異世界でミリオタが現代兵器を使うとこうなる   作:往復ミサイル

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力也の決意とラウラのお守り

 

 

 

「ひでえ…………」

 

 ネイリンゲンの生存者のために用意した医療所は、身体中にやけどを負った人々や、破片が突き刺さって血まみれになり、包帯を巻かれている人々で満員になっていた。血の臭いや膿の臭いと薬品の臭いが混ざり合う空気の中で、傷ついた人々が呻き声を上げている。

 

 ここで治療魔術師(ヒーラー)の治療を待つ人々の中で、五体満足で済んでいるのは4割くらいだろう。残りの6割の生存者は手足を失っている。

 

 信也も右腕を失った。ミラを庇って右腕を失ったらしく、あいつをここに連れてきたミラは泣きながら「シンを助けて下さい」と何度も魔術師たちに言っていた。

 

 ミラをあいつに任せるのは何だか不安だったが、幸せになったミラを見てみたいという気持ちはあった。いつかミラがあいつと結婚すると言い出してもいいように、反対している自分も説得していた。

 

 だが、その2人の幸せを、勇者の野郎が踏みにじりやがった。

 

 信也は一命を取り留めている。だが、あいつの右腕と共に2人の幸せを奪ったのは勇者だ。片腕を失って弱っている信也と、彼にすがり付いて泣き続ける妹の姿を見た瞬間、俺の心の中に真っ先に生まれたのは勇者への復讐心だった。

 

 何とか彼は一命を取り留め、今では鍛冶屋のレベッカと義手の相談を始めているらしい。レベッカは他の街に出張に行っていたため、何とか無傷で済んだようだ。

 

 まだ安静にしておいた方が良いと思うんだが、信也が焦っているかのように義足の移植を考えているのは、すぐに旦那が勇者への報復攻撃を決行するだろうと思っているからだろう。

 

 旦那は敵には容赦しない。命乞いをしてくるような奴でも、表情を変えずに撃ち殺すような男だ。そして、仲間を傷つけるような奴は皆殺しにする。

 

 治療が終わった時、信也は勇者の居場所がファルリュー島だと言っていた。ラトーニウス王国の南側にある海に存在する小さな島だ。かつて魔王を倒した伝説の勇者は、そんな小さな島に隠れていたというのか。

 

 水を欲しがる負傷者に水の入ったコップを渡す治療魔術師(ヒーラー)の少女を見守りながら、俺は顎鬚を弄り始めた。勇者が転生者で、核兵器とかいう兵器を使おうとしているという話を聞くまでは、俺もあの勇者を英雄だと思っていた。旦那たちについて行けば、もしかしたら俺たちもあの勇者みたいな英雄に慣れると思った。

 

 だが、あの勇者は英雄なんかじゃない。ただの虐殺者だ。

 

「旦那様」

 

 屋敷の使用人に呼ばれ、俺はやっと負傷した人々を眺めるのを止めた。きっと彼が声をかけてくれなかったら、誰かに呼ばれるまでずっと傷ついた人々を見つめていたことだろう。

 

 後ろを振り返ると、メガネをかけた初老の執事が俺の後ろに立っていた。

 

「ハヤカワ卿がいらっしゃいました。外までお願いします」

 

「分かった、すぐ行く。…………それと、薬草と医療品の手配を引き続き頼む。このままじゃすぐになくなるぞ」

 

「かしこまりました」

 

 国王には娘を助けた貸しがある。モリガンの傭兵たちが薬草と医療品を欲しがっていると伝えれば、優先的にこっちに回してくれる筈だ。

 

 あと4日くらいで物資が足りなくなってしまうだろうと思っていた俺は、執事にそう伝えてから医療所を後にした。

 

 薬品と血の臭いのする医療所を出た瞬間、いつも通りの温かい風が流れ込んできた。エイナ・ドルレアンは城壁に囲まれているためネイリンゲンのように解放感はないが、ネイリンゲンよりも大きな街であるため、いろんな店がある。

 

 もうネイリンゲンのあの開放的な景色が見れないのかと思いながら外に出ると、杖を持った赤毛の紳士が、街路樹の近くに置いてある休憩用の椅子に腰を下ろしているのが見えた。赤毛は女性のように長く、後ろ髪は結んである。だが、その体格は明らかに女性の体格ではない。やけに筋肉の付いたその紳士への傍らへと歩いて行くと、彼は俺に気付いたらしく、にやりと笑ってから少し隅へと寄る。

 

 俺も椅子に腰を下ろし、目の前でいつものように営業を続けている雑貨店の入口を眺めた。

 

 旦那に何と言えばいい? 弟の片腕を奪われ、ネイリンゲンで惨劇を見てきた旦那に何と声をかければいいのか分からない。親しい仲間である筈なのに、まるで初対面の人と話すことになったかのように、俺は何と言えばいいのか椅子に座ってから考え始めた。

 

「だ、旦那…………その…………」

 

「…………ああ。受け入れてくれてありがとう、ギュンター」

 

 その声音は、いつもと同じだった。低くて優しい旦那の声音。

 

「その…………生存者は、100人くらいだったよ…………」

 

「そうか…………」

 

 ネイリンゲンは小さな街だが、20000人くらいは住んでいた。だが、旦那が助け出した生存者はたったの100人だけ。しかもほとんどの人が重傷を負っていたから、慌てて用意した薬品はもうかなり減ってしまっている。

 

