来禅高校のとある女子高生の日記   作:笹案

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前回アンケート協力ありがとうございました。
今回の話は狂三さんの原作のネタバレとなる描写がありますので、ご注意お願いします。


狂三「お可愛いこと」
京乃「??」


天敵となるかもしれなかった人物

「よろしくお願いします、京乃さん」

「……はい、よろしくお願いします。時崎狂三さん」

 

 転校初日の朝。顔を強張らせて頷いた京乃を見て、狂三はどうしたものかと考える。

 

 狂三は京乃のことを“知っている”。

 ファントムに精霊の霊力を蓄えている少年がいると教えられた狂三は、その人物の周辺の人物についても調べていた。その中に京乃も入っていた。それだけのことだ。

 別に大したことは調べていないが、それでも京乃の顔とフルネーム、士道の隣に住んでいるくらいは簡単に調べることが出来た。

 だからだろうか? 自己紹介を交えた朝のホームルームが終わった時に、狂三は隣に座っている京乃に周りとは違う視線を向けられていることにすぐに気がついた。

 他のクラスメイトのような好奇心や羨望の目を向けられたのではなく、かと言って嫉妬や殺意を向けられた訳でもない。ただ、何かに困惑しているように見える少女。

 もしかしたら士道が所属している組織の人間だろうかと狂三は思ったが、それにしては……あまりにも分かりやすすぎる。

 裏表がない、嘘が下手な人物。

 それでいて面白みがないほどに“普通”な人物。

 狂三が京乃に初めて会って最初に下した評価は、そんな所だった。

 

「……」

 

 朝のホームルーム終わり、狂三の席の周りは客寄せパンダのように生徒が集まっていた。隣の席の京乃はというと、狂三の席をチラチラと眺めながら、小さなサイズのノートを読み返していた。

 授業の開始を告げる予鈴がなると、京乃は教科書とノートを机に出した後にスクールバッグの中をまさぐり、そしてひとしきり終えた後に静かに、しかし挙動不審になりながら慌てていた。

 

「京乃さん」

「……あの、なんですか」

 

 つっけんどんに接される。

 何でだろうかと狂三は思考するが、すぐに考えるまでもないかと結論づける。京乃が士道を好きなのは、これまでの観察してきた態度を見ればすぐに分かる。つまり京乃は、士道にお熱な狂三に嫉妬しているのだろう。

 何とも愛らしいではありませんのと、狂三はそんなことを思ってくすりと笑った。

 

「よろしければ教科書を見せて貰えませんか? まだ教科書が届いていなくて困ってますの」

 

 京乃はどうしようかと迷っているように狂三を見た。理性では貸すべきだと分かってはいるが、狂三に不信感を抱いている為に中々行動出来ずにいるのだろう。

 これはもうひと押しといったところだろう。

 

「京乃さんは書くものを忘れたのですよね。それなら等価交換と行きませんか?」

「な、なぜそれを……!?」

 

 何故も何もとても分かりやすかったが、本人は気付いていなかったらしい。

 目に見えて狼狽えた京乃だったが、数秒後には冷静になったようで、得心がいかないようでいながらも狂三の言葉に頷いた。

 

「……分かりました」

 

 やはり少しきまり悪そうに見える京乃だったが、狂三が机を京乃の机に寄せて筆記用具を渡すと、教科書を二つの机の中間に乗せて、前を向いて教師に注目し始めた。

 邪魔をするものでもないかと思い、狂三も教師の話に耳を傾ける。数十分真剣に聞いた後、幸いにも授業の内容についていけないということはなさそうだと思って、その後に苦笑する。

