異世界でミリオタが現代兵器を使うとこうなる   作:往復ミサイル

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精密演算

 

 

 ラウラ・ハヤカワが人生で一番最初に死にかけたのは、まだ3歳の頃であった。

 

 母であるエリス・ハヤカワと腹違いの弟のタクヤと3人で買い物に出かけていた最中に、タクヤとラウラは数名の男たちに誘拐されてしまったのである。最終的にタクヤが道に撒いていった空の薬莢を目印にして、男たちの潜伏していた建物へとたどり着いたリキヤたちが瞬時に鎮圧したものの、彼がたどり着くまでにラウラは男たちからの暴行を受ける羽目になったのである。

 

 その時に、まだ幼かったキメラの少女のキメラ・アビリティは開花を始めていた。今から15年も前から徐々に開花を始めていた自分の中の能力にラウラが気付いたのは、つい最近の事である。

 

 息を吐きながら、ラウラはツァスタバM93の銃床を静かに左肩へと当てた。彼女の使用する得物は、左利きであるラウラのために全てのパーツを左右逆に変更した特注品。そのため、本来ならばライフル本体から見て右側に突き出ている筈のボルトハンドルは、左側から突き出ている。

 

 古めかしいタンジェントサイトを覗き込んだ彼女は、目の前にいる化け物と化した少女に照準を合わせた。もし仮に彼女が自分を殺したラウラだけを憎んでいたのならば、きっとラウラは銃口を向けることを躊躇っていた事だろう。彼女は懲罰部隊での任務を終えた後も、償いを続けるつもりだったのだから。

 

 しかし、彼女はタクヤまで攻撃した。

 

 最愛の弟を、殺そうとしたのである。

 

 だからもう、償わない。

 

 弟を殺そうとするのならば、その前に彼女を狩る。

 

 そう、”殺す”のではない。獲物として”狩る”。

 

 その表現は、幼少の頃からライフルを手にして森の中へと入り、動物や魔物を狩る経験を積んできたラウラにとっては当たり前の事だった。

 

 レナを”狩る”と決めたラウラは、もうレナを”人”とは思っていない。

 

 ただの、”獲物”だ。

 

「調子に乗らないでよ……………ッ!」

 

 人体に命中すれば、間違いなく木っ端微塵になってしまうほどの大口径のライフルを向けられているにもかかわらず、レナはラウラへと放っていた殺意を更に剥き出しにしながら走り出した。彼女から溢れ出す殺意が頭から伸びる無数の蛇たちにも伝播したのか、かつてレナの頭髪だった無数の蛇たちの目が充血して真っ赤に染まっていく。

 

 化け物と化したレナの全力疾走は、まるでメデューサを彷彿とさせるおぞましい姿とは裏腹に非常に俊敏であった。人間を遥かに超える瞬発力で瞬く間に加速した彼女は、相手が自分に向けている飛び道具を回避するために時折左右へと方向を変更しつつ、かつて自分が愛用していた短剣を腰の鞘から引き抜きながらラウラへと急迫する。

 

 いくら銃が遠距離から敵を射殺できる強力な代物とはいえ、真価を発揮できない状況も存在する。

 

 例えば室内での戦闘の場合、基本的に狭い空間での戦闘になるのは想像に難くない。このような場合に最適なのは射程距離や命中精度の高いライフルではなく、銃身が短くて扱いやすく、尚且つ連射速度が速くて弾数も多いSMG(サブマシンガン)やカービンか、散弾を発射するショットガンである。

 

 しかしラウラが装備するツァスタバM93は、命中精度と破壊力と射程距離を重視したアンチマテリアルライフル。室内戦に向いている装備とは真逆の装備と言える。

 

 いくら銃があれば異世界の敵を蹂躙できるとはいえ、本棚が乱立する書庫の中で、改造の影響で銃身の長さが約2mにも達する長大なアンチマテリアルライフルを使うのは無理がある。

 

 実際に銃を装備した敵を相手にしたことはなかったものの、レナは瞬時にその弱点を見切っていた。銃以外の武器だったとしても、このような狭い空間で長大な得物は不利になる。そのような得物が猛威を振るうのは、自由自在に振るうことができるスペースのある野外くらいだ。

