お詫びといっては何ですが、駿台生活の合間にちょこちょこと書き溜め、この作品一のボリュームにさせていただきました。
覚悟してお読みください。
「ふざけてんじゃねえええぇぇぇ!!」
とうとう彼はやってしまった。いや、彼にとっては『やってしまった』という認識すらないのだろう。あくまで『彼女を守るため』、仮にもその目的のためならば、現状を遥かに悪化させる行為さえ『善行』という二文字が被せられる。
会場は、怒号と共に躍り出たナツキスバルによって、静寂に包まれた。
不味い、非常に不味い。だがまだ一応最悪の事態には達してはいないようだ。俺の周りに整列している騎士団は、ピクリとも動いてはいない。つまり、首チョンパにはある程度の余裕がありそう……いやどうだろうなこれ、普通にダメな気がするんだけど。
しかし、エミリアの制止を振り切っているため品位は相当低いが、スバルの異常なまでの想いが少しは彼女の悪評を改善している……のかもしれない。そうであることを願うばかりだ。
ただ、エミリアの毅然とした態度がひとまず彼を押さえることとなった。
良かった。俺はホッと胸をなでおろす。
だが、また地雷となる言葉が賢人会から放たれてしまった。
「ときに、そちらの御仁はどういった立場であらせられるので?」
俺は一体何回心臓をアップダウンさせなくてはならないのだろうか。僕のボキャブラリーから逆説類義語が消えかかっております、ええ。
さて、そう問われたスバルはというと、一瞬ゲッという表情をしたものの、何か思いついたようでキリっと顔を整える。あぁ、嫌な予感しかしねぇ……。
戸惑うエミリアを残し、彼はそのままスタスタと賢人会の眼前まで歩いていくと、何やら不思議なポージングを決めた。何だったかな……あのポーズ。『お控えなすって』とかそういう類だった気がするが、それはともかくあれは超絶場違いで相当ダサい。
「初めまして、賢人会の皆々様。俺の名前はナツキスバル! ロズワール邸の下男にて、こちらにおわす王候補、エミリア様の一の騎士ぃ!!」
うっわー……。さいっっっっあくだ。この際、スバルの言葉が『ナチスの科学力は世界一ぃ!』とちょっと似ていたのは些末事だ。問題は、彼がここにずらりと並んでいる由緒正しそうな騎士の面々を前にして、騎士を自称してしまったことである。
すぐに首が飛ぶとかいうファンタジーは起こらなかったものの、騎士団の中から鋭い目をした男が彼の前に現れた。どこからともなく『ユリウス様』という声が聞こえる。
「話の途中で失礼します。ですが、彼に一つだけ確認したいことがあります、彼が真にエミリア様の騎士を自称するのであれば」
「そらどういう意味だ」
スバルは、まるで親の敵とでも言わんばかりにユリウス(らしき人物)の言葉にかみついた。
まずった……。完全にタイミングを失った。やっべぇ……エミリアの依頼を履行できないどころか、マジでこれお縄がワンチャン。ていうか、なんでスバルきゅんはユリウスに敵意を抱いてんのん? やめて! いやほんとやめて!
「君は今、自分が騎士であることを表明した。恐れ多くも、ルグニカ王国の近衛騎士団が集まっているこの場で!」
そう彼が述べると同時に、会場の騎士団は一糸乱れぬ動きで剣を構えた。
「す、すっげぇ揃った動きだったな、今日のために一生懸命練習してきたのかよ」
「そうだ。我々はルグニカ王国に命を捧げた身、いつ何時とてその誇りを持ち、騎士としてあるべき姿であろうと努力を惜しまない。それが騎士たる者の使命であり、義務だ。その覚悟が、君にはあるのか?」
「お、俺はエミリア様を王にしたい……いや王にする!」
「それだけの覚悟と力があると?」
「覚悟とか相応の力とか、そんな大層なもんはねーけど……それでも俺はエミリアを王にする! 彼女の願いを叶えてみせる! 俺はあんたらとは違う!」
「それは傲慢が過ぎやしないか。弱きことなど恥じることであって誇れるものではない。君は騎士であるために励んできたのか? 我ら近衛騎士団を辱められるほど、努めてきたのか?」
「それでも……俺は!」
「分からないな。これだけ否定され、なぜ君はまだこの場に立つ?」
「彼女が……特別だからだ」
「なるほど、君がここにいる理由は納得した。だがそれゆえに、私は君を騎士として認めることはできない。傍にいたい相手にそんな顔をさせるのは、騎士として相応しくない」
ユリウスは一切姿勢を変えることなく、スバルをじっと睨みつける。
スバルは顔を歪め、エミリアをちらりと見た。彼女は少しうつむいており、表情を読み取ることは難しかったが、大方の想像はつく。
歪み切ったスバルの口から発せられようとしている言葉もまた、容易に予想できた。もうさすがに見ているだけにはいかない。全くもって乗り気ではないが、俺は二人の間を遮り、お辞儀をしつつ要旨を述べる。
「な……七光りふぜ……」「割り込みの無礼を承知で申し上げます。ユリウス様、スバル様、お二方ともいい加減矛をお収めください」
スバル様が登場した時のような静けさが訪れた。
正直な話、滅茶苦茶怖い。異常なまでに俺に視線が集まっているのを感じる。しかし、彼にこれ以上言わせてはいけない。頭をフルに回転させてこれからの展開を考える。
「ちょ、ヒッキ……」「スバル様、しばしお待ちを」
スバル様が何か言いたげだが、何とか抑え込んだ。あぁ……『スバル様』とか言いたくねぇ……。しかし彼が騎士を名乗った以上、体面だけでも使用人である俺の方が身分は低いのだ、致し方あるまい。
「君は一体なんだ? どうしてこの場にいる?」
「私めは、エミリア様の使用人です。ご主人さまより参列の命を受けましたため、恐れ多くもこの場に参った所存でございます」
……合ってるかこれ? 少なくとも日本では間違ってない……はず。敬語なんて丁寧語しか基本使わないからよく分からないね。とりあえず、エミリア様の世間体を保てればそれでいいのだが。
