レ級に蹂躙されたいだけの人生だった。
かゆい うま
「……工廠です」
「コウショウ?」
「ええ、それが私の名前です。よろしくお願いします。では自己紹介も終わったので帰りますね」
「ダメ」
レ級の手が乗せられた右肩から、こう、なんというか木の枝が軋むような音が……人の身体が出してはいけない音が聞こえてくる。
話を強引にそらし、戦闘に突入しそうな空気をうやむやにするという作戦はあえなく御破算。
チィッ! と今度は相手に聞こえる様に、露骨に舌打ちをする。レ級はそんな失礼極まりない行為もどこ吹く風。
「仕方ないなア……じゃあ、ボクが満足するまで遊んでくれたラ、他の奴らを沈めるのは止めるヨ」
よっぽど俺が嫌そうな顔をしていた為だろうか――相手は一つの
レ級の表情は、言う事を聞かない姉妹をたしなめるような、どこか年上の威厳を感じさせる――いや、違うか。これはいわゆるドヤ顔というやつに分類される表情だ。
こちらのお願いを聞く代わりに、自分と遊べ。レ級の条件はひどくシンプルなもの。わかりやすいが、ろくでもない。
こちらが断る事は100%ないという圧倒的優位な状況から繰り出されるにもかかわらず、こちらの意見も尊重するという姿勢を見せることにより、懐の深さをアピールするという高等テク。
……恐ろしい深海棲艦だ。
どうやら俺は、いまだに頭の片隅で会話できるのならなんとかなる……そう思っていたがそんな甘いものではなかった。
先ほどから左右に揺れているレ級の尾、それを犬の様だと感じたが――違った。あれは獲物を狙う狩人。鎌首をもたげた蛇、というのがふさわしい。
要は、相手は既にやる気マンマンであるという事だ。
ふぅ、と肺に溜まった空気を押し出す。これ以上の問答は不毛だ。
どうあがいてもレ級との遊びに付き合うことになるのなら、せめて前向きな気持ちで事に当たろう。
一種諦めの境地に至った精神で、相手の顔を見据える。やけっぱち、という状態であるのかもしれないが。
「わかりました。満足してくれるかは分かりませんが、全力で遊び相手を務めさせて頂きます」
考えようによっては、これはチャンスかもしれない。ここでレ級を止めることができたら、おそらく中枢は喜ぶだろう。
そうすれば、俺は戦力としてカウントされる。無価値なものとして捨てられない為には、自らの価値を示し続けるしかない。
だが、始まる前に一応確認をしておかなければ。
「レ級。これは遊びだから――沈む事はありませんよね?」
努めて冷静を装い、レ級へ問いかける。
「それは君次第かナ? ボクがつまらないと感じたラ、そこで終わらせるヨ」
おう、がっでむ。終わるではなく終わらせる、ときやがった。つまりレ級を楽しませる事ができなければどうなるか、容易に想像ができる。
そんな相手の返答に、逃げるという道を選択しようとしていた意識が崩れ去り、かわりに新たな感情が湧きたってくる。
それは、この調子に乗っていると思われる深海棲艦に、一矢だけでもお見舞いしてやろうという反骨めいた心。
「――
意識を切り替えるための言葉を呟いた直後、左目にぼんやりとした熱が灯る。
「準備はできたみたいだネ……それじゃあ、始めようカァ!」
瞬間、レ級が背負っているリュックサック型の艤装から大量に黒い戦闘機が発進。尾の部分の飛行甲板を伝い、一斉に飛び立つ。
戦闘機の群れは、まるで獲物に群がるカラスの様にこちらへ向かってくる。数瞬の後、おびただしい数の爆撃が降り注ぐが――全力で海面を蹴っ飛ばし、攻撃が到達する地点から退避する。
「うんうん、初撃で終わりとはいかないカ」
こちらに爆撃してきた戦闘機が、統率された動きでレ級の艤装へ戻っていく。
爆撃のどさくさに紛れて、ちゃっかりとこちらとの距離を取っているあたり、先ほどの言葉に嘘は無いようだ。
レ級がつまらないと感じた時が、俺の命が潰える時という事か。ぶわりと、背中を伝う形のない……だが明確な戦慄。