 

 それゆえに、最初の一撃を躱して懐に飛び込む事さえできれば、あとは容易く殺せると判断したのだ。

 

(やっぱり馬鹿ね、あんな長い得物で挑むなんて)

 

 彼女がニヤリと笑った瞬間、ラウラが構えていた得物のマズルブレーキが煌き、T字型のマズルブレーキから1発の20mm弾が発射された。装甲車にすらダメージを与えられるほどの貫通力と殺傷力を持つ弾丸を喰らえば間違いなくレナも木っ端微塵である。轟音に一瞬だけ驚いてしまった彼女だが、すぐに右へとジャンプしてその一撃を躱すと、その近くにあった本棚を駆け上がってからジャンプした。

 

 彼女が駆け上がった本棚から埃が舞い上がり、大きな本棚が背後でぐらりと揺れる。

 

 やはり、最初の一撃を躱された後のラウラは無防備だった。今の一撃でレナの身体を消し飛んだと判断したのか、それともレナが躱したのをまだ知覚できていないのか、赤毛の狙撃手はタンジェントサイトの向こうを覗き込んだまま全く動かない。

 

(終わりよ!)

 

 右手に短剣を持ったまま、ラウラの右斜め上から襲い掛かるレナ。ここで彼女たちの前に立ちはだかる前に、自分を殺した憎たらしい赤毛の少女が人間ではないという事は耳にしていたため、キメラの持つ硬化についても既に知っている。

 

 オスのキメラとメスのキメラでは、体内に含まれている魔物の遺伝子の種類にもよるが、基本的にメスのキメラの方がオスよりも防御力が劣ると言われている。特にサラマンダーのメスは基本的に巣の中で卵や生まれたばかりの子供たちの世話に専念し、餌の確保や外敵の排除はオスに一任するという習性を持つため、子供たちの体を温める際に邪魔になる堅牢な外殻は殆ど退化している。

 

 そのメスのサラマンダーの遺伝子を持つという事は、ただでさえ防御力が低い傾向にあるメスのキメラの中でも、ラウラは特に防御力が低いという事だ。落下の勢いと強化された自分の腕力をフル活用すれば、外殻もろとも彼女の肉体を貫くことは容易いかもしれない。

 

(生きたままバラバラにしてやる……………! ふふふっ、そうしたらタクヤ君は喜んでくれるかな?)

 

 早くもラウラをバラバラにすることを考えながら、短剣をラウラに突き立てようとしたその時だった。

 

 背後で何かが跳ね返るような、金属音にも似た小さな音が一瞬だけ響いた直後、まるで全速力で走っていた馬車と激突したかのような凄まじい衝撃が彼女の背中を襲ったのである。

 

 ぐらりと彼女の身体が揺れ、ラウラの身体に真っ赤な鮮血が降りかかる。

 

(血!? だ、誰の…………ッ!?)

 

 空中で体勢を崩しながら混乱したレナであったが―――――――自分の腹の辺りから覗くピンク色の内臓と、その後方で本棚に激突して床へと転がっていった下半身を目にした瞬間、その血が誰の血だったのかを理解する羽目になった。

 

 そう、レナの血である。

 

 最初の一撃を躱された筈のラウラの攻撃が、レナの肉体をたった一撃で真っ二つにしてしまったのだ。

 

 すぐに下半身を再生させながら、レナはラウラを睨みつけた。レナの小さな肉片と鮮血まみれになった真っ黒なベレー帽をかぶるラウラは、最初の一撃を”背後から”喰らう羽目になったレナを見上げながら、冷笑していた。

 

「ば、バカなぁ…………ッ!?」

 

「ふふふっ♪」

 

(た、確かに躱した筈よ!? それにあの飛び道具、基本的に弾道は真っ直ぐ―――――――)

 

 引き裂かれた下半身を再生させながら、彼女ははっとした。

 

