「待ってくれ真那……!」
真那に追い出されて、俺はなすすべもなく公園のベンチに腰掛けた。
何故こうなったのか。最初は十香や四糸乃の時と同じように、好感度を上げる為にただ狂三とデートをしていただけだった。
あの場面を見るまでは、そのはずだった。
俯いていると、ゆっくりと誰かが近付いてくる足音が聞こえてきて、慌てて顔を上げる。
しかし、その顔の主が狂三でも真那でも無いことに気が付くと、穏やかではなかった内心も落ち着いてきた。
「……五河君?」
逆光でよく見えなかったが、シルエットと声で誰なのか正体に目星がつく。
「……観月か?」
「は、はい!」
緊張した声音で頷いた彼女は、おずおずと問いかけてきた。
「すみません、隣に座ってもよろしいでしょうか……?」
「……ああ」
俺がそう言うと、観月はほっとしたような表情で俺の隣にちんまりと座った。
そして訪れる静寂。
……いや、鳥のさえずる声も聴こえるし静寂と表すのはおかしいのかもしれない。
前は観月の二人きりなんていたたまれなくて仕方がなかったが、今は少し違うように感じられる。……なんというか、落ち着く気がする。
無害。観月のことをそう言い表すのが適切だからだろうか。
精霊でもASTでも、ラタトスクの人間でもない、一般人。
そんな彼女がいるからこそ、俺は先程の非日常的な光景から日常へと戻って来れたような気がするのだろうか。
そんなことを思いながら、隣に座っている観月の姿を眺める。
私服姿を見るのは珍しい気もするが、やっぱり雰囲気も表情もいつもと変わらないように感じられる。
「あの……どうかなされましたか?」
「いや、何でもないんだ。……ごめんな、ジロジロ見て」
「いっ、いえ! 全然構いません!
……それにもっと見てくれても……」
構わないと言った後の言葉は、独り言を呟くように小さなものだったので聞き取れなかった。しかし、もじもじと恥じらう観月の姿を見て、あまり同級生のことをガン見するもんでもないだろうと思って視線を外す。
「あっ、あの! これどうぞっ!」
観月から、鞄に入っていたポーチから取り出したものを貢ぐように差し出された。
「……飴か?」
観月の持っている透明の包みの中には、赤い玉が入っていた。
見慣れた形状を前にそう問いかけると、観月は小さく頷いた。
「不安なことがあった時に飴を舐めると、何だか安心するんです。も、もしかしたら私だけなのかもしれませんが……それでも、五河君も同じ気持ちになってくれればと思って……!」
そんなに変な顔をしてしまっていたのだろうか?
目を瞑ってそう言った彼女を見て、俺は昔のことを思い出した。
『どうしてきみはベンチでつまんなそうにしてるの? わたしとおはなししよーよ。いまならあめもあげるよ?』
年相応に見える笑顔を浮かべて差し出された手を、俺は恐る恐る取ったのだ。
あの日から、琴里と両親しか存在していなかった俺の世界は少しだが、着実に広がっていったんだ。
そうだった。もう声も、顔すらも思い出せない彼女と出会ったのも公園のベンチだった。
十香と会ったばかりの頃も、同じように観月から飴を貰ったのを思い出す。
その時は聞けなかった飴を渡された理由を聞けて、納得したと同時にズキリと痛んだ胸を無視して笑った。
やっぱり、観月も本質的には世話焼きな性格なのだろう。
そう考えながら好意に甘えて飴を受けると、観月は飴を受け取った俺の右手を不思議そうに見ていた。
どうしたのだろうかと俺も確認してみると、手の甲にすり傷があった。
今まではそれどころではなかったが気付かなかったが、きっと先程転んでしまったことが原因だろう。
「……手、怪我してるんですか? 菌入ったらいけないですし水で洗いましょう……!」
いつになく積極的な観月と水道の蛇口の前に行き、彼女に促されて擦りむいた箇所を水で洗い流すと水が少ししみたが、あのまま狂三に殺されていたら……こんな痛みでさえも感じることなく一生を終えていたのだと、そんなことに気が付いてぞっとした。
「……これでよしっと」
俺の洗った手を手際よく拭いた後に、観月は傷口に絆創膏を貼ってそう言った。
そんな達成感にあふれた顔をしている観月は、どこか彼女と重なって見えた。
「……どうかなさいました?」
「ああ、いや。……ごめんな、わざわざこんなことさせて……」
「いっ、いえいえ! 私がやりたくてやってることなのでお気になさらないでください。五河君にはいつも料理とか……お世話になってるのでお役に立ちたいんです……!」
「……そうか」
拳を握りしめて意気込む観月を見て、少しの疑問を抱く。
「そういえば、観月はどうしてここにいるんだ?」
ここは別に家に近い訳でもないし、もし天宮クリテットに用があったとしてもこんな公園まで来る理由が分からなかった。
そう思って問いかけると、観月はいつものように不安そうな表情で、所在なげに指を揺らしながら口を開いた。
「……折角の休みなので、知り合いと此処らへんでショッピングしていたんです。でも、その子気分悪くなっちゃったみたいで、それで私は自販機で水を買いに」
「大丈夫なのか?」
「あの子、少し人混みが苦手な所があるんです。少し休んだら、いつもみたいに良くなると思いますから」
「……そうか。残念だけど、この公園には自販機が無いみたいなんだ。少し道を抜けた所にはあるんだが」
「そうなんですか……」
観月はどこか、気もそぞろな様子だ。
そこまで興味がなかったのか、それとも自動販売機自体は見つけられていたのだろうか?
