「あら、スバルと……えっと……お、起きてたの?」
白いローブを身に纏った少女が戸惑いながら俺ら二人が横たわっている部屋に入ってくる。そんな彼女の不自然な言葉の隙間に既視感を感じた。
……これはあれですね。名前を知られてないってやつですね。俺の頭に淡い思い出がフラッシュバックする。あれは確か中学のクラス替えの後、生活班なるものが結成された時だった。
『野村君と、日代さんと……えっと……ほ、細川さんね、よろしく!』
完全に一緒じゃねーか。あの後は特に違和感なく話が進められたよ、ちきしょうめ。結局、俺の名前は一度も問われなかったな……。
『ヒキタニ君、こっちもお願い』
最後に自分を呼んだのであろうセリフをしみじみと回想する。誰だよヒキタニ君。
「あぁ……比企谷の荒んだ目で傷めつけられた心がエミリアたんによって癒されていく……」
スバルは急に飛び起きると、そんなことをボヤきつつ、女神を拝むかのように頭を地面につけた。幸か不幸か、こんなやつには名前を間違われないのだ。主に不幸寄りで。
もう何度目かというほど地面とキスする男を呆れ眼で眺める。どこで知ったのか知らんが、それイスラム教の礼拝な。一日五回エミリアの方を向いて礼拝する……なるほど悪くない。悪くないんだが変人に見えるからやめようね。
「スバル、たんって何? あまり良い意味じゃないみたいだけど……」
エミリアは俺の方を横目で見ながら言った。俺があまりに怪訝な表情をしていたのでそう思ったのだろう。何、これ俺が悪いのかしら? スバルが悪いのかしら? 結論としてはどちらでもないのだろうが、俺にも多少非があるかもね。ということで、少し謝罪の意も込めて俺は言った。べ、別にスバルのためなんかじゃないんだからねっ!
「別に変な意味じゃないから安心しろ、俺らのせか……国ではこれが愛称なんだ」
「そ、そうなんだ」
「おい比企谷! あまり俺のエミリアたんを怖がらせるんじゃねーよ」
メッと言いながらスバルは俺の頭を軽く叩く。一瞬なぜ叩かれたのか全く分からなかったが、エミリアの方を見ると、なるほど、確かに少し怖がっていらっしゃる。
いや、俺怖がらせること何もしてないからね!?(※個人的な見解)
というかいつからお前のになったんだよ、別にいいけど。
「もうスバルったら、私はそんなに臆病じゃありません!」
明らかに若干怯えていたが、エミリアは少し怒ったように胸を張った。それなりにある二つの陵丘が強調されて、視線の行き場に困ってしまう。
誰だよこの服選んだ奴……オメガグッジョブ。さすがに口に出すのは避けた、これ言ったら変態と認定されてしまう。スバルのせいでもうだいぶ変態寄りになってしまった感は否めないが。スバルのせいでな!
しかし、もう変質者のレッテルは張られちゃってる気がする、なにそれ悲しい。
「その服選んだ奴…分かってるな!!」
……言っちゃうのかよ! くっそ、俺の葛藤は一体何だったんだ。いや何の葛藤してたんだ俺は。ついでに言うと、エミリアは少し残念そうな目付きでスバルを見、メイド達はドン引きだ。
俺があの立場なら耐えられん。お布団にこもって泣きわめいちゃう。若き中学時代の黒歴史である。
「そういや、エミリアたん、こいつの名前言ってないよな。こいつは比企谷、こんななりだが意外と良い奴だ」
「あ、まぁ、よろしく」
短兵急に話を振られて少し驚いた。初めて自分の苗字を正しく紹介された気がして少し気恥ずかしい。うちの名前どれだけ難読漢字なの?漢検レベルなの?
エミリアは今度こそ俺の方をきちんと向き、口を開いた。
「私はエミリア、よろしく。あと、ありがとう」
「いや待て、それは俺のセリフだ。傷治してもらったんだよな。まぁなんだ、その……あ、ありがとな」
「どういたしまして」
あまりお礼というものを言い慣れていないせいか少し言葉に詰まる。その様子を見たエミリアは微笑んで返事をした。
え、誰? この子? ほんとにあの少女か? だいぶ印象が違いすぎて戸惑いまくリングなんですが……。こ、これがツンデレというやつか……!
そんな下らないことを性懲りもなく考える。
ついでに言うと、エミリアに残念そうな目で見られ、メイド達にドン引きされた。あ……。
***
「やっぱり朝は準備運動に限るな!」
屋敷の庭と呼ばれる場所に来たスバルは何の脈絡もなくラジオ体操を始めた。急に走り出したスバルに、エミリアと俺プラスメイド二人は置いてけぼりだ。
庭……ねぇ。広すぎる屋敷の庭に俺は呆然とする。あ、今の顔八幡的にバカっぽい!
