prologue:マハーバーラタ1
気が付いたら黄金の鎧を纏う赤ん坊になっていた。何があったのか分からないって? 俺が一番分かってねえよ。分かるのは同じ鎧をつけた赤ん坊がもう1人自分の横にいるってのと、今いる場所がゆりかごでも母親の腕の中でもない、堅い箱の中だってことくらいだ。
しかもこの不安定な揺れ方は恐らく川もしくは海。川なら桃太郎よろしく誰かが拾ってくれるかもしれないけど海なら絶望的だ。俺も隣の赤ん坊も死ぬ。
うーむ。この状況、そしてお揃いの鎧をつけているところを見るに多分、となりの赤ん坊は兄弟かなにかだ。そして1歳にも満たないだろう赤ん坊が木箱で水に揺られているとなると誘拐か、親の不注意か、可能性として最悪というか胸糞悪いが捨てられたか。
現代日本ではありえない……いや、普通にあるな。うん、えー、明らかに時代錯誤にもほどがある鎧を見ると絶対に現代日本じゃない。というか、記憶はあやふやだけど、俺は確かに高校生を過ぎていた年齢のはず。それが成人か学生かは置いといて、少なくとも赤ん坊ではない。日本昔話に出てくる婆さんのように赤ん坊になるまで若返りの水だか酒だかを飲んだ覚え何てさらさらないぞ。あれか。流行りの転生とかいう奴か。死んだ覚えはないぞ、覚えてないだけかもしれんけど。誰か責任者を呼べ一発ぶん殴る。
というかマジでどうしろと。せめて5才……いや贅沢言わないから2才くらいなら何とか泳げたかもしれないのに。このままじゃ餓死か箱がひっくり返って溺死か。どっちも嫌すぎる。というか凄いね兄弟(仮)。スヤスヤ眠りすぎでしょ。起きてよ。三人寄れば文殊の知恵だよ? 2人しかいないし赤ん坊だから泣くくらいしかできないけど。
…………泣く…………これだ。
「オッギャァーーーー!!」
でも背に腹は代えられない。
「オギャーーーー!!」
おおっと。兄弟(仮)が俺の泣き声に触発されて泣き始めたぞ。これで騒音被害は2倍だ。ここが人気のない山奥とかでもない限り絶対誰かに泣き声が届くはずだ。…………誰かいるよね?
うん? 泣き声で聞こえにくいけどザブザブ聞こえて……おっ持ち上げられた。目を向ければそこには明らかに日本人じゃない少なくとも中年を超えてる男性の姿が。よっしゃ助かったぜ!
しかし俺は眠い、とてつもなく眠い。高々泣いただけだというのにここまで体力と気力を消耗するとは赤ん坊恐るべし。あ、無理、もう寝る、お休み。
気持ちのいい朝だ。
ふと、水に映った自分の姿が目に入る。
思わずため息をついてしまった。
「どうした」
振り返ると白い髪、青い目、黄金の鎧。色素以外はほぼ瓜二つというか同じ顔の兄――カルナがそこに立っていた。
うん、赤ん坊からはや何年。未だに兄の気配を読むことができない。なんでだ。
「いえ、なんでも。そちらはなにか?」
「ああ少しな。それより、何でもないというのは嘘だろう」
鋭い……。これで同い年とか本当に信じられない。精神年齢でいえば俺の方が年上の筈なのになぜだ。
軽く現実逃避をするも兄は空のように澄んだ目でじっとこちらを見てくる。逃がす気はさらさらないらしい。俺は諦めて言うことにした。
「大したことはありません。ただ、自分の見目に少々思うところがあっただけです」
「なるほど確かに大したことはない。お前のことなど、誰も気にしない」
…………うん、つまり「そんな事考えてたのか。気にしなくていいよ。周りの目なんか気にするな」ってとこか。
この兄は一言多いように見せかけてその実、一言どころか二言も三言も足りない。それは兄の率直な性格と、欺瞞や虚飾を切り捨てるが故のそれだけど、なんか重要な部分も全部そぎ落としている気がする。
普通人は相手を不快にさせないように、お互いに少しお世辞を言ったり、本音を隠したり、そうして純粋な行為にしろ、なにかの思惑があるにしろ関係を積み上げていくものだ。
しかしこの兄は自分を偽らず(本音を隠す事)、取り繕う態度(お世辞)もその先の思惑(関係を作る理由)も全部見抜いて相手の図星、それも言われたくないことをつく。それがあまりにも率直過ぎて相手の怒りを買うわけだ。
しかも兄は鉄面皮なので何を考えているかわからない。加えて、相手を気遣う言葉にしろ褒める言葉にしろ一言多い、と見せかけて言葉が足りなさすぎるために誤解を受ける。
お蔭で何かしゃべるたびに敵を作るこの兄は、俺が割って入って必死で悪気が無い事と、本当に言いたいことを説明することで今のところ誤解による暴行は受けてない。
俺が必死にフォローすると相手も悪気が無い事を分かってくれて(というか、俺の必死の形相に引いてると思う)少し不満顔ながらも「なんだそういうことか」と水に流してくれるのだが……次から兄が何か言うたびに俺に説明を求めてくるのは何でだ。俺は翻訳機か何かか!?