そう考えていたが、どうやら観月が考えていたのは自分のことではなかったらしい。
「五河君は先程まで、誰かと一緒にいたんですか?」
「ああ。俺は狂三と……」
狂三とデートをしていた。
そう言おうとした時に、忘れようとしていた先程の光景がフラッシュバックした。
狂三が、人を殺している光景。
そして……真那が、狂三を殺している光景。
乾いた銃声も、広がっていく血だまりも、うめき声をあげて死んでいった男の声も、脳裏にこびりついて離れない。
酷く、吐き気がした。
「……五河君、大丈夫ですか? 顔色、悪いですよ」
「……いや、そんなことは」
そんなことはない。
そう言い切りたかったが、思いとは裏腹に口は重たく、歯切れが悪くなってしまった。
観月に心配をかけたくはなかった。
観月は、他のクラスメイトや精霊達に比べても精神的に打たれ弱い。
そんな彼女にこれ以上負荷をかけていいものか?
──そんなもの、良い訳がない。
だから俺はさっきの言葉を誤魔化そうと、無理やりにでも口を動かそうと……した。
「私はあなたの役に立ちたいんです。だから、何か心配事があるのならば……相談乗ります。頼りないし、信用ならないかもしれませんが……」
その言葉を聞いて、俺は観月の顔を見た。
観月の蒼い瞳はいつものように不安に揺れていたが、俺から目を離すことなく心配そうにこちらを見つめている。
きっと観月は打算も何もなく、ただの善意で相談に乗ると言ってくれているのだろう。
十香と同棲していたことがバレた時にも、観月はクラスにはバラさずにいてくれた。
観月は信用出来るやつだと、そう思う。
なら、話してもいいだろうか。
俺はそう思って口を開き、そして開いた口を閉じて押し黙る。
言えない。彼女は……観月京乃は、争いとは無縁の普通の高校生だ。観月に全てを伝えると言うことは、彼女を危険に晒すのと同じだ。
観月には観月の日常がある。
俺の日常は精霊に、十香に会ってから崩壊していった。最初は望まなかったことだが、俺は自分で彼女達を救おうと決意するようになったのだ。
……今さっき会った出来事で、俺のその決意も崩れつつあるのだが。
精霊を助けるのは本当に正しいことなのか、今の俺には分からなくなってきている。
「……観月には、関係ないことだ。放っておいてくれ」
自然と口調が荒く、突き放すようなものになるのを感じた。
それに気づいて直そうと思った時には、既に観月の顔は今にも泣き出しそうにくしゃりと歪んでいた。
「今度は私がと、そう思ったのですが……すみません。私では力不足、ですよね」
声を震わせてそう言い、駆け足で去っていく観月を止めることも出来ずに、ただ目の端で見送った。
観月は気の利いた言葉も返せない俺に失望したかもしれない。
でもきっと俺がやった行動は間違いではなく、俺が出来る最善とは言えずとも観月が幸せに暮らすことが出来る一つの道なのだと、そう信じた。
♢
京乃は士道の姿が見えなくなるまで公園の外に走った。
じっとりと汗ばむ服が気持ち悪いし、息もそう続かない。一度立ち止まって乱れた呼吸を整え、目元を拭った後に俯きながら歩き出した。
前も見ておらず周りの雑音も耳に届かないようだ。何か考えごとをするように気難しい顔している京乃だったが、目の前が見ていないことが原因で道行く人とぶつかった。
その衝撃で、やっと目の前のことに意識を向けられたらしい京乃が、ぶつかった人にそう謝る為に顔を上げると、その人は京乃のことを気にするまでもなく歩いた。
ただ通り過ぎる間際に、彼女は京乃の耳元に口を寄せた。
「時崎狂三が近くにいるが、君はどうするんだい?」
「……え」
京乃は慌てて振り返るが、既に雑踏に紛れたのかその人物は見えなくなっていた。
誰だったのだろうか?