「では、使用人である君に騎士の問題に関わる権利はない、下がれ」
「お言葉ですが、王選であるならいざ知らず、それとは無関係に我が主の騎士様を侮蔑されて、おいそれと下がるわけにはいきません。私の誇りにかけて」
もちろん、ユリウス様の言葉に正当性があることは百も承知だ。加えて、この場を収めるだけなら他の最適解があるのも承知の上なのだが、この王選という戦場でエミリアの威厳を失わせるわけにはいかず、どうしてもユリウス様に対抗する形で収めるしかない。
何というか必死すぎてその意図すらバレてそうなまである。
だが、俺はそのまま事態の収束にかこつける。
「ですので、ここは喧嘩両成敗という形でお収めくださることをお願い申し上げます」
「我々の誇りと、君らの誇りが同等であ……」
「まさか、矜持の種に優劣があるとは仰りませんよね?」
ユリウス様の言葉を遮り、彼の言葉を否定する。とはいえ、俺とスバル様の誇りとユリウス様以下騎士様方の誇りを天秤にかけるとか、どう考えても異常だ。だが、そこは『異種のプライド』という未知の変数を導入することで誤魔化す。まぁ要は雰囲気の問題なのだ。
自分で言っておいてなんだが、これマジで最低だわ……。後で土下座する勢いじゃないと、『あれ? 最近ヒキガヤ見なくね?』的な事態になりそうだ。何それどこの北朝……これ以上は止めておこう。
「なるほど……。では、この場はひとまず収めさせてもらおう。賢人会、並びに会場の方々、見苦しいものをお見せしてしまったこと、お詫びいたします」
そう言って、彼は元いた騎士の列に戻った。『ひとまず』という言葉は聞かなかったことにして、俺らも退場せねばなるまい。
「我々からも謝罪いたします。これ以上醜態をさらすわけにはいきませぬゆえ、我々はここで退場させていただきます。スバル様、こちらへ」
「おい待て、まだ……」「頼むから今は従ってくれ」
どうにもまだスバルは納得していないようだ。ここで押し問答する気はないので、軽く引っ張り出口へ誘導する。
重そうな扉を門番のような騎士に開けてもらい、スバルと共に外へ出た。そのまま歩いて待合室にたどり着く。そこでスバルは口を開いた。
「ヒキガヤ、どういうつもりだ」
「……どうもこうも、どう考えてもあのままじゃヤバかっただろ」
「そういうことじゃねぇよ! 俺を助けたつもりか!? 余計な事するんじゃねぇ!! 俺はお前の助けなんてなくたって……これまでも!」
スバルは吐き出すように怒鳴り散らした。それもそうだろう。恋焦がれている人の前で、散々否定され非難された上、別の男にフォローされる。生き地獄かというほど惨い仕打ちだ。だが、それは彼自身が撒いた種である。
……とはいえ、俺がでしゃばるのも何か違っていたため、やはり少しは申し訳なく思う。
「悪かった」
「くそっ! お前はなんでいつもいつもそんな達観してんだ!! あぁいい気分だろうよ、そんだけ色々考えられて! それに、エミリアたんのお気に入りだもんな!!」
「は? お気に入り?」
「あぁそうだよ! こうやって今日、お前だけが! こんな重要な場面にお呼ばれして心ン中で俺の事笑ってんだろ!!」
「……スバル」
「うるせぇ!!」
「ナツキスバル」
俺はスバルを睨みつける。自分のプライドを傷つけられたことに対して俺に怒りをぶつけるのは当然だ。だが、彼が信じているエミリアの言葉を否定するのは見るに忍びない。
「お前のプライドに泥を塗ったのは素直に悪いと思ってる。だが、エミリアのお気に入りってのは完全に思い違いだ」
「あくまでその姿勢を崩さねぇってんだなお前は……ほんとにご立派なこった」
「信じられないならそれでもいいが、あいつは本当にお前のことを想っている。今日のことだって、お前のために俺に頭まで下げたんだ。すげぇよ、お前とエミリアは」
何を思っているのかわからないが、彼は黙り込んだ。
今の言葉に一切の嘘偽りはない。俺は彼女が本当にスバルのことを想っていると考えているし、彼と彼女の関係を心からすごいと感じている。
いくらか時間が経った頃、王選の何やらが一息ついたようで、懐かしきラインハルトと……誰だあれ? フワッとしたセミロングの猫耳っ子が待合室に入ってきた。
「お、ヒキガヤ……だよね? 久しぶり」
ほほう……その位置から俺に話しかけますか。俺レベルのボッチなら軽く無視しちゃうよ? だって俺だと思って違う人だったら恥ずかしいじゃない言わせんな恥ずかしい。
「おう、久しぶりだな、ラインハルト」
「ハハハ……。相変わらず生気がないね、君は」
「ちょいちょい、あの子さっきの子? なんか雰囲気ちがうくにゃい?」
猫耳っ子が耳をピクピクさせながら言う。
う、動いたぁぁぁぁぁ!! なにあれなにあれ、動くの!? その耳動くの!?
「さっきは、にゃーんか気品があったのに、今は死人みたい」
ほっとけ。もうこのセリフも異世界に来てから何度目だろうか。いやマジで放っておいてほしいです、まる。
「そう言ってあげないであげて。彼はやる時はやる男だ。そうだ、まだ君たちはお互い初対面だったね。彼はフェリックス・アーガイル、僕と同じ騎士だよ。そして、この彼はヒキガヤ」
「にゃははー、同じ騎士って言われるとちょっと照れるなぁ。よろしくねーヒキガヤ……ヒキきゅん……ヒッきゅん……ヒッキ……ん、ヒッキーだ!」
「は、はぁ、よろしく」
ラインハルトからの評価が妙に高いことやら、『実は男の娘でした』やら、ヒッキーやら、何から何までツッコミどころが多すぎる。
困惑要素過多により少しビクビクしながら、差し出された手に握手を返す。
「いやー、ほんとに全然違うね。同一人物??」
「まぁ、一応」
「そういえば、王選も本格的に始まったから気合いを入れなきゃだめだよ、スバル」
そう言って、ラインハルトは俺から少し離れたところに座っているスバルの元へ歩いていく。その後ろをフェリさんがついていった。……尻尾までついてんの!?