相手の弾が切れるのを待つか? いや、あの艤装から吐き出される弾幕が途切れるまで、俺の集中力が持つだろうか。
それに、相手は一応『遊ぶ』と言ったのだ。遊びの終わりが弾切れでは消化不良になるだろう。恐らくそれでは、相手が満足しない。
だが、状況的に長期戦は不利だ。レ級の攻撃は段々と正確さを増してきている。
間近の海面に着水した砲弾の衝撃が、叩きつける様に全身にぶつかってくるのがその証拠だ。
この状況を鑑みて――頭の中でプランを練り上げ、解を引っ張り出す。
こちらが直撃を食らう前に、一撃を叩き込む。
結論は以上。単純明快、乾坤一擲。
素人がひねり出した考えなので自信は無いが、この際贅沢は言っていられない。策は決まった。後はいつ仕掛けるか。
戦力は圧倒的にレ級が有利。自分が所持する武器は、左の短装砲と右の刀。短装砲の内部にはいつの間にかしまい込んだのか、使いかけの高速修復材が1つ。
「逃げるなラ……今の内だヨ?」
自らの攻撃が当たらない事に業を煮やしたのか、レ級が声を一際張り上げ、空に向かって咆哮する。
レ級が何をするか分からないが、おそらく、いや確実に良くない事が起きる。
狙いを定める様に、レ級は両手をこちらに突き出し、その動きと連動するように、尾の砲門から空気を切り裂くような速度で砲弾が発射される。
それを視界に収めた瞬間。回避する為にその場から離れようとした直後。タイミングを計ったかのごとく、周囲の水面から水柱が吹きあがる。
「ぐっ――!」
足元の水面が揺さぶられ、回避に移ろうとしていた体勢が崩れる。その隙を逃さないとばかりに、レ級が放った砲弾が俺を喰いちぎろうと、一直線に迫ってくる。
――避け切れない、まずい、直撃する……!
最悪の未来が脳裏をよぎり、思わず目をつぶって反射的に頭を両腕でかばう――が、その瞬間がいつまで経っても訪れない。
不思議に思い、薄く目を開いて状況を確認する。
「任務――防衛――防エイ……ボウ……エイ」
目の前には、黒煙を吐き出しながら、海中にズブズブと沈んでいく浮遊要塞の姿。
「あ――」
気の抜けた、間抜けな声が自らの口から漏れる。
味方が沈んだという事実を処理できず、立ち尽くしてしまう。
「当たらない……当たらない……! コレでも沈まないカ……イイ、イイなぁ、キミ!」
そんな俺とは裏腹に、レ級の声は高音混じりに歪んでいき、とめどなく大きくなっていく。その様はまるで、アクセルを思いっきり踏み込んだエンジンの様。
普通、自分の攻撃が当たらない場合、苛立ったりして狙いが荒くなるものだと思うが……逆に相手はテンションが上がっているようだ。
どうやらレ級は負けず嫌い――いや、トリガーでハッピーになる気質なのかも知れない。
仕掛けるタイミングは、ココしかない。あれほどの攻撃を行ったのだから、多少なりとも次の攻撃までに時間が空くだろう。
沈む事への恐怖を振り切るためか、それとも浮遊要塞を沈められた事の怒りか。どちらかは自分でも分からないまま、声を張り上げながらレ級に向かって突撃する。
先ほど行った攻撃の反動か、こちらを狙ってくるレ級の攻撃は狙いが甘い。幸いにも直撃をもらう事もなく、こちらの射程内まで間合いを詰める事ができた。狙うはストールで覆われた――首。
それを一薙ぎで。
「――死ねぇッ!」
右手に持った刀を、力任せに振り抜く――が、キンという金属質な音と共に刀が動かなくなる。
なぜ動かないのか、振り抜こうとした刀に目を向けると、刃の部分をレ級が
その馬鹿げた光景に、一瞬、意識が奪われる。
「そ……んな」
「――捕まえタ」
キシッ、と。いたずらが成功した子供の様に、レ級の口が吊り上がる。
真剣白歯取り。
誘いこまれた。
現状を理解した瞬間。
跳ねられたと錯覚する衝撃が身体に走り、直後に景色が回転した。