 確かに彼女に躱されたツァスタバM93から発射された銀の20mm弾は、そのまままっすぐに飛んで行った。しかし人体を容易く木っ端微塵にしてしまうほどの運動エネルギーを纏う弾丸ならば、壁に命中すればそれを貫通するか跳弾する筈である。

 

 今しがた後方から聞こえてきた小さな金属音を思い出したレナは、なぜ自分が下半身を引き千切られる羽目になったのか理解する。まるで剣と剣を一瞬だけこすり合わせたかのような甲高い音は、彼女が躱した弾丸が何度か跳弾を繰り返していた音だったのだ。

 

 ラウラは最初から、レナがこの一撃を回避することを予測していた。レナの実力は不明だが、得物が短剣という事は瞬発力に自信があるという事を意味する。槍や大剣どころか、一般的な鍛冶屋で販売されているロングソードよりもリーチが短いのだから、それを使いこなすには瞬発力が必要になる。

 

 しかも身体が化け物に変貌したことで、あらゆる身体能力が底上げされているのは明らかだ。だから近距離からの射撃でも回避してしまう可能性は高い。

 

 そこでラウラは、最初の一撃をあえて放つことにした。

 

 最初に命中させるためではなく、外れた弾丸の向こうにある遮蔽物や壁を利用して弾丸を何度か跳弾させ、人体を木っ端微塵にするために必要な運動エネルギーをかろうじて維持した状態で軌道を変えた弾丸を、レナに叩き込むためである。

 

 派手な装飾のついた壁や本棚に激突を繰り返した弾丸は、レナの背中へと食い込んだ頃には、弾丸というよりも”奇妙なスピンを続けながら飛翔する銀の礫(つぶて)”と化していたが、彼女の背中の皮膚と筋肉を貫き、背骨を粉砕して真っ二つにする運動エネルギーをまだ維持していた。

 

 しかも、装填していた弾丸は通常の弾丸と形状が異なる。少しでも跳弾しやすくなるように、通常の弾丸の先端部を削って丸い形状にした弾丸だ。

 

 ラウラがレナと一騎討ちを始める前にマガジンを交換したのは、通常の弾丸ではなくこちらの弾丸を使うためだったのである。

 

 素早く左手でボルトハンドルを引き、次の弾丸を発射する準備をする。排出された大型の薬莢が埃まみれの床の上に落下し、物騒な金属音を奏でた。

 

「こ、このぉっ…………ッ!」

 

「大丈夫? 血がいっぱい出てるわよ?」

 

「うるさいっ、今すぐ殺してやるぅッ!」

 

「あらあら、怖い。じゃあ隠れちゃおうかな♪」

 

 下半身の再生を終えて立ち上がろうとするレナに向かってそういったラウラは、微笑みながら後ろへと向かって小さくジャンプし―――――――姿を消した。

 

 ラウラが得意とする、氷の粒子を利用した疑似的な光学迷彩である。自分の身体の周囲に細かい氷の粒子を纏う事によって光を複雑に反射させ、まるでマジックミラーのように自分の姿を隠してしまうのだ。氷の生成には周囲の空気中の水分と微量の魔力を使用する必要があるものの、生成に必要な魔力は熟練の魔術師が本腰を入れて探さなければ察知できないほどの少量であり、仮に空気中の水分が少ない環境でも、何かしらの水分があれば代用できるのである。

 

 遠距離からの狙撃と組み合わせることにより、ラウラは今まで何度も高い戦果をあげている。

 

 いきなりラウラが姿を消したことに驚いたレナであったが、すぐに彼女は自分の頭から生えている無数の蛇たちが持つピット器官をフル活用し、この書庫の中で姿を消した怨敵を探し出そうとした。

 

 しかし―――――――ラウラが姿を消したのは数秒前だというのに、どの蛇も彼女の体温を全く探知できないのである。

 

(嘘でしょ…………どうして!?)