ただ、どこかで見覚えがある顔だったような気がする。
もしかして知り合いだったのかもしれない。
狐につままれるような出来事に一抹の気持ち悪さを感じたが、そんなことよりもあの人物が言った言葉の方に意識を寄せられた。
あの人物は狂三が近くにいると、確かに言っていた。
士道の元気がない原因であろう狂三が近くにいるのなら、追いかけるべきだろう。
手がかりは何一つないが、それでも近くにいるのなら分かるかもしれない。
なにせ狂三は、同性の京乃から見ても他とは抜きん出た美少女である。
そんな彼女が街中を歩いていたら、道行く人が噂話をしている可能性はある。
盗み聞きとは趣味が悪いだろうが、この際手段は選ばない。
そこまで考えてから、京乃は速やかに行動した。
通り過ぎた人らに耳を傾けて、場合によっては彼女の行き先を尋ねて歩みを進める。
そして、ようやく先程までいたという場所に着き、歩いて周辺を探し始める。
「……〜♪」
そんな中で鼻歌交じりで足取り軽やかに歩いている狂三を見つけて、京乃はすぐにその足取りの向かう先を知るべく隠れながら追いかけた。
人通りの多い道では男の視線を集め、大通りから外れた道で子猫を見かけた際には、そわそわとしながらも遠巻きに眺めるだけで近寄りはしなかった狂三。
狂三は先へ先へと人気のない道を歩いていき……ついには、路地裏の行き止まりまでついたが、そこで京乃は狂三を見失ってしまった。
どこに行ったのだろうと右往左往している京乃の背後に影が忍び寄る。
「京乃さん、どうなされまして?」
「……!?」
背後から聞こえた声に驚いて振り返ると妖艶に微笑む狂三の姿があり、京乃は思わず
先程まで絶対に目の前にいたはずなのに、何故後ろにいるのか……そう考えてみると、実は途中で気付かれてしまったという可能性に気が付いた。
しかし、そうは言っても狂三は京乃のいる方向に顔を向けることなどなかったはずだ。
「驚かせてしまいましたか? ですが驚いたのはこちらも一緒ですのよ? 京乃さんがわたくしを追いかけてくるとは思いませんでしたの」
狂三はおどけたように肩をすくめる。
「それで、京乃さんはどうして私を追いかけたんですの?」
「……あなたを見つけた最初は普通に声をかけようとしましたが、中々追いつけなかったんです」
「なるほど、それでしたら仕方がありませんね」
飄々として掴みどころのない狂三を見て、京乃は顔が強張るのを感じる。
先程士道の顔色が悪かったのは、間違いなく狂三ぐるみの話であるはずなのに、当の本人である狂三は何もなかったようにけろりとしている。
はっきりと言ってしまえば、不気味だった。
「……さっきまで五河君と一緒にいたんですか?」
「ええ」
依然として表情を変えずに、狂三は首肯する。
思ったよりもあっさりと返された言葉を聞いて、京乃は士道の体調が悪かったのはやはり狂三が原因であったことを確信した。そしてこの返事で、もっと言葉を聞き出せると思った京乃は、更に言葉を連ねる。
「何故ですか。何故、あなたは何で五河君と一緒にいたんですか?」
「わたくしが士道さんと一緒にいるか、ですの? ……ああ、すみません不快に感じてしまいましたか?