「そういえば、旦那が前に言ってた放射能ってのは…………大丈夫なのか? 旦那は確か、ネイリンゲンで戦ったんだろう?」

 

「俺は大丈夫だ。毒物完全無効っていうスキルを装備してるからな。そいつが放射能も防いでくれるかは分からないが…………。それより、生存者の方は大丈夫か?」

 

「ああ。今のところ、放射能で苦しんでいる負傷者はいない。重傷で苦しんでいる奴らばかりだ…………」

 

「そうか…………」

 

 旦那は悲しそうにそう言うと、頭にかぶっていたシルクハットを取った。旦那の頭の角は髪に隠れてしまうほどの長さだから、髪の長い旦那ならば感情が昂らない限り角がバレることはないと思っていたんだが、旦那の頭の角は少々伸び始めているようだった。

 

 確か、旦那の角は1本だけだった筈だ。だが、今の旦那の長い赤毛かた少しだけ突き出ている角は、いつの間にか2本になっている。

 

 角が増えたことが気になったが、それは勇者に報復した後で聞くことにした方がよさそうだ。ちらりと旦那の頭を見た俺は、頭を掻いてから再び正面の雑貨店の入口を眺める。

 

「そういえば、姉御たちは? まだ家か?」

 

「いや、放射能で危ないからな。国王に頼んで、王都に家を用意してもらった」

 

「ということは、これからは王都で暮らすのか?」

 

「ああ。…………あの開放的な景色と、ピエールの淹れる紅茶は気に入ってたんだが」

 

「ああ、俺もだ。残念だよ…………でも、ありがとよ旦那。あいつを看取ってくれて」

 

 もうあの景色を見ることは出来ない。あの開放的な景色は、もう焼け野原になってしまっている。それにあの小さな喫茶店で一生懸命に働いていたピエールとサラにも、もう会えない。あの2人の結婚式にもし招待されたら、モリガンのみんなで盛大に祝ってやるつもりだったのに…………。

 

 死んでしまったあの2人の事を考えていると、旦那は脇に立て掛けていた杖を拾い上げて立ち上がった。

 

「信也の様子を見てくる」

 

「おう。医療所の2階にいる筈だ」

 

「はいよ」

 

 もうあいつの傷は塞がっている。今頃はレベッカと義手の移植について相談している筈だ。

 

 シルクハットをかぶって医療所の入口へと入っていく旦那を見守った俺は、まだ目の前の雑貨店の入口を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、兄さん」

 

「よう。元気か?」

 

 信也の顔からは、傷が完全に消えていた。フィオナが魔術で治療してくれたらしい。

 

 いつもと変わらない弟の顔だったが、やっぱり彼の右腕は見当たらなかった。必死に訓練を続けて徐々に筋肉で覆われていったはずの信也の右肩から先は、包帯が巻かれているだけだ。

 

「…………李風は?」

 

「李風さんは、自分のギルドの所に戻ったよ。兄さんがいつでも報復攻撃を始められるように、部隊を編成するって言ってた」

 

「そうか」

 

 できるならば、すぐに報復攻撃をしたいところだ。だが、信也は重傷を負っているし、まだ作戦も考えていない。李風からは敵の拠点が南ラトーニウス海にあるファルリュー島である可能性があると聞いているから、海兵隊を編成する事ができれば攻撃を仕掛けることは出来る。だが、編成するには時間がかかるだろうし、作戦もない。今すぐに攻撃を仕掛けるのは不可能だ。

 

 それに、敵はおそらく駆逐艦や航空機を配備しているだろう。海兵隊だけでなく、上陸を支援する部隊も用意しなければ危険だ。

 

 しかも、一番の問題は作戦に参加する人数と、その参加する兵士たちの錬度である。モリガンのメンバーならば問題はないだろうが、李風の率いるギルドの転生者たちの中には、まだレベルが100に達していない者もいるという。それに大規模な実戦を経験した者は全くいないらしく、はっきり言って寄せ集めでしかない。

 

「ところで、いつ攻撃を仕掛けるの?」

 

「え…………?」

 

 ベッドの上に横になりながら問い掛けてくる信也。彼の傍らで包帯を準備していたミラとフィオナも驚き、いきなり攻撃開始はいつなのかと聞いてきた彼の顔を見上げた。

 

 片腕を失い、全身の傷も塞がったばかりで、これから義手を移植するというのに、信也はもう彼らに攻撃を仕掛けることを考えている。信也には作戦を立案してもらい、ここで治療を受けていてもらおうと思っていた俺は、少し驚いてしまった。

 

「…………まだ、分からん」

 

「分かった。作戦を考えておくよ。リハビリも急がないとね」

 

『無理はしちゃダメですよ、信也くん』

 

(そうだよ、シン。力也さんみたいに無茶しちゃダメだよ?)

 

「おいおい…………」

 

 確かによく無茶をするから、妻や仲間たちに心配をかけている。

 

 苦笑いする俺の顔を見て笑っている弟の顔を見た俺は、少し安心して窓の外を眺めた。

 

 もっと落ち込んでいるのではないかと思って、励ます方法を考えながらここまでやってきたんだが、励ます必要はなさそうだ。それに、余計な事を言うわけにはいかない。逆に落ち込んでしまう可能性がある。

 

 だから俺は、あまり励ますようなことは言わなかった。

 

「そういえば、ガルちゃんは?」

 

『えっと、先に王都に戻っているそうです』

 

「分かった。それじゃ、俺はそろそろ帰るよ」

 

「うん。またね、兄さん」

 

「おう。…………ミラ、信也を頼んだぜ」

 

(任せてください!)

