A.すまない、趣味なんだ。すまない。
一瞬の衝撃から、自我を取り戻す。
レ級との距離は――吹き飛ばされた為か、先ほどの刀が届く距離から少し開けてしまっている。
殴る、蹴るという反撃を想定していたが、尾で薙ぎ払われるという事態は考慮していなかった。相手は人の形であると思い込んだのが浅はかだったか。
気分は、水切りした感じ……といった所だろうか。投げる方ではなく投げられる石の立場だが。
水面を生身でバウンドしながら吹き飛ぶ経験なんて、そうそうできるものではないだろう。
グルグルと視界は回り、衝撃にシェイクされた身体は時間が経たないと動きそうにない。つまり、現在の状態は最悪に等しい。
「近づけば、なんとかなるとでも思っタ?」
右腕の状態をチラリと確認――形は保たれているも、肩から先に全くといっていい程力が入らず、だらりとぶら下がっている状態。
握っていた刀も、先ほどの攻撃でどこかに飛ばされてしまった。恐らく、反射的に先ほどの薙ぎ払いを右腕で防いだ為だろう。
ナイス生存本能。下手をすれば草を刈る様に、サクリと首をもぎ取られていたかもしれない……あり得たかもしれない最悪を想像し、悪寒が身体を駆け巡る。
動かない俺を見て、勝利を確信したのかひたりひたりとレ級が近づいてくる。幸いにも左腕、短装砲は無傷。だが反撃に転じるより、レ級の手が俺の首にかかる方が早い。
温度を感じない手が、軟体動物のように首に巻き付き、締めあげてくる。
「これで終わリ……ボクの勝ちだネ」
万力の様な締め付けが、ギリギリと首にかかる。
「ぐ……ぁ」
「工廠、ここでキミを沈めるのは簡単ダ。でも――」
「ボクはキミが気に入っタ。このままずーっとボクの遊び相手でいてくれれバ、キミは沈めないヨ」
グッ、と。レ級の高ぶりを表すかの様に、首にかかる締め付けが強くなる。
レ級が提案してきた事は、断られる事が100%ないだろうという、確信に満ちたもの。
「……ッ!」
「ごめんゴメン、これじゃ返事ができないよネ」
レ級は悪びれる事なく、俺の首にかかった力を緩めてくる。圧迫されていた気道が解放され、新鮮な空気を必死で取り込む。
酸素が足りない。頭がクラクラする中で、途切れ途切れの思考を回す。レ級の背後には、ゆらゆらとこちらの様子を伺う様に尾が揺れている。
詰みだ。ここで首を縦に振らなければ、アレから発射される攻撃で間違いなく、何も思考する事ができなくなるだろう。
だが、もう少しだ。あと少し、あの尾が開いてくれれば何とか突破口が見えるかもしれない。あと、一押し。危険だが、あの尾を開かせる為には……相手の機嫌を損ねない様にした後で。
「本当に、これからもレ級の遊び相手を続ければ、命は助けてくれるんですか?」
「うん、そしたらボクともっと一緒に遊べるヨ!」
「――お断りします」
急転直下――明確に拒絶する。
生殺与奪を握っている相手からの拒否。相手が自分の思った通りにならないという現状。
それがあまりにも理解できなかったのだろう。レ級の笑顔は時が止まった様に固まる。
「……なんデ?」
「心に決めた
数瞬の後、笑顔のまま固まったレ級の表情が、顔面の神経を全て引っこ抜いた様に変貌し、先ほどの浮ついた声から、抑揚を感じさせない平坦な声色へ変わる。
冗談めかした俺の返答が、よっぽど癇に障ったのか。どうやらレ級は俺を自分の意に沿わないものと判断したらしい。こちらを始末するためか、ガパリとレ級の尾が口を開く。
――
相手がこちらの望むとおりに行動してくれたという結果。高揚にも似た感情に耐えられず、口の端が吊り上がる。騙して悪いがなんとやら、だ。
「もういいヤ――死んデ」
「そちらがね!」
狙いは、こちらを吹き飛ばすために砲身をさらけ出したレ級の尾、その内部。
いくら俺の射撃が壊滅的であろうと、この超至近距離を外す訳がない。左手に握った短装砲を内部に向け、ありったけの力で突き刺す様に押し込み、間髪入れず砲弾を撃ち込む。
レ級は、一瞬何が起こっているのか理解できないという表情を浮かべた後、黒煙を上げながら爆発を繰り返す自分の尾をみて現状を理解したのか。
数瞬の後、突き刺すような、笑い声とも叫び声ともつかない声が辺りに響き渡る。さすがになりふり構っていられなくなったのか、こちらの首にかかっていた力も弱まる。
爆発に巻き込まれないよう、レ級の手を振り払い、距離を取り呼吸を整え、相手の様子を探る。
砲弾を複数回撃ち込んだ尾の部分が、過熱したポップコーンの様に爆発を繰り返した後、レ級の小さな身体がガクリと崩れ落ちた。
「……やったか?」
死が迫る状況から離脱したという、気のゆるみ。思わず。そう、思わず。口にしてはいけない
――しくじった。この状況でそれを言ってしまったら、次に来るのは当然、容赦のない反撃がくると相場は決まっている……!
そう思っていたが、俺の予想に反し、レ級はぺたりと海面に座り込んだまま動かない。心ここにあらず、といった風で水面を見つめたままだ。
だが、いつ攻撃が繰り出されてくるかわからない。いつでも発射できるように砲身を向けた所で。
――火が付いたように、レ級が泣き始めた。
「な――」
泣いている。レ級が泣いている。いや、俺が泣かせてしまったのか。ああ、これはマズい。演技とかそういったモノを疑うまでもなくこれは
反撃が来ると警戒していた心構えはどことやらへすっ飛んで行き、泣かせてしまったという罪悪感にも似た感情が湧き上がってくる。
「えっと、ご、ごめんなさい」
よくよく考えてみると、俺はそこまで悪くないと思うのだが。さすがに目の前で相手がこんな状態になっているのをみてしまうと、反射的に謝罪してしまう。
そして目の前のレ級は、俺の謝罪など耳に入っていないようで、爆発でボロボロになってしまった自分の尾を、ギュッと抱える様に抱きしめたまま、顔を伏せてしまった。
「……これじゃアもう、他の奴らを沈める事ガ、できないヨ」
ポツリと。誰に聞かせるわけでもなく、レ級の口から零れ落ちた言葉。この状態になってまでも、他を沈めたいと望む目の前の深海棲艦。
助かりたいとかそういった発想が出ないのは、レ級だからなのか。それともこれが、深海棲艦の共通認識なのだろうか。
いや、今はそんな事を考える時ではない。今決断するべき事は――ここでレ級を直すか、それともレ級に向けたままの砲を発射するか、だ。
この時点でレ級フラグを立てておくと、レ級とのバトルは後半戦へ。
この程度! 想定の範囲内だヨ!! ハハッ、ハハハ!!! と言いながら襲い掛かってくる。
主人公は死ぬ。