まあ、兄が誤解を受けるのはそれだけが理由じゃないだろう。
人間の第一印象は見た目で大きく左右される。周囲の人間曰く、兄は輝かしい威光とは正反対に姿は黒く濁って見目麗しくない、挙動が粗野、だそうだ。
俺は思った。目ん玉腐ってんじゃないのかと。
黒く濁ってるって、むしろちゃんと食ってるのか心配になるレベルで細くて白いだろう。これが黒いならその辺の人間なんぞまっくろくろすけレベルの黒さだ。
次に挙動。確かに王族貴族様のように洗練されてはいないが、言う程粗野でもない。その辺で遊び回ってる悪ガキどもの方がよっぽどひどい。むしろ、年の割に諦観というか悟っているというか。
逆に俺の方がよっぽどの姿をしていると思う。未だに俺の目を見つめてくる兄から視線を逸らして水面に映った自分を見る。
周囲の評価はともかく、俺からすれば兄は超絶イケメンなので似ていることに不満はない。ただカラーリングが問題なのだ。
カルナは太陽神の息子と呼ぶのにふさわしい外見だが、俺はそう名乗る、誇る事すらおこがましいと思ってしまうような容貌なのだ。
なんというか、兄が闇堕ちした感じなのだ俺の姿は。
赤い髪、赤い目。胸についた石も兄のと比べれば血の色に近い。
しかも目つきが鋭いんだぞ。それなのに太陽のごとき輝かしい鎧だぞ。謙虚で目立つのが嫌いな元日本人としては死にたくなるくらいの目立ちっぷりだ。流石に慣れたが。あと俺の方が身長低い。
俺の方がDQN扱いされそうな見た目だ。なのに兄より評価が高いのはおそらく言動と表情だろう。
精神年齢(推定)20歳以上、しかも愛想では世界一な元日本人である俺に死角はなった。輝かしい笑顔というわけではないけど、不快にさせない程度の笑い、お愛想はお手の物。兄のコミュ力が30としたら俺は70はあるだろう。
だがしかしコミュ力は確かにアレとはいえ、やっぱり兄の方が評価は低いのは納得いかない。この兄、人に頼まれれば何でもやる。あれやってこれやってと、人助けが必要なものから明らかにサボりとしか思えないような仕事すら二つ返事で引き受ける。なんだこの聖人と戦慄したのは何時だったか。
確かに日本でも「困っている人には親切にしてあげましょう」とか言われてたがアレ親切とかそういう域を超えている。
施し、うん、あれは施しだ。
前に引き受けすぎだ、もっと自分の体を大事にしろ、そんなことよりも自分のしたいことをしろと言ったこともある。
そしたら何て言ったと思う?
