西暦二〇九六年四月一五日(日)、日が昇って間もない早朝。
今日も八雲と門徒との修行を終え、帰路を魔法を使って、高速ランニングしていた時だった。
目の前に猛スピードで、横切って停車した黒塗りの車が達也の行く手を塞ぐ。達也はそれを後ろへと大きく飛んで距離を取る事で、衝突事故にならずにいられた。いや、ならなかったというべきか。達也は、車が自分の行く手を塞ぐためにスピードを上げていた事は気付いていたし、またその車に誰が乗っているかも気配で知っていた。だから、車から人が降りてきた時、驚く素振りは達也にはなかった。
「随分な朝の挨拶でしたね、葉山さん。」
「これはこれは、達也殿。おはようございます。今日も鍛錬に励んでおられるとは感心ですな。では、お乗りください。」
達也じゃなかったら、絶対に一命が危ない状態になるほどの事故になる運転をしていたことなど、完全にスルーして、達也に車に乗るように、扉を開けて促す。
ため息をつきそうになった達也だったが、上手く呑み込んで、車に乗る前に、ランニングで掻いた汗を発散系魔法で、汗を蒸発させてから、車に乗り込んだ。
扉が閉められ、葉山も乗り込んでから、車は発進し、達也をどこかへと連れて行った。
★★★
「はぁ~、お兄様…。大丈夫かしら?」
朝から頬に手を付き、溜息を落とす深雪の憂いを見せる表情に、水波はドキッとしてしまった。老若男女問わず、人を引きつける深雪の美貌で、そんな顔をされたら、見惚れてしまうのも無理はない事。水波も例外ではなく、胸が高ぶったのを何とかメイドとしての責務を思い起こして平常心を取り戻した。しかし、深雪の憂い顔は何か慰めなければと思わせる魅力を醸し出していて、水波はアロマ効果をもたらしてくれる紅茶を淹れて、深雪に差し出した。
「深雪様、どうぞお飲みください。 少しは気分が紛れると思います。」
「あら、ありがとう、水波ちゃん。 ……美味しいわ。」
「恐れ入ります、深雪様。」
「……ねぇ、水波ちゃん、私ってそんなに元気がないように見えるかしら?」
「…はい、少なくとも五分に一回の割合で時計を見ながら、溜息を落としています。」
深雪に尋ねられた水波は、本当のことを言うか戸惑ったが、主が聞きたがっているのを無視できず、本当のことを言った。
「それは困ったわね。私、そこまで重症だったの? 」
自覚がなかった分、驚きで軽く目を見開く深雪は、口に手を当てて、どこか他人事のように呟いた。そしてまたため息を落とし、恋焦がれる乙女のように窓の外を眺める深雪に心配と同時に安堵する水波だった。
(障壁を張る心配はないようですね…。しかし、油断は禁物!いつ、深雪様がリビングを酷寒の地に変えても不思議ではありませんから…。)
今日は、達也がいつもの鍛錬に行った後に起きたので、シャワーの準備を済ませ、朝食も水波と作っていた矢先に葉山さんが来て、達也を任務でお借りすると電話で伝えてきたのだ。深雪としては冷や水を頭から被ったような衝撃を受け、しばらくは生気が抜けていたと言っても過言ではないほどの落ち込み様を見せた。今日は達也の顔を見ずに休日を過ごす事にかなりのショックを受けたからだ。
水波としては、「大げさな反応だと思うのですが。」とあまりにも度を越した兄妹愛に白けた表情を見せたが、口には出さずに今の内と、家事をこなしていた。
しかし朝食も終わり、外の景色を遠い目で眺めつづける深雪を見かねた水波は、自分にできるか、少々迷ったが、ある提案をする事にした。
「深雪様、もしよろしければこの辺りで買い物できる場所をお教えいただいてもよろしいでしょうか?ここにきてまだ日が浅いので、深雪様のガーディアンとしてお役にたてるように、土地勘を把握しておきたいので。それと、今日の夕食の買い出しをしてみたい…です。」
水波の言った事は半分は嘘で、半分は本当だ。
ここに来る前に、葉山さんから兄妹が住まう地域一帯の地図や二人の行きつけのショッピングモール、そしてその際の行動パターンまで事細かく記された資料を渡されていたので、土地勘が寧ろ頭に叩き込んでいる。だが、ここにきて深雪と食事作りを、静かな闘争を行っており、それは今もなお継続していた。最初の五日間ほどはお互いのアイデンティティを懸けていたが、徐々に妥協する所まで落ち着いてきた。だがそれでも、表面上は落ち着いてきただけであって、決して解決したわけではない。今も、食事作りに関してはお互いに怯まない部分があった。そのため、余計に食事を作り過ぎてしまうというデメリットが生まれ、買い込んでいた食材も残り少ない所まで来ていたのだった。
作り過ぎてしまった食事は、達也が何も言わずに全て食べていたが、さずがに申し訳ない気もしていたので、この際、深雪の食事作りをサポートする方向でいこうと決め、深雪を気分転換も兼て、誘ったのだった。
「……いいわよ、私もちょうど外に出掛けてみたいと思っていましたから。それに……」
何かを思いついたようで、二つ返事で了承した深雪は、水波をじっと見つめて、ニコッと笑みを浮かべる。それは、何かを企んでいるのを隠そうともしない笑み。深雪としては、隠す気もない純粋な興味を表した笑みだ。
「…あ、あの深雪様?何か私についていますか?」
自分自身も清潔にすることは、メイドとして訓練されてきた水波は、そんな事はないと分かっていても、そう尋ねずにはいられない。
「いいえ、何もついていないわよ?それより、着替えてショッピングに行きましょう!ふふふ、水波ちゃんのお蔭で楽しい事を思いつきましたわ。」
そう言って、身支度をするために自室へ向かった深雪を慌てて追いかけて、身支度を整えた上で、一緒に達也と深雪が二人でよく向かうショッピングモールへと向かった。
こうして、深雪と水波だけの初の休日を迎える日が訪れたのであった。
深雪が悪女っぽい所を演出…できるかな?