異世界でミリオタが現代兵器を使うとこうなる   作:往復ミサイル

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父親の正体

 

 

 自分の息子に銃を向けられている親父は、微動だにしなかった。この銃が存在していた世界からこの世界に転生した男だから、銃がどれほど恐ろしい兵器なのかは知っている筈である。しかし、それを実の息子――――――――あくまでもこの世界での話である――――――――に向けられても、この男は全く驚いていない。

 

 確かに、こいつのステータスがあればハンドガンの弾丸は防げるだろう。キメラの外殻を生成し、それで弾く必要はない。けれども目の前の”魔王”と呼ばれた男が微動だにしない理由は、そのような防御力があるからという安心ではない。

 

 俺は絶対に引き金を引かないだろうという確信と、仮に引こうとしたのならば先に潰せるという余裕。鍛え上げられた猛者だからこそ、こんなに冷静なのだ。

 

 むしろ銃を向けているこっちの方が焦ってしまうほど、この男は落ち着いている。

 

「タクヤ、それはどういうことだ?」

 

「あんたは何者だって聞いてるんだ。お前は……………本当に、親父なのか?」

 

「…………」

 

 隣にいるラウラも、俺のように銃は向けていないものの、じっと親父の方を見つめている。

 

 彼女には、もうあの仮説は話してある。

 

「俺はお前たちの父親だ。何でそんな事を聞く?」

 

「じゃあ、懐中時計を見せてもらおうか」

 

 そう問いかけた瞬間、ハンドガンを向けられても冷静なままだった親父が、微かに動揺したように見えた。

 

 速河力也はかなりの愛妻家だ。いつも昼食は妻たちに作ってもらった弁当を食べているし、休日には家族を連れて買い物に行くのは当たり前だ。時折1人で家事をして、母さんやエリスさんを休ませることまである。

 

 そして夜になると、彼はいつも自分の寝室で、エミリア・ハヤカワ――――――当時の姓はペンドルトンである――――――との初めてのデートの際にプレゼントされた懐中時計を、毎晩メンテナンスしているのだ。そのせいで、もう既に購入してから何年も経っているというのに、作動不良を起こすことはないし、時計も買ったばかりなのではないかと思ってしまうほどきれいなのだ。

 

 愛娘がそれに傷をつけてしまっても、「娘が正直に言ってくれた証だ」と言いながら逆に嬉しそうにするほどの男なのである。

 

 その懐中時計を、こいつならば肌身離さず持っているに違いない。

 

 もしも持っていなかったら、こいつは速河力也ではないと言っても過言ではないほどおかしい。

 

 親父は内ポケットの中へと手を突っ込んだ。もしかしたら懐中時計を持っているかもしれないと思った俺とラウラはぞっとしたが、もし内ポケットから手を引っこ抜いた時に、しっかりとメンテナンスされた懐中時計が顔を出せばこいつは俺たちの親父だと確信できる。

 

 むしろ、懐中時計を持っていてくれと願いたかった。

 

 けれども親父の手は、ポケットの中でぴたりと止まった。

 

「―――――――おっと、会社に忘れちまったようだ。いきなり呼び出されたもんだからな」

 

 こいつは――――――――懐中時計を持っていない。

 

 それを理解した瞬間に、俺とラウラは落胆した。

 

 毎晩メンテナンスをするほど大事にしているものを、そう簡単に忘れられるわけがない。大慌てで出かける時も懐中時計を持っているかどうか確認するほどなのだから、いくらいきなり呼び出されたとしても会社に忘れてきてしまうのはおかしい。

 

「いや、違うんだ。…………あんたは、もう懐中時計を持っていない」

 

「…………なに?」

 

 右手に持ったPL-14を向けながら、内ポケットの中から例の懐中時計を取り出す。完全に錆び付き、表面の蓋には融解したような跡がある懐中時計の残骸。融解した状態で放置されていたそれからは時計の針が片方だけ取り外されており、もう片方は完全にひしゃげたまま錆び付いていた。

 

 そしてこれの裏側には――――――――かつて、幼かった頃のラウラが誤って床に落としてしまった際についてしまった傷跡が、しっかりと残っている。

 

「―――――――あんたのは、ここにあるからな」

 

「―――――――!」

 

 俺のコートの内ポケットから顔を出した残骸を目にした瞬間、ずっと冷静だったリキヤが、どうしてお前がそれを持っているんだと言わんばかりに目を見開いた。

 