「スバルきゅんてば、エミリア様の騎士にゃわけでしょ? お互い頑張っていこうよ、ね?」
なんか中途半端にボール球なフォローだな……。まぁ俺よか随分ましだけど。
しかし、そんなフォローでもスバルには気合いを出してもらわねば困る。どうせこの時間軸もすんなりいくわけがない。それゆえ、キーパーソンであるスバルが愚図っているとまったく話が進まなくなってしまうのだ。それだけは避けねばならない。
そんな折、またこの部屋に入ってくる足音が一つ……。
「お取込み中失礼する」
その一言から、俺の全く予想しない展開へと、物語は足を進める。
***
場所は移り、どこぞやの闘技場。
そんな舞台の中心……ではなく、端っこに少し気まずく俺は立っていた。中央にいるのは、木刀を手渡すラインハルトとフェリさん、それを受け取るスバルと……先ほどの騎士、ユリウスだ。周りの観戦席には、これまた先ほど会場にいらした騎士の面々が座っている。
どうしてこうなったか、経緯は簡単である。ユリウスがスバルに決闘を申し込み、彼がそれを受けた。なんてこったい。
しかし、今ちょうど決闘が始まりそうなのだが、ユリウスが述べていることに少し違和感を感じる。軽くまとめると、ユリウスは『騎士をバカにした罰なのだ』のようなことを相当キツめにした言葉をスバルに投げかけたのだ。
正直、スバル君がそこまでしたとは思えない。というか、俺の方が恨みを買ってそうなのだが、なぜか俺は決闘を免除された。そのことへの安堵と、しわ寄せがスバルにいったのではないかという申し訳なさが混在しており、本当に気まずい。
とはいえ、止める名目がない。ここは先ほどとは異なり、王選とは無関係の場。それこそ騎士同士の決闘に使用人なぞ割り込もうものなら一蹴も二蹴もされてデッドエンド。そもそも当の本人がやる気なのだから無理に止めても仕方ないだろう。
「さぁ、始めようか」
「あぁ、遠慮なくいかせてもらうぜ!」
少しは遠慮しろバカ。どう考えても結果は見えてる。良くて瀕死、最悪お陀仏。……あぁ、『遠慮なく逝かせてもらうぜ』ってことなのかしらん? いやマジでそれだけは勘弁して欲しい。
そして、予想通りというべきか、スバルの先制攻撃は軽くいなされ見事なまでのカウンターを喰らっていた。倒れたスバルを見下しながらユリウスは述べる。
「君には本当にプライドがないらしい。卑俗で実に生きやすかろう」
スバルが立ち上がれないほどの猛攻。死に至るまでではないだろうが、相当なものだった。しかし、スバルはスバルで必死に意識を保っていた。さすがに気絶したら強制終了だろうから、意地でも意識にしがみついているようだった。
そのまま数分が経過した。ユリウスは何回かスバルを立ち上がらせる隙を与えるのだが、数秒と持たず倒されてしまう。あまりの一方的な試合に、最初こそ沸き立っていた会場も今はむしろ同情の雰囲気に包まれていた。……私怨だけでないとは思っていたが、これが狙いなのだろうか。
その時、悲痛な叫び声が響き渡った。
「スバル!!」
会場はその澄んだ声に一瞬気をとられた。……彼はあろうことかその隙をつく。
「シャマク!!!!」
闘技場中央が暗雲に包まれた。スバル奥の手の奥の手らしい。さすがに反則だと思うのだが、彼はそこまでしてユリウスに一矢報いたいようだ。
『ダメ』という彼女の叫び声さえないがしろにして、彼はユリウスに斬り込んだ。
「これが君の切り札か。だが、練度が低すぎる。こんな低級魔法、獣でもない限り通用しない!」
黒煙は一瞬のうちに晴れ、ユリウスの反撃にスバルはとうとう倒れた。
***
黄昏時、薄暗い部屋の中でゴロリとベッドに横たわった。
スバルとエミリアが激しい言い争いをしていたのは記憶に新しい。あそこまで声を荒げるエミリアは初めてだったし、今までのことは全て自分の賜物だというスバルの言葉には、息をのんだ。そして―
『私には、スバルにいっぱい、いっぱい借りがある。……だから、それを全部返して、終わりにしましょう』
エミリアのこの言葉で、決着はついた。人間関係の脆さを、久々に痛感した。
彼は結局、何のために動いていたのだろうか。堂々巡りするその問いへの答えは出そうもない。
スバルは言った、『それはエミリアのためだ』と。エミリアは言った、『それは自分のためだ』と。しかし、どちらが正解であろうと別に構わないのだ。本当に彼女のためなら、ご立派なことである。自分のためであっても、それはそれでいい。人の身である以上、自己中心主義に陥ることなど珍しくもない。
ただ俺は、彼の真意、本意、意識……言い方は何でもいいが、彼の本心が知りたかった。どうしてあそこまで必死になれたのかそれが知りたかった。自分がそこまで知りたい理由も分からない。しかし、無意識にも答えを求め、理解することを求めていた。
そして、二人の関係が悪化したのは、もちろん大方スバルの自業自得なのだが、一因には俺も含まれている。後悔をしているわけではないが、彼らを見ていると胸が痛んだ。
どうしたものかと俺などが考えようと改善策が出ることはない。そもそも、他者の介入が許されるほど手ぬるいものでもないのだろう。行き進むことない思考を繰り返していると、疲労と憔悴で眠りへと誘われる。
そんな時、コンコンとノック音が聞こえた。ボーっとした頭で扉を開ける。
「うげっ」
何か白いものが見えた瞬間、俺の身体はベッドに押し倒された。未だにぼんやりする視界で胸に乗っている何かを見る。
「え、エミリア……?」
無知低能な俺の頭ではまったく理解できなかった。何? なになになに? 混乱が混乱を招き、パニックフルバースト状態だ。
「うぅ……バカ! スバルのバカバカ! バーカバーカ!! スバルのアンポンタン!」
彼女はそう叫びながら俺をポカポカと殴る。いやほんとに何なんだ。スバルの名前が出てきてなんで俺が殴られるんだ。
状況が全く理解できていない俺を取り残したままエミリアは言葉を続けた。
「もうなんで!! なんでなんで!?? どうしてあんなことしたの!? やめてって私言ったよね!? どうして!!」
「いや落ち着けって……」
「ヒキガヤもヒキガヤ! 止めて欲しかったよ!! もうほんとにヒキガヤ」
あー……まぁ大体わかった。つまるところ、あれですか。八つ当たり……みたいなもん ですか。スバルを止めなかったことは完全に俺の責任なので耳が痛い話ではあるが……。
彼女はわめきながら、俺が着ている借り物のスーツで涙を拭う。恐らく、スバルの手前涙を流すことは出来なかったのだろう。やはりこのお嬢様は、スバルの事を本当に想っているのだと少し安堵する。
「もう分かんない……。私が間違ってたの……? スバル……」
だが、こうなってくるともはや俺を人として認識してるかすら怪しいな。
状況は掴めたが、どうすればいいのか皆目見当もつかない。こういう時、ラノベの主人公ならなんかこう、グーっといって、なんか『大丈夫、ボクガキミヲマモルヨ』的な甘いセリフで何とかなるのだろうが、俺がそんなことしようものなら事案である。八幡、マジ追い出されちゃう!