 

 長い耳をぴくぴくと動かしながら微笑むミラ。信也は彼女に任せておけば問題ない筈だ。それに、治療魔術が得意なフィオナも一緒だ。

 

 俺はポケットからエイナ・ドルレアンに来る前に王都で購入してきたメガネを取り出すと、信也のベッドの傍らにあるテーブルの上に置いた。確か、こいつのメガネは割れてしまっていた筈だ。新しいメガネが必要だろう。

 

「ありがと、兄さん」

 

「気にすんな」

 

 そう言ってにやりと笑った俺は、信也の医務室を後にした。

 

 部屋を出て扉を閉め、木の床が軋む音を聞いた俺は、左手で顔を押さえながら目の前の壁を睨みつける。今すぐにこの拳であの壁をぶん殴って八つ当たりしたいところだが、この医療所にはあの惨劇で傷ついた人々がいる。この怒りは、もう少し抑えておくべきだろう。

 

 よくも俺の弟の片腕を…………!

 

 何とか目の前のぶん殴る前に怒りを抑え込んだ俺は、ため息をついてから薬品と血の臭いがする1階へと下りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 国王に用意してもらったのは、少し大きめの家だった。ネイリンゲンの屋敷よりも少し小さな2階建ての家で、装飾はあまりついていない。庭もあの屋敷ほど広くはないが、子供たちが遊んだり、剣術の訓練をするには十分な広さだった。

 

 森に行くには防壁を越えて行かなければならないから、ラウラとタクヤを連れて狩りに行くには少々不便になってしまったが、魔物や肉食動物に襲われる心配はない。

 

 タクヤに絵本を読んであげているラウラを微笑みながら見守っていた俺は、近くに立て掛けておいた仕込み杖を拾い上げ、肩を回しながら裏口のドアへと向かった。少し剣術の訓練でもして来ようと思って立ち上がったんだが、俺が椅子から立ち上がる音を聞いたラウラが、いきなり本を読むのを止めて心配そうな顔で俺の顔を見上げてきた。

 

 どうやらまたどこかに行ってしまうのではないかと心配しているようだ。娘が泣きだす前に「大丈夫だよ。ちょっと裏庭で剣の練習をしてくるだけだから」と言って安心させてから、俺はリビングを後にする。

 

 前に使っていたサラマンダーの仕込み杖は、今頃2階でエリスと一緒に洗濯物を干しているガルちゃんに借りパクされてしまったため、俺が持っているこの仕込み杖は端末で生産したものだ。杖の中に細身の剣が仕込んであるのは同じなんだが、柄から刀身を引き抜くのではなく、杖が真ん中から2本に分かれる仕組みになっていて、その2本に分かれた杖の柄の中から、収納されていた細身の刀身がスライドして姿を現すという方式になっている。

 

 つまり、1本の杖が2本の剣になるということだ。もし剣を使うのであれば、やっぱり二刀流が一番使いやすい。

 

 新しい我が家の裏庭に出た俺は、柄頭にドラゴンの頭を模した装飾がついている漆黒の杖の柄を両手で握ってから捻り、杖を2本に分けてからボタンを押した。

 

 その瞬間、柄の中から火花を散らしながら漆黒の刀身が姿を現す。刀身の長さは一般的な剣よりも少し短い。刀身は両刃で、形状はスペツナズ・ナイフの形状に似ている。

 

 素振りを始める前に、俺はちらりと2階のベランダで洗濯物を干している妻の顔を見上げた。エリスは子供たちの小さな服を干しながら、俺を見下ろしてにっこりと笑っている。彼女の隣には、背伸びをしながら何とか真っ黒な靴下を干しているガルちゃんの姿が見えた。

 

 多分、あの靴下は俺のだ。

 

 苦笑いをしてから、俺は仕込み杖の素振りを始めた。この家には地下室があるが、あの屋敷のような射撃訓練場はない。勇者との戦いが終わったら、カレンに頼んでまた改装してもらおう。

 

 左手の剣を振り上げ、その間に右手の剣を左から右へと振り払う。そして左手の剣を振り下ろしながら一歩前へと踏み込み、重心を低くしながら右手の剣を突き出す。この刺突の目標は相手の喉だ。

 

 右手の剣を引き戻しながら反時計回りに回転し、左手の剣を一気に左へと振り払う。

 

 李風たちの編成はいつ終わるのだろうか? 彼らの編成が終わり、信也の作戦の立案が終われば、いよいよ勇者たちの拠点であるファルリュー島に攻撃が仕掛けられるようになる。子供たちにはまた心配をかけてしまうかもしれないが、勇者を放っておくわけにはいかない。奴らはネイリンゲンの人々を虐殺したのだから、報復しなければならない。

 

 もし作戦が始まれば、俺は妻たちは戦場に連れて行かないつもりだ。妻たちは転生者を瞬殺してしまうほどの実力を持つ猛者たちだが、もし命を落としてしまったら、子供たちが悲しんでしまう。だから2人には子供たちの世話をお願いし、俺が海兵隊としてファルリュー島に同志たちと攻め込む予定だ。

 

「力也」

 

「お、エミリア。どうした?」

 

 素振りをしていると、裏口のドアからエミリアがやってきた。蒼い髪をいつものようにポニーテールにしていて背中にはクレイモアを背負っている。服装も、子育てをしている時に着ている私服ではなく、動きやすいようにモリガンの黒い制服姿だった。大きな胸が剣を振るう度に揺れて邪魔だからと作ってもらった防具は一切身に着けていない。