気候は、春……だろうか? とにかく心地が良い。
こんな心地よい場所で読書でもしたいもんですね。ふとそんな風情のあることを考えると、何か物足りないことに気づく。俺、カバン何処やった……?
あるはずがないのに辺りを見回しているとエミリアと目が合った。
「あ、そうだ。ヒキガヤ……だっけ? 昨日、あなたの横にこんなものが落ちてたんだけど」
エミリアが戸惑いながら青髪のメイドからあるものを受け取る。噂をすれば何とやら、それは俺のカバンだった。激しい戦闘の最中、完全に放置されていたせいか埃をかぶっている。中の教科書とか大丈夫だろうか、無事じゃなかったら俺が平塚先生に『大丈夫じゃない』ようにされてしまうんだが。
「マジか。悪い、今ちょうど探してたんだ」
ほんとに今ちょうどですけどね、すまんな、カバンよ。俺はエミリアとカバンに謝りながら受け取ろうとする。
しかし、エミリアは一歩後ろに下がり、俺の手は空を切る。え、何これ罰ゲーム?
「『悪い』じゃなくてもっと別の!」
「は? え、あー……。あ、ありがとうな」
「よろしい!」
ようやくカバンを渡してもらえた。何この人、俺を辱めたいのかしら? いやまぁそんなに性格悪くないの分かるけどさ。
カバンを受け取った俺は手早く中身を確認した。……数学がねぇ。俺がこの世の終わりのような顔をしていると少し遠慮するようにエミリアが話かけてくる。
「あとレムにもね」
エミリアが、レムと呼ばれた青髪のメイドを俺の前に押し出した。青髪のメイドは少しよろめきながらも『えっへん』とでも言いだしそうな雰囲気で話し始めた。
「しっかり管理、閲覧、検査いたしました、レムが」
「お、おぉ、ありがと……閲覧?」
俺が少し怪訝な顔をするとレムは不思議そうな顔で返してきた。待てこらおい。見られて困るものは入ってないし、怪しいものだから一応ってことはわかるんだけどね、プライバシーというものがあるでしょ!
とか思ってるとさすがに暇になったのかスバルが絡んでくる。完全に忘れてたわ、ごめんね☆
「お、何? 比企谷まさか、ああいう本やそういう本が……!?」
「入ってねーよ、持ってもねーよ」
「つまんねぇ野郎だなぁ。お前には男のロマンってもんが無いのか比企谷!!」
「寧ろお前は持ってんのかよ……」
「いやここで持ってるとか言ったら、即牢屋行ですしおすし」
牢屋行? スバルまだ18才未満だったのか。確かに童顔ではあるが、てっきりガチニートかと思ってたわ。なんだただの登校拒否か。
「よし! 体操の続きだ!! 比企谷もエミリアたんもほら!」
スバルはこちらも巻き込んで体操を再開しようとした。軽く拒否の仕草をすると彼は一人にぎやかに体操し始めた。
やるわきゃねーだろ、スバルはジャージでも俺は制服だし……あ、俺制服だ。なんかこう『ファンタジー!!』って感じの服着てるのかと思ってた。我ながら説明が下手くそすぎる。なんだよ『ファンタジー!!』って。
というかなんで俺の服無事だったんだろうか。なかなか惨いことになってた気がするのですが。あれ、俺には血が通ってないのかしら?
そんな憂慮をよそに、エミリアが物珍しそうな顔をしてスバルに問う。
「すごーく不思議な動きね、それは何?」
確かにラジオ体操というものは不思議な動きだ。日本でしかやらないんじゃないの? アメリカ行ってニューヨークの道端でラジオ体操を始めるとさぞ珍しい目で見られるのだろう。いや日本でやってもそいつ頭おかしいよ。
「まぁな、簡単だぞ! 俺の動きを真似してくれ!」
いっちにっさんっし!と掛け声を上げながらスバルはエミリアを引き込んだ。
あぁ、のどかだ。俺はさっき返してもらったカバンから小説を取り出し続きを読もうと場所を探す。丁度テラスのようなものがあったので有り難く使わせていただいて、読書を始めた。こんな異世界物のラノベにも親近感を感じる。なぜだろうと少し考えてみた。あ、今まさにその状況だからか。
結論は会議を始める前からすでに決まっている、そんな名言がどこかにあったな。
「ゾンビ様、一体それは何でしょうか?」
藪蛇に青髪レムがラノベをのぞき込んできた。いやビビるわ。普通にビビるわ。ていうか俺ゾンビじゃねーし。
最低限の平静を装い、俺は社交辞令としてこう答える。
「そんなに生々しく腐ってるように見えますかね……」
何が社交辞令だアホ。これじゃただの反論じゃねーか。
こういう時はだな、もう少し紳士的に頓智をきかさた言葉を言うべきだろ。こう何というか、そう、ああいうのね。
「少なくともそこまで酷い臭いではありませんね、失礼しました」
おい。
何に対してこの子は失礼だと思ったのかしら? つまりあれだ、ビジュアルの方は完全に無視の方向なのかよ、そっちのが失礼だよ!