 親父が大切にメンテナンスしていた懐中時計が、どうしてこんなに破損した挙句、ザウンバルク平原に放置されていたかは分からない。しかし、もし仮にこの残骸が本当に親父の懐中時計だったのであれば、今の親父は懐中時計を持っていないだろう。

 

 そう、懐中時計を”忘れた”のではなく、”持っていない”。

 

 なぜならば、ザウンバルク平原に落ちていたからだ。

 

「…………これが販売されていたのは15年前まで。俺とラウラがまだ3歳だった頃だ。生産されたのはたった200個で、これを生産していた工場は潰れた。オークションにすらなかなか出てこないほどの品なのだから、いくらあんたでも入手はできないだろう」

 

 懐中時計を集めているコレクターならば持っているかもしれないが、国土がでっかいオルトバルカ王国の中にたった200個しか存在しないのだ。それを探し出して手に入れるのは、いくら世界規模の企業の社長でもほぼ不可能である。

 

「……………この傷の形、見覚えあるよな? 偶然同じ形の傷が、同じタイプの懐中時計についているのはおかしいよな?」

 

「……………」

 

「どうして嘘をついた?」

 

 間違って壊してしまったから、それを隠すためにあんな平原のど真ん中に放置するのはありえない。速河力也は、絶対にそんなことをする男ではないからだ。そうやって懐中時計を隠すくらいならば、正直に母さんに言って謝るだろう。

 

 だから、何か理由がある筈なのだ。こんなに破損した大切な懐中時計を、ザウンバルク平原のど真ん中に放置するのは考えられない事なのだから。

 

 それに、もう1つ知りたいことがある。

 

「もう1つ聞きたいことがある。……………ガルゴニスは今どこに?」

 

「……………俺の命令で極秘任務中だ。内容は言えんよ。…………いくら子供たちでもだ」

 

「そうかい。…………確か、ガルゴニスがいきなりいなくなったのは今から12年前。俺たちが6歳の頃だよな?」

 

「ああ、そうだ」

 

「へえ。……………ガルゴニスと出会って話をした事は?」

 

「何度かある」

 

「そうか……………けどさ」

 

 言う前に、一旦息を吐く。

 

 この一言で、何かを隠している親父の”嘘”をどれだけ削ることになるのか分からない。下手したら、そのまま真実を剥き出しにしてしまうかもしれない言葉。脳裏にはすでに浮かび、声帯がいつでもそれを形成できる状態になっている。

 

 それを撃ち出す引き金は、俺の勇気だけ。

 

 真実を知るための、覚悟だけだった。

 

 怯えて引き金から離れようとした親指を――――――――勇気と覚悟が、押し返す。

 

「―――――――俺やラウラは、お前とガルゴニスが話をしているところを見たことがない。それなりに本社を訪れたことはあるから、一回くらいはガルちゃんと出会っちまってもおかしくはない筈なんだがな」

 

「…………」

 

「それとも、ガルゴニスは俺たちがいないタイミングであんたの所にやって来るのかな? 俺とラウラは嫌われ者か?」

 

 懐中時計の残骸を内ポケットに戻し、俺は親父を睨みつける。

 

 もう既に、トリガーは引いた。銃口から躍り出た弾丸が親父の嘘をどれだけ削り取ってくれるのかは分からない。

 

「―――――――もしかして、ガルゴニスは最初から一度もあんたの目の前に姿を現していないんじゃないか?」

 

「…………タクヤ、ちょっと待って。それはどういう事……………?」

 

 これはラウラに話していない仮説だった。ヘリの中でこれについても話をしておけば良かったなと後悔した俺は、隣で戸惑うお姉ちゃんを一瞬だけちらりと見る。

 

 幼い頃から、俺はよく魔物の図鑑や魔術の教本を絵本代わりに読んでいた。それを読み始めた動機は、「まだ幼いのに勉強熱心だ」と両親に褒められるのが嬉しかったことと、純粋に異世界の常識に興味があったからである。大きかった原因は、どちらかと言うと後者だろうか。

 

 前世の世界には、魔術や魔物は存在しなかったのだから。

 

 それゆえに興味を持ち、色々な知識を脳味噌の中にぶち込んだ。

 

 魔術の使い方や、詠唱の重要さ。魔物の生態や苦手な属性をしっかりと覚え、いつかは俺も冒険者の資格を取って、仲間と一緒に冒険するんだという目標を立てながら勉強をしていたのである。

 

 さすがに錬金術は難解すぎたけど――――――――その魔術の教本の1つに、エンシェントドラゴンたちが使ったと言われている興味深い魔術が記載されていたのだ。

 