わたくし、この街のことをよく知らないので、士道さんに案内してもらってましたの。平たく言うと、デート……ですわね」
「そう、ですか」
狂三は京乃のリアクションが薄いことにか軽く肩を竦め、その後に口を開く。
「昨日も言いましたが、実はわたくしもあなたに聞きたいことがあるんです。よろしいでしょうか?」
「……どうぞ」
警戒した表情で京乃は頷く。
昨日狂三が何かを聞こうとしていたことは、京乃だって理解している。
だが、肝心の内容は全く分からないし、折紙からは狂三には気をつけてと言われている。
だから、京乃は少し警戒を強めて、その上で内容を知ろうとした。
「京乃さん、あなたは
「……え?」
狂三の質問の意図を理解出来ないと言った感じで、京乃は首を傾げた。
「意味が分からないです。私は、私です」
「ごめんなさい、少し意地悪な質問でしたわ」
少し困り顔で狂三はそう言うが、京乃は不審そうに眉をひそめるだけで特に何も言うことはなかった。
「では、京乃さんと士道さんの関係は?」
「何で、時崎さんにそんなことを言わないといけないんですか?」
「ただの興味本位ですわ」
狂三が笑みを浮かべているのを、京乃はやはり疑わしそうに見る。
何がしたいのか分からない。
興味本位、そんなもので他人の関係性に口を突っ込むものなのか。
「くだらないですよ。時崎さんの耳に入れるほどの情報じゃないです」
「くだらなくても構いませんわ」
狂三は、今度は少し真剣な表情でそう言った。
本当は京乃にとって断りたい、言いたくない情報ではあるが、拒絶してしまえばそれはそれで狂三に怪しく思われてしまうだろう。
幸いにも、耳に入った所で困ることはない話だ。
それなら本当にどうでもいい情報であることを裏付ける為に、早く言って流してしまおうと京乃は口を開く。
「……私は、私と彼は」
そこまで言って口を閉じる。
そして悲しそうに、それでいて少し嬉しそうに口元を緩めて狂三に向き直る。
「私と五河君は、家が隣なんです。それ以外の接点はありません」
「そうですか。それは昔からのことですの?」
狂三がそう聞くと、京乃は昔を思い出すように少し考えこんでから口を開いた。
「……五河君の前の家は、大規模な火事で全焼してしまったらしいんです。その後に、たまたま空き家だった私の隣の家に越して来たんです。確か、小学校六年か、中学一年の時くらいだったと思います」
「そうですか」
狂三は京乃の情報を聞いて、少し眉をひそめる。
「何でそんなことを聞くんですか?」
「先程も申しました通り、少し気になってしまっただけですの」
「物好きですね」
少しむっとしたような表情で京乃は言う。
そんな京乃をいなすように、狂三は穏やかな声音で話しかけた。
「そうかもしれませんわ。それでも、私にとっては大切な情報かもしれませんので。でも、それで京乃さんの気分を害してしまったのなら謝りますわ」
「……そんなことはないです」
やはり少し不服そうな表情を浮かべている京乃を見てか、狂三は苦笑した。
「京乃さん。わたくしと士道さんが一緒にいたかという質問には答えましたし、わたくしも聞きたいことは全て聞きました。もうお開きでいいでしょうか?」
心なしか早く会話を切り上げようとしているように感じられる狂三の言葉を前に、京乃は考え込んだ。
「……もうひとつ、言いたいことがあるんです。あと少しだけお時間良いでしょうか?」
「少しでしたら構いませんわ」
京乃の真剣そうな表情を見て、狂三は頷く。
「何をしたがっているのかは分かりませんが、あなたが何をしようとしても私には関係のない話です」
突然の言葉に、狂三はきょとんとした表情を浮かべる。
「あら、よろしいのですか? もしかしたら、わたくしが士道さんに告白するかもしれませんのよ」
揺さぶりをかけるつもりなのか、狂三はそう言ってくすくすと笑う。
ただ、狂三の予想に反して、京乃は言葉に乗ってくることはなかった。
「……別に。でも」
そこで区切り、逸らし気味だった視線を狂三に戻す。
「彼を悲しませるような真似をしたら、私は貴方を許さない……です」
最初は語気を強めていたものの、最後の方には萎むように弱々しくなった。それでも、京乃は最後まで狂三に言い放った。
睨みつけてもいたが、全く凄みも感じられない弱々しいものであった。その言葉にか、睨みつけられたことにか……はたまた両方にだろうか? 狂三は、目を
しかしそれも一瞬のことで、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「──ええ、心得ましたわ」
微笑んで、狂三は京乃を見ている。
……どうせ、こう言った所でその言葉を守る気なんて物は更々ないのだろうと思いながら、京乃は狂三と別れ、その場を後にした。
オリ主が精霊関連の話を持ち出したら、ぱっくりといかれていた模様。