「人より多くのものを戴いて生まれた自分は、人より優れた“生の証”を示すべきだ。そうでなければ、力無き人々が報われない」
あ、はい。そうですか………。
しかもダメ押しに「やりたい事……特にないな。強いて言うのならお前の言う『仕事を引き受けること』がやりたいことだ」とまで言われた。
兄にはその他の細々した物を引き受けてもらっている。
頼むからもう少し我欲を覚えてくれ。
「ありがとうございます。ところで兄上、何か私に要件があったのでは?」
「ああ少しな。クル族の競技大会があるらしい、参加するぞ」
「……………それ、全然少しじゃないですし聞いてませんが!?」
聞いてねーよ! しかもクル族って王家じゃん!! 実父はともかく俺らの身分御者の息子だぞ!!
「あの、兄上。私達が参加するには身分が……」
「普通に参加すればいいだろう」
つまり飛び入りってことか?
「行くぞ」
「…………はい」
チクショウ、マイペースめ。
百パー起こりうるだろう揉め事に頭痛を覚えながら兄について行くのだった。
言い忘れていたが、今の性別は女である。敬語な理由は男でも女でも大して言葉遣いが変わらないから。
「いいですか兄上、カルナ、ほうれんそうです。報告・連絡・相談です。とくに相談! あなた口開くたびにトラブ……揉め事が起こるんですから、私もなるべく近くに居るようにしますから、できるだけ口を開かないように、まず私に相談してください。どうしてもという時は絶対に思っていることを全て口に出してください、それに虚飾が含まれていようとも!!」
「わかった。さあ、行くぞ」
あ、ダメだ。今の兄の状態は遠足出発直前の子供だ。
早起きして玄関前に待機し、親の「忘れ物ないか確認しなさーい」の言葉に「分かったー!」と返しつつ結局は何もしない子供だ。
頭を抱えたくなったが、その間にも兄はさっさと行ってしまいかねないので見失わないようにしようと(まあ、あの鎧を見失う方が難しいけど)決意した。
…………やばいやばいもうやばいって無理だって帰ろうって。
なぜ突然こんなネガティブ思考になっているかというと、今注目を受けている1人の武人が原因だ。いや、彼に罪はない。ただ単に俺のチキン心が目を覚ましただけだから。
なんでパーンダヴァの王子様達が居るんだよぉおおおお!!
いや、当たり前か! だってこれクル族主催だもんねそりゃいるよね俺達の方がむしろ場違いだもんねえ!!
それにしてもみんなすごい注目してんな。いや、確かにあの技はすごいや。
「手合せ願おう」
「………なに?」
「」
しまった少し目を離したすきになにしてんだあの愚兄ぃいいいいい!? ちょ、待って、おま、えぇええ?
予想外というか、余りにも斜め上どころか大気圏ぶっちぎった兄の行動に動揺している俺をよそに回りはざわつくし話は進む。
王族である彼に挑戦するにはクシャトリャ(戦士、王族)の階級が必要だ。当たり前だが俺らにそんな身分なんてない。案の定カルナは答えられず、要求は跳ねのけられ、挙句に侮蔑までされてしまった。
…………まあ、自業自得ともいえる状況だが、血のつながった片割れが笑いものにされている状況ははらわたが煮えくりかえりそうだ。
目立つのが嫌いな日本人だけど、身内が馬鹿にされて黙っていられるような性格ではないのだ俺/私は。
後さき考えずに飛び出そうとした時だった。
「問題ないぞ、彼は我らカウラヴァの身内、王族だからな」
耳に飛び込んできた言葉。意味を理解するのに少しかかった。
パッと声のした方を向けば、パーンダヴァと対立しているカウラヴァ百王子の長兄であるドゥリーヨダナの姿があった。
なんでカルナを庇った上に王族として迎え入れたのか知らないが、これでカルナは挑戦権を得たし不名誉から救われたということだ。
挑戦権を得た兄はパーンダヴァの3男・アルジュナと弓で競うことになったのだが…………我が兄ながら凄い。いや、もともとすごいのは知っていたけどここまでとは。
カルナは完全にアルジュナを押していた。ドゥリーヨダナも、ここまでやるとは思ってなかったのか驚いた表情を見せている。
このまま兄が勝つと思った。
だから、ふと視線を逸らした先にいる人物を見て心臓が凍りついたと思った。
なんで、このタイミングで、アディラタが、養父がいる――?