 

 驚愕しながら蛇たちに探知を続けさせるが、やはりラウラは見つからない。

 

 ラウラの氷を利用した疑似的な光学迷彩は、氷を利用したものだ。無数の氷の粒子を纏っているため、ピット器官のように体温を探し出そうとしても、彼女の纏う氷の粒子がラウラの体温を周囲の温度と全く同じ温度にまで冷却してしまうため、ピット器官での発見は事実上不可能なのである。

 

 そして、2発目の20mm弾が、今度はレナの右足を穿った。

 

「あああああああッ!!」

 

 千切れ飛んだ右足の断面を両腕で押さえながら再び床に崩れ落ちるレナ。ガチン、とボルトハンドルを引く音と、ライフルから排出された大きな薬莢が落下する音が書庫の中に響き渡るが、その音を活用してラウラのいる場所を特定しようとは思えなかった。

 

 音で敵の居場所を判断できるような冷静さは、とっくに激痛によって喰らいつくされていたのである。

 

 もし仮に一番最初に被弾せず、右足を捥ぎ取られるような重傷を負っていなかったのならば、今のボルトハンドルを引く音と薬莢の音を頼りにしてラウラを探し出していた事だろう。

 

 しかし、もうレナの冷静さは粉々になっていた。

 

 このまま、テンプル騎士団の誇る最強の狙撃手に嬲り殺しにされるしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3発目の弾丸を放つ準備を終えてから、ラウラはタンジェントサイトを覗き込んだ。普通ならばスコープを装着する必要のある得物だが、ラウラの場合はスコープを取り付けると逆に照準を合わせにくくなってしまうため、タクヤが彼女のために取り外してくれたのだ。

 

 狙撃では百発百中が当たり前のラウラだが、スコープをつけてしまうと50m程度の距離からの狙撃で全ての弾丸を外してしまうほど命中精度が一気に落ちてしまうのである。

 

 照準器を覗き込んで得物を構え、照準を合わせようとしたその時だった。

 

 彼女の目の前に、何の前触れもなく深紅の線が浮かび上がったのである。銃口からひたすら前方へと伸びていくその深紅の線は銃口の向きに合わせて角度を変え、最終的に右足を再生させているレナに行きついている。

 

 そしてその線の”終着点”には、そこまでの距離が深紅の文字で表示されていた。

 

 これが、ラウラの発動した『精密演算(クロックワーク)』である。発動するとあらゆる武器の弾道や予測着弾地点だけでなく、距離がこのように彼女の視界にのみ表示されるのだ。自分が狙った標的との距離をレンジファインダーを必要とせずに見切り、更に自分がこれから放つ弾丸の弾道すら瞬時に理解できる能力。それがラウラの発動した能力であり、幼少期の頃から少しずつ開花しつつあった能力の”終着点”であった。

 

 彼女がスコープを使用すると「見辛い」と文句を言うのは、この能力が発動しかけていたからではない。それはあくまでもドラゴン並みの視力を持つ彼女の目が勝手に標的を視認するためにちょっとした変異を起こして”最適化”しているだけだ。それゆえにスコープを覗き込むと、すぐ目の前にある小石をわざわざ超遠距離狙撃用のスコープで覗き込んだかのように、必要以上にズームされてしまうのである。

 

 しかも更にこのような弾道や距離まで重なるのだから、彼女にスコープやレンジファインダーは不要なのだ。

 

 更に、精密演算(クロックワーク)が”表示”してくれるのは弾道だけではない。

 

「!」

 

 唐突に、銃口から伸びる弾道の予測コース以外に黄色い線が彼女の視界に表示される。それはまるで弾丸のように一直線に飛翔し、最終的にラウラの左脇腹へと行きつくと、即座にその傍らに小さな黄色い数字が表示され、そのままカウントダウンを始めた。

 

 はっとしたラウラは狙撃を注視し、即座に左へとジャンプする。

 

 次の瞬間、ラウラに置き去りにされた黄色い線の終着点に、猛烈な魔力を秘めた闇属性の矢が飛来してきて、その後方にあった大きな本棚をあっさりと貫通してしまった。もし回避していなかったならば、間違いなくあの闇属性の魔力で形成された矢に串刺しにされていた事だろう。メスのキメラの防御力は、非常に低いのである。

 

 今の黄色い線は、敵の攻撃の弾道と予測着弾地点を意味している。予測着弾地点が特定されると即座に着弾までのカウントダウンが始まり、敵の攻撃の襲来を主であるラウラに伝えてくれるのだ。