結局どうしようもないと諦め、グスグス言ってるエミリアを落ち着くまで見守ることにした。泣いている女の子の慰め方とかどこで習うんでしょうか。ご教授願いたい。
数分後、何とか彼女は落ち着いたようだ。
「……大丈夫か?」
「……うん、ごめん。とりあえず落ち着いた」
先ほどとはまるで別人だ、なにこれ怖い。まぁこれが普段の彼女なのだが。
エミリアは深呼吸をすると、体を起こし俺の横に腰かけた。俺も数分ぶりに体を起こすことが出来た。ずっと固まって同じ体勢だったので、少しだけ手足が痺れている。
「ほんと、ごめんね、さっきの嘘。ちゃんと言わなかった私が悪いよね。……あー、もうどうしたらいいか分かんないや……。私、何か間違ったのかな……」
彼女はうつむきながら、何かに問いかける。
「人間の行動に正解も不正解もないだろ。後から振り返っても結果論でしかないし、ていうかそもそも振り返りたくもねぇし……」
ハハッ……。目線を明後日の方向に向けるとなにか思い出しそうになってしまう。やっぱり、人生観なんて考えるもんじゃねえな。……あれ、ちょっと待ってマジで思い出した。待って待って、涙がちょちょぎれる。
「ヒキガヤってほんとどんな生き方してきたの……」
どういうわけか泣きそうになっている俺を訝し気に見つめながら彼女は言った。ねぇ、ちょっと、エミリアさん引いてない?
俺が少し不満げな顔をしていると、彼女は軽く笑って立ち上がる。
「ありがとう、ほんとに落ち着いたよ。やっぱり、スバルとは少し距離を置いた方が良いのかも。そういえば、私は明日屋敷に戻るけどヒキガヤはどうする?」
早く帰りたい気持ちは山々なのだが、恐らくそうもいかないだろう。今ここでスバルを置いていける選択肢が与えられているわけがない。
わざわざあの苦痛を受けるのも馬鹿らしいので、フワッとした理由を付けつつ魅力的な提案に別れを告げる。
「俺は残る。もうちょい観光してみたいしな」
「うん、その方がいいと思う。レムも残るみたいだし」
いくらか肩の荷が下りた様子のエミリアは、扉まで歩いていくとそこに手を掛けたまま立ち止まった。振り返りざまに彼女は言葉を残す。
「そうだ、最後に一つだけ。ヒキガヤもちゃんと誰かに相談すること。いい?」
「あー……あ?」
「いい?」
「え、あ、はい」
「よろしい、それじゃ」
パタンと軽い音を立てて扉は閉まった。
……なんなんだ、あいつ。笑って言った彼女の真意もまた、俺には推し量ることなど出来ない。多くの謎に包まれて、今度こそ深い眠りについた。
そして翌朝、俺はスバルに配慮してエミリアに会うことはなかった。
***
さて、エミリア(とロズワール)が帰ってしまったため、俺ら三人が宿にいることは出来ず、クルシュ邸にしばしお世話になることになった。嗚呼、懐かしきは我が家なり……ってよく考えたらあの屋敷家じゃねーわ。
正直、またまた非常に気まずいのである。スバルはフェリさんによる治療のため、レムはそのお供、つまり俺だけここに置いてもらえる理由がないからだ。ほんとクルシュ様のご厚意には感謝の至りでございますます。
「どうした? 落ち着かなさそうな様子だが?」
まぁ、当のクルシュ様が目の前にいらっしゃるわけですけども。
「いや……何と言いますか、俺の場違い感が凄くてですね……」
「卿はエミリアがあの場に参列させるほどの男だろう。何を恥じることがある」
「クルシュ様は、あの時のヒッキーとスバルきゅんを高く評価にゃさってるんだよ。使用人と言えど彼と同じぐらいもてなせってさー」
なんかややこしい事態になってるぅ。なんとしても余計な誤解は解かねば、後々めんどくさいことになりかねない。そういう地道なことをしないから、ラノベ主人公ってのは大体厄介ごとに巻き込まれんだよ。格の違いってもんを見せてやるよ。
「俺に関しちゃ大きな誤解ですよ。俺は万が一スバルが乱入してきた時のただの保険ですし、あんときは心底ビビっていましたし……買いかぶりすぎです」
「卿が怯えていたことぐらい気づいている。その上で大層な男だと思ったまでだ」
「えぇ……」
ダメだったのだー。まぁそこまで言われて悪い気はしない。……あぁ、これ俺も面倒ごとに巻き込まれちゃうやつですね。
しかし、過大評価されてイイ気になるのは置いといて、この世界でいざとなった時など全く役に立つ気はしない。なにせ魔法があるセカイだぜ? 暗闇の中で飛んでくるプリンを食えと言われるようなものだ。つまるところ、俺は完全に役立たずなので、汚らしい使用人とでも思ってもらった方が好都合なのだ。へっへへ、ご主人様もなかなか悪でいらっしゃいますねぇ……的な。
「フフ、卿ほど別方向に自分が見えていない輩も珍しい。そこまで言うなら、滞在する大義名分を与えてやろう。フェリス、給仕場へ案内してやれ」
「はいにゃー。ヒッキー、こっちだよ」
フェリさんが、扉へ駆けていき、こっちゃ来い来いと手招きする。
ちょっと待てい、これ完全に働かされる流れだよね!? 過大評価を甘んじて受けておけばよかった……。斡旋してくれたクルシュさんの手前、ため息をつこうものならなんか生き埋めにされそうなので、黙って彼女……彼について行く。
「……本当に、腐った目をしているな……」
後ろからわずかに聞こえた独り言は、聞こえなかったふりをした。
それに代わるようにフェリさんが歩きながら話し始めた。
「ヒッキーも殊勝なこったねー。おとにゃしくもてなされてればいいものを」
少しばかり良心が痛む。仕方ない、考えを少し改めよう。どうせ使用人も専業主夫もそう大した違いはない……ない……な……ない立場だ。職業訓練とでも捉えて……ていうか俺エミリア邸……もといロズワール邸でしっかり使用人してたじゃないか。んじゃ全然余裕ジャマイカ。