 なんと、エンシェントドラゴンたちは、他者から魔力を吸収することによって、その吸収した魔力の中に含まれる情報を素早く解析し、魔力を吸収した人物の姿へと変身することができるというのである。

 

 魔力の中には様々な情報が含まれている。簡単に言えば、”第二の血液”とでも言うべきだろうか。

 

 魔力にも遺伝子に関する情報が含まれているし、しっかりと調べればその人の体質についても知ることができる。しかし、それを瞬時に解析し、その情報を駆使して人間の姿に変身することができるのは、普通のドラゴンよりも極めて高い知性を持つエンシェントドラゴンたちだけ。

 

 それゆえに、『最古の竜』と呼ばれているガルゴニスが、その魔術を使えないわけがない。

 

 廃れてしまった数多の魔術を記憶している、膨大な知性の塊のような存在なのだから。

 

「エンシェントドラゴンが使う魔術の中には、魔力を吸収し、その魔力の中にある情報を解析して、人間の姿に変身できる魔術があるのはご存知かな? 同志リキノフ」

 

「ああ、知っている」

 

「ねえ、どういうことなの?」

 

「ラウラ、ガルちゃんの本当の姿は?」

 

「最古の竜……………エンシェントドラゴンよ?」

 

「そうだよな? エンシェントドラゴンの中でも最も古い、偉大な竜だ。―――――――だからこそ、そういう魔術を使って人の姿になれたとしてもおかしくはないんだよ」

 

「!?」

 

 一番古い竜だからこそ、全てを知っている。

 

 人間たちでは使いこなすことができずに廃れていった魔術や、レリエルが世界を支配したことも。

 

 それゆえに、ガルゴニスならば知っている筈なのだ。魔力を解析して人の姿に変身する魔術を。第一、俺たちが幼い頃から目にしてきた幼女の姿のガルゴニスは、親父たちに一度倒されてから、親父の魔力の一部を吸収してあの姿になったのである。一部だけとはいえ魔力の解析で姿を変えることができたのだから、姿を完全に再現することができないわけがない。

 

「”ガルゴニス”、そうだよなぁ?」

 

 今まで全く気が付かなかったが――――――――こいつならば、できたのだ。

 

 一番古い竜ならば――――――――。

 

「―――――――フッ…………フフフフフッ」

 

 これが、俺の仮説だ。

 

 12年前に何があったのかは不明だが――――――――ガルゴニスが親父の姿を再現し、ずっと速河力也のふりをしていたのだ。ガルゴニスを極秘の任務に派遣したという理由を作っておけば、時々戻ってくるふりをするだけで十分誤魔化せる。それに極秘の任務なのだから、社長室でその任務についての打ち合わせをこっそりと行っていることにすれば怪しまれない。

 

 気付けるわけがないのだ。

 

 再現している姿は、速河力也から吸収した”本人の魔力”を使っているのだから。

 

 どうやら俺が放った弾丸は、嘘を削り取るどころか全て抉り取り、真実を剥き出しにしてしまったらしい。銃を向けられながら自分の子供たちに問い詰められた男は、暗い地下室の中で唐突に笑い始めた。

 

 いつもは落ち着いていて、まるで紳士のようにも思える赤毛の男。こんな狂気的な笑い方をする男ではない。

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ……………! そういえば、”あの男”がお前の正体を暴いたのもこの地下室だったな。あの時とは立場が逆か…………フフフッ、成長したものだ……………」

 

 そう言いながらニヤリと笑った赤毛の男は、頭にかぶっていたシルクハットを鷲掴みにすると、笑いながらそれを床の上へと放り投げた。18年間もこの男と家族として生活してきたから、自分の新しい父親の表情は色々と目にしてきた。自分の子供たちが新しい知識を身につければ大喜びし、戦場で戦友が命を落とした時は酒を飲みながら落ち込んでいた、感情豊かで強い父親である。

 

 しかし、目の前で笑う親父は――――――――目を見開いて天井を見上げながら、今まで一度も耳にした事がないような笑い声を発していた。

 

 あの男は、こんな笑い方をする男ではない筈だ。

 

 絶対に、こんな笑い方はしない。

 

 もちろん、この男の姿になっている奴も。

 

 大笑いしながら、親父の姿をした男は唐突に勢いよく右手を振り払った。まるで目の前に立ち塞がる邪魔な何かを振り払おうとするかのように腕を振るった直後、まるで太陽の表面から吹き上がるフレアやプロミネンスを思わせる赤い光が、目の前の男の身体から吹き上がった。目の前にいる親父の姿をした何者かが太陽と化したかのように、その赤い光は荒れ狂いながら地下室を照らす。

