異形が目の前で止まる。
顔を覆っていたであろう、人の歯を模した様なマスクの半分は割れており、顔全体の形は捉えることができる。
しかし、顔自体は黒い髪で覆われており、表情を伺うことはできない。
ゆらり、とまるで影の様な動作で異形の右手が動き、こちらに手を伸ばしてくる。
――殺される!
直感的にそう感じた俺は、せめて視覚的な恐怖からは逃れようと、ぎゅっと目をつぶった。
目の前が闇に覆われ、感じられるものは自らの鼓動だけになる。
あの巨大な腕で、花の茎を折るかのように首を折られるのか、もしくは両門から発射される砲弾で貫かれるか。
どちらにしても、ろくな状態にならないことは簡単に想像できる。
「……」
目をつぶってから数瞬。
実際には数秒しか経過していなくても、生かすも殺すも相手の出方次第、という状況のせいで、数瞬が永遠に感じられる。
ふと、身体……正確には頭の部分に違和感を覚え、おもわず固くつぶっていた目を開いてしまった。
これは――撫でられている?
異形は俺の頭に手を置き、手のひらで軽く触れるようにして、何度も動かしてくる。
どういった反応をすればいいか分からず、硬直していると、異形は頭を撫でるだけじゃ留まらず、俺の頬を軽くつまんでみたり、背中を擦ってきたりしてくる。
こちらに触れてくる手は、濡れているためかしっとりと冷たく、恐怖とは別の意味でぞくり、と肌が粟立つ。
「……えっと」
何だこの状況。どうすればいいのだ?
現在進行中で俺の頭を撫でている異形は、以前の世界の知識からすると人類の敵と称される深海棲艦の一種――軽巡ホ級と呼ばれている種だ。
だが、ここまでの行動を察するに、相手からこちらを害するという意識は感じられない。
……とりあえず、コミュニケーションを取ってみよう。害意が無いなら、意思疎通も可能かもしれない。恐怖から抜けていた膝に力を込め、地面を踏みしめて立ち上がる。
「……は、はじめまして」
「……」
「あの、ここってどこの場所かご存知ですか」
「……」
「えっと、もしかして何か海難事故とか近くであったりしました?」
「……」
「……あの」
「……」
勇気を振り絞って話しかけるも、全て無言。それとも言葉が通じないためか返答は無い。
……駄目か。ここまで手ごたえが無いと、少し傷つく。存在を否定するには、無視かスルーが一番効くというのは誰が遺した言葉だったか。
崩れてしまいそうな豆腐精神を奮い立たせ、別の質問を投げかける。
「それじゃ、貴方の名前は?」
「名前ハ、無イ」
初めて聞く深海棲艦の声は、消え入りそうな、糸のように細い声。
だが、それでも返答が返ってきた事に、俺は心の中でガッツポーズをした。
「そうですか、実は俺も名前……というか自分のことが分からなくて、困っていまして」
「?」
ホ級は首をかしげ、先を促すようにじっとこちらをみつめてくる。
「まあ、なんといいますか。分かりやすく言うと迷子です」
「オ前、ハグレ者ナノカ」
髪で隠れているため、表情の変化は読み取れない。だが、ホ級から向けられる視線が若干同情的なものになったように感じる。
はぐれか。確かに名も知らぬ島で一人ぼっちでいれば、群れ……艦隊からはぐれた者と思われても仕方が無い。
ここは話を合わせたほうが良さそうだ。
「そうですね、それで間違いはありません。まあ俺は元の場所に戻れる見込みも無いのですが」
「ソウカ……私モ随伴艦ガ全テ艦娘ニ沈メラレ、行ク当テガナイ」
「なら、しばらくここで休憩……でもないですが、英気を養ってはどうです? これも何かの縁だと思いますよ。正直な所、俺も独りぼっちで寂しいですし」
「……」
ホ級からの返答は無いが、腕を組み考え込んでいる。その雰囲気から、こちらの提案に乗るか決めあぐねている様に見える。
まあ、この提案は拒否されるだろう。相手側に旨みが無いし、俺の様な変わった存在を信用してくれるとは思えない。
独りぼっちで寂しいのは本当のことだが、相手を縛ってまでこちらにつき合わせるのも――
「ワカッタ。オ前ト行動ヲ共ニスル。コンゴトモヨロシク」
――なんて心配は無用のようだった。
同じはぐれ者としてのよしみか、はたまた同情かはわからないが、ホ級は組んでいた腕を解き、こちらに右手を差し出してくる。
提案が通るとは思っていなかった俺は、意外な結末につい差し出された手のひらと、ホ級の顔を見比べてしまった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
迷っていても仕方ない。俺は差し出された手をギュッと握る。
人類の敵とされる深海棲艦。先ほどと違い、その手からは微かな温かみを感じた。
―――だが、私は謝らない
ウソですすいません。不快な表現ありましたら本当にすいません。