 授業についていけてもいけずとも、長居する気はないのに関係ないだろう。狂三にとってはそんなものはどうでもいい。

 とは言っても、()()の高校生である京乃にとっては、ついていけないのは死活問題といえるのかもしれないと、狂三は左隣の席に座っている京乃を見て考える。

 黒板の文字と先生の話を聞いて、内容を要領よくノートに纏めている京乃の横顔は至って真剣だった。それに感化されてか、狂三も先生の話に耳を傾ける。授業というものを受けるのは久しぶりで新鮮だったこともあり、狂三の体内時計ではあっという間に、終了を告げるチャイムが鳴った。

 一時間近くの授業を終え、一気にだらけている生徒達は多く、隣にいる京乃も眠そうに欠伸をこぼした。

 

「あっ、観月今いいか?」

「……!?」

 

 だらけていた京乃だったが、声をかけられた瞬間に眠気が覚めたのか、音を立てて席を立ち上がった。そして声の主が士道であることに気がつくと、すぐに隣に座っている狂三の椅子の背に身を縮めながら隠れた。

 縮めながらと言っても、狂三とそう身長は変わらない京乃はそこまで隠れられていない。完全に姿を隠すつもりならば無謀な試みと言わざるをえないだろう。

 

「あの、京乃さん? わたくしの後ろに隠れないでいただきたいのですが」

「……! す、すみません……」

 

 流石に無理があったとは分かっていたのか、京乃は狂三の陰から出てきて謝った。士道は京乃に避けられてショックを受けたような顔をしたが、何とか持ち直したのか苦笑しながら狂三に話しかけた。

 

「すまん狂三。悪いが少し観月と話していいか?」

「ええ、勿論構いませんわ」

 

 にこりと笑みを浮かべて狂三は頷いた。それを見て、少し顔を強張らせていた士道の表情がほっとしたものへと変わっていた。

 

「観月、この前忘れ物しなかったか?」

 

 士道は小声でそう言うと、自分の後ろに隠すように持っていた士道の私物にしては可愛らしい、花の刺繍などが施された布製のペンケースを京乃に見せる。すると、京乃は目を丸くした後に嬉しそうな声を上げた。

 

「は、はい! 家にあったんですね……良かったです……!」

 

 京乃の反応を見てか目を細めた士道は、ペンケースを京乃に手渡す。

 

「す、すみませんでした。この恩は必ず……!」

「恩は返さなくていいぞ。それよりも前言った料理のコツなんだが……」

 

 京乃はどこからかメモ帳を取り出して、熱心に話を聞き始めた。要所要所で相槌を打ち、知らなかったことがあると嬉しそうにリアクションしてメモ帳に書き始めた京乃を見てか、心なしか士道も嬉しそうに見える。

 

「そういうことだから、じゃあな」

「は、はい。わざわざありがとうございました」

 

 士道が自分の席に着くまで京乃は頭を下げて、数十秒後に頭を上げて席に座った。

 士道が見る席をじっと京乃の頬は朱く染まっている。

 それを見た狂三は、自然に言葉を洩らした。

 

「京乃さんは士道さんのことをお慕いしておりますの?」

「……何で、そんなことを?」

「ふふ、何ででしょうね」

 

 京乃ははぐらかすような物言いに、じとりとした視線を返した。狂三はそれを受け流して同じ言葉をもう一度繰り返す。

 

「それで、京乃さんは士道さんをお慕いしておりますの?」

「貴女には関係ないことじゃないですか」

 

 京乃は狂三の逆方向の窓側へとつーんと顔を背けてしまったが、その顔は朱く染まっていた。

 京乃は士道のことを好きなのは間違いないだろうが、中々認めようとしない。それを()れったく思ったのか、狂三は意地悪そうな笑顔を浮かべる。

 

「そうですの? では、わたくしが士道さんと恋仲になってもよろしいのですね」

「そ、それは……えっと」

 

 歯切れ悪く、先ほどよりも明らかに狼狽(うろた)える京乃を見て、狂三は自然に笑みをこぼした。

 

「ふふ、冗談ですの」

 

 その言葉に目に見えて安心していた京乃だったが、そのことに少しの悪戯心が湧いたらしい狂三は言葉を続ける。

 