 

 それを見て絶句しているラウラに「下がって、ラウラ」と言いながらPL-14を構え直すが――――――――多分、俺がトリガーを引くことはないだろう。もしこの光の向こうから姿を現す相手が、俺たちに敵意を向けていたとしても。

 

 それほどお世話になった相手なのだから。

 

 やがて赤い炎が徐々に薄れ始め、火の粉にも似た粒子を地下室の中へと拡散させた。触れれば身体が燃え上がってしまうのではないかと思ったけれど、これは炎ではない。凄まじい圧力で加圧された魔力が、元の圧力に戻る際に発生する変色だ。とはいえどんな熟練の魔術師でも、炎に見間違えてしまうほど真っ赤になるまで加圧することはできない。

 

 正確に言えば、”人類にはできない”。

 

 ”人”である以上は、できない芸当なのである。

 

 この現象が、俺にとっては答え合わせのようなものだった。仲間たちに手伝ってもらって組み立てた複雑な数式と、イコールの右側に書き足した自分自身の答え。それと正しい答えを比べた結果は、どうやら俺が出した”答え”は正解していたらしい。

 

 けれどもそれは、最も正解してほしくなかった答えだ。

 

 炎にも似た赤い残光の中から、先ほどまでそこに立っていた巨漢と比べると小さい人影が静かに姿を現す。がっちりした筋肉に覆われた身体ではなく、むしろその身体から不要な筋肉を全て取り払ってしまったかのような、すらりとした体格だ。肌も親父と比べると遥かに白く、背もかなり縮んでいるのが分かる。

 

 しかし、髪の色と瞳の色は変わっていない。どちらも燃え上がる炎を彷彿とさせる色で、セミロングくらいの長さの赤毛の中からは、まるでダガーを思わせる真っ黒な角が2本も生えていた。根元は真っ黒だけど、先端部はまるで融解寸前の金属のように真っ赤に染まっており、陽炎でも纏っているのではないかと思ってしまう。

 

 身に纏っている服は、親父が纏っていた立派な黒いスーツではなく、まるで貴族のお嬢様が好みそうなデザインのドレス。基本的には黒いけれど、所々にはまるで火種を従えているかのように、炎のように真っ赤なフリルがいくつもついている。

 

 やはり、俺の答えは合っていた……………。

 

「え……………嘘………ど、どうして……………?」

 

 ハンドガンを彼女へと向ける俺の隣で、目を見開いていたラウラが震え始めた。

 

「が……………ガル…………ちゃん……………?」

 

「―――――――良く見破ったのう、タクヤよ」

 

「はっ、出来れば見破りたくなかったんだが」

 

「フッフッフッ……………お前は昔から鋭い男じゃった。力也のような”強さ”ではなく、”鋭さ”を持っていたからのう」

 

 銃を向けられているというのに、目の前の赤毛の幼女は全く怯えない。撃たれてもいいと言わんばかりにこちらへと近づいてきたガルゴニスは、小さくて白い手を静かに伸ばしてPL-14のスライドを掴むと、俺の顔を見上げながら首を横に振り、そっと銃を下げさせた。

 

「………ま、待ってよ……………どういうこと? ねえ、パパは? ……………がっ、ガルちゃんがパパに変身してたなら、本物のパパもちゃんといるんだよね? ねえ、タクヤ……………」

 

 親父の正体がガルゴニスだったという仮説が当たってしまったという事は――――――――自動的に、更に最悪な仮説まで正解してしまうという事になる。

 

 なぜ、最古の竜であるガルゴニスが、わざわざ親父の姿と声を手に入れ、親父になりすましてあいつの代わりになっていたのか。

 

 けれども、こればかりは認めたくはない。この謎を解き明かす前に、覚悟を決めておいたはずなのに。

 

 息を呑みながら、俺たちを悲しそうな目つきで見上げるガルゴニスを見下ろす。

 

 覚悟を決めたつもりだったのに、俺はこれ以上真実を知ることを拒みたくなった。これ以上先に進んでしまったら、もしかしたら壊れてしまうかもしれない。絶対に認めたくない真実が終着点になるのは、火を見るよりも明らかなのだ。

 

 情けないけれど、それを知るのが怖くなってしまった。

 

 けれども、自分の正体を見破った俺たちにもう隠し事をするつもりはないのか、ガルゴニスも覚悟を決めたらしく――――――――息を吐いてから、真実を告げる。

 

「―――――――死んだよ、リキヤは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一番最初にこの異世界で魔物を倒した直後のような静寂の中で、俺は彼女と出会った時の事を思い出していた。端末で一番最初に生産した武器で魔物を倒した俺の背後に現れた、騎士団の制服に身を包んだ彼女。あの時、俺は全く知らない異世界で少女に警戒されているというのに、何故か安心していた。

 

 どうして安心していたのだろう? 同い年くらいの異性に出会ったからなのだろうか?

