来禅高校のとある女子高生の日記   作:笹案

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五河シスター 終

 水着を買いに出かけ、帰った後のこと。士道は琴里が精霊になった瞬間を捉えたビデオを神無月と共に見た。そこでビデオに映るノイズを見た瞬間妙な違和感に囚われて、そこで意識を失う。そして目覚めたときには〈フラクシナス〉の医務室で既に翌朝を迎えていた。

 

 士道はその後、琴里の霊力封印の為に彼女とデートをすることになった。京乃達も同行するというアクシデントこそあったものの、予定通りにことは進んでいると言えるだろう。

 琴里とは気心のしれた仲、なはずだ。だというのに、いや……だからこそ黒リボンを着けた琴里相手にうまく距離感を取れずにいた。

 

 しかし昼飯の途中、トイレに行ったはずの琴里と令音が密談しているのを聞いて、士道は自分の考えを改めた。

 

 黒いリボンの時の琴里は、司令官モード。しかしそんな彼女もまた、士道の妹であることに変わりはないのだ。

 

 そのことに気付いてしまえば、もう後はあっという間だった。

 遊園地でジェットコースターに乗ったり、カーレースをしたり、お化け屋敷に行ったり……二人で思う存分に久しぶりの遊園地を楽しんだ。

 吹っ切れてからのデートは、順調にいっていたように感じられる。

 

 しかし……折紙が現れた。見慣れない装備に身を包み、琴里に向かって攻撃を繰り出してきた。

 そして、それを助けてくれたのは、士道が今まで力を封印した精霊達だった。

 ならば、それに報いなければならない。

 

 自身が何をするべきなのか、士道はそれを必死に考える。そして、折紙との対話で至った一つの可能性に賭けることにした。

 折紙は炎の精霊である〈イフリート〉を敵として見ている。だから、言葉遊びのようであったとしても、現状手はそれしか道がない。

 士道は琴里に向き合い、そして問いかける。

 

「琴里は、俺のこと好きか!!」

 

 琴里は士道の言葉を受けて動揺したように……しかし、確かに彼に本心を伝えた。

 

 それを聞いた士道が意を決して琴里と唇を重ねると、自分の中に温かいものが入ってくるのを感じた。経路(パス)を通じて、霊力が自分の中に入ってきたのだろう。

 それと同じように、頭の中にぼんやりときた記憶が流れ込んできて、士道は小さく眉を動かした。

 

 

 

 

 ♢

 

 その日。琴里は一人で寂しくブランコを漕いでいた。

 愛しいおにーちゃんも今日は出かけてしまっている。もしかしたら、士道は泣き虫な自分に愛想を尽かしてしまったのかもしれない。おねーちゃんみたいな女の子にならないから、琴里の誕生日である今日だって遊びに出かけているのに違いないのだ。それが悲しくて目元を拭って、それでも止まらない涙に視界を滲ませた。

 そんな時にそのノイズのような存在が現れ……

 

 ──ねえ、君は強くなりたくない?

 そう、問いかけた。

 

 

 視界が暗転する。

 

 

 青髪の少年……士道はその日、遠くまで出かけていた。しかし、雑貨店を出て暫く経った時に、町の様子がおかしいことに気がついて口をこぼす。

 

(町が……赤い)

 

 沢山の家が燃えている。

 町中が燃えている。いつも通りだったはずの町並みは、赤く、朱く燃えがっていた。

 まるで、世界が全て燃えてしまったかのような錯覚に陥る中、あることに気がつく。

 

(そうだ、琴里は……!)

 

 士道が出掛けている中、琴里はひとりっきり。

 こんな火の中、琴里が無事でいてくれる保証なんてない。

 琴里は、絶望のどん底にいた士道を救ってくれた大切な妹だ。琴里がいなくなってしまうなんて、そんなことがあってはならない。

 

(琴里……無事でいてくれ……!)