「でも、その内に冗談でもなくなってしまうかもしれませんわ。士道さんがわたくしのものになってしまう可能性……ということも頭に置いておいてくださいな」

「……っ!?」

 

 士道が狂三のものになる。

 狂三がそう言った瞬間に、京乃の顔は林檎のように赤くなった。つまり、京乃は士道と狂三が恋人になるという意味に捉えたのだろうと狂三は察した。

 もっとも、狂三は紛らわしくしようとしていたのだから、京乃の反応だって間違ったものではないのだが……狂三の言わんとする本来の意味とは違っていた。

 狂三は、士道を自分のものとしようとしている。士道の時間を、つまりは士道の寿命と霊力を吸い取ろうとしている。

 その事実を知ったら隣の少女はどう思うのだろうと、狂三は考えてみるが……そんなことを考えたって仕方がない、京乃がその事実に激怒しようが悲しもうが狂三の為すことは変わらないのだとすぐに考え直した。

 

 

 京乃の筆記用具は戻ってきたが、この日はずっと京乃は狂三と共同で教科書を使っていた。

 帰りのホームルームが終わった後、狂三は自分を待っていてくれた士道の元に向かう。

 士道には、学校を案内してもらうという約束を取り付けてある。士道を狙っている狂三にとって、これは好機だ。

 

 

 

 

 ♢

 

 士道達に学校を案内してもらった狂三は、宵が近くなってきた空の下で一人歩いていた。

 本当は今日にでも士道を食べるつもりであったのだが、妨害が入ってしまった。

 悲願を達成するまであと少しというところだったのだからお預けを食らってしまったように思えてしまうが、別にいつでもは食べることが出来るのだ。そこまで気にすることでもないだろう。

 それに今日は楽しかった。

 士道、そして京乃達に学校を案内された時は、まるで昔の学生時代を思い出すようで……

 

 ああ、いけませんわ。

 狂三はすぐに思いを振り払う。

 今の自分にはそんな考えは不要。ただ原初の精霊を殺すことだけを考えていればいいのだ。

 その為に士道に接触したのだから。

 士道を食べることさえ出来れば、きっと時間遡行することが出来る十二の弾(ユッド・ベート)を打つのに充分な霊力を手に入れることが出来る。

 悲願を達成した暁には……新たな精霊が誕生することも、狂三が闘う必要も、他の人達から時間を吸い上げる必要もなくなる。

 狂三にとって、その事実がどうしようもなく嬉しいのだ。

 

 狂三は鼻歌を歌いながら歩いていると、前方不注意が原因で誰かとぶつかってしまった。

 

「あら、申し訳ありませんわ」

 

 ぶつかってしまったのは自分に否があるからと、謝った狂三だったが、その男と仲間達は因縁を付けてきた。

 どうやら前方をたむろっていたのは不良だったらしい。それならそれで構わないと、狂三は先程まで浮かべていた笑みをより深いものに変える。

 

「あらあら、もしかして……わたくしと交わりたいんですの?」

 

 原初の精霊を殺して全て正常な世界にする為に、まずは力を蓄えなくては。

 

「ああ、ああ。士道さん。焦がれますわ、焦がれますわ……! 早くわたくしのものになってくださいまし」

 

 

 

 

 

 

 ♢

 

 士道達に学校案内をしてもらった翌日。

 狂三の分身体はいつも通り真那に(処分)されたが、狂三は士道に会う為に登校することにした。

 

「おはようございます、京乃さん」

 

 朝のホームルーム終わり。

 狂三に声をかけられた京乃は、ちらりと顔を狂三に向けるとすぐに手元のノートへと向き直る。

 

「……おはようございます、時崎狂三さん」

 

 折紙からは動揺を見受けられるが、京乃からは特に昨日と変わった様子は見受けられない。

 昨日と変わらずに不審そうに見られるだけだ。

 

