あと、色々とツッコミどころあるかもです。ではどうぞ
人間は新しい事柄、環境、生活といった様々な経験をできると知った時、非常に何かを期待する。
それは好奇心という言葉で片付けることはできる。しかし、それに命をかけて挑まなければならないのであれば、それはなんと言えばいいのであろうか?
「海の匂い…………これが磯の香りかな?」
そんな命をかけた『四十代の新生活』を送り始めた彼は、大洗女学園の所有する学園艦の淵に近い公園で、凹凸のある紙面を触り読むことでしか知らなかった匂いを感じていた。
「先生、あまり長居してはお身体に触りますよ?」
「……では、帰りましょうか。いつもありがとうございます、タカシくん」
屋外ということで車椅子に乗っている彼の後ろには、車椅子の取手を握る青年がいた。
タカシと呼ばれた青年は昨年まで高校生だったのだが、卒業すると大学には進学せず車椅子に座る彼の所属する事務所に就職をしてきた。何でも在学中に聞いていた彼の作曲した曲に影響を受け、こちらの道に興味を示したのだとか。
そして、在学中にしっかりとその分野についての勉強をし、デスクワークこそまだ苦手ではあるが音楽関係の機械の設置や操作は完璧にこなせるまでになる。
だが、音楽関係とはいえ芸能活動というある意味で博打に近い世界に足を踏み入れるため、タカシの親は最低でも高校を卒業しある程度の資格を取っておくことを条件にした。
そして、高校で音楽関係以外の様々な分野に手を出し、資格を取りつつタカシは親の条件を十分に満たし、両親から笑顔でこの業界に送り出された。
ならば何故、そんなタカシが彼と一緒に大洗の学園艦にいるのかといえば、彼がみほに言い出した『家出』という提案に理由がある。
『黒森峰……西住流に居ることが辛いのであれば、一旦ここから離れてみよう』
というのが、あの夜に行われた親から子への会話である。
そこからは彼の無駄に広い人脈を駆使し、あっという間にみほの大洗への転入が決まる。
しかし、ここで問題が一つ。彼は娘であるみほと一緒に大洗に行く気満々であった。それに待ったをかけた者がいた。それは今回のみほの転校先の斡旋などを行ってくれた以前までの彼のマネージャーである。
「学園艦は只でさえ陸との交通が不便ですしそれは仕事の上でも不便になります。それに厳しいことを言いますが、先生は環境の変化という負担に耐えられるのですか?」
遇の音も出ない正論であった。
しかし、娘に提案し、やっと親らしいことをしてあげられると考えていた彼が折れることはなかった。
「介護をしてくださる方を探します。それに一昔前ならともかく、今はメールとかパソコンを利用すれば曲の譜面も送れますよね?」
結局、彼の意見を聞き入れ、会社は承諾。代わりに会社の人間を一人同行させ共同生活をさせることで話が落ち着く。
そして、彼の介護兼マネージャー役として、その時には既に入社していたタカシに白羽の矢がたったのであった。
決め手は、学生時代にとった資格の中に栄養士や介護士のものが含まれていた事と、入社してあまり時間が経っていなかったためフットワークが軽いのが彼ぐらいしかいなかったことである。そして、元々彼のファンでもあったタカシは、この話を一も二もなく承諾。新人の中では異例の速さで仕事を覚え、事務所側もタカシの能力を認めた上での了承であった。
そして、そういったあれこれや、細かい手続きのなんやかんやを超えて、西住親子とタカシの三人は大洗学園の学園艦での新生活を始めたのであった。
ちなみに一番の難題は、どうやってしほとまほの二人にバレずに行方を暗ませるかであったりする。それについてはある女中を今回の計画の協力に引き入れることで解決したのだが、そこに漕ぎ着けるまではそれなりに苦労したのは完全に余談だ。
閑話休題
彼がタカシを引き連れて学園艦の上を散歩しているのは、純粋に来たことのない土地に興味を持ったが故であった。
こういった外出は彼の体のことを考えるとあまりしないほうがいいのだが、作曲を行う上でのインスピレーションが生まれるきっかけにもなるので、時間をある程度制限した上で散歩に出かけているのである。
「――――」
押されている車椅子の振動に合わせ、指がリズムをとっていく。
学園館という事で、街の中には割合的に多くの桜が植えられていた。年度の始めということで、桜は満開を少し超え葉桜になり始めている。
なので、それに伴い舞い散る桜の花びらが二人の歩く道にも降り注がれていく。
それに合わせるかのように、椅子に座る彼はハミングを口遊む。
「……うん?」
「え?」
道ですれ違っていく様々な人が、静かでありながらもよく通るその音に立ち止まる。そして振り返ると、車椅子に乗った彼が歌っている事に驚きの声を漏らしていく。
その時、その瞬間、彼が感じたモノが音となって生まれる。
詩のない歌。
その作業というにはどこか不思議で神秘的な光景は、その場にいた人々を惹きつけた。
「――――……?」
歌が一区切りしたのか、彼はその口を閉じていた。その代わり、今度は不思議そうな表情で、小首を傾げながらある一点に顔を向けていた。
「タカシさん、向こうには何が――――タカシさん?」
「え、あ、はい……え?」
いつの間にか止まっていた足と車椅子の車輪。それは、彼が歌を生み出す瞬間を初めて目の当たりにしたタカシが呆然としていたが故であった。
「?えっと、向こうには何があるのですか?小さなモーターが回転している音が聞こえるのですけど」
タカシの気の抜けた返事を不思議に思いつつ、彼は再び問いかけた。
その声にハッとしたタカシは、顔を左右に降ることで意識を切り替える。そして、彼が向いている方に目を向けてから口を開いた。
「えっと、理容室ですね。きっと、先生が聞いた音は床屋の目印になっている看板が回っている音ですね」
「看板が回る?」
幼い頃から箱入り生活をしていた彼にとって、見たことも想像もしたことのない光景に再び首をかしげる。その仕草に「本当にこの人四十代か?」とか思いながらも、タカシは説明を続けた。
「理容室の看板はサインポールって言って、一本の棒に白、赤、青の三色の縞模様にして、それを回転させることで店を開いていることを示すようになっているんです」
説明したあとに、盲目の人間に対して無神経な発言かと一瞬後悔するタカシであったが、当の本人は興味津々な子供のような表情で、その音を聞いていた。
「ん?」
その様子を覗った時に気付く。車椅子に座る彼の髪が意外と伸びている事に。
どうやら盲目であることから、あまり他人に目を見せないようにという本人の希望で、前髪で目が隠れるようにしていたため他の部分が伸びている事に、本人含め周りの人間も気付かなかったらしい。
「先生、御髪が結構伸びているので休憩も兼ねて理容室に寄りませんか?」
「……理容室って予約が必要じゃ?」
「まぁ、理容室といっても床屋ですから予約は必要ないですよ。待っているお客もいないようですし」
変なところで知識が偏っている事に苦笑いするタカシ。彼の中の常識は基本的に母親やしほ、そして娘二人の常識と一致している。その為、彼の中では理容室と美容院はイコールで結ばれているようである。
「じゃあ、せっかくですし」
そう言って、彼は再び車椅子を押されながら理容室『秋山理髪店』へと入っていくのであった。
前回以降、いきなり評価上がってびっくりしました。
評価してくださった読者の方々に感謝です。