どうやら俺は衝撃的なものや場面を見てしまうと、感覚が鈍くなるらしい。別に知りたくなかった、少なくともこんな状況では。
養父が現れ、カルナの素性が結局ばれてしまったらしく、先ほどよりも激しく罵られている。
それがどこか遠くから聞こえるように感じるのは、打たれ弱い元日本人だからだろうとぼんやり考えるのは現実逃避だ。
「御者の息子風情が恥を知れ!」
ブチリと何かが切れたような音がしたのは絶対に気のせいじゃないし、観衆を押しのけ、激昂する兄よりもわざと大声で言ったのも現実だ。
「その御者の息子風情に劣る貴様ら……失礼、あなた方は御者の息子以下ということですか」
日没を迎え競技大会が終わり、ドゥリーヨダナに気に入られたカルナと――何故か俺も――はカウラヴァの、えー、屋敷? 城? に招かれていた。
目の前には豪勢な食事が並んでいるが俺はそれどころじゃない。
ァアアアアア終わったダメだ死にたいむしろ死ね、向う見ずな行動は後に暗黒歴史となると中2の頃に学んだはずだろう。そもそもよくあの場で殺されなかったな俺。
頭をかかえて項垂れる俺をよそに兄が不思議そうな顔で話しかけた。
「どうした。食わないのか」
「放っておいてください兄上。私は今強烈な自己嫌悪に襲われているところです……」
「なんだ、まだ気にしているのか。カルナの為に啖呵を切った姿は勇ましいものだったぞ」
あああああああ!! やめて掘り返さないで!!
俺の「お前ら負け犬以下だな」発言に当たり前にブチ切れたパーンダヴァと危うく殺し合いになりかけた。あっちは殺る気満々だったし、俺はカルナが言われた侮辱を倍くらいにして返した。自分でも意味がわかんないくらいにボロクソに罵った。もちろん殺る気満々だった。
うわああああ絶対に目ぇ付けられた死ぬ、つか殺される、ていうかあの3男メッチャ怖い目がヤバかったもう「カッ!」って感じだった超こっち見てたぁあああ。
「すまん。俺のせいで、お前に迷惑をかけたようだ」
「は?」
おい待て、なんでそうなる。
「違うだろうカルナ。ソイツはお前を助けたことを後悔してるんじゃなく、感情に身を任せた事を恥じているのだ。だろう?」
「……はい」
そう。兄が散々言われているのに言い返したことは後悔していない。大人げなく、しかもあんなきったない言葉の羅列で、それも公衆全面の前で大人げなく(大事なことなので2回いった)ぶちぎれたことが恥ずかしいだけだ。あれだよ、ほら。夜中のテンションとか、若気の至りとかを後で思い返して悶えるアレ。
「…………そうか」
嬉しそうにするな!! またなんかあった時にもやっちゃいそうだから! 調子乗っちゃうから!
「はっはっは。しかし弟もそうだが、兄も凄い。まさかパーンダヴァの3男に弓で勝つとは。よほど武の才があるのだろう」
「大したことはない。あの程度、誰にでもできる」
「『オレに才能なんてない。皆、努力すればできるようになる』……といっています」
兄が言い終わると同時に、つい癖で通訳するとドゥリーヨダナは一瞬ポカンとしたがすぐに笑った。
「なるほど。先ほど言っていた『兄は一言多いようで足りない』というのはそういう事か」
「こういう事です」
この日から、兄とはドゥリーヨダナを友とし、彼らカウラヴァ百王子の為に戦うことを誓った。
――――パーンダヴァとの過酷な戦いを覚悟したうえで。
「ドゥリーヨダナよ。言い忘れていたがコイツは弟では――うぐっ」
「? なんだ、どうした?」
「はははははいえなんでもないですよドゥリーヨダナ殿」
鎧に防がれていない部分に肘鉄をぶち込んで兄を黙らせる。
折角隠しているのにばらすな!
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