「狂三でいいですのよ」

 

 狂三が笑みを浮かべてそう言うと、京乃は少し逡巡した様子で狂三を呼んだ。

 

「……おはようございます、時崎さん」

 

 どうやら名前呼びには至れなかったらしいが、昨日まではフルネームで呼ばれていたのだから進歩と言えるかもしれない。そんなことを考えながら、狂三はにこりと笑みを浮かべる。

 

 昼休み。

 折紙に屋上前の階段に連行された狂三は、連れ出されたのは折紙が士道に構っている狂三を気に食わなかったからだと思っていた。しかし、その行動の理由が、死んだはずの精霊が何故生きているのか知りたかったと知り、士道に本性がバレてしまう可能性を懸念した。

 だから折紙に()()()()()()脅しをかけたのだが、その最中にたまたま折紙の胸ポケットに手を突っ込んだ狂三達の手に違和感があることに気が付いた。

 折紙の注意を逸らしてそれを取り出して、狂三のスカートの内ポケットの中に仕舞いこんで、折紙から距離を取った後にそれを取り出して見る。

 

「あら?」

 

 折紙が持っていたのは一枚の写真だった。

 公園のベンチで少年が所在なげに座っている姿が至近距離で撮られた写真。映っている青髪の男の子は小学校に入る前くらいの歳に見え、士道をそのまま小さくしたような……いや、きっと士道本人の幼き頃の写真なのだろう。

 

「……ふむ」

 

 何で折紙がこんな物を持っているのかという疑問はともかく、狂三はこの写真に興味を持った。

 あんなにも素敵で優しくて……何よりも美味しそうな士道の過去。それがどのようなものだったのか、少し知りたくなったのだ。

 そこまで考えた狂三は霊装を纏い、おもむろに拳銃を取り出した。と、そこでここで銃を使ってしまえれば騒ぎになるという可能性に気がつき、場所を移動しようと屋上の扉に手をかける。昨日締めなかったものをそのままだったのか、鍵はかかっておらずに簡単に開いたので、狂三はそのまま屋上に入って扉を閉める。

 

一〇の弾(ユッド)

 

 そう呟いた後に写真を自分の頭につけ、写真越しに拳銃で弾を撃った。

 

 一〇の弾(ユッド)

 撃った対象の記憶を読み取る能力。

 情報収集にとても有利で、中々重宝している能力だ。

 狂三はこれを使って原初の精霊についての情報を集めることもしているが、そちらは難航している。しかし、今回の件についてはどうやら上手くいきそうだと悟り、狂三は写真の記憶に意識を傾けた。

 

 そして数十秒後、狂三は自分の頭に入ってきた情報に困惑した。

 士道と京乃が公園で話していただけだ。二人がまた遊ぼうと約束をしようとするだけで、その会話の内容だって特殊なものではない。

 しかし、京乃がベンチに座っている士道に話しかけている距離感と雰囲気が、明らかに今の二人とは異なっていた。顕著なのは京乃だろう。ガワ(見た目)以外は別人のようにしか見えない。

 すぐさま教室に戻り、先程の記憶について京乃に尋ねようとした狂三だったが、口を開こうとする度に折紙に睨まれて、聞きあぐねていた。

 どうやら、折紙は先程の経験で過敏になってしまっているらしく、結局狂三はこの日、京乃に聞くことは出来なかった。

 

 

 

 ♢

 

 翌日の午後三時半頃。公園で士道とデートをしていた狂三は、通算三十度目のトイレに出かけた士道を待つ時間に飲み物を買おうと、公園近くの自販機で購入する。その帰り道に、寄ってたかって子猫をチャチなオモチャで甚振(いたぶ)っている男達を見つけた。

 子猫においたをした彼らに制裁を加えている所を士道に見られてしまい、名残惜しいながらも狂三は士道を力の糧にしようとした。

 しかしやはり真那に邪魔をされ、結局士道を取り込むには至れなかった。

 

 狂三が街中で雑踏に紛れてどうしたものかと考えていると、自分を尾行している人物がいることに気がついて眉をひそめた。

 先程、可哀想な程狂三に怯えていた士道は違うだろう。それなら真那か、その他のASTやDEM社の人間だろうか? 