 

 炎で覆い尽くされた町の中を士道は走り出した。

 後ろからは声が聞こえた。それは分かっているが、どうしても足を止める気にはなれなかった。足を止めた瞬間、嫌な予感が的中してしまいそうで恐ろしかったのだ。

 だからただただ走り続けた。琴里がいるどこかを目指して走った。

 今、この瞬間も琴里は一人で怖い思いをしているはずだ。

 速く駆け寄って、安否を確かめたかった。安心させてやりたかった。

 

 走り回って数分後、士道は公園で琴里の姿を見つけた。

 やっと見つけた琴里は奇妙な和服を着ていたが、なきべそかいているこの少女はどう見ても最愛の妹だ。

 無事だった。その事実に安堵して、その格好についても深く考えず琴里に歩み寄る。

 

 

(おにーちゃん、来ちゃ駄目……!)

 

 琴里がそう叫んだ時にはもう遅く、彼女の周りにあった炎が膨れ上がり士道へと向かっていき……そして、士道は素人目に見ても助からない怪我を負った。

 

 琴里はそばにいたノイズのような存在を糾弾し、そして士道が助かる方法があることを知る。

 

 琴里はその方法に縋るように、士道にキスをした。その瞬間、琴里の着ていた霊装も一瞬淡く輝き、徐々に空気に消えていき、それと同時に士道の傷口周辺に炎が舐めるように這っていき、凄惨な傷跡が消えていった。

 

 そうして士道が目を覚ました時には半裸の琴里が泣きじゃくりながら彼を見守っていた。

 

 彼は琴里の誕生日を祝い、手に持っていた黒いリボンを彼女の髪に付け替える。

 このリボンを着けている間は、強い女の子に。

 そんな願いを琴里に告げ、そして彼女は泣きながら頷いた。

 その後砂嵐のようなノイズ音が聴こえ、無理やりのように切れて記憶の奔流が終わった。

 

 

 

 

「思い……出した。私はあの時、あの『何か』に……」

 

 琴里は呆然と呟くと、意識を失ったのか、身体から力が抜けていった。それと同時に霊装が消えていき……それを見ていた士道だったが、琴里に向かって小型のミサイルが迫っているのを見て、琴里を抱えてその場から飛び退いた。

 しかし、爆風を受け、士道の背中には痛みが(ほとばし)る。

 

「治療を──」

 

 士道の怪我を見た折紙はそう言うが、彼の傷跡にはいつものように炎が這っていき、傷は完全になくなった。

 

「今は、俺が〈イフリート〉だ。だから狙うなら琴里じゃなくて俺にしてくれ……!」

 

 状況を掴みきれずに狼狽した様子の折紙に、士道は言葉を重ねる。

 

「あの日、俺が何をしていたか思い出したんだ! あの場所にいたのは琴里と京乃と俺だけじゃなかった! あの場には琴里だけじゃなく、もう一人精霊がいたんだ!」

「〈イフリート〉を、五河琴里を守る為の嘘としか思えない……!」

 

 活動限界が近いらしく、折紙はふらつきながら左足のホルスターから9mm拳銃を抜き、銃を琴里の脳天に向ける。ただの銃だとしても、今の琴里なら致命傷になりうるだろう。

 

「頼む、信じてくれ! もし信じられないのなら、琴里じゃなくて俺を殺せ!」

 

 折紙は士道の言葉を聞き、自身の持つ銃へと目を向け……力無く、その場に倒れた。

 

 

 

 

 

 琴里の霊力は封印することができ、折紙とのことだって一段落はついた。万事解決、だというのに士道の頭の靄は不思議と晴れなかった。 

 

 何かがおかしい。

 

 十香と四糸乃のことが心配だから?

 いや、インカムから彼女達の無事は伝えられている。だからこそ、そこまで心配する必要はない。

 

 琴里の精霊としての力の封印に不備が?

 いや、霊装は完全に消えたことから見て、力の封印したことに間違いはないはずだ。

 

 折紙が納得してくれたか分からないから?

 

「……いや、違う」

 

 茫然と、そう呟く。折紙のことでもない。

 気がついたら口走っていた言葉に疑問を覚えるでもなく、また口を開く。

 

「そうだ、幼馴染がいたんだ」

 

 五年前、あの場にはもう一人いた。それを思い出すと、無理やりこじ開けられたような違和感の後、五年前士道が琴里を封印した時の、その続きが再開される。

 

 息を切らして、士道に駆け寄ってきた少女。幼馴染の少女は珍しく声を荒げ、泣きそうな、悲痛な声を上げた。

 

(士道くん……! どうしてこんな……!)

