「はぁ~……」
深いため息が車の中で広がる。助手席から聞かされた重苦しいその溜息に不愉快そうな視線を横目で送った運転席に座る彼女は、文句を言おうとして、結局止めた。
こっちにまで浮かない顔をさせられる事になったが、ため息を吐きたい気持ちは彼女にもあったし、ここは一種のプライベート空間だ。少しの間だけでも息抜きさせてあげようと思うのは、マネージャーとしての責任や仲間としての気遣いからかもしれない。
「……道が違いますよ、響子さん。」
窓から見える景色が違う事で、総運転してくれている女性に…、響子に話しかけたのは、達也だった。
彼らは奈放送番組『ミュパラ』での収録を終え、帰路を走っている所なのだ。響子が送ってくれると言ってくれたので、これには達也も言葉に甘えて乗車した。動く密室空間だし、この車は響子のマイカーだ。防音システムも完璧だし、ハッキングされる仕組みはない。(ハッキングする仕組みはあるが。)
達也の疑問に今度は笑顔を浮かべる響子は、正面を見ながら話す。
「このまま帰るより少しは気分転換した方がいいんじゃないかなって思ってね。そんな顔で深雪さんに会ったとしたら、何かあったって勘付くわよ~?あの子、達也君の事になると勘が物凄く鋭くなるんだから。
それにまだ時間はあるでしょ?」
「それは妹だからじゃないでしょうか?家族の異変には目が止まるという言葉を聞いた事があります。」
「……深雪さんに関しては達也君もまだまだ知らない事があるのね~…。あの子がそれだけで達也君を見ている訳がないじゃない…。」
「…なにか?」
「いいえ、何にもないわよ? じゃあ少し適当に車を走らせるから。」
「…はい、くれぐれも時間は厳守で。」
「言われなくても。」
確かに今のこのやつれた顔で深雪と顔を合わせるのはまずいと達也も思っていたため、響子の案に賛同する事にする。
「今日はお疲れ様、達也君。収録よかったわよ~。」
「そうですね、生放送番組でデビュー曲を初披露するというミッションは成功しましたね。」
「…他人事のように言っているけど、達也君がした事だからね?」
「”RYU"が…、ですよ?響子さん。」
「どっちも貴方でしょう…。ふぅ~…、まあいいわ。」
ため息を吐く響子は、すでに諦めムードだ。
実はと言うと、収録自体は当初の予定していた見積もりよりはるかに高い視聴率を叩き出すくらい、番組側と出演者の互いのメリットになった。
しかし、この収録が終わってからというもの、楽屋の前でこっそりと列からはみ出してきた観覧者達=ファン達が押し掛けてきて、サインやら握手やら記念撮影やらを強請ってきたのだ。さすがに騒ぎが聞こえ、警備員とのテレビ局内鬼ごっこが始まった。これを幸いと捉えた達也は、テレビ局から無事に出る事が出来たのだった。楽屋からも出てみたはいいが、出入り口では外で放送を見ていたファンが待ちわびていたりもして、ちょっとした騒ぎを超えてしまう。結局引っ張りだこにされ、次の仕事に遅れるからという嘘をついて、脱出したのだ。達也が浮かない顔をしてため息を吐くのも無理はない。
「もう二度と生放送番組には出たくないですね。」
それを体感したからこそ、達也の口から愚痴が零れた。
「それは無理ね。アイドルになったばかりだもの。一番の見せ場は歌番組で知名度を上げる事よ。」
「それは理屈の上では理解してますが、どうにも俺には合わなさ過ぎて…。」
「でも今日の達也君の歌、とても素敵だったわよ。私も一ファンとして言うけど、あの曲は本当にあなた自身の歌だってわかったもの。何より達也君の事を知っている私でも、余計に感動しちゃったんだから。
だから…次も頑張って。」
「……面白がっていると思うのは、気のせいでしょうか?」
「ふふふ、バレた?」
いつもの達也では見られそうにない困惑したような顔を見れて、響子はいいものを見れたという感じで笑う。
そんな響子の笑いとため息が混ざり合って、夜の街を走り廻っていくのであった。
その日を境に、RYUはファン一同の心を動かし、ハリケーンの如き大反響を巻き上げ、ファンの数をいきなり七万人以上に拡大した…。
達也もビッグな大物になるのか~。次はどの仕事にさせようか…。