何とか、『働く』というワードに打ち勝ち、心が少し落ち着いた。
「ヒッキーはさー、変だよね。フェリちゃんたちとは全く違う考え方してる」
むしろ同じ考え方のやつなんていないだろ。千差万別、唯一無二、十人十色……俺なんか十人いようものなら、周りの人間からするとたまったものではないだろう。ジメジメと日本ニート化計画が進行していくのである。ふむ、案外悪くないかもしれない。
そんな馬鹿げたことを考えていると、真面目な顔をしてフェリさんがこちらを向いた。
「君を見ていると胸糞が悪くなるにゃ。必死になってるもの、言ってあげようか? 会って間もないフェリちゃんがさ」
その気迫に思わず身震いしてしまった。それに、その言葉には聞き覚えがあった。あの日、魔術師もとい魔術犬の掃討劇直前、ベアトリスにも言われた言葉だ。
ベアトリスと言い、眼前の彼と言い、謎めいた、しかし核心をつくような言葉を俺に投げかける。いったいなんだというのか。
「……今のはちょっと意地悪だった、許してね。でも、今のヒッキーが見てられなくてさ」
「まぁ、そういう意地悪は慣れてますから」
「フェリちゃんに敬語は要らないよー。スバルきゅんみたいにタメで気軽に話してよ。それはともかく、うちの主様をあまり悩ませないであげてね」
「クルシュさん?」
「クルシュ様ってば、君ら二人のことが心配なんだよ。羨ましい限りにゃ」
フェリさんはにゃんにゃんとばかりに、俺に猫パンチを喰らわせる。
「心配させるようなことはないと思うが……」
「だから言ったんだよ。『言ってあげようか』ってね。でも、さすがにフェリちゃんからは言えないにゃ。……あ、着いたよ。ここが給仕室。サンちゃんいるー?」
ある部屋の中を覗きながら、彼は中に問いかけた。すると、ぬっと俺より一回り大きい体つきの男が出てきた。着ている服から察するにコックなのだろう。
「この子も手伝いだってー。良かったね、今日ははかどるよ」
「そりゃありがたい。俺は料理長のサントルだ、よろしくな」
「どうも、比企谷です」
素直に差し出されたがっしりとした手に握手を返した。それを見てフェリさんは来た道を引き返しながら言う。
「んじゃ、後はサンちゃんに任せるから頑張ってねー」
結局なんだったのだろうか。しかし、多少胸に引っかかるものがある。だが今は目の前に課せられた業務をこなすのが先だ。
「さて、じゃあヒキガヤにはあの子の手伝いを頼む。その方がやりやすいだろ」
そう言ってサントルさんはある方向を指さした。そこには何やら見覚えのある後姿があった。
***
お昼少し前、昼食の大方の下ごしらえが終わった。この時間で下ごしらえって何それ大丈夫? 間に合うんこれ?
量こそそこまで多くないが(とは言ってもやはりロズワール邸よりは多い)、質というか優れた技巧が凝らされており、なかなか時間がかかる。ぜひ教えを請うてうちで実践したいものだが、いかんせん一般的な家庭でそこまですることはないので無駄になってしまうだろう。というか純粋にそんな時間がコックにはない。
「お客方はもう上がっていいぞ。二人とも助かった、ありがとな」
サントルさんは笑ってそう言った。
二人とも……という言葉から分かる通り、『お客』の手伝いは俺ともう一人、レムがいた。意外といえば意外だが、彼女は少しでも何かしないと落ち着かなかったのかもしれない。
そして話は戻り、昼ごはんの件に関しては、彼がそう言うのならもう大丈夫なのだろう。俺とレムは軽く一礼して厨房から出た。
「ヒキガヤ君、この後特に何もないですよね? せっかくですし、ちょっと話しませんか?」
「いや何決めつけてんの……ないけどさ」
ないんだよなぁ……。
というか話すってなんだ。そんな断り入れられたら、なんか覚悟しなきゃいけないような感じになるんだけど。先生や母の『ちょっと話そうか』って言葉は大体がお叱りの前菜だからである。まぁ平塚先生に関しては、いつもちょっと話す以前にプロレスばりに一発殴ってくるけど……。平塚先生とプロレス……いやなんかエロい、ダメだろそれ。
微妙な記憶がよみがえる中、レムが寝泊りする部屋の前に着いた。
「え、ここなの?」
「ええ、何か問題でも?」
……。いや問題はないよ? 問題はないが、スバルに恋慕を抱く彼女は気にしなきゃいけないことではないのだろうか。あ、レムりんさんはスバル君にご執心なんだと思います。過去に色々やらかしているため、その手の推測にはあまり自信がないのだが、まぁ彼女に関してはもう断定していいだろう。特に隠す気もないみだいだしね。
「さすがに後輩一人連れ込んだところで気にするスバル君じゃないです」
レムは俺の遠慮気味の顔を見て、少し呆れたように言った。
……いや絶対気にすると思うよ、あいつ。というか、うちの世界じゃ連れ込むって言い方アウトなやつな。
「それより、こんなところでグダグダやっている方が、なにか邪推されそうで危ないと思いますが。ほら早く、どうぞ」
正直一理あると思ってしまった。言いくるめられるというのは、いささか気に障るが、まぁ仕方あるまい。しぶしぶながら彼女の借り部屋にお邪魔する。うわ、いい香り……はしないな特に。お客用なのだろう、俺の部屋とあまり変わらない。
彼女は机の前の椅子にちょこんと座っていた。
「何をボーっと立っているんですか、ベッドにでも座ってください」
「ん、あぁ、悪い。んで、何の話なんだ?」
俺はベッドに腰かけながら問いかけた。本当に何の話なのだろう。最近はなんだかバタバタしていたせいで、レムと話す機会はあまりなかった。最後にゆっくり話をしたのは、少し懐かしみを感じる程度には前の話だ。
