ジャネーの法則だ間違いない。
「とりあえず、貴方の事はなんて呼べばいいでしょうか? 軽巡ホ級……というのは人が勝手に呼んでいるわけですから、
「コチラニ気ヲ遣ウ必要ハ無イ。オ前ノ好キニ呼ブトイイ。」
「わかりました。では、貴方の事はホ級と呼びますね」
「ソレデイイ。オ前ノ事ハ何ト呼ベバイイ?」
ホ級の問いに、俺は今更ながらに自分というものが定まっていない事を認識する。
以前の記憶、この身体に変化する以前の名を使うのは駄目だろう。見た目にそぐわない。
かといって、本来の持ち主の名前を名乗るのは気が引ける。俺は彼女ではないのだから。
困った。自身の名を名乗れないことが、こんなにも―――否定されたような気分になるとは思わなかった。
「……スマナイ。オ前ハ自分ノ事ガ分カラナイノダッタナ」
自問自答の堂々巡りに陥った自分に、ホ級が心配そうに話しかけてくる。
しまった。ホ級に気を遣わせてしまった。
軽く
こういう時は気にせず話題を変えるに限る。俺は努めて明るくホ級に返答する。
「気にしないで下さい。ところでここに辿り着くまでの間に、周囲に島とかあったりしました?」
「辿リ着ク前カ。ココカラ西ニ行ケバ、人間ガ住ンデイタ島ガ在ッタナ」
「住んでいた?」
その言葉に違和感を覚え、思わず聞き返してしまう。
「私達ノ侵攻カラ逃ゲル為カ、人間ハ本土ヘ非難シテイル。ダカラアノ島ニハ誰モ居ナイ。離レルノヲ嫌ガッテ、残ッテイル人間ガ居ル可能性モアルガ」
頭の中で思考を巡らす。
いずれにせよ、海に出なければホ級のいう島には行けない事になる。
このままここにいても状況が好転しないのであれば、行動範囲を拡げるのは選択肢としてアリかもしれない。
しかし、海に出るということは、その分危険をともなうことになるだろう。
深海棲艦であるホ級がいるのであれば、それに相対する存在、艦娘がいることが想像できる。
今の姿でもし艦娘に遭遇することがあれば新種の深海棲艦とみなされ、攻撃、よくて警戒の対象にされるか。どちらにせよ、プラスの方向にはならないだろう。
いや、それよりもまず―――
「海の上に立てるのか?」
この世界で必要な技能、深海棲艦や艦娘が当たり前に行っている航行という行為が、俺にできるかという事を改めて考えてみる。
無駄、無理、無謀と思考が一瞬で判断を下す。
この身体は深海棲艦に似ているが、中身は異なるし、艦娘のように船から発生した存在でもない。
なにより俺自身が、人の形をしたものが水面に立てる訳がない、と思っている。
世界が変わったからといって、できない事が突然できる様になるとは思えない。
駄目だ、後ろ向きの思考を捨てなくては。
おもむろに俺は、両手で自分の頬を叩く。
今まで積み重ねてきた常識をいきなり変えれるとは思えない。しかし、意識を多少なりとも変えないと、いつまでもこのままだ。
俺の突然の行動を、不思議そうに見ていたホ級に話しかける。
「ホ級、私に航行の仕方を教えてくれませんか」
お願いします、とホ級に頭を下げる。
ホ級からの返事は―――ない。
ちらりと様子を伺ってみると、困惑しているような雰囲気を感じる。
……それは当然か。俺の頼みとはつまり、足の動かし方、歩き方を教えてといっているようなもの。
自分が無意識に行っている事を教えて、といわれたら戸惑ってしまうことは当たり前だ。
「ソレハ」
「え?」
「ソレハ命令カ?」
どういうことだろうか。
ホ級の意図が読めず、今度はこちらが困惑してしまう。そんな上からのつもりで言った訳ではないが、ホ級はそう感じてしまったらしい。
俺は慌てて訂正する。
「命令ではありません。これは……そうですね、お願いとか頼みというやつです。ホ級が嫌と感じたら、断っても大丈夫です」
「……ソウカ」
なにか感じ入る所でもあったのか、困惑していたホ級が安堵したように見える。
命令という言葉に対し、なにか怒りというか苛立ちのようなものを感じたが……ここで問うのは藪蛇か。
「頼ミナラ仕方ナイ。任セテオケ、私ガミッチリ鍛エテヤル」
「別にそこまで厳しくなくてもいいのですが」
「鍛エテヤル」
「私としてはお手柔らかにお願いしたいなと」
「鍛エテヤル」
「……はい」
こちらの語尾を食う勢いで言葉を重ねてくるホ級。
どうやら俺は押してはいけないスイッチを押してしまったらしい。
ホ級の目は、爛々と獲物を見つけた獣のように光を放っており、やっぱりやめておくとは言い出せない雰囲気だ。
「デハ、早速始メヨウ。訓練ニ適シタ場所マデ行クゾ」
そういってホ級は海に向かって進んでいく。
え、今すぐ?という言葉を寸前で飲み込む。
そもそも、航行の仕方を教えてくれと頼んだのはこちらだ。ホ級は俺の頼みに対して真摯に対応してくれているだけ。
だからホ級には感謝をしなければならないだろう。
たとえ、ホ級が喧嘩をする前の不良のようにポキポキと指を鳴らしていたとしても。
両門と上部に取り付けられている砲塔が、水を得た魚のように動いていたとしても。
―――この瞬間だけ神に祈る。
どうか溺れたり、沈んだりしませんように、と。
俺は祈りを一瞬で済ませ、ホ級の後を追いかける。
水面の上を滑るという未知に対する好奇心と、ホ級にしごかれるのではないかという不安がブレンドされた、妙な高揚感を胸に秘めて。
アーケード版でも軽巡ト級は影が薄い…だと…?
馬鹿なッ!馬鹿なッッ!そんな事、許される筈が……!