っつーか、少なくともって言ってたな……俺、割と臭うのかな……? 少し傷つきながら俺は自分のにおいを確認した。うん、分からん。
「ところでレムの質問が完全に放置されてるのですが、どういうことでしょうか」
こっちが聞きたいよ! 俺のビジュアルと名前も完全に放置されてるよ! どう考えてもこいつは『変人』に部類されるべきやつだ。
ただ、まぁ、男子高校生たるもの、そんな変人ごとき女子に惑わされてはならない。冷静に冷静を尽くして言葉を返す。
「これは何というか、まぁなんだ、本だよ、本」
ラノベや小説と言っても通じなさそうなので大げさな一般名詞を使う。アバウトだね、『ここ何処?』って聞かれて『イッツジャパン!』って答えるぐらいアバウトだね。
いや本以外言いようねーし、八幡わるくない。
もちろんこんな適当な回答を求めていたわけではないメイド様は顔をしかめ、俺を蔑むような目で見た。
「ゾンビ様は頭のネジが木っ端微塵になっているのでしょうか、本なんて見て分かります」
「せめて緩んでるって言ってくれ、木っ端微塵だと俺の頭開いちゃう」
「レムはその得体の知れない奇妙な記号は何かと聞いているのです」
「あぁこれはだな……」
あれ? 何て言えばいいんだ? 予想外な質問に言葉が出てこない。俺らの国……でいいのか? それだと俺が予想する次の質疑応答に困るんだよなぁ。ま、いいか、なるようになれ、だ。
「まぁ、なんだ、俺の国の言葉だ」
「発音は同じなのに…? ヒキガヤ様は一体どこの国から来られたのでしょうか、いささか疑問です」
ほら来た。これが最も恐れていた質問だ。下手に『遠い国』なんて答えても状況は解決に向かわないだろう。正直に異世界と言いたいところ、だがそうするともっと怪しまれるし最悪、処刑?
というかそれともう一つ気になる点が。
「ってかお前俺の名前分かってたのかよ」
「レムの耳は飾りではないので、先ほどスバル様が仰っていたのを聞き逃す訳ありません。そして話を逸らさないでください、最後にお前ではありません、レムとお呼びください」
「さいですか……。んじゃレム、ちょっとあれ見てみろ」
「ヴィクトリー!!!!」
日本でもそうそうお目にかかれない叫び声をあげているスバルを指さす。またもや自分の質問が躱されたのかとレム様は少しお怒り気味だ。あどけない顔つき……かと思いきや割と真面目に睨まれていた。
多少ひるみそうになりながらも俺はこの状況を打開するため話をつづけた。
「あれは俺らの国で言う『ノリ』という奴だ」
「『ノリ』……とは?」
「まぁなんだ、簡単に言うと場に馴染むための偽装というべきか欺瞞というべきか。とにかく、俺らの国ではああやることで全てを乗り切れる。この国の発音もそういう『ノリ』で何とかしたんだ」
自分でも何を言ってるか分からなくなってきた。まず『ノリ』で何とかなるとかどんだけ平和な国なんだよ。しかし、よく考えると最近の社会ってそんなもんじゃないでしょうか。
ていうか『ノリ』で発音が何とかなるとかスペック高すぎぃ!!
「なるほど……では比企谷様も『ノリ』を体得されているのですね」
いや納得しちゃうのかよ。そしてキラキラした目でこっちを見るな。
上目遣いってマジ反則。ちょっと取り締まるべきだと思うんですよはい超戸惑ってます。
最初は無表情な奴かと思っていたが、こうして見ると、頬は少し赤く染まり艶めかしい。異世界らしい水色の目はとても澄んでいた。
こんな純粋な子に水を差すのはどうかと思うが、嘘は言わない。ましてや自分を持ち上げるような嘘なんて吐き気がする。
「なんか盛り上がってるとこ悪いが、俺は『ノリ』があまり得意じゃない。そういうのはスバルに習ってくれ」
「何ですか、面白くないですね」
レムは手のひらを返すように軽蔑の眼差しで見てきた。
俺の葛藤を返せ。あと俺の純粋極まりない心とか!
不満のこもった目で見返すと眼力で制される。自分の弱さが染みる。蛇に睨まれたヒキガエルとはまさにこのことではないかと身をもって体感した。
俺ら、主にスバルの生死を懸けた怒涛の一週間は、ここから始まる。
お読みいただきありがとうございました。
アニメの方は折り返しを迎えた…といったところでしょうか?
そしてとうとう…期末二週間前…
もっと話を進めたいと思いつつ、ひとまずキーボードから手を離します…
では次回もよろしくお願いします。