 

 彼女が発動した精密演算(クロックワーク)は、自分の攻撃の弾道だけでなく、敵の攻撃の弾道や軌道まで視界に表示してしまうのである。簡単に言うならば、”ちょっとした未来予知”だ。

 

 先ほどボルトハンドルを引いた際の音を察知されたのだと、ラウラは瞬時に察した。片足を弾丸に捥ぎ取られたレナにボルトハンドルを引く音でこちらの位置を察知する余裕はないだろうと高を括り、そこから移動せずに狙撃を続行しようとしたのがあだとなったのである。

 

 レナはもう既に、片足の再生を終えていた。右足の断面はすっかり筋肉に覆われ、真っ白な皮膚に包み込まれている。その傍らにはレナがまだ人間だった頃にラウラが切断した時の古傷が残っていた。

 

 そしてレナは―――――――回避した際のラウラの足音で、更に彼女の居場所を察知する。

 

「そこね!?」

 

 彼女が左手を突き出すと、その前方に小さな3つの紫色の魔法陣が瞬時に展開された。複雑な記号や古代文字で形成された3つの魔法陣は回転を始めると、その中心部から3本の漆黒の矢を生成し始める。

 

「串刺しにしてやるわ! ダークネスニードル!」

 

 先ほどラウラが隠れていた場所を狙撃した際に使用した闇属性の矢が、今度は3本同時に放たれる。ダークネスニードルは闇属性の魔術の中でも習得が容易な魔術であり、多用する魔術師も多いポピュラーな魔術だ。弾速が速く射程距離もそれなりに長いため、先制攻撃や牽制に使用する者は多い。

 

 弾速は銃弾よりもやや遅い程度だろう。

 

 しかしその弾道や弾着するタイミングも、精密演算(クロックワーク)を発動したラウラはもう既に見切っていた。彼女の視界に投影されている3本の黄色い線と、着弾までのカウントダウン。その予測着弾地点から遠ざかるようにさらにジャンプしたラウラは、氷の粒子を使った光学迷彩を解除して走り出した。

 

 ラウラが姿を現したことに気付いたレナが、更に3本の闇属性の矢を飛ばしてくる。そのうちの1本は落下する途中のラウラの背中を貫く弾道であったが、彼女はすぐにキメラの尻尾を伸ばすと、最寄りの本棚へと引っ掛けて自分の落下するコースを変えることで、その一撃を回避する。

 

(そろそろ勝負を決めるべきね)

 

 一刻も早くレナを倒し、タクヤたちを追わなければならない。

 

 しかし、このまま狙撃で嬲り殺しにすれば時間がかかってしまう。だから確実に仕留めるために聖水と銀の弾丸で攻撃を仕掛ける必要があるのだが、レナが身につけた凄まじい瞬発力ならば、そのどちらかを回避するのは容易いだろう。

 

 だからまず、動きを止めなければならない。

 

 そのための手段は、もう思いついていた。

 

 本棚と本棚の間を走り回りながら、ラウラは体内の魔力を加圧しつつ、そのまま体外へと放出を始めた。生まれた時から彼女の体内にはエリスから受け継いだ大量の魔力が備わっており、しかもあらかじめ氷属性に変換済みであるため、氷属性の魔術ならば詠唱せずに即座に発動することができるのだ。

 

 しかし、魔法陣を介せずに体外へと排出された魔力は、フィオナ機関を稼働させる際以外には何の役にも立たない。ラウラのように氷属性に変換済みである場合は、ただの冷気にしかならないのだ。

 

 しかも、加圧した魔力である。それゆえに魔力の反応での探知もより容易になるため、ラウラが得意とする隠密行動からの狙撃や奇襲ができなくなってしまう。自分で自分の利点を殺すような愚策としか言いようがない。

 

 だが―――――――そんな愚策を実行している張本人は、そのことをしっかりと理解していた。

 

 ちらりと巨大な扉を一瞥し、それが閉じられていることを確認してからラウラはニヤリと笑う。

 

(よし、扉は閉まってるわね)