 どちらにしても狂三が一人になったら仕掛けてくるはずだ。少々面倒くさいが対処をしておこうと思い、人のいない路地裏にその人物を誘い込んでみて……そして狂三は、予想だにしていなかった人物がいたことに目を丸めた。

 

「京乃さん、どうなされまして?」 

「……!?」

 

 耳元に身を寄せて声をかけると、京乃は身を震わせて振り返った。

 どうやら狂三を追いかけてきていたのは京乃だったらしい。京乃にどうして追われていたのかは分からないが、もしかしたら本当に真那の仲間なのだろうかと思案する。

 ……それにしては辺りに仲間の気配がないし、武装も展開していない。幾ら自分の力に自信があるにしても、可笑しいだろう。

 

「驚かせてしまいましたか? ですが驚いたのはこちらも一緒ですのよ? 京乃さんがわたくしを追いかけてくるとは思いませんでしたの」

 

 狂三はおどけたように肩をすくめた。

 本当に京乃がいるとは思っていなかった。偶然見つかってしまったのだろうが、それにしたって京乃の心の内が見えない。

 

「それで、京乃さんはどうして私を追いかけたんですの?」

「……最初は普通に声をかけようとしましたが、中々追いつけなかったんです」

「なるほどなるほど」

 

 明らかに尾行されてたが、どうやらその理由については教えてくれないらしい。しかし、次に発せられた言葉で狂三はその理由に辿り着く。

 

「……さっきまで五河君と一緒にいたんですか?」

 

 どうやら、士道とデートをしている所を見られたらしい。そのことに気がつくと、どこを見られていたのだろうかという疑問が浮かんだ。しかし、人を殺した場面を見られたなら、士道と同じような反応をするものだろうと、すぐに重要な場面は見られていないだろうと当たりをつけた。

 

「ええ」

「何故、ですか。何故、あなたは五河君と一緒にいたんですか?」

「わたくしが士道さんと一緒にいるか、ですの? すみません、不快に感じてしまいましたか? わたくしはこの街についてよく知らないので、士道さんに案内してもらってましたの」

「……そう、ですか」

 

 納得していないように呟いた京乃に、狂三は丁度いい機会だからと質問をした。

 尋ねたのは、士道と京乃の関係性だ。

 昨日思わぬ所で二人の昔の記憶を見た狂三は、そのことが気になってしまったのだ。

 京乃が嬉しそうに語った情報によると、士道は五年前の火災で全焼してしまったことが理由で自分の家の隣に越してきた。それだけの関係らしい。

 狂三はそんな訳あるかと言いたくなるのを堪える。

 五年前にこの近くで起こった火災については、狂三も知っている。何せ、狂三は精霊が関係しているかもしれないと現場を見ていたのだから。問題はそこではない。

 前に得た記憶では、どう考えても士道も京乃も小学校にすら入学していない年齢時点で出会っていた。しかし、嘘をつく意味も分からないし、ついているようにも見えない。

 ……何者かの意図があるのか。はたまた、ただ単純に京乃が忘れん坊なだけか。

 それを知る為にも情報を掴もうかと考え、狂三は京乃と別れようとした。しかし、そこで京乃に呼び止められる。

 

 

 ──(士道)を悲しませるような真似をしたら、私は貴方を許さない。

 

 京乃は()めつけて狂三にそう伝えた。

 それは、真那や折紙が狂三に向ける視線とは、比べものにならないほどに弱々しいものだった。士道を悲しませるような真似なんてもの、度が過ぎるようなことをしている狂三には、もう届きようのない言葉だ。そのはずだったのに、確かな意思を持った言葉に狂三の心は動かされた。