 

 身体が倒れないように必死に踏ん張っているというのに、俺の頭ではそんな疑問が組み上がり始めていた。その疑問は急速に枝分かれを始めるが、疑問の答えが出る前に、俺に心臓を貫かれていたレリエルの身体が崩壊を始めた。

 

 彼の手足が、崩れていく。

 

 この異世界で最も恐ろしい伝説の吸血鬼が、封印されるのではなく、本当に死のうとしている。

 

 彼を殺したのは俺だ。

 

 俺に殺され、この男の戦いと伝説は本当に終わる。

 

 かつて世界を支配し、大天使に封印された伝説の吸血鬼の最後を、俺のようなちっぽけな怪物が見守ることが許されるのだろうか? 

 

『―――――――――さらばだ、速河力也』

 

 胴体が崩れ落ち、彼の頭も崩れ去っていく。

 

 紫色の光になって消滅する寸前に、レリエルが俺に向かってそう言ったような気がした。自分の身体が消滅し、長い人生が終わろうとしているのに、この男はまるで満足そうに笑う子供のような笑顔で、俺の顔を真っ直ぐに見つめていたんだ。

 

 そうか…………。満足したのか。

 

 もう、悔いはないのか。

 

『―――――――――ああ、さらばだ』

 

 ―――――――――さようなら、レリエル・クロフォード。

 

 紫色の光になって消滅したレリエル。彼が残した残光を見上げながら、俺はそう思った。

 

 今まで俺が敵にぶつけてきたのは、殺意と憎悪だけだった。俺たちの敵は容赦なく殺してきたから、そんなどす黒いものを抱いたまま戦っていたのかもしれない。

 

 今まで体験したことのない満足感の理由を考察していると、いきなり俺の身体が後ろに向かってぐらりと揺れた。そういえば、今の俺は片腕がないんだ。しかも右目も見えないし、心臓の近くにも大穴が開いている。さっきから血が止まらない。

 

 ヤバい。このままでは死んでしまう。

 

 瓦礫の上に崩れ落ちた俺は、痙攣する左腕を何とかスーツの内ポケットに潜り込ませ、中に入っている筈のエリクサーの瓶を探った。

 

 だが、中に入っている筈のエリクサーの瓶は、どうやら戦闘の衝撃で全て割れているようだった。それはそうだよな…………。レリエルとあんな戦いをしたんだから。

 

 家に戻ったら、フィオナに瓶のほうも頑丈に改造してくれるように伝えておこう。

 

『リキヤっ!』

 

『が、ガル・・・ちゃん・・・・・・』

 

 紅い空を見上げていると、遠くから幼い少女の声が聞こえてきた。激痛に耐えながら首をゆっくりと声の聞こえてきた方へと向けると、真っ黒なベレー帽をかぶった赤毛の幼女が、倒れている俺に向かって必死に走ってくるのが見える。

 

『やったのう! お主、あのレリエルを倒したのか!!』

 

『ゆ、揺らすな…………』

 

 頼む、揺らさないでくれ。

 

『凄いぞ! お主はドラゴンの誇りじゃ!』

 

『俺は…………ドラゴンじゃない……………』

 

『ふふっ、気にするでない! さあ、早く帰ってエミリアたちに自慢するのじゃ! 子供たちも待っておるぞ!』

 

 ああ、そうだな。家族の所に帰らないと……………。

 

 置手紙を残してきたが、エミリアにはどこに行っていたのかと問い詰められるかもしれないからな。しかもガルちゃんも同伴だったから、普通の仕事ではないとバレてしまうだろう。

 

 言い訳も考えておかないと。

 

『待っておれ、今回復してやるぞ。―――――――ヒール!』

 

 レリエルのエネルギー弾をほぼ全身に喰らったせいで、俺の身体はもうボロボロだった。背中の皮膚は裂けているし、頭から生えている片方の角も折れている。しかも片腕は消滅してしまっている。無事に王都に戻れたら、またレベッカにお願いして義手でも移植してもらおう。

 

 最古の竜に治療してもらえば、すぐに立ち上がれるようになるだろう。ガルちゃんが治療してくれなければ、俺も死んでいたかもしれない。

 

 安心しながら紅い空を見上げていると、俺に向かって両手を突き出し、真っ白な光を俺に放って傷口を治療していたガルちゃんが少しだけ目を見開いた。何があったんだろうかと思いながら彼女の顔を見上げると、ガルちゃんはまるで認めたくないかのように唇を噛み締め、更に俺に大量の魔力を流し込み始める。

 

 彼女は何をしているのだろう。なぜ、そんなに魔力を流し込むんだ?

