私のアトリエへいらっしゃい。   作:ルコ

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私のアトリエ

 

 

 

 

 

 

私のアトリエへいらっしゃい。

 

 

 

 

 

 

油絵具から香る独特な匂いに包まれる放課後の美術室。

 

選択授業で使用されたのか、画材が散らばった机を片付けながら、私は誰も居ない美術室から窓の外を眺める。

 

定期的に響き渡るブラスバンド部の音合わせ。

 

金属バットが硬球を打ち返す打球音。

 

 

……男と男が身体を寄せ合うサッカー部の喘ぎ声。

 

 

「…腐腐腐。今日も元気で良きかな良きかな」

 

 

片付け終えた机に鞄を置き、私は木の丸椅子を陽の当たる場所に移す。

 

お気に入りのイーゼルを取り出すため、美術室と繋がる備品室へ入ると、乱雑に仕舞われたイーゼルと中途半端に描かれた画板が数枚。

 

 

あらら、想いの見えない絵ばかりだねえ。

 

 

質感も構図もデタラメな、授業の課題であろうお粗末な絵はどこか物悲しい。

 

 

「…絵が泣いてるよ」

 

 

楽しくないのかなぁデッサン。

 

各々が自由に選べるのだろうか、そこにはりんごや花瓶や本が並んでいた。

 

 

……ん?

 

 

並べられたデッサンの中にある”異質”

 

異質なんて言ったら申し訳ないか。

 

……でも、これだけは雰囲気が違うような。

 

 

「……ティーカップ…、しかも3つ?」

 

 

私はそれを取り出し眺める。

 

Fサイズのキャンパスに描かれたティーカップ。

 

2つは近くで寄り添うに並んで描かれているが、もう1つは少し離れた所に描かれていた。

 

 

猫のティーカップと犬のティーカップ、そして、柄の無いティーカップ。

 

 

どこかで見たような…。

 

 

「…可愛いらしい絵。…描いた人の心が見える」

 

……。

 

なんちゃって。

 

少し恥ずかしいことを呟いてしまった。

 

さ、今日も続きを続き。

 

 

使い古したイーゼルと、描きかけの1枚を備品室から運び出し、私は丸椅子に腰を下ろした。

 

一つ息を吐き出し、新鮮な空気をお腹いっぱいに吸い込む。

 

 

擦筆を握り、さぁ描こうとキャンパスを睨んだ瞬間に

 

ガラガラ

 

と、美術室の扉がおもむろに開いた。

 

 

 

「おろ?」

 

「…ん?」

 

 

 

現れた彼はポケットに手を突っ込み、猫背な格好でアホ毛を頭に生やす。

 

 

どこか、私と似た空気を持った男の子。

 

 

彼女達に頼られ、心から信頼をされる、少し危うい奉仕部の一員。

 

 

「あれ?ヒキタニくん?ハロハロー」

 

「…海老名さん」

 

 

目を合わした瞬間、何故此処に?といった顔をされる。

 

いやいや、私の方こそ何故此処に?って感じだよ。

 

 

「ヒキタニくんが美術室に来るなんて珍しいね。何か用かな?」

 

「…まぁ」

 

「むむ?」

 

 

何かを隠してる?

 

比企谷くんが美術室に来る理由、いくら考えても何も浮かばないけど…。

 

 

「忘れ物?」

 

「いや…。何でもなかったわ。それじゃ」

 

「あー、待って待って!…私が居るとダメな用事?それなら出て行くけど…」

 

「…そういうわけじゃ」

 

 

歯切れ悪く言い淀む彼の姿は珍しい気がする。

 

普段から発言が少ないが、結衣や雪ノ下さんと話すときなんかは割とはっきり口にするタイプだと思ってたから。

 

 

「…選択授業の課題、少し手直ししようと思ってな」

 

「へ?ヒキタニくんって美術専攻なの?あはは、似合わないかも」

 

「うるせ。…海老名さんは、何でここに?」

 

「私、美術部だよ?」

 

「……知らなかった。…ま、まぁ、BLも芸術の一つだもんな」

 

「ちょ、ちょっと!別にBLを描いてるわけじゃないからね!?」

 

 

扉の外で立ち止まっていた比企谷くんはゆっくりと美術室に入ると、陽だまりに置かれたキャンパスを覗くために私の後ろに歩み寄ってきた。

 

み、未完成の作品を見られるのは少し恥ずかしいなあ…。

 

 

「へー。……普通の絵だ」

 

「当たり前でしょ!」

 

「校舎の絵?…上手いもんだな」

 

「へへへ。まぁ、本気で取り組んでるわけじゃないんだけどね」

 

「……?これ、生徒が1人も居ない」

 

 

やっぱり気が付いちゃうよね。

 

比企谷くん、見るからに間違い探しとか得意そうだもん。

 

 

「…これは私の世界だからね」

 

「……。ん、そっか」

 

 

一言、”そっか”とだけ呟いた比企谷くんは、それ以上何も言わずに絵を眺め続けてくれた。

 

なんだろ…。

 

近ず離れずな彼の距離に居心地の良さを感じる。

 

やっぱり、私たちって同類だよ…。

 

 

「あ、あんまり粗探ししないで!…そだ、ヒキタニくんの絵も見せてよ」

 

 

私は絵が見られないように身体でガードしつつ話題を逸らす。

 

比企谷くんもしつこく絵を覗こうとはせずにしてくれた。

 

 

「むむ。…俺のは海老名さんみたいに上手くないし、見てもつまらんと思うが」

 

「だったら私が少し指導したげるよ」

 

「え、まじで?続きを全部描いてくれるって?」

 

「指導するだけだって。ほら、早く見せてみなって」

 