 

 突破した際にちゃんとタクヤが扉を閉めてくれたことに感謝しつつ、彼女は本棚の間を走り続ける。

 

 もしかしたらタクヤは、あの時点でラウラがどんな作戦を使ってレナを倒すつもりなのかを察していたのかもしれない。幼少の頃から常に一緒に過ごしてきた腹違いの弟は、口調や仕草だけでラウラが何を考えているのかを察してしまう。だから彼女の考えていることを察するのは当たり前なのだ。

 

「きゃはははははっ! 何? そのまま逃げ続けて、仲間が助けに来てくれるのを待つ気!?」

 

 背後からレナが追いかけてくる。ラウラのスピードは今ではタクヤとほぼ同等であるため、レナが彼女に追いついてくるのは想定外だったが、ラウラの作戦はそれだけでは狂わない。

 

 舌打ちしながら左手を腰のホルダーへと伸ばし、メスを引き抜く。冒険者が魔物を討伐した際に、その魔物の内臓を確実に摘出するために持ち歩く一般的なメスだ。この世界では医療が治療魔術の出現で廃れているため、メスの用途は手術ではなく、魔物からの内臓や骨の摘出なのである。

 

 それゆえに、メスを持ち歩く冒険者も多い。

 

 ラウラはメスを3本引き抜くと、走ったまま背後を一瞥して照準を合わせ、追いかけてくるレナに向かってそのメスを一気に投擲する。精密演算(クロックワーク)が表示してくれた弾道では、そのうちの2本が命中することになっていたが、背後からカキン、と金属同士がぶつかり合う音を聞いた彼女は、レナが短剣でメスを弾き飛ばしたのだという事を瞬時に理解した。

 

 あくまで、今のは牽制である。

 

「いいわよ、別に。鬼ごっこだったら付き合ってあげるわ! こう見えてもスタミナには自信があるのよ!」

 

(スタミナだったら私も自信あるわよ)

 

 幼少の頃から当たり前のように近所の高い工場の倉庫へと昇り、森の中で重いライフルを背負いながら家族と狩りを楽しんで育ってきた彼女にとっては、少なくとも基礎体力のための訓練は全て”遊びの一つ”と認識していた。

 

 鍛え上げられた騎士団の騎士でも数分で音をあげてしまうほどの回数の腕立て伏せやスクワットを簡単にこなし、呼吸を整えている父に向かって笑いながら「ねえねえ、次は何して遊ぶの?」と尋ね、モリガンの傭兵たちを驚愕させた回数は少なくないのである。

 

 幼い頃からそのような訓練をひたすら続けているため、全力疾走を続けるラウラの呼吸は未だに乱れていない。

 

 背後からいくつも黄色い線が伸びてくる。彼女の身体を掠めるものは無視し、自分の身体を貫く黄色い線のみを警戒して身体を逸らす。あくまでもこれは彼女の視界にのみ投影されているため、レナには全く見えていないのだ。

 

 立て続けにレナが投げナイフを投擲してくるが、全く当たらない。彼女が置き去りにした本棚に突き刺さるか、ラウラの身体を掠めて本棚の分厚い本に突き刺さるだけである。

 

「ほら、逃げるだけ!? 私を殺すんじゃないの!?」

 

 背後から追いかけてくるレナが先ほどから何度も叫ぶが―――――――明らかに、ラウラとレナの距離は開きつつある。しかしラウラは走る速さを調節したつもりはない。このちょっとした鬼ごっこが開幕した瞬間からずっと同じペースである。

 

 正確に言うならば、レナが遅くなっているのだ。

 

(そろそろかしら)

 

 自分自身の持つスタミナも膨大だが、母親から受け継いだ魔力の量も膨大である。走りながら常に高圧の魔力を放出し続けていたラウラは、自分自身の体内に残された魔力の残量と、徐々に遅くなっていくレナのスピードからそろそろ決着がつく頃だろうと予測を始める。

 

 レナも自分自身のスピードが落ち始めていることに気付いたらしい。何とかラウラに追いつこうと足掻き続けるが、やがて全力疾走というよりはランニング中のような速度にまで低下し、最終的に立ち止まってしまう。