 

「──ええ、心得ましたわ」

 

 奪うのが士道ひとりの命だろうと、彼を想う京乃や士道の家族の人生を狂わせてしまうのはとめられない。改めて、自分のしようとしている事実が重圧となってのしかかる。しかし、歩みを止める訳には行かない。原初の精霊を殺すまでは、歩みを止める訳には行かないのだ。

 

 

 ♢

 

「狂三、俺はお前を救うことに決めた」

 

 士道と愛瀬を交した次の日の朝。

 下駄箱で士道からそう告げられた狂三が最初に感じたのは、呆れと怒りだった。狂三のことを何も知らないのに何を救うというのか。

 しかし、次に感じたのは昨日あんなに酷い目にあったのによく自分に立ち向かえるなという感心だった。士道の態度からは、ある種の決意があるのが分かった。だからこそ……邪魔だと思ったのだ。

 もう少しだけならこの日々を続けてもいいと思ったが、どうやらこれまでらしい。

 そう思った狂三は、放課後に屋上で会う約束を取り付けて教室に入った。

 そして狂三が自分の座った数分後、飲み物を買いに行っていたらしい京乃に挨拶をしたら、彼女の顔は苦々しく歪んだ。今日までも快く返事をしてくれたことはなかったが、この反応は初めてのような気がする。

 狂三は京乃に嫌われたのかと己を振り返ってみると、思い当たる節はそれなりに多かったので失笑しそうになった。

 しかし、京乃が顔を歪ませたのは狂三が嫌いだからという理由ではなく、ただ考えごとをしていただけだった。京乃はその考えごとの末に、狂三に何がしたいのかと質問をしたが、要領を得ないものであった為にすぐに打ち切った。

 

「京乃さん、今日は帰りのホームルームが終わったらただちに家に帰ることをおすすめしますわ」

 

 狂三がそう言うと、京乃は豆鉄砲を食らったような顔をした。

 

「どうしてですか?」

「最近は何かと物騒ですから」

 

 狂三が京乃に忠告したのは、ただの気まぐれだった。それ以外の何物でもない。

 別に京乃ひとりがいなかった所で、貰う時間の量なんて然程変わらない。そもそも、それは士道に対する威嚇行為であり、少し時間を貰えたらいいなくらいにしか思っていない。……そう。士道の時間さえ奪うことが出来たなら、そこまで大差ないのだ。

 

 

 放課後、士道から時間を奪おうとした狂三だったが、余計な茶々が入って首尾は上手くいかなかった。

 しかし、それでも最初は狂三が優勢だった。

 最初は……つまり最終的には不利になった。

 立ち向かってきた真那を行動不能にして、途中から駆けつけてきた折紙と十香の気絶させ、士道を分身体を使って拘束するまでは良かったが、そこから先が問題だった。イレギュラーが起こったのだ。

 狂三にとっては千載一遇のチャンス、士道にとっては絶体絶命の危機に突如としてその存在、炎の精霊は現れた。

 七の弾(ザイン)を使って炎の精霊の時間を止めて、心臓や脳などの致命傷に銃弾を打ち込むのには成功した。そして動かなくなったのも確認した。それが油断したのがいけなかったのだろうか。その後に()()した彼女との闘いは苦戦を強いられた。

 しかし、それでもまだ勝負が決まるというほどではなかった。決め手となったのは、顔を歪めて膝をついた炎の精霊が立ち上がった瞬間……別人のような表情になった時だろう。

 

 爛々と真っ赤な目を光らせた炎の精霊は、狂三を睨めつけて、持っていた巨大な戦斧〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を天高く掲げて、その手を離した。

 離したにも関わらず、その場に静止した状態で〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の刃が空気に掻き消え、(こん)のみがその場に留まる。

 

「〈灼爛殲鬼(カマエル)〉──【(メキド)】」

 

