王子な姫君の国王救出物語【水晶戦記】    作:本丸 ゆう

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第六話 反乱者の望み

 剣と剣のぶつかり合う音が、荒廃した森に響き渡る。

 味方同士の戦いに怒号が飛び交う中、最初の犠牲者が出たのは、アレイン率いる前衛部隊の年若い兵士だった。

 

「うあああああぁ……」

 

 魂の抜け出る悲鳴に、突き殺した本隊の兵士は我に返り、茫然と血の付いた剣を下す。

 同じ国王軍兵士を殺してしまった事に戦意を無くした兵士を、戦闘中の仲間が庇い自然と隙が生じる。

 そこへ前衛部隊が突き込んでくる。

 

「油断するな、奴等は本気だ。殿下を奪いに来るぞ! 本気で戦え!」

 

 トキが士気を鼓舞する。

 近衛騎士隊に囲まれ馬に乗る僕は、すぐ側にいるエランに向けて叫ぶ。

 

「エラン、こんな争いは止めてくれ! 味方同士で殺し合って、どうするんだよ!」

 

 彼は微笑みを向ける。

 

「君が僕の元へ来れば、争いは止むよ」

「陛下の命令に背く者が、どうなるか分かっているのか、エラン!」

 

 トキが彼に剣を向ける。

 エランはまったく意に介していないように、僕を見つめ手を差し伸べてくる。

 

「こっちへ来るんだよ、オリアンナ」   

 

 僕は首を横に振る。

 セルジン王が命がけで僕をテオフィルスに託した。

 それはエステラーン王国の存続を、アルマレーク共和国に託したという事だ。

 滅びではない、生存をかけた選択。

 

「僕はエステラーン王国を滅ぼす気は無いんだ、エラン。今ならまだ、君達を罰する事はしない。だから、お願いだから、こんな事は止めてくれ!」

 

 エランの顔が暗く沈む。

 

「君をあいつに渡すくらいなら、僕は……、君に殺される方を選ぶ」

「エラン!」

 

 僕は苦しみに押し潰されそうになるのを、必死に堪える。

 彼をここまで追い込んだのは僕自身だ。

 一度は彼の心を受け入れたのに、僕はセルジン王を選んでしまった。

 そして今度は国の存続のために、テオフィルスを選ばなければならない。

 

 エランの心を傷付けているのは、僕という存在自体だ。

 俯いた目線の先に、腰に吊り下げた短剣が見えた。

 僕は無意識に、それを手にする。

 

「殿下、なりません!」

 

 短剣を鞘から抜いた事に気付いた近衛騎士の一人が、大声で制止する。

 それを無視して、切っ先を自分の喉元に当てる。

 

「オーリン様!」

 

 トキの制止も、僕の耳には届かない。

 

「剣を退け。陛下を助けられなくなってもいいのか?」

 

 僕がいなければセルジン王と魔王を、水晶玉から解放する事が出来ない。

 《聖なる泉の精》の魔力で守られている僕は、死ぬ事が出来ないが、しばらくはダメージを受け、その間行軍が止まる。

 側近達の中でも分裂を画策するアレインとエランには、僕を奪い取ったとしても不利になる。

 僕の意図を汲み取り、トキがすかさず大声で休戦を呼び掛ける。

 

「剣を退け! 殿下が傷付いても良いのか? アレイン!」

 

 反乱の指揮を取るアレインは、様子を窺いながら無表情に休戦の指示を出した。

 戦いの喧騒が止み、僕はエランに向き直る。

 

「エラン、君の望むオリアンナは、陛下と一緒にいなくなった。今の僕は王太子としての務めを果たすためだけにここにいる、ただの抜け殻だ」

「…………」

「君には抜け殻の僕が必要なの? せっかくモラスの騎士の総隊長になったのに、君にはもっとやるべき事があるんじゃないの?」

「君を守る以外の務めはない!」

 

 僕の目から、涙がこぼれ落ちる。

 

「だったら、なぜこんな事をするんだよ? 僕は国王軍の分裂なんて、望んでないよ!」

 

 エランは不自然な物でも見る表情で、手を差し伸べるのを止めた。

 なんとか説得出来ないか、僕は必死に彼を見つめる。

 

「陛下とルディーナは、君が呪いを解く事を望んでいた。僕だってそうだよ! 君が呪いを解いて戻ってきてくれれば、きっと僕も自分を保つ事が出来る気がするんだ。どんな状況に陥ったとしても……」

 

 考えの浅い言葉だと、解ってはいる。

 見えない未来に、今以上にエランを巻き込む、それが余計に彼を傷付けるかもしれない事も承知している。

 

「僕には、君が必要なんだ」

 

 掛け値なしにそう思う。

 エランが微笑む。

 

「それなら、一緒に来ればいいよ。最期の時まで」

 

 彼の朱色のマントが、誘うように風に揺れる。

 彼が再び僕に手を差し伸べてくる。

 「最期」という言葉に、エランへの違和感が沸き起こる。

 