すると、レムは軽く咳ばらいをして話し始めた。
「レムはスバル君のことが好きです」
いやいやいやいや、ナニソレなにそれ。ほんと何の話これ。まぁその事実自体に驚きはしないが、それを今暴露したことに驚愕を隠せない。ってか、よりによって俺なぞに。
「ヒキガヤ君? どうしましたかー? ハッ……まさかヒキガヤ君レムに……。ごめんなさい、ヒキガヤ君の気持ちも考えないで……」
「いやそれはない」
うん、ない。ていうかその可能性がないこと分かってたから、わざわざ切り出したんでしょうに。レムの後輩いじりは未だ健在のようでなんだか安心しちゃうな! ハハッ! ……はぁ、めんどくせぇ。
「そんなすぐ否定しますか、普通。さすがにちょっとは傷つきますよ……皮膚一枚ぐらいは」
「それノーダメージって言うんだぜ……いやそんな話はどうでもいいんだよ。本題はなんだ、本題は」
「先輩後輩の楽しいコミュニケーションじゃないですか。本題なんて堅苦しいものはありませんよ。強いて言えば、レムが惚けたいです」
「ならどうぞ……」
そう許可を出すと、彼女は嬉々としてスバルのことを話し始めた。スバル君スバル君スバル君スバル君スバル君……おおやべぇ、洗脳される。
そんなことのためにわざわざ連れてきたのか、この先輩様は……。まぁでも正直悪い気はしない。あそこまで醜態をさらしたスバルを見てもなお、彼女はスバルに対しての信頼と敬意を失ってはいないのだ、溢れんばかりの恋心と共に。
そしてまた、羨ましいとも感じた。それはエミリアとスバルの関係にも感じた感情だ。彼女にはそこまで必死になれる『彼』という存在がいる。それだけで、どれだけの艱難辛苦に耐えうることか。俺には想像もできない。
「レムはスバル君のために全力を尽くします。レムには、何もかもを請け負う器量も力もありません。だから、せめてスバル君にだけは全てを捧げたいのです。ただスバル君のために……」
このセリフを聞いて、何故かすべての言葉がつながった。クルシュさん、フェリさん、ベアトリス、そしてエミリアの……。
「……俺は、何をすればいい……?」
たどり着いた疑問が、思わず声に出てしまっていた。
あまりにも曖昧で抽象的だが、これ以上最適な言葉はない。俺は、心の奥底でずっと悩んでいたのだ、恐らく始めから、ずっと。それなのに、俺は見ないようにしてきた。考えないようにしてきた。あがいてもがいて叫んで……自分を騙し続けてきた。言葉にしてしまうと、錯覚していた意味が消えてしまうから。暗闇を照らす幻覚が消えてしまうから。
キーパーソンであるナツキスバル、彼を囲む異世界の人々。俺は彼らのために何か為せていたのだろうか。
自覚してしまった今となっては否と言うしかあるまい。彼の言葉通り、俺がいなくとも何とかなっていたのだろう。彼は立ち止まることなく、犠牲を払いつつも、今ここにたどり着いていたのだろう。そうであるなら、俺は一体何だというのだろうか。俺は一体何をすべきなのだろうか。
答えは返って来ない。それもそのはず、そもそも他人に押し付けるなど、図々しいことこの上ない。ただ、何故かはわからないが、少しだけ、身軽にはなった。エミリアのアドバイスには素直に感謝せねばなるまい。
「悪い。俺もう戻るわ」
立ち上がり、足早に扉を目指す。だが、それを阻むように彼女は俺の手に触れる。
「待ってください。レムの話を勝手に遮って勝手に出て行くなんて許しません」
レムは俺を引き戻し、ベッドの上に再度座らせた。そして、彼女自身も俺の横に腰かけ、俺に微笑みながら言う。
「やっと、言ってくれた。でも、さすがに丸投げはひどくないですか」
少し嬉しそうに、少し迷惑気に、彼女は頬をぷくっと膨らませ、ジトっとした目でこちらを見る。
「だから、ヒントだけ差し上げます。ヒキガヤ君は何もかも抱え込みすぎなのです。レムでさえ、スバル君で精いっぱいなのにヒキガヤ君がそれ以上出来るわけありません」
ふふんと鼻をならしながら彼女は言った。そのまま俺の方を見上げ、言葉を続ける。
「レムはスバル君のために、スバル君はエミリア様のために、エミリア様は王国民のために……。ね、これで簡単になったんじゃないですか?」
滅茶苦茶すぎるネズミ算。
それが、たった一つ彼女が与えてくれた公式。提供されたヒントを暗闇に一滴さえ垂らせば、凝り固まった虚空は規則的に揺れ動く。その先に、俺が求めていたものがあるような気がした。
あぁ、本当に簡単なことだ。俺がこの世界の人々のために出来ること……。
「……お前、案外厚かましいな」
「誉め言葉と受け取っておきましょう。スバル君のためならレムは、何だって……可愛い可愛い後輩だって利用します。それに、厚かましいのはお互い様です」
「それもそうか」
俺は立ち上がり、扉に向かう。そして、その整った木目に手をかけ、彼女に伝えるべき言葉を述べた。
「レム、ありがとな」
精一杯の感謝の意に対して、彼女は悪戯っぽく笑って言った。
「いいですよ、これからの働きに対する前金ですから」
「ひでぇ言い方だ」
そう言って俺は彼女の部屋を出た。
『前金』、言い得て妙だろう。俺はこれから、彼女のため……彼女が彼のために為さんとすることを護るために、動くのだから。
***
さて、とはいえ、昼食を済ませてしまうと本当に何もすることがない。このままスバルの治療が順調に終わり、屋敷に戻ってエミリアと仲直りしてもらい、日常に戻る……みたいな流れになれば非常にありがたいのだが。
ふと玄関先の庭を覗くと、スバルがこの屋敷の老執事、ヴィルヘルムさんから剣技を直々に教わっていた。
「ヒッキーから見て、どう思う? あれ」
うわびっくりした。いつの間にやら、俺の横にはフェリさんが陣取っていた。