 

 彼女に問いかけようとして左腕を動かそうとした瞬間、俺は自分の左腕が全く動いていないことに気付いた。

 

 持ち上げようとしても全く動かない。指も同じく、全く動いていない。

 

『り、リキヤ…………変なのじゃ…………』

 

 目を見開いて首を振りながら涙を浮かべるガルちゃん。ありったけの魔力を俺に向かって流し込みながら涙声で言う彼女を見上げていると、ガルちゃんは涙を拭ってから言った。

 

『――――――――傷口が、塞がらん…………………………』

 

『え………………?』

 

 傷口が塞がらない? 全然治療できないって事か……………?

 

 嘘だろ……………?

 

 何とか首を動かして大穴が開いている筈の胸元を見下ろす。レリエルに開けられた胸元の穴も、ガルちゃんの治療魔術ならば簡単に塞ぐ事ができる筈だ。しかもあれだけ魔力を流し込んでいるのだから、治療できないわけがないだろう。冗談はやめてくれよ。

 

 冗談だと思いながら胸元を見下ろした俺は、猛烈な絶望に握りつぶされる羽目になった。

 

 ガルちゃんの言葉は冗談ではなかった。

 

 ――――――――本当に、傷口は塞がっていなかった。

 

 胸元だけではない。抉られた右目も、消滅させられた右腕も、レリエルの攻撃を喰らった直後のままだ。全身の火傷の痕も残っているし、傷口からは鮮血が流れ続けている。

 

『何故じゃ……………!? 何故傷が塞がらんのじゃ!?』

 

『そうか……………』

 

 レリエルの魔力は、大天使の剣を魔剣にしてしまうほど汚染されている。その魔力が生み出したエネルギー弾を全身に叩き込まれたんだ。きっと、奴の魔力が俺の身体を汚染しているから、普通の治療魔術が効かないんだろう。

 

『…………きっと、奴の魔力に汚染されておるのじゃ……………』

 

『治せるか…………?』

 

 家族に会いたい。また子供たちを狩りに連れて行きたい。結婚記念日になったら、また妻たちを連れて買い物に行きたい。

 

 だから頼む。この傷を治してくれ。

 

『……………無理じゃ。この汚染を治す方法は…………存在しないのじゃ……………』

 

『そんな…………』

 

 この傷は、治らない。

 

 つまり、俺は助からない。このまま魔界の大地で仰向けになり、血のように紅い空を見上げながら、家族の元に帰ることなく死ぬのだ…………。

 

 もう、子供たちと一緒に狩りに行くことは出来ない。妻たちと一緒に買い物にも行けない。最愛の家族を抱き締めることも出来なくなってしまった。

 

 俺のあの置手紙が、家族への遺書になっちまった…………。

 

 なんてこった…………。

 

『嘘だ…………死にたくねえよ……………』

 

 死にたくない。

 

 妻たちに会いたい。子供たちの所に帰りたい。

 

 また、家族と一緒に生活したい。

 

 弱音は吐きたくなかったんだが、助からないという絶望が開けた大穴から漏れ出した弱音が、俺の口の中で膨れ上がり、俺はついにガルちゃんの前で弱音を吐いてしまった。

 

『嫌じゃ…………リキヤ、死ぬなぁ…………! 子供たちは………どうするのじゃ…………! 妻たちを置いていくのか…………!?』

 

 俺が吐いた弱音を聞いたせいなのか、ガルちゃんは治療を止めると、血まみれになっている俺の胸に小さな顔を押し付け、そのまま号泣し始めた。彼女は最古の竜だというのに、今の彼女はまるで父親にしがみついて大泣きする幼い子供だ。

 

 俺が死んだということを家族が知ったらどうなるだろうか?

 

 間違いなくみんなを悲しませてしまうだろう。泣き崩れる妻たちと子供たちの姿を思い浮かべた俺の左目には、段々と涙が浮かび始めた。

 

 どうすれば、家族を悲しませずに済む…………?