 

 彼女も素振りに来たのだろうかと思いながら、妻に素振りをするスペースを空けようと隅の方に歩こうとしていると、俺の隣へとやってきたエミリアが背中から大剣を引き抜いて、その切っ先を俺へと向けてきた。

 

「―――――――――久しぶりに、相手をしてもらえるか?」

 

「ハハッ。子育てばかりやってて腕が鈍ったんじゃないか?」

 

「侮るなよ? 私は元ラトーニウスの騎士だ。…………それに、わっ、私は…………お前の妻だぞ?」

 

 それはそうだ。彼女は実際に転生者を圧倒した事がある。俺の妻たちは転生者よりも手強いのだから、侮れる相手などではない。

 

 俺はにやりと笑うと、右手の剣を伸ばしてエミリアのクレイモアの切っ先に軽く当てた。キン、と軽い金属の音が裏庭に響き渡り、俺とエミリアは少々狭い裏庭の中で睨み合う。

 

 いつもならば彼女が先に攻撃を仕掛けて来る筈なのだが、今回は攻撃を仕掛けて来ようとはせず、自分の目の前にクレイモアを構えたまま黙って俺を睨みつけていた。おそらく、俺が斬り込んだ瞬間にカウンターで反撃するつもりなんだろう。彼女の大剣よりも細身で短い剣を2本持つ俺の方が接近戦では小回りが利くが、連続攻撃に失敗すればこちらが不利になる。

 

 いつまでも睨み合っているわけにはいかないので、今回は俺から攻撃を仕掛けさせてもらうことにした。姿勢を低くしながら踏み込み、斜め下からエミリアに向かって両手の剣を突き出す。

 

 彼女はこの一撃を受け流すのか? それとも躱すのか?

 

「ふんッ!」

 

「!」

 

 すると、エミリアは思い切り大剣を横に振り払った。サラマンダーの角で作られた頑丈な彼女の大剣は俺が突き出したばかりの仕込み杖の切っ先を横から思い切り殴りつけ、エミリアに向かう筈だった切っ先を50度も左にずらしてしまう。

 

 俺は慌てて剣を引き戻そうとするが、体勢を立て直す前にエミリアのタックルを喰らい、更に体勢を崩す羽目になった。

 

 妻が大剣を再び振り下ろす前に横へとジャンプし、今度は側面から攻撃を仕掛ける。右手の剣を突き出して攻撃するが、この一撃は見切られていたらしく、エミリアはこちらを振り向かずに剣を構えてガードする。

 

 ならば、もう片方の剣で攻撃するまでだ。左手の剣を振り上げ、ガードしている最中のエミリアに向かって振り下ろす。

 

 だが、これはフェイントだ。エミリアが引っ掛かった瞬間に右手の剣を引き戻し、こっちで勝負をつけるつもりだ。

 

 エミリアはこの一撃もガードするつもりらしく、構えていた剣を少しずらして俺の左手の剣を防ごうとする。

 

 俺の作戦通りに左手の剣はエミリアにガードされる。散った火花の向こうでエミリアがにやりと笑うが、俺も彼女と同時ににやりと笑っていた。

 

「!?」

 

「引っかかったな!」

 

 すぐに右手の剣を引き戻してから、先ほどとは別の角度で突き出す。エミリアは左手の剣を大剣でガードしてしまったため、すぐにこの一撃をガードする事ができない。

 

 仕込み杖の漆黒の刀身がエミリアの脇腹に突き刺さる直前で、俺は刀身をぴたりと止めた。

 

「くっ…………負けてしまったか…………」

 

「全然鈍ってないじゃないか」

 

「当たり前だ。結婚してからも毎朝の素振りは欠かしていないぞ。さすがに妊娠中はやってないがな」

 

 大剣を背中の鞘に納めてから胸を張るエミリア。久しぶりに妻の大きな胸が揺れたのを見て、俺は少しだけ顔を赤くしてから目を逸らした。

 

 すると、いつの間にか裏口のドアが少し開いていて、その影からラウラとタクヤがこっちを見ていることに気付いた。どうやら俺とエミリアの模擬戦を見ていたらしく、こっちをじっと見ながら「おかあさん、すごーい…………!」と小声で言っている。

 

 エミリアも子供たちに見られていたことに気付いたらしく、少し恥ずかしそうに顔を赤くした。

 

 夫婦喧嘩をするつもりはないが、もし夫婦喧嘩になったら家がぶっ壊れそうだ。

 

 俺は子供たちを見てにっこりと笑うと、杖を元に戻しながら「ママはとても強いんだぞ?」と言った。

 

 この子たちのママは、転生者を瞬殺してしまうほどなんだからな。

 

 俺と同じように頭から角の生えている子供たちの頭を、俺は優しく撫でた。

 

 でも、まだ俺の心の中には、勇者に対する怒りが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネイリンゲンで核が爆発してから3日が経過した。相変わらずエイナ・ドルレアンの医療所では重傷を負って苦しんでいる人々がいて、彼らの手当てをする医者や治療魔術師(ヒーラー)も大忙しだ。

 

 エイナ・ドルレアンの防壁の中にある小さな草原には、無数の墓石が鎮座していた。中には墓前に花が置かれているものもあるし、その墓石の下で眠る人が大切にしていたものと思われる髪留めやペンダントが置かれているものもある。

 