「どう思ってるってもな……。素直に立派だと思うが」
「ふーん、ヒッキーがそう考えるならそうなのかもねー」
何か含みがある言い方だ。つまり、彼は俺とは違う考えをしているらしい。まぁその意見を聞いたところで何がある訳でもないだろうし、しつこく問いかけることはしないが。
その代わり、俺は別の質問をした。
「そういやフェリさんって、あーそのー、だな……水のマナ使い……なんだよな?」
マナ使いとか一生口から出ることなど無いと思っていた。使ってみると案外恥ずかしいものである。永久欠神だとか何とか言ってた奴が何を言ってるのかと思うかもしれないが、実際に人に話すとなると『はぁ? 何それバカなの死ぬの? ちょマジウけるんですけど』と言われてしまう可能性があるので、非常に言いにくいのである。なんだよウけねーよ。
「そだよー。自分で言うのもなんだけど、結構なものだよ。察するに、君も教えを請いたいのかにゃ?」
「察しすぎだろ、怖いわ。それで……お願いしても、いいか?」
「そんな遠慮しなくてもドンと任せてよ、今のヒッキーにならにゃーんでも教えちゃうよ。でもフェリちゃん、昼は忙しいからやるにゃら夜だね」
と、いうことで夜まで待ちましたの巻。だが、夕方辺りはまたサントルさんの手伝いに参加しており、そこまで暇なわけでもなかったが。
「さーてさて、よく来たね。そいじゃ、始めよっか」
指定されたのはどこぞやの一室。見るからに魔法っぽいものが散見できるあたり、フェリさんの部屋ではないのだろう。
「全くの初心者って感じだから、まずは魔法の基本からかにゃー?」
「お願いします」
そこから始まるフェリ先生の魔法講義。時間にして約30分といったところだろうが、なにせニューワードが多すぎてなんだが頭痛が痛いです。八割方、理解しているようで、理解していない。なんともお粗末な脳みそだ。
そんな俺を見かねてか、フェリ先生は尻尾を揺らしながら言った。
「そろそろ実践に移ろうかにゃ。ヒッキーは魔法を使ったことある?」
「水の球を弾けさせて、感知する……みたいなのなら」
自分で魔法を説明するってヤバイ。恥ずかしすぎて死にそう。しかし、今回もフェリ先生はうんうんと頷いてくれるので、なんとか恥ずか死には免れた。
「一括りに水の魔法といっても、ヒッキーみたいな感知系やフェリちゃんみたいな医療系と色んなタイプがあるにゃ。これらに適性の概念はにゃいからどれも使えるんだケド、医療系は知識も要るから、ヒッキーはそのまま感知系の方が良いかもね」
期待していたわけではないが、やはり俺に人を癒すことは難しいらしい。医学に携わった経験など皆無なので、教えてもらってもチンプンカンプンだろう。
しかし、魔法のタイプと聞いて少しだけ妄想してしまったことがある。
「攻撃……とかはできないのか?」
そう、水を用いた攻撃だ。漫画やラノベでは水龍を作り出したり、水の斬撃を繰り出したりなどあるわけだが、そこのところはどうなのだろうか。
「まぁないことはないんだけど、結構上級レベルじゃないとそれこそただの水かけ遊びににゃっちゃうんだよねー。ヒッキーにも出来るってなると……溺死……かな?」
んー、やはり俺に華は与えられてないようだ。い、いや別に悔しくはねーけどな!
しかし溺死か……。それまで相手が動かないでいてくれる保証なんてないし、ほんと使えねぇな。
「でもでも、感知系ってちょっと頑張れば、指の動き、髪の流れまで感知できるんだよー。そこまで行けるよう、頑張ってこー!」
そこからじつに数時間にわたる特訓が施された。感知領域の拡大、時間の延長、さらにそれらの応用方法や、マナの効率的な取り込み方、ゲートの限界までも叩き込まれた。反復に渡る反復。フェリ先生曰く、勉学と同様それが一番良いとのこと。ゲートを少し無理に使いつつ、適度な休憩をとる。この繰り返しだった。
き、キツかった……。自室に戻った俺はバタッとベッドに倒れ込む。別段新しく出来ることが増えたわけではないが、これなら少しは役に立てるかもしれない。
そして、久々の肉体的疲労で心地よい眠りについた。
次の日の朝、妙な違和感のために起床した。周りの様子を見ると、もう朝とはずいぶん程遠いようだ。痛む頭を押さえながら屋敷を回っていると、スバルとレムがいないことに気づく。それも含めて特に気に掛けることなく、俺は一日を過ごした。
***
そのまた翌朝。とうとう事態が動いた。
「その感じだと、不穏な感じの共感覚が伝わっちゃったのかにゃー?」
深刻な空気に包まれた部屋でフェリさんがレムに問いかける。
レムがラムからの共感覚であまりよろしくない気配を受け取ったという話だった。つまり、ロズワールの領地もしくはロズワール邸で『何か』が起こったということだ。この深刻な雰囲気から察するに、相当やばいのかもしれない。
「詳細はこちらも分からない。だが、メイザース領、つまりロズワール辺境伯の領地で厄介な動きが見られたらしい。すでに一部が厳戒態勢に入っているそうだ」
重々し気にクルシュさんは言った。
厳戒態勢? 相手は軍か何かなのだろうか。少なくとも、一般市民程度の問題ではないらしい。
「元々予想された事態でもある。辺境伯がエミリアを、つまりハーフエルフを候補者に挙げて時点でな」
「そんな偏見でいざこざが……」
スバルが苦悶に満ちた表情を浮かべながらつぶやく。だが、彼は少し考えたのち、気味の悪い笑みを浮かべながら言った。
「だったら、助けに行かなきゃ……だよな?」
「い、いけません、スバル君。エミリア様の言いつけを守らなければ。今は治療に専念すべきと。レムも同意見です!」
立ち上がったスバルを慌ててレムが止めに入る。だが、そんなレムを振り払い、彼は逆に彼女を説得する。