「ほいほいな」

 

「……フレイアちゃん」

 

 

彼はのそのそと備品室に入っていくと、カタンコトンと木と木が軽く打つかる音を立てながら、暫くして美術室に戻ってきた。

 

手にはFサイズのキャンパスを抱えている。

 

 

「…あ、その絵…」

 

「ん?」

 

 

ふっくらと柔らかそうな雰囲気で、見ていると心が和む1枚の絵。

 

程よい暖かみ。

 

気持ちの良い絵だ。

 

 

そこにはやはり、2つの寄り添うティーカップと少し離れた1つのティーカップが描かれていた。

 

 

「…可愛い絵だね」

 

「うむ。これにマッ缶を描き足せば完成」

 

「それは絶対要らないよ」

 

「あらら」

 

「これ、奉仕部で使ってるティーカップでしょ?」

 

「…あ、あぁ、まぁ。別に…。いや、被写体が無かったから適当に描いただけ…」

 

「はは。なんか、君らしいね。…これ、何でこのティーカップだけは柄が無いの?」

 

 

私の質問に、比企谷くんは戸惑いながら、少しだけ照れ臭そうに、私から目を反らして返答する。

 

その口元はどこか拗ねた小学生のようにとんがっていた。

 

 

「……思い出せなかった」

 

 

「…ぷっ、あ、あははー!」

 

 

盛大に笑ってしまった。

 

彼は顔を赤く染めながら、恨めしそうに私を睨むが、そんな姿も可愛らしい。

 

 

きっと、比企谷くんは他人のことばかりに目を向けているから。

 

結衣や雪ノ下さんのティーカップはしっかりと覚えていたのに、自分のティーカップだけは覚えていなかったんだね。

 

 

 

「ん、んぅ。あはは。…ご、ごめんごめん」

 

「…別に構わん」

 

「怒らないでよ。…それじゃあ、奉仕部に行って自分のティーカップを確認しないと」

 

「……」

 

 

思い出せないなら確認すればいい。

 

そのティーカップは奉仕部の部室に置いてあるのだから何の問題も無いでしょ?

 

 

……なんて。

 

 

流石の私もそんな意地悪な事は言えない。

 

 

黙り込んだ彼の表情を見るだけで察してしまった。

 

 

あの日から君達は……。

 

 

「……まだ、仲直り出来ていないんだね」

 

「…ふん。仲を直すも何も、奉仕部は仲間でもなければ友達でもない」

 

 

カレンダーを眺めると、”修学旅行!”と花丸が付けられた日付が目立つ。

 

 

修学旅行が終わって2週間が経とうとする今日まで、やっぱり奉仕部はあの時の問題を引きずっているようだ。

 

 

と、他人事のように回想するわけにもいかず、私は比企谷くんに優しく尋ねる。

 

 

「私の依頼が…、いや、あの告白が原因だよね?」

 

「原因?何の?え、わからないんですけど?げんいん?げ、げんいん?」

 

「子供なの?分かってるよね?」

 

「…む。…まぁ、直接的とは言わずも間接的には原因になり得る可能性はあったのかもな」

 

「もう。正直に言ってくれてもいいのに」

 

「…あの告白は原因じゃない。海老名さんの依頼を解決すると決めたのは奉仕部だ。それを俺の勝手な判断で進めて…、こんな状況になった」

 

 

彼は腕を組み、自らが手掛けた絵を苦々しく眺めた。

 

 

「……。2人の気持ちに気が付かないフリをしたんだね」

 

 

比企谷くんが傷付くことで、心を痛める人が居る。

 

そんな純粋な気持ちの起伏に、彼は無関心を装ってしまったのだろうか。

 

いや、無関心を装うことで2人に予防線を張ったのだろう。

 

 

「…はぁ、あんまり勘ぐるなよ」

 

「ん、ごめん…」

 

 

私は、奉仕部なら…、彼なら、上手くやってくれると思っていた。

 

そして、彼は私の思った通りの人だったから、依頼の本質をしっかりと汲み取ってくれて、解決のために上手く立ち回ってくれた。

 

 

…ただ、それは私の世界が守られただけ。

 

 

私の世界を……、友達同士であり続ける”停滞した関係性”を保つために、私は彼の世界を壊してしまったんだ。

 

 

必死に歩み寄ろうとし合う3人の世界を…、ぬるま湯に浸かり続けたいと願った私のために。

 

 

ただ、言い訳をさせてもらうのならば、彼と同類の私とて、あんなやり方で私の依頼を解決してくれるとは露ほどにも想像していなかった。

 

 

自らを進んで傷付ける。

 

 

そんな彼を、私は少しだけ見くびっていたのだ。

 

 

「……ほんと、自分を大切にしないとだめだよ」

 

「…む」

 

「ヒキタ……、比企谷くん。…君が良ければ、明日も、その次の日も、この部室に顔を出してみない?」

 

「は?」

 

 

私は彼の背後に立ち、ひょろひょろと動き回るアホ毛の上から頭を撫でてあげる。

 

意外と柔らかい髪と、ピクリと緊張する姿がまるで猫みたいだ。

 

 

 

「奉仕部がもとの関係に戻るまで、相談でも雑談でも、何でもいいから私に話して」

 

「……」

 

 

 

陽だまりに満ちた美術室。

 

どこか儚くて脆い彼に、私は手を差し伸べなくてはならない気がした。

 

そうしないと、彼はまたフワフワと勝手気ままに浮いていってしまうから。

 

 

これって母性本能なのかな?

 

 

…お腹の奥が少しだけ暖かくなったのは気のせいかな…。

 

 

 

 

 

「…一緒に、居心地の良い場所を守ろうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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