 

『――――――リキヤ』

 

『…………?』

 

 俺の名前を呼んだガルちゃんが、血で真っ赤に汚れた小さな顔を俺の胸から静かに離す。真っ赤になってしまった彼女の顔には、まだ涙の跡が残っている。

 

 いつものように、彼女の頭を撫でてあげられないのが悔しい。最初の頃は彼女は頭を撫でられるのを嫌がっていたんだが、一緒に生活しているうちに認めてくれたのか、頭を撫でられると喜ぶようになっていた。

 

 エンシェントドラゴンの王としてあまり泣き顔は見せたくないのか、ガルちゃんは自分の手まで俺の血で真っ赤になるのもお構いなしに涙の跡を拭おうと足掻き続ける。でも、死にかけている俺の顔を見るとまた耐えられなくなるのか、再び涙を浮かべ、その涙を真っ赤な手で拭い去る。

 

『――――――――安心せい。お前が助からぬのならば…………私が、お前になってやる』

 

 最古の竜(ガルゴニス)が、怪物()になる。

 

 どういうことなのだろうかという疑問は、組み上がる前に燃え尽きた。

 

 今のガルちゃんの姿は、俺の魔力に含まれる遺伝子情報を参考にした姿だ。だから髪の色も同じだし、顔つきも俺にそっくりになっている。

 

 ならば、俺の体内に残っているすべての魔力を彼女に託し、彼女に俺の遺伝子情報を完全に複製させれば、彼女は俺と全く同じ姿になる事ができるというわけだ。

 

 だが、エミリアやエリスたちならば見破ってしまうかもしれない。特にエミリアは、俺がこの世界に転生したばかりの頃からずっと一緒にいる古参の仲間だ。仕草や口調が少し違うだけで、彼女は見破ってしまうに違いない。

 

『なら…………記憶も………持って…………行け…………』

 

『…………!』

 

 ガルちゃんならば、俺の記憶を奪うことも出来る筈だ。確か、大昔に廃れた魔術の中にそんな恐ろしい魔術があったらしい。大昔から生き続けている最古の竜ならば、廃れてしまったその魔術も知っている筈だ。

 

 俺と全く同じ姿で、俺の記憶があれば見破られることはない。記憶を奪われる俺は文字通り抜け殻になっちまうが、どうせ助からないのならば俺の持っている記憶や技術を全て彼女に預け、家族を託したい。

 

 涙を流しながら彼女を見上げていると、ガルちゃんはもう一度涙を拭い去った。彼女も姿だけではエミリアたちに見破られてしまうと思っていたんだろう。

 

 記憶を奪えば、俺はすべて忘れてしまう。

 

 エミリアとデートに行ったことや、エリスに抱き締められて泣いた夜の事も。

 

 子供たちが生まれた時の感動も。

 

 全て、消え去ってしまう。

 

 でも、消え去ったそれらはガルゴニスが受け継いでくれる筈だ。

 

 涙を拭ったガルゴニスが、唇を噛み締めながら俺の額へと右手を近づけた。これから俺の頭の中にある記憶を、体内の魔力と一緒に奪い去っていくんだろう。

 

『――――――――お前みたいな人間に、出会えて本当に良かった』

 

『…………ああ』

 

 俺も、お前みたいなドラゴンに出会えて良かった。

 

 最後に頷いた直後、ガルゴニスの手の平が真っ赤に輝き始め――――――――身体の中の魔力が吸い上げられ始めた。死にかけている身体の中に残っている魔力が赤い光に変貌し、彼女の小さな手に吸い込まれていく。

 

 やがて、記憶も消えてしまうことだろう。俺はその前に、仲間たちや家族の顔を思い出そうと足掻くことにした。

 

 だが、もう記憶が奪われ始めているのか、仲間たちの顔が思い出せない。かつて共に傭兵として戦った仲間たちの顔を思い出す事ができない。せめて家族の顔を思い出そうとするが、家族の顔も同じだった。思い出す直前にその記憶が分断され、白い光に呑み込まれていく…………。

 

 ミラって、誰だ?

 

 信也って、誰だ?

 

 ギュンターって、誰だ?

 

 カレンって、誰だ?

 

 ガルゴニスって、誰だ?

 

 フィオナって、誰だ?

 

 ラウラって、誰だ?

 

 タクヤって、誰だ?

 

 エリスって、誰だ?

 

 エミリアって、誰だ?

 

 力也って――――――――誰だ?