 

 ラウラが放出する高圧の氷属性の魔力によってすっかり冷却された書庫の中は、真冬というよりは雪原や雪山に足を踏み入れたかのように冷却されていた。よく見てみると、本棚や派手な装飾のついたカウンターの一部はうっすらと白くなっており、口や鼻から吐き出す息も真っ白になっている。

 

 走るのをやめ、ゆっくりと後ろを振り返るラウラ。未だに発動中だった精密演算(クロックワーク)が瞬時にレナの悪足掻きを見切り、ラウラの視界にダークネスニードルの弾道を表示する。

 

 まるで幼い子供が精いっぱい投げたボールを躱すかのようにあっさりと回避したラウラは、突き出した右手を元の位置に戻すどころか、指すら動かせなくなってしまった哀れな少女へとゆっくりと近づきながら、右手でわざとらしくホルスターからPL-14を引き抜いた。

 

 一流の職人によって作られた石の床を彼女のブーツが踏みしめる度、かつん、と静かな足音が書庫の中に反響する。

 

 それは一歩ずつ、罪人の首を切り落とすための恐ろしい処刑人が近づいている事を告げる足音だ。手枷と足枷をつけられた罪人は、その処刑人が自分の命を絶つまで、動くことは許されない。

 

「ねえ、レナちゃん。”変温動物”って知ってるよね?」

 

「な、なによ…………?」

 

 左肩に担いでいたツァスタバM93を近くの本棚に立てかけてから、ラウラはレナの頭から生えている蛇にそっと触れた。怨敵であるラウラに触れられた蛇は彼女の指に噛みつこうとするが、やはり動きはすっかり鈍くなっており、愛撫しながらでも容易く避けられるほどだ。

 

「密室ってわけじゃないみたいだけど、私の冷気で冷却された部屋の中にいれば、蛇って動けなくなっちゃうもんね♪」

 

「ま、まさか、お前…………ッ!?」

 

「そういうこと。正解だよ、レナちゃん」

 

 一番最初にスモークの中でタクヤが正確な攻撃を受けたことを察知したラウラは、彼が部屋の外へと脱出した時点でレナの身体にピット器官があるのではないかという仮説を立てていた。そのピット器官があるならば、同じく変温動物の特徴も持ち合わせている可能性が高いと判断したのである。

 

 もし仮にその仮説が外れていた場合は自力で聖水と銀の弾丸を同時に叩き込むつもりだったが、仮説が当たってくれたおかげで、その作戦が日の目を見ることはないだろう。

 

 だからラウラは、わざわざ氷属性の魔力を冷気にして放出しつつ走り回り、書庫の中を冷却し続けていたのである。

 

 そのまま氷属性の魔術で応戦しようとすれば、魔力の反応で察知される恐れがある上に、レナの瞬発力で回避されてしまう可能性がある。だから確実に仕留めるために、ラウラはこうやって冷却することで彼女を動けなくさせる作戦を選択したのだ。

 

 引き抜いたPL-14をレナの眉間へと突き付ける。今の彼女では、このハンドガンを払い除ける事すら不可能だ。

 

 そしてもう片方の手でポーチの中から聖水の入った瓶を取り出すと、中に入っている聖水まで凍結していないことを確認してから―――――――それを、レナの頭に垂らし始めた。

 

 冷気に包まれたレナの頭に流れ落ちた聖水は、普通の人間の皮膚に付着した水のように表面を濡らすのではなく―――――――まるで強力な酸性の液体のように、加熱されたフライパンに水の雫を垂らしたかのような音を立て始めたと思うと、そのまま彼女の頭から生えている蛇とレナの頭皮を溶かし始めた。

 

「ああ――――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! や、やめっ……ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 吸血鬼や一部の魔物にとって、聖水は強酸性の液体と同じである。触れれば瞬時に肉や骨が溶けてしまうため、彼らは銀で作られた矢や剣よりもこちらの方を恐れるという。

 