 俺は目の前にある墓石の前にしゃがみ込み、そこに刻まれている2人分の名前をそっと右手でなぞった。片方はピエール。もう片方はサラ。ネイリンゲンで小さな喫茶店を経営していた青年と、ハーフエルフの女性だ。

 

 ギュンターから初めて依頼を引き受けた時に出会った優しい2人。2人がネイリンゲンにやって来てからは、ピエールにはよく喫茶店の仕事をしながら転生者の調査をしてもらっていたし、紅茶もサービスしてもらっていた。それに、サラのアップルパイは仲間たちの中で好評で、いつも取り合いになっていた。

 

 あの2人には、もう会うことは出来ない。2人の喫茶店を訪れた時のことを思い出しながら、俺は2人が眠る墓石を静かに持ってきた水筒の水で濡らした。

 

 2人一緒に埋葬した方が、彼らも喜ぶだろう。

 

 俺にできるのはそれくらいしかなかった。

 

 俺の結婚式の時も、あの2人は出席してくれた。ギュンターたちが悪ふざけでMG42をぶっ放した時は、サラは耳を押さえながらずっとピエールの傍らで震えていたし、ピエールは昔からギュンターを知っていたから、呆れながら笑っていた。

 

 すまない、2人とも…………。

 

 俺があの時、ネイリンゲンに逃げろと言わなければ…………今頃もう結婚して、子供が生まれていたかもしれない。

 

「ここにおったのか」

 

「ガルちゃん…………」

 

 2人の墓の前で手を合わせていると、俺の後ろから幼い声が聞こえてきた。そっと踵を返すと、俺の後ろにはやっぱり俺にそっくりな顔立ちの幼い少女が、俺から借りパクした仕込み杖を持って立っている。

 

 相変わらず大きめのベレー帽をかぶっている彼女は、俺の隣へとやってくると、ピエールとサラが一緒に埋葬されている墓石を見下ろした。

 

「悔やんでおるのか?」

 

「…………悔やむことばかりだ」

 

「それは仕方のない事じゃ」

 

「…………ああ」

 

 何度も後悔してきた。

 

 転生する前からだ。そして、転生した後も何度も後悔した。でも、今の後悔は今までの後悔よりも大きく、どす黒い。

 

 何億年も生きてきた彼女には、俺の中のどす黒い後悔がお見通しだったのかもしれない。ガルちゃんは墓石の前でしゃがみ込むと、俺と同じように2人の名前を小さな指でなぞった。

 

「サラ…………。お主のアップルパイ、美味しかったぞ」

 

「…………」

 

「…………いつか、恩返しがしたかったのじゃがのう…………」

 

 俺の隣にいるガルちゃんの声が、少しずつ涙声になっていった。寿命が無いエンシェントドラゴンにとって一番辛いのは、おそらく仲間を失うことだろう。基本的に死ぬことが無いから、仲間が死ねば孤独になる。ガルちゃんはきっと太古からずっとその悲しみを経験して来た筈だ。人間との戦争で多くの同胞を失った時も、きっと悲しんでいたに違いない。

 

 もう、2人に恩返しは出来ない。2人を殺したあの勇者に復讐することくらいしか思いつかない。もし俺たちが勇者を倒したら、死んでしまったこの2人は喜ぶだろうか?

 

 勇者を殺しても、彼らは生き返らない。だが、この復讐は無意味ではない筈だ。奪い返すことは出来なくても―――――同じように、奪うことは出来る。

 

 同じ痛みを。同じ苦痛を。

 

 炎で焼かれる苦しみを。友人を失う哀しみを。

 

 全て、奴らに叩き付けてやることは出来る。

 

 奪い返す事ができないのならば、同じように奪い去ってやるまでだ。

 

 泣き始めてしまったガルちゃんの頭を優しく撫でながら、俺は空を見上げていた。

 

 

 

 

 

 

「――――――――海兵隊の編成が終わりました」

 

 相変わらず血と薬品の臭いが混じった医療所の部屋の中で、李風はそう言った。勇者の拠点であるファルリュー島を攻撃するための海兵隊の編成が終わったということは、あとは信也の作戦があれば攻撃を開始できるということだ。

 

 これで攻撃できる。これで復讐ができる。そう思った瞬間、部屋の中から薬品の臭いだけが消え、血の臭いだけが残ったような気がした。

 

 犠牲になったのはネイリンゲンの住民だけではない。李風の仲間も何人も殺されている。李風の部下たちも復讐したがっているんだ。

 

「…………戦力は?」

 

「用意できたのは、アドミラル・クズネツォフ級空母1隻、ソヴレメンヌイ級駆逐艦2隻、ウダロイ級駆逐艦1隻、ミストラル級強襲揚陸艦3隻。すべて艦橋及びCIC以外は無人にカスタマイズしてあります。ですので、乗組員はかなり少ないですよ」

 

 よくそんなに船を用意できたな。俺は驚きながら、ちらりとベッドの上で横になっている信也の顔を見下ろした。彼ならばこの戦力でどんな作戦を考えるのだろうか?