 その声に呼応するように、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉は柄の部分を本体に収納し、炎の精霊の掲げた右手に包み込むように着装された。

 身体の周りの炎を〈灼爛殲鬼(カマエル)〉に充填させ、棍の先端を狂三に向ける姿は……まるで一体の大砲のようだった。

 今までとは比べものにならない火力の攻撃が、繰り出される。そのことを察した狂三は恐怖し、自身の分身体達を招集して自分の周りを固める。

 そして、その時は訪れた。

 

「──灰燼(はいじん)と化せ、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉」

 

 炎の精霊が冷淡な声でそう言った瞬間、彼女が構えた巨大な戦斧から、凄まじい炎熱の奔流が放たれた。

 巨大な火山の噴火を数十センチの範囲に凝縮したかのような圧倒的な熱量が、狂三の分身体を、そして狂三の左腕を消し飛ばした。

 同様に狂三の天使の時を操る巨大化な時計盤、〈刻々帝(ザフキエル)〉の『Ⅰ』『Ⅱ』『Ⅲ』の数字があった所も綺麗に抉り取られている。

 ……戦力差は明らかだった。

 狂三は戦闘が続けられる状態ではなく、絞り出すように息を吐き、その場に膝をつく。

 だが、炎の精霊は武器を仕舞わない。狂三に戦いを強要し、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の砲門に炎を充填していく。

 次の攻撃は、避けられない。

 

「狂三!」

 

 そう言って、狂三の前に立ちはだかったのは士道だった。そんなことをしても意味がないのに、馬鹿な程にお優しい人だ。狂三は諦念して目を閉じる。

 

 ──しかし、狂三は強い衝撃を持って突き飛ばされ、その瞬間に先程まで二人がいた付近には全てを焼き尽くす紅蓮の咆哮が放たれた。

 狂三は慌てて辺りを見渡すと、すぐ近くに士道が倒れ込んでいて、有り得ないとでも言いたそうな表情で前方を見ていた。狂三もその視線に沿った方向に目を向け……そして、狂三を突き飛ばした人物を目にした。

 狂三は、その人物には見覚えがあった。

 

「きょ……の、さん……」

 

 掠れた声しか出なかったが、そうでなかったとしても大した意味もなかったのかもしれない。

 

「君に、大した怪我がなくて良かった。本当に、良かった」

 

 安堵した表情でそう言い、目を瞑った京乃。

 彼女の目には狂三も炎の精霊も、折紙や十香さえも目に映っていないようで、ただ一人だけを見つめていた。

 狂三が炎の精霊の攻撃から逃れられたのは、間違いなく京乃のおかげだろう。

 しかし、京乃の行動は狂三を助ける為ではなく、ただ士道を助けるだけのものだったのだろう。

 狂三が助けられたのは、ただの偶然だ。

 

 ぞっとした。

 

 京乃は意識を失うまで、士道から目を離すことはなかった。ただ安堵した表情で士道を見つめ、狂三には一度たりとも目を向けることはなかった。

 この調子では、もしかしたら炎の精霊の存在も見えていなかったのかもしれない。

 しかし、そうだとしても、全てが士道の為だったとしても。今の攻撃を避けられなかったら、いくら狂三とて、無事では済まなかった。一応とはいえ、助けられたのだから恩返しくらいはするべきだろう。

 命の灯火が消えかけている京乃に向かって銃を向けると、士道から制止の言葉をかけられた。

 彼もいつ気絶するのかも分からない状態ですのに、難儀なことですわね。

 くすりと笑って、天使を無理やり展開させて京乃に向けた銃を撃つ。

 

「──四の弾(ダレット)

 

 京乃がまだ死んでいないと言うのであれば、まだ打つ手はある。

 借りというものを返すこともできる。

 

 炎の精霊との戦いで、霊力の消費は激しいですが……まあ、そのお礼はまた今度の機会にでもいただきましょうか。


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