「君はエステラーン王国を滅ぼす事に賛成なのか? 天界の意志に従うって、そういう事だろ? 僕が同意すると思うの?」

「……」

「セルジンを連れ去ったあの女神の意志に、僕が同意すると思うのか! そんな事になるくらいなら、今ここで死んだ方がましだ!」

 

 セルジン王を失ったショックで、心の中に隠れていた女神に対する憤りが、まるでエランへの八つ当たりのように噴き出す。

 首筋に当てた短剣の切っ先が微妙に首を擦り、僕の首筋から血が滲み、痛みに顔が歪む。

 それを見たエランが顔をしかめる。

 

「止めろ! それはただの脅しだ。君が陛下を解放するまで死ねない事ぐらい、僕も知っているさ。傷を受けても、すぐに回復するだろう? 泣き落としも、僕には通用しないな」

 

 僕の事を知り尽くしている幼馴染みのエランを、説得するのは難しい。

 僕は表情を曇らせながら、それでも首に当てた短剣は離さない。

 浅い首筋の傷は、あっという間にふさがった。

 

「僕は天界の意志には従わない!」

 

 僕の言葉に反応して、彼が一歩近付こうとしたが近衛騎士達に阻まれる。

 

「これは君が望んだ事だよ、なぜいまさら否定する?」

「え?」

 

 エランが何を言っているのか、理解できない。

 天界の意志に従う事を、僕が望んでいると思っているのだ。

 

「何の事だよ?」

 

 エランの周りから目に見えない何かが出現し、騎士達が弾き飛ばされてゆく。

 馬に乗り僕を護衛している近衛騎士達も、エランを恐れる馬を制御出来ずに落馬し、同ように弾き飛ばされる。

 トキが一人僕の前で踏み止まっていたが、魔力に屈したのか、膝を折り意識を失った。

 

 ある範囲を境に、兵達は僕に近付く事も出来ない。

 今やエランと僕を隔てるのは、恐怖に震え足踏みする僕の馬だけ、エランはその手綱を取った。

 不思議な事に馬は、恐怖が去ったように震えが止まり、彼に従う素振りを見せる。

 

「君が言ったんだよ、天界の意志に従うって。陛下を助け出した後、君は天界人になるって。その時、《王族》の血を引く者達も、共に天界人になるって」

 

 僕は驚愕した。

 

「そんな事は言ってないし、考えた事も……」

 

 何かの記憶が僕の頭の隅に甦る。

 清らかな、若い男の声。

 

 

《君は僕を運ぶ役割を終えたら、可哀そうだから仲間に頼んで天界の一員にしてもらうよ。地上にいるより、幸せだと思うよ》 

 

 

 〈ありえざる者〉オーリンの声!

 

 

 メイダールの大学図書館の四階、秘密の部屋で初めて姿を現したオーリンが、僕の役割を伝えた後に言った言葉だ。

 僕を天界人にするなんて、オーリン以外に誰も言わない。

 

 まさか……、オーリンが僕の知らないところで、僕の身体を乗っ取っているのか?

 

 あまりの衝撃に茫然となる。

 〈ありえざる者〉が僕の命を(にな)っている限り、これは抵抗出来ない事態だ。

 非難したくても、オーリンは特殊な状況下でないと姿を現さない。

 話したくても、その機会がめったにないのだ。

 

「それは……、僕じゃない。エラン、天界の罠だ。君は(だま)されているよ!」

 

 必死に訴えても、エランは聞く気がない。

 僕の馬の手綱を引いて、アレインの元へ向かおうとしている。

 

「君が僕を騙しているのか? あの日……、総隊長になるまで君に会わないって誓った日、君がこのマントを持って、また会いに来てくれたじゃないか。あれは嘘だって言うのか?」

 

 エランは嬉しそうに振り向いた。

 

「天界人になるのも、悪くないと思えるよ。君と一緒なら」

 

 僕は激しく首を横に振る。

 

「僕は君に会いに行ったりしていない。僕じゃないんだ! そのマントの事も……」

 

 彼を包む朱色のマントは、僕の言葉を跳ね返すように、彼の心と全身を掴んで見えた。

 〈ありえざる者〉が彼に与えた、モラスの騎士総隊長のマント。

 

「エラン、そのマントは……」

 

 その時、何かが空を切る音が聞こえ、僕の馬の手綱が断ち切れた。

 馬は突然エランの魔力から解放され、恐怖に棹立ちになる。

 僕はバランスを何とか保ち、馬の(たてがみ)を掴みながら制御しようと試みる。

 裸馬の訓練を共に(こな)してきた馬は、すぐに僕の指示に従い、落ち着きを取り戻す。

 

 地面に突き刺さる、レント騎士隊の矢。

 僕は後衛部隊のいる方へ振り向き、そこにいる人物を見て軽い衝撃を受けた。

 

「エラン・クリスベイン! お前はいつから王命に逆らう事を覚えた?」

 

 レント領騎士隊ロイ・ベルン指揮長官、エランの元主君が怒りを漲らせながら、馬上で弓を構えている。

 その矢は確実に、エランへと向けられていた。


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