 

「…………実際に上陸する海兵隊の人数は?」

 

「…………およそ260名です。無人機による偵察の結果、敵兵の人数は10000人以上かと」

 

「10000人…………!」

 

 敵の数が多過ぎる。たった260人の海兵隊で、10000人の守備隊を殲滅しろということなのか? しかも、相手は勇者の部下たちだ。転生者のレベルは俺たちよりも格上だと考えるべきだろう。

 

 今のまま攻撃を仕掛けるのは無謀かもしれない。でも、レベルの高い彼らに勝つために海兵隊の増強を続けていたら、勇者たちが世界を支配してしまうかもしれないし、また核兵器による攻撃が始まるかもしれない。

 

 予想以上に勇者の戦力が強大だったということだ。地道に戦力の増強と部下の育成を続けてきた李風は、悔しそうに拳を握りながら床を睨みつけた。

 

「それだけではありません。…………島の中央部に建設されたミサイルサイロに、大陸間弾道ミサイル(ICBM)と思われるミサイルが準備されている模様です」

 

「核ミサイルか?」

 

「おそらく…………」

 

 何ということだ…………。

 

 奴らは、今度は核ミサイルを使うつもりだ。もう海兵隊の増強をしている場合ではない。今の戦力でファルリュー島に攻撃を仕掛け、核ミサイルの発射を阻止しなければならない。

 

 こちらも戦力の増強を行うという選択肢がなくなってしまった以上、もうこの戦力で攻撃を仕掛けるしかない。

 

「信也、どうする…………?」

 

 こいつならば、勇者たちを倒す作戦を思いついてくれるだろうか。

 

「―――――――――上陸は、LCUとヘリボーンの2種類で行いましょう」

 

 つまり、ファルリュー島への上陸は、ヘリからの降下と上陸用舟艇で行うということだろう。強襲揚陸艦が3隻もあるし、アドミラル・クズネツォフ級空母もある。オスプレイやスーパーハインドならばヘリボーンに使えるだろう。

 

 だが、いきなり上陸しようとすれば、島に用意されているミサイルや砲台で狙い撃ちにされる。上陸前の状態でやられてしまえば、上陸する海兵隊の戦力が大きく減ってしまうことになるだろう。

 

「まず最初に、航空機で敵基地の砲台を破壊します。上陸はその後です。人数は少ないから…………複数の場所からの上陸ではなく、1ヵ所から上陸するようにしましょう。李風さん、写真はあります?」

 

「ええ、こちらに」

 

 持ってきたケースの中から、無人機が撮影したと思われる写真を取り出す李風。それを左手で受け取った信也は、ベッドの近くにある小さなテーブルの上にその写真を置き、身体を起こしてから写真に写っている島の浜辺を指差した。

 

「ここに上陸しましょう。全ての海兵隊をここに上陸させ、中央部のミサイルサイロを目指します」

 

「了解です。ではこの上陸地点は”オレンジ・ビーチ”と呼称しましょう」

 

 そう言いながらオレンジ・ビーチにマークを付ける李風。何の変哲もない浜辺に付けられたマークを睨みつけた俺は、2本目の角が生えてしまった頭を右手で掻きながらため息をついた。

 

 あの浜辺に上陸し、全員で島の中央部へと向かって進撃する。そして核ミサイルの発射を阻止し、世界を支配しようとしている勇者をぶち殺す。

 

 信也が立案してくれた作戦は、そんな作戦だ。いつもの信也の作戦ならばその作戦を聞いた瞬間に安心するんだが、今回は戦力差のせいなのか全く安心はできなかった。

 

「それで、作戦開始は?」

 

 奴らは既に核ミサイルを準備している。すぐにミサイルの発射を阻止しなければならない。

 

 いつ攻撃を開始するのかと尋ねてきた信也を見つめた俺は、頷いてから言った。

 

「――――――――2日後だ」

 

 

 

 

 

 

 

 引っ越したばかりの王都の我が家のドアは、いつもよりも重く感じた。装飾があまりついていないシンプルなドアを開け、かぶっていたシルクハットを壁に掛けた俺は、そのままリビングの方へと向かう。

 

 この世界では日本のように家の中で靴を脱ぐ必要はないらしい。転生してきたばかりの頃、靴を脱ごうとしてエミリアによく笑われていたことを思い出しながらリビングのドアを開けると、キッチンの向こうでエミリアがエプロン姿で夕食を作っているところだった。リビングではエリスが洗濯物を畳み、ガルちゃんがラウラとタクヤの遊び相手をしている。

 

 いつも通りの我が家の光景だ。だが、気のせいなのか、いつもならば感じる温もりが何かに奪われてしまっている気がする。

 

「あら、ダーリン。お帰りなさい」

 

「パパ、おかえりっ!」

 

「ああ、ただいま」

 

 俺の姿を見た瞬間、ガルちゃんの尻尾を引っ張って遊んでいたラウラが俺の方へと走ってきた。微笑みながら娘の小さな体を抱き締めた俺は、エリスの近くまで歩いてからラウラを下ろし、俺と同じく頭から小さな角が生えているラウラの頭を優しく撫でた。

 

 ラウラを床に下ろしてから「よし、ガルちゃんと遊んでいなさい」と言った俺は、元気に返事をしてから再びガルちゃんの尻尾を引っ張り始めた娘を見守ると、キッチンの方で料理をしているエミリアの方へと歩き始めた。

 

「エミリア」

 

「ああ、力也。お帰り。…………どうした?」

 

「その…………勇者の件なんだが」

 

 今夜のメニューはハンバーグだったらしい。ラウラとタクヤが大好きなメニューだ。フライパンの上でハンバーグを焼いていたエミリアは、俺が勇者という単語を言った瞬間、少しだけ目を見開いてから鋭い目つきになった。

 

 いつもの優しい母親の目つきではない。傭兵だった頃に、戦場へと向かう時の目つきだ。

 

「――――――作戦開始は、2日後だ」

 