(京……乃)

 

 ぼやけた視界に映る幼馴染、()()を目に留めて、士道は安心したように笑った。

 そしてその場にノイズのような存在が再度姿を表す。

 士道は琴里を後ろに庇い、それを見たノイズのような存在は寂しそうに、小さく笑った。

 

【今は、忘れるといい】

 

 そう言って、ノイズのようなそれが士道の額に触れると、視界が暗転した。

 

 

 

 士道は経路(パス)を通じて戻ってきた自分の記憶が理解出来ずに、でも、士道の都合なんて考えられていないように、そこから記憶が塗り変えられていく。

 

 空白だった部分が、埋まっていく。

 

 

 観月京乃。

 士道にとって、幼馴染と呼べる存在。

 何事もそつなくこなし、困ったことがあれば頼りになる、そんな存在。……そうだっただろうか。いや、そのはずだ。

 

(どうしたの? どうしてきみはひとりなの)

 

 これは、京乃と会った頃、初めてかけられた言葉だったか。懐かしい。……懐かしい?いや、違う。観月と会ったのは高校に上がってからでそれまでは会ったことなんてないのだと、士道は困惑する。

 

 だとしたら、この……観月の顔と声で笑いかけてくる人物は、誰なのか。

 結論なんてもんはすぐに弾き出された。でも、頭では理解していても納得は行かないものだった。

 顔は同じでも、纏う雰囲気も浮かべる表情も何から何まで似つかわしくない。別人だと言われた方が納得出来る。

 

(士道くん、琴里ちゃんの誕生日だよ、分かっているの?君は琴里ちゃんのお兄さんなんだからちゃんとしないと駄目だよ)

 

 ……でも、理解しないといけない事実だ。

 士道は確かにあの日、京乃と一緒に琴里の誕生日プレゼントを買いに行き、そして琴里が精霊になった瞬間に立ち会った。

 

 その事実を認識すると、走馬灯のように出来事が流れていく。

 観月京乃という幼馴染のいた日常。いつも隣で笑みを浮かべていた京乃のいた日常。

 

 小学校に入る前から仲の良かった京乃は、小学校こそは違ったものの、中学からは同じ学校になったということ。しかし、クラスも多かったことから、同じクラスになることはついぞなかったということ。

 

 一緒にいるのが当然だとでもいえる、空気のような存在だった。

 

 ただ、何かがあった。何かがあって、その日常は途切れた。

 ああ、いや……違う。明確な異変は、中学の最後の年に起きていた。そして、士道はそれに気がついていた。

 いつものような笑顔を浮かべた京乃の言葉、それを皮切りに断片的だった記憶はゆっくりと流れていった。

 

 

 

 士道は不思議に思っていた。

 最近自分の教室に来なくなった京乃のことを。

 今までは士道のクラスに休み時間の間いつも来ていたのに、最近では全く来なくなった。

 それだけでなく、京乃の姿を見つけてもすぐに何処かに走り去っていくことが何度もあって、学校内で会うことはなくなり、気付けば学校外でも自然と彼女に会うことは無くなっていった。

 

 もしかして京乃に何かあったのだろうか?

 そうだったら相談に乗ってやりたいし、そうじゃなくても何でもいいから話す機会が欲しかったということが事実だった。

 避けられていることに一抹の不安を感じた士道は、教室に来て欲しいと京乃に伝える為に、昼休みに京乃のクラスへと顔を出したのだ。

 

(士道くん、どうかしたのかな?)