 

 なにも思い出せない。

 

 何で俺は、こんな紅い空を見上げながら倒れているんだ? 

 

 地面に倒れている俺を見下ろしている、この赤毛の男性は誰だ? 何でこの男性の頭には角が生えているんだ?

 

 ここはどこなんだ?

 

 何も分からない。噴出する無数の疑問の海で頭の中が満たされていく。

 

 いつの間にか、倒れている俺を見下ろしている男の周囲に、2人の女性と2人の子供が立っていることに気が付いた。片方の女性は凛々しい雰囲気を放つ蒼いポニーテールの女性で、隣にいる顔立ちがそっくりな少年と手を繋ぎながら微笑んでいる。彼女の息子だろうか?

 

 もう1人の女性は、優しそうな雰囲気を放つ蒼い髪の女性だった。ポニーテールの女性と顔立ちが似ているが、姉妹なんだろうか? 彼女も隣の女性と同じく、微笑みながら赤毛の少女と手を繋いでいる。

 

『エミリア…………エリス…………タクヤ………ラウラ…………』

 

 忘れてしまった筈なのに、俺はいつの間にかその4人の名前を呼んでいた。

 

 俺の大切な妻たち。俺の大切な子供たち。

 

 忘れられるわけがないだろう。

 

『会いに………来て…………くれたのか…………』

 

 動かなくなった筈の左手が、動いた。

 

 左腕だけではなく、両足も動く。いつの間にか、俺の身体中にあった筈の傷も全て消えて、元通りになっている。

 

 でも、このまま家族の元に帰るわけにはいかない。行かなければならない場所がある。

 

 どういうわけかそう思った俺は、少しずつ紅い空に向かって浮かび上がり始めた。

 

 俺を見下ろしていた赤毛の男と、俺の大切な4人の家族が、空へと舞い上がっていく俺に向かって手を振っている。その5人の傍らには、最初に俺を見下ろしていた赤毛の男と全く同じ姿の男が、片腕を失い、胸に大穴を開けられた状態で横たわっているのが見えた。

 

 みんな、最後に会いに来てくれてありがとう。

 

 さようなら――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが、速河力也という転生者の最期だった。

 

 レリエル・クロフォードとの死闘で相打ちになり、最終的にどちらもこの世から消える結果になってしまったのである。

 

 けれども、タクヤがいなくなれば家族が悲しむ。エリスやエミリアは、もしかしたら自殺してしまうかもしれない。ハヤカワ家を壊さないためにも、速河力也という男は無事にレリエルを撃破し、生還したというシナリオにしなければならないと感じた私は、彼から魔力と記憶を受け継ぎ、彼の姿と彼の記憶を活用して、今まで速河力也が生き続けているように見せかけていたのだ。

 

 あの男は、私が彼の記憶を全て奪ったというのに、最後の最後まで自分の家族の事をしっかり覚えていた。最愛の子供たちと、最愛の妻たち。血まみれになりながら泥と屍だらけの戦場を進み、黒煙と業火を突き破りながら必死に戦った最強の男の記憶は、完全には消えていなかったのだ。

 

 彼からすべてを引き継いだ後、私は彼の亡骸をザウンバルク平原に埋葬することにした。ネイリンゲンには早くも魔物が住み着き始めていたため、奴らに彼が眠る墓を掘り返されないように、私は魔物があまりいないザウンバルク平原を選んだ。

 

 せめて、思い出がいくつも産声を上げたネイリンゲンを一望できる草原に、あの男を眠らせてやりたかったのである。

 

 墓標代わりに、彼が最後まで身につけていた懐中時計の残骸を置いた私は――――――――親友の姿のまま、彼が帰るべき場所へと帰っていった。

 

 私の中から、人間への憎悪を全て消し去ってくれた親友に、恩を返すために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘だ…………」

 

 そう呟いたけれど、話を終えたガルゴニスは首を横に振った。

 

 信じたくはない。けれどもこの真実を隠すために、ガルゴニスが意図的に閉ざしていた大きな扉を、俺たちは自分たちの意志で強引にこじ開けてしまったのである。

 

 その奥に眠っているのが、覚悟を決めた程度では耐えられないほどの大きな真実であるとも知らずに。

 

 この真実を解き明かさなければよかったと後悔するが、ガルゴニスが教えてくれた真実は、未だに俺たちの心へと突き刺さったままだった。

 

 そう、覚悟を決めた程度では耐えられない。

 

 俺たちを育ててくれた速河力也が――――――――12年前に、すでに死亡していたという真実には。

 

 


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