「いいか、今エミリアたんを助けてやれるのは俺たちだけなんだ」
そう言われたレムはシュンとしてスバルを止めることをやめてしまった。
「おい、スバ……」
「ヒキガヤは黙ってろ」
ダメもとで止めようとしたものの、説得以前の問題だった。スバルの暗い眼光に射貫かれ、俺もまた口をつぐんでしまう。俺にだけ妙に当たりが強い気がするのは気のせいだろうか。
「聞いての通りだ、クルシュさん。俺らは今から屋敷に戻る。治療はそのあと……」
「ナツキスバル」
スバルの言葉を遮ったのは、クルシュさんだった。彼女は、先ほどとはまた違ったシリアスな表情を浮かべていた。
「この屋敷から出るというなら、卿は我らの敵となる」
またまた物凄い爆弾が飛んできた。恐らく、俺も、彼も、何か大きな勘違いをしていたみたいだ。ここに居させてもらっている理由について……。
「卿らの考えを正しておこう。卿を客人として扱い、治療を受けさせていたのは、ひとえにエミリアとの契約のためだ。それをそちらから手放すというのであれば、守り続ける義理はない。卿が当家を離れた時点で、私とエミリアは遺恨なく敵同士になれるというわけだ」
「勘違いしてたぜ……あんたとはひょっとしたら仲良くなれっかもしれねぇと思っていたんだが……。あぁ、あんなの酒の席の戯言だよなぁ。出来ることをやれなんて敵に言われた言葉を真に受けていた俺がバカだ」
酒の席、とやらの細かい状況はよく知らないが、これはまたスバルが突拍子もない結論に達しているようだ。
「ピンチのエミリアを助けられたくねぇから俺を行かせたくねぇんだろ」
その言葉にフェリさんがピクッと反応した。
「勘違いしにゃいでほしいんだけど……」
その先を止めるクルシュさんを意に介さず、彼は言葉を続けた。
「スバルきゅんが行ったって状況は変わらない。行くだけ無駄。王城、闘技場とあれだけ無様をさらしてまだ分からにゃいの? ここで治療を受ける方がよっぽど身の程を弁えているってことに」
その言葉でスバルの雰囲気が大きく変わった。それも悪い方向に。
「決めたぜ。俺はエミリアのところに戻る。短い間だが、世話になった」
「忠告を聞き入れるのも、男の甲斐性じゃにゃいの?」
「いや、あんたの忠告のお蔭で決断できた。ありがとよ」
そう言い残し、彼は部屋から出て行った。
「ごめんなさい、ヒキガヤ君。お願いします」
レムは申し訳なさげに俺に向かって言うと、彼の後を追って部屋を出る。
何を、とは言わなかったが、彼女の言わんとすることは分かった。なら、その依頼を達成するために俺は最善を尽くすだけだ。スバルを止められないほどどうしようもない役立たずの俺だが、これぐらいは出来る。俺はクルシュさんらの方を向き、両膝を地に着け、頭を出来る限り下げた。紛うことなき土下座である。
しかし、これは礼儀でも何でもない、ただ情に訴えかけるだけの情けない最終手段だ。このような道化で何が変わるか分からないが、これ以上のことは思いつかなかった。
「契約があるというなら、俺が残ります。未熟者ですが、命じられたことなら何でもこなします。本契約でなくていい、仮契約として、せめて両陣営が争わないでください。お願いします……」
深い沈黙が訪れる。二人が今どのような状況なのかはもちろん見えないが、ここで頭を上げるわけにはいかない。何時間でも耐えてやる。それが俺が出来る唯一残されたことだ。
そして、長い静寂を破ったのはクルシュさんだった。
「一つ聞こう。卿はあの男が卿が頭を下げるに足る人物だと思っているか?」
簡単な質問だ。スバルは、どんくさくてお調子者、簡単に言えばかなりウザい。加えて最近は、暴走が止まらず、エミリアに対して相当の暴言も吐いた。素直にクズと言わざるを得ない。
だが、彼は俺をこんなところにまで連れてきた。異世界人との交流の中で、希望を見せてくれた。それだけで、スバルは十分尊敬に値する。あいつは止まらない、何回だってやり直して必ず結末に帰着させる。そう信じさせてくれる人物だ。
「ええ、もちろん」
俺は地面に額を付けながら、力強く答えた。
「よかろう、頭を上げよ。卿の申し出通り、私と卿との間で、エミリアとの契約を担保する仮契約を結ぼう。卿はナツキスバルが戻るまでの期間、この屋敷で使用人として尽力する。良いか?」
「分かりました。ありがとうございます」
俺は立ち上がり、今度は『礼』として深々とお辞儀をした。それを見たクルシュさんも腰を上げ、部屋を後にする。
疲労感が一気に押し寄せた。思わず、ドサッと隣のソファーに座り込んだ。隣にちょこんとフェリさんが腰をかける。
「お疲れさま。やっぱり君は変わっている。フェリちゃんたちとは違う、でもだからこそ見えるものもあるにゃ」
「皮肉っすか……疲れたんで勘弁してけれ……」
「一応褒めたつもりにゃんだけどなぁ。それに、君が大変なのはこれからだよー」
「そうだな。スバルが帰ってくるまで……だ」
そして、二日後、彼は帰ってきた。三日ばかりの時間と共に……。
お読みいただきありがとうございました。
本当にお待たせして申し訳ありません。さて、前書きにもチラッと書いたので察している方もいらっしゃると思いますが、無事駿台予備校に入学することとなりました。どんどんぱふぱふー……はい。
それで、何が言いたいかというと、もう一年、長期休載させていただきます、いやほんとすいません。でもどうしようもないんです……まさか最低点があんなに上がるとは……と私事は置いといて、休載のことご承知いただければと思います。でも必ず戻って完結させるから! I'll be backですから!
長らく後のことですが、次回もよろしくお願いします。