 

 士道の手を引き、人気のない校舎裏に連れてそう尋ねてきた京乃はいつもと変わりないように見えた。しかし、どこかおかしいように見える。

 

(話したいことがあるんだ)

(今聞くよ)

 

 すぐにそう返してきた京乃に、士道は少し圧されて言葉に詰まる。

 

(ああ、いや……今日一緒に帰れるか? その時にでも話そう)

(ごめんね、今日部活なんだ)

 

 こうやって、やんわりと断られるのも数え切れない数になってきた。クラスの子と帰る約束があるから、日直の仕事があるから……いつもそういう口実で煙に巻かれてきた。

 

(なら、部活終わった後でもいいから)

(待たせちゃうの悪いし、士道くんは先に帰ってて)

(大切な、用なんだ)

(……そっか)

 

 顎に手を当てて、考え込むように下を向く。

 そして考えが纏まったのか、士道へと向き直って小さく笑った。

 

(部活は多分私しか来ないんだし、士道くんを待たせるのも悪いよ。いつも部活やってる教室で待っているから、授業終わったら会おうね)

(……ありがとう)

(私の方も、君に言わないといけないことがあったからさ)

 

 少し堅い表情のように見えたのは目の錯覚だったのか、瞬きをした次の瞬間にはいつも通りの表情になっていた。

 

 

 

 受験が近づいているということもあって、いつもよりもピリついた空気の中で授業を受ける。勿論授業は大切だが、士道の頭の中にあったのは放課後のことだった。京乃と、久しぶりに面と向かって話が出来る。それが士道にとっては重要なことで、だからこそ気を引き締めていかなければならない。

 

 

 担任が長めの帰りのホームルームを終わらせると、すぐに鞄を持って駆け足で階段を上る。

 目の前には、家庭科室の扉がある。

 士道は放課後にこの教室で京乃と待ち合わせたのだ。

 緊張でどうにかなってしまいそうな胸を押さえつけて、深呼吸をしてから扉に手をかける。

 

 

 家庭科室の中に入ると、窓を開けて外を眺める京乃の後ろ姿が見えたが、扉の開いた音が聴こえたのか、すぐにこちらへと振り返る。そうすると、いつもと変わらない、見ている人を安心させるような穏やかな笑顔を浮かべていた。

 

(わ、悪い。待ったか?)

(ううん。そんなことはないよ。それよりも士道くん、お話って何かな?)

 

 いつも通りだった。あまりにもいつも通り過ぎて、今から話そうとしていることが間違っているのではないかと思うほどだった。

 しかし……それは、間違いなくいつも通りではなかった。

 

(ああ、話っていうのはな……)

 

 ごくり。士道は息を呑み込んで、その後に京乃の顔を見る。

 少し首を傾げているが、やはりいつものように笑みをたたえている。そうだというのに、何故だか圧を感じた。

 とは言っても、無難な会話で折角の機会を逃すのはあまりに勿体なく感じられ、士道は前々から思っていた心のうちを彼女に告げる。

 

(京乃。最近どうしたんだ?お前らしくないぞ)

(そんなことないと思うけど、どうしてそう思うの?)

(いや、最近は全く会わなくなったから気になっていたんだ)

(そうかな?)

 

 士道の目を真っ直ぐと見つめ、何ともないように京乃は笑い、その後に思い出したように口を開く。

 

(もうそろそろ受験の時期だし、君の邪魔したくないんだ。士道くんの第1志望のところだって受かるか分からないし。君は、勿論私だって、全力を尽くすべきだよ)

 

 家が近いという理由だけで、来禅に受けようとしている士道には中々に刺さる言葉だったが、だからと言って、それだけで関わりを断つには理由が薄いように感じられた。

 

(それを言われると痛いが……別に一緒に帰るくらいいいだろ)

 

 士道からそう言われると、京乃は少しのだんまりの後、口を開いた。

 

(それは、そうかもしれない。でも、こんなにベタベタしてたら、あらぬ噂を立てられちゃうかもしれないから。士道くんだってそういうのは嫌でしょ? こんな時期に余裕こいてるんだって思われちゃうかも)

 

 思春期特有の気恥ずかしさ、というやつなのだろうかと、士道は少し考える。

 あまり気にしたことはなかった……士道にとってはそう言う時期はもう既に切り抜けているが、京乃が気にするのも無理はないことなのかもしれないと思い、しかし彼女を安心させる為に口を開く。

 

(別に好きに言わせとけば良いだろ)

 