「そうか…………」

 

「ああ。だから…………俺が行ってくる。お前とエリスは、子供たちの面倒を――――――――」

 

 妻たちまで戦場に行かせるわけにはいかない。もし妻たちが死んでしまったら、子供たちが悲しんでしまう。

 

 だから、妻たちを連れて行くつもりはない。彼女たちには家に残って、子供たちの世話をしてもらおう。その代わりに俺が海兵隊の1人としてファルリュー島へと向かい、仲間たちと共に勇者を倒すのだ。

 

 俺はそう考えていたんだが、やっぱりエミリアは許してくれなかった。右手で持っていたフライパンから手を離したエミリアは、紫色の瞳で俺を真っ直ぐに見つめながら「ダメだ」と小声で言い、フライパンを握っていた右手で俺の手を掴んだ。

 

 エリスもきっと同じように許してはくれないだろう。そんなことを考えながら、俺は妻の手を握り返す。

 

 無茶をするのは俺の悪い癖だ。だが、彼女たちまでファルリュー島に行かせるわけにはいかない。こちらの海兵隊の人数は260名。敵の守備隊は10000名。戦力差が大き過ぎるのだ。しかも敵の中には、レベルの高い転生者もいる。いくら転生者を瞬殺できる彼女たちでも危険な戦いだ。

 

 それに、核ミサイルをこの世界で作ったのは転生者だ。この戦いは復讐のための戦いでもあるが、転生者の戦いでもある。彼女たちは部外者なんだ。

 

「私たちも行く。…………1人では行かせない」

 

「頼む、エミリア。この戦いは危険なんだ。もしお前やエリスが死んでしまったら、子供たちが…………」

 

「それは父親も同じだ、馬鹿者」

 

 そう言って、彼女は俺に抱き付いてきた。俺は戸惑ってしまったけど、俺も妻の背中に手を回して抱き締める。

 

「お前が死んでも、子供たちが悲しむ」

 

「だが…………放っておくわけにはいかない。それに、核兵器を使い始めたのは転生者だ。…………俺たちの戦争だ」

 

「ダメだ。私たちも連れて行け」

 

「エミリア、頼む。言うことを聞いてくれ」

 

 頼む…………。お前たちまで連れて来たくないんだ。

 

 彼女を抱き締めながら「頼む…………」ともう一度呟く。だが、エミリアは離れてはくれなかった。俺の胸に顔を押し付けながら、首を横に振るだけだ。

 

 彼女の蒼いポニーテールが、首を横に振った時に腕に当たる。昔と変わらないエミリアの甘い匂い。俺は家族が大好きだ。可愛らしい子供たちを生んでくれた妻たちが大好きだ。

 

 だから、危険な目には合わせたくない。

 

「ダーリン」

 

「エリス…………」

 

 いつの間にか洗濯物を畳み終えていたエリスが、キッチンの近くまでやってきていた。彼女の顔つきも、モリガンのメンバーたちで戦場に向かった時のように鋭くなっている。

 

「お願い。私たちも連れて行って」

 

「だが…………子供たちはどうする? 誰が面倒を見るんだよ?」

 

「ならば、私が面倒を見るのじゃ」

 

 エリスに問い掛けたつもりだったのだが、俺の問いに答えたのは、彼女の隣から顔を出したガルちゃんだった。先ほどまで元気のいいラウラに散々尻尾を引っ張られ、お気に入りのベレー帽を取られて困っていた彼女が、どうやら子供たちの面倒を見てくれるらしい。

 

 ガルちゃんならばきっと面倒を見てくれるだろう。それに、彼女は最古の竜だから、子供たちをちゃんと守ってくれるに違いない。

 

 妻たちは連れて行ってくれと言っている。俺はダメだと言っているんだが、おそらく言うことを聞いてくれることはないだろう。

 

 気の強い妻たちだ。

 

「…………分かった。ガルゴニス、頼むぞ」

 

「任せるのじゃ。立派なドラゴンに育ててやるわい」

 

「いや、頼むから人間として育ててくれ」

 

 まったく…………。俺の子供たちにはサラマンダーの尻尾が生えているし、頭から角も生えているけど、出来るならば人間として育ててほしいものだ。

 

 苦笑いしながらそう言うと、妻たちとガルちゃんが笑った。家族の笑顔を見て安心した俺も、頭を手で掻きながら笑う。

 

「…………ねえ、パパ」

 

「ん? どうした?」

 

 妻たちと笑っていると、ガルちゃんと遊んでいた筈のラウラとタクヤがキッチンの近くまでやってきていた。笑っている俺たちを、心配そうな顔で見上げている。

 

 もしかすると、今の話を聞いていたのか?

 

「パパたち、どこかにいっちゃうの…………?」

 

「あ…………」

 

 タクヤは心配そうにするだけだったが、ラウラは俺の顔を見上げながら涙を浮かべ始めた。やっぱり、今の話を聞いていたらしい。

 

 俺たちが戦いに行く事を知っているのだろうか? それとも、ただの仕事だと思っているのだろうか? 