 吸血鬼だけでなく一部の魔物にも効果があるという事を、ラウラは幼少の頃にタクヤから教えられていた。レナは魔物に分類するべきなのか、それとも吸血鬼に分類するべきなのかは不明だが、銀の弾丸が効果があったという事は聖水も効果があったという事だ。

 

 遠慮せずに聖水の瓶の中身を全てレナの頭にぶちまけると、彼女の頭から流れ落ちる雫が段々と紅くなり始めた。湯気にも似た煙を上げながら肉を溶かし、骨を剥き出しにしていく。

 

 胴体を溶かされた小さな蛇の頭が床へと落下し、彼女の頭から垂れた深紅の雫が、レナの頬や肩を溶かして白い煙を上げながら床へと流れ落ちていく。

 

「こ、殺してやるッ! タクヤ君を縛るメス豚めぇッ!!」

 

「酷いわねぇ。私、太らないように気を付けてるのに………。あ、それと私のことバカにしたら、あの子間違いなく激昂するわよ?」

 

「黙れぇッ! お前がタクヤ君をダメにしたんだッ! お前みたいなメス豚さえいなければ、タクヤ君はもっとまともな子に育ってたわ!!」

 

「――――――ああ、そう」

 

 微笑んだまま、ラウラは彼女の額に突き付けていたPL-14を太腿へと向け、トリガーを引いた。

 

 スライドがブローバックし、薬莢を吐き出す。その薬莢に包まれていた筈の弾丸はレナの太腿を貫き、風穴を開けていた。先ほどは傷口を再生させていたレナだが、この傷口は再生する気配がない。

 

 聖水と銀の2つで同時に攻撃されているため、再生能力が大幅に弱体化しているのだ。

 

「ぎゃあああああああああッ!!」

 

「レナちゃん。”次の機会”のために忠告しておくわ」

 

 溶けかけの彼女の頭を掴み、再び額にハンドガンを押し付けるラウラ。彼女を睨みつけるレナを見つめながら、赤毛の美少女は告げた。

 

「まず、男を振り回すようなわがままな子はダメよ。すぐ男に避けられるから」

 

「………ッ!」

 

「それと、他の女の男は無理矢理奪おうとしない事ね。今みたいな結果に行きつくからやめなさい」

 

 レナから憎悪がどんどん消えていく。再生能力が機能しなくなった状態では、額に銀の弾丸を撃ち込まれるだけで彼女は確実に絶命する。便利な能力で希釈していた”死”が、一気に解放されてしまったのだ。

 

 おそらく数秒後には命乞いを始めるだろうと予想したラウラは、用意していた最後の警告を告げる前にため息をついた。

 

 殺される直前までラウラを憎み続けていたのならば、怒りを感じることはなかっただろう。しかし再生能力を無効化されて銃を突き付けられただけで憎悪が消えたという事は、彼女の憎悪は少なくとも”死”よりもはるかに軽いという事を意味している。

 

 こんな女がタクヤを奪おうとしていたことが、許せない。

 

 こんな女がタクヤを殺そうとしたことが、許せない。

 

 だから、許すつもりはない。

 

「あと、最後の警告よ」

 

「ま、待ってよ! 私は―――――――」

 

「――――――可愛いタクヤ(私たちのダーリン)に、手を出すな」

 

 レナが命乞いを始めるよりも先にそう告げたラウラは、聖水で頭が溶けかけていたレナの眉間に押し付けていたPL-14のトリガーを容赦なく引いた。

 

 銀の9mm弾が、怪物と化した少女の眉間を容易く貫く。がくん、と溶けかけていたレナの頭が大きく揺れ、溶けた肉片や鮮血を後方にぶちまけたかと思うと、もうその風穴を塞ぐことすらできなくなった化け物の死体が後ろへと崩れ落ち、冷たい書庫の床の上を真っ赤に染めた。

 

 落下していく小さな薬莢が奏でる小さな金属音を聞いたラウラは、PL-14をホルスターに戻してから踵を返し、本棚に立てかけておいたアンチマテリアルライフルを拾い上げてから、タクヤたちを追い始めたのだった。

 

 




久々に大人びてる方のラウラを本格的に書いたような気がします(笑)

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