 そもそもそんな噂なんてものは、ずっと前から立てられていたはずだ。京乃が知らなかったとしても、士道には今更気にする理由が分からなかった。

 京乃は人の心の機敏に(うと)い所があり、だからこそこういった話には興味がないのだろうと思っていたのにも関わらず、別にそういう訳でもないらしい。

 

(私の気持ちの問題だよ。……お願いだから、これからは出来るだけ会わないようにしないかな)

(俺はそんなこと気にしないって)

()()()

 

 そう言った京乃の声は、他を許さないとでも言うかのようにはっきりとしたものだった。

 そこまで頑なに断る訳が分からないと口を開いて……そして閉じる。

 

 士道は昔から人一倍、絶望という感情に敏感だった。

 だからこそ、一瞬京乃から怯むような、怯えるような目を向けられたことに気がついた。

 

(何かあったのか? 理由があるなら教えてほしい)

(どうしても言わないと駄目かな?)

(ああ)

(本当に?どうしても?)

(……ああ。困っていることがあるなら頼ってくれ。俺はお前の助けになりたいんだ)

 

 士道にとっては善意の言葉。それをかけられた京乃は、一瞬目を見開くと、彼の言葉を繰り返す。

 

(士道くんが、私の助けに……そっか、そうなんだね)

 

 大きくため息をつくと、士道に距離を詰める。

 

(理由か。そうだよ、理由があるんだ。実は私、君のことが──)

 

 短く呟かれた言葉を聞き、士道は思わず硬直する。

 言われるとは思っていなかった、聞き違いであってほしい言葉。

 

(……な、んて)

(聞こえなかった? 私、君のことが大嫌いなんだ)

 

 はっきりとした、拒絶の言葉だった。

 

(本当は同じ空間にいて息をすることも嫌なの。ねえ、空気を読むくらいしたらどうなの)

(そんな、はずは)

(分からないの? やっぱり君って……)

 

 その続きは罵倒の言葉だった。嘲笑はされなかった。あくまで普段通りに彼女は接していて、それがなおのこと異質に感じられた。

 

(もしかして気づかなかった、なんて言わないよね。それに名前呼ばないでくれるかな?)

 

 いつもと変わらない、士道の大好きだった穏やかな笑みを浮かべて京乃は言葉を連ねる。

 いかに士道が嫌いなのか。今は士道の存在が邪魔で仕方ないのだということ。士道のせいで学校に行きたくなくなるのだということ、士道の存在が迷惑なのだということ、頭に乗らないで欲しいのだということ。

 ゆっくりと、(たしな)めるような口調で紡がれる言葉は、士道の心に鋭く突き刺さった。

 

(──まさか、分からなかったんですか? 薄々そうだと思ってましたが、君ってつくづく……)

 

 また士道の目をじっと見据えて笑い、何事かを告げる。

 

(私は君とあらぬ噂なんて立てられたくないし、一緒にいたくもない。君の顔なんて二度と見たくないんだ。……分かってくれるかな?)

 

 そう言い切った京乃は、やっぱりいつもと同じ表情を浮かべていた。

 いつもだったら癒やしてくれたそれが、士道の心を押しつぶすかのように重くのしかかってきた。

 

(……そう、かよ……)

(あ、れ? ちが……)

 

 何とか言葉は絞り出せたものの、もう京乃の顔は見れなかった。

 ただ、最後に見た顔だけがこびりついて、扉を開いて帰ったことすらもあまり思い出せず、気がついたら家で布団を被って(うずま)っていた。

 

 

 

 

 ♢

 

 

 嘘だ。そう信じたいが、士道はそれを知った時、不思議な感覚に身を包まれた。今まで噛み合っていなかった歯車が噛み合ったような、抜けていた部分が埋まったような感覚。

 

 だからこそきっと、それは本当にあったことで間違いないのだろう。

 

 脱力感に苛まれる。

 

 ぼんやりと遠くから声が響いてくる。

 士道を心配するような声。好きだった声。懐かしい声。でも、どこか少し違う声。

 

 

 京乃、と。最後の声を振り絞り呻くように言うと、士道は琴里同様意識を失った。


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