「やだ…………いかないで…………。パパ、いかないでよ…………」

 

「ラウラ…………ごめんな。パパたちは、大事なお仕事があるんだ」

 

「やだやだ…………やだぁ…………!」

 

 頭を撫でながら優しい声で言ったんだが、ついにラウラは泣き出してしまった。涙を零しながら、しゃがみ込んでいた俺に抱き付いてくる。

 

 娘の頭を撫で続けたけど、泣き止んでくれる気配はなかった。

 

 どうすれば泣き止んでくれるだろうか? 俺はちらりと妻たちを見上げたんだけど、2人とも辛そうな顔をするだけだった。やっぱり、子供たちを家に置いていくのは辛いようだ。

 

「ラウラ、帰ってきたらまた狩りに連れて行ってあげる」

 

「ほんとう…………?」

 

「ああ。もちろん、タクヤも一緒だよ。また3人で森に行こう」

 

 でも、ネイリンゲンの近くの森は危険だ。もしかすると放射能が残っている可能性がある。だから狩りに連れて行くのは、あの時とは違う森になるだろう。

 

 いつもラウラを狩りに誘うと、タクヤと一緒にはしゃいでいた。狩りに行く約束をすればきっと泣き止んでくれるだろう。俺はラウラの小さな頭をまだ撫で続けながら、優しい声で言った。

 

「すぐに帰ってくるからさ。だから、明後日だけ我慢してくれるかな?」

 

「うう…………でも、さみしいよぉ…………」

 

「ガルちゃんとタクヤが一緒だ。…………タクヤ、おいで」

 

「うんっ」

 

 ラウラの頭を撫でていた手を離し、リビングの方で魔物の図鑑を開いたまま心配そうにこっちを見ていた息子を手招きする。エミリアにそっくりな顔つきのタクヤは、頷いてからこっちへとやってきた。

 

「必ず帰ってくる。…………だから、我慢してくれ」

 

「う、うん…………」

 

 でも、ラウラはまだ寂しそうだ。手を離したら、この子はまた泣き出してしまうかもしれない。

 

 俺はコートの内ポケットから、いつも持ち歩いている赤黒い懐中時計を取り出した。エミリアとこの王都にデートしに来た時に、彼女にプレゼントしてもらった大切な懐中時計。いつも身に着けているその懐中時計を、俺はそっとラウラの小さな手の上に置いた。

 

「これ…………パパのたいせつなとけい…………」

 

「それをもう一度、お前たちに預けておく。2人が生まれる前にママから貰った大切な時計なんだ」

 

 小さな手で時計を受け取るラウラ。そっと蓋を開け、中で動き続ける銀色の針を眺めるラウラとタクヤの頭の上に手を置いた俺は、微笑みながら言った。

 

「パパたちが帰って来るまで、預かっててくれ。いいかな?」

 

「…………うんっ」

 

 ラウラは涙を小さな手で拭い去り、俺の目を真っ直ぐに見つめる。タクヤもラウラと手を繋ぎながら、俺の顔を見つめた。

 

 さすが俺たちの子供だ。

 

 俺はにやりと笑うと、もう一度子供たちの頭を撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都の家の前で、李風のまだ若い部下たちが装甲車で待っていた。おそらく年齢は17歳か18歳だろう。俺が転生してきた時と同じ年齢だ。

 

 迷彩服を身に纏って家から出て来た俺とエミリアとエリスの3人を敬礼で出迎えてくれた彼らに敬礼を返し、装甲車へと向かう。

 

 この装甲車に乗り、王都の防壁の外でヘリに乗り換える。そして、そのまま南ラトーニウス海へと向けて航行中の強襲揚陸艦『アンドレイ』の甲板に着陸し、その後は俺が海兵隊の指揮を執ることになっていた。

 

「…………行くぞ」

 

「ええ」

 

「ああ」

 

 妻たちと共に装甲車に乗り込もうとしたその時だった。

 

「パパ!」

 

「ラウラ…………?」

 

 玄関のドアを開け、ラウラがいきなり飛び出して来たんだ。目を覚ましたばかりらしくて髪はぼさぼさだ。パジャマ姿のまま外にやってきた彼女は、1枚の紙を持っていた。

 

 あの紙は何だ? 近くまで駆け寄ってきたラウラの前でしゃがんだ俺は、まだ少し眠そうな顔をしている彼女の頭を撫でた。

 

「パパ、これ」

 

「ん? これは何?」

 

「きのう、がんばってかいたのっ」

 

「これは…………」

 

 にっこりと笑いながら持っていた紙を広げ、俺に渡すラウラ。

 

 その紙に描かれたのは、クレヨンで描かれた似顔絵だった。蒼い髪の女性が2人と、赤毛の男性が1人。その赤毛の男性の頭には、ちゃんと角が2本生えている。

 

 俺たちの似顔絵だった。その似顔絵の下には、黒いクレヨンで『みんなだいすき』って書いてある。

 

 思わず泣きそうになってしまった。もしかしたらこの戦いで戦死して、2度と子供たちを抱き締める事ができなくなってしまうかもしれない。

 

 だが、泣くわけにはいかない。俺は唇を噛み締めてから、無言でラウラを抱き締めた。

 

「ありがとな、ラウラ」

 

「うんっ」

 

 これはお守りにしよう。時計は子供たちに預けてしまったからな。

 

 そうだ、死ぬわけにはいかない。必ず帰ってきて、子供たちを狩りに連れて行くんだ。

 

 ラウラから手を離し、そっと立ち上がる。ラウラはまだ3歳なのに、もう寂しそうな顔をしていなかった。きっと、俺たちが必ず帰ってきてくれると信じているんだ。

 

 必ず生きて帰ろう。そして、子供たちを抱き締めてあげよう。

 

 俺はラウラから貰った似顔絵をポケットにしまうと、踵を返し、妻たちと一緒に装甲車に乗り込んだ。

 

 

 


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