあり!!」
「む!?」
無防備になった身体から、私は彼のスマホを奪い取る。
程よい重さを感じさせるスマホを握り、私は何故か彼が見たがらないメールを代読してあげた。
『生徒会選挙のことでめぐりんセンパイが来てるよ\(^o^)/
ヒッキー、今日は部室来る?』
私はそっとスマホを返すと、彼はバツの悪そうな顔を浮かべながらそっぽを向く。
「…部室、行ってくる」