王子な姫君の国王救出物語【水晶戦記】    作:本丸 ゆう

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第四話 約束の記憶

 テオフィルスとの婚約を復活させる事を、セルジン王は承知の上で彼に託したというのか?

 

 僕は絶望的な気持ちで、ただ首を横に振り否定するしか出来ない。

 見下ろすテオフィルスの目は、冷たい苦悩に満ちている。

 マシーナが頭を抱えながら、彼に近付き忠告をした。

 

[感情的になる若君も珍しいですが……、もっと別の伝え方があるでしょう? それじゃあ、嫌われるだけですよ]

[ふんっ、嫌いたければ、嫌え! こいつを見ていると、本当にイライラする!]

[お気持ちはよく解りますが……、もっと優しく。あなたが大人にならなければ、物事は進みませんよ]

[そんな事は、判っている!]

 

 テオフィルスは背を向け、必死に落ち着こうと努力している。

 理不尽な状況に追い込まれているのは、僕だけではないのだ。

 王やエランとの仲を知られているし、今も彼の目の前でエランとくちづけをした。

 

 この(ひと)は、僕が嫌いなんだ……。

 当然だよね。

 

 彼の様子を見ていると、そう思える。

 

「王国のために……、僕は生き残らなきゃならない。陛下は本当にそう望んだのか、トキさん?」

 

 しばらく話し合いを避けていた近衛騎士隊長のトキ・メリマンが、重い口を開いた。

 

「王国のためでもあり、陛下自身のためでもある」

「え?」

「陛下はこれから永遠と思える時を、水晶玉の〈管理者〉として生きていかねばならない。《王族》のいない状況で、それが可能に思えるか?」

「あ……」

 

 たった一人で生き残る孤独は、嫌という程理解出来る。

 まして長い時間を生きていかなければならないセルジン王には、守るべき何かが必要に思えた。

 

「このままでは天界の意思で《王族》とその血を引く者達は滅ぼされてしまう。七竜の庇護下でなら《王族》は守られ、陛下に守るべき者達を残せるのです」

「……」

 

 水晶玉から王を解放した先の未来を、考えた事はない。

 僕に未来はなく、王には永遠の未来がある……、そう思っていた。

 

 未来。

 僕の未来……。

 

 暗い夜が明けるように、見えなかった未来の輪郭が、闇の中からぼんやり浮かび上がり、形を取り始める。

 それはまだはっきりとは見えないが、確かに存在しているのだ。

 

 解らない。

 まだ……、解りたくない。

 

 涙が頬を伝った。

 僕の感情は未来という存在の前に握り潰される。

 それは誰にでも起こり、誰もが経験する失恋という言葉で終わらせる出来事だ。

 涙が心の傷を洗い流すように、止め処もなく流れた。

 見兼ねたエランが近付こうとしてトキに止められ、その怒りは自然とテオフィルスへ向かう。

 

「君を認めない! 多くのエステラーン人は、そう思うさ」

「……それはお前の考えだろう? 別に、お前に認めてほしいとは思わない!」

[若君!]

 

 不貞腐れたように言い捨てるテオフィルスに、マシーナが彼の肩を捕えて言い放った。

 

[あなたを助け出した二人に認めてもらわないで、いったい誰に認めてもらうと言うんです?]

[……]

[若君、姫君を名前でお呼び下さい!]

[……ヘタレ小竜って呼び名が、気に入っている]

[駄目です! まず、その態度から改めましょう。お名前以外で呼んだら、承知しませんよ!]

[…………]

 

 竜騎士の中でも精鋭と呼ばれる、マシーナ・ルーザを怒らせるのは得策ではない。

 戦えば負けるのは目に見えているし、親し過ぎて魔力で防御する気にもなれない。

 テオフィルスはあきらめの溜息を吐いて、涙に暮れる僕に振り返った。

 

「いい加減に、泣き止め。……エアリス姫」

[若君。その名前じゃないでしょう!]

[ふん、どっちも同じだ]

 

 いきなり偽名で呼びかけられ、涙に濡れた顔をおずおずと上げた。

 涙のせいで周りがほとんど見えず、拭おうとして上げた手は彼に掴まれた。

 

「ハンカチを使え。お前に渡したはずだ、持っているだろう? 手で擦ると目が腫れる、顔が醜くなるぜ」

 

 悲しみに満ちた心に、彼のぶっきらぼうな気遣いは伝わらない。

 手を掴まれたまま、ぼうっと考える。

 

 ハンカチ……?

 そういえば、エアリス宛てにもらった。

 あれはどこへ行った?

 覚えがない……。

 

 遠い昔の事に感じる、セルジン王を失ってから全てがそんな感覚だ。

 僕は何か大切なものを置き忘れてきている。

 

(思い出せ)

 

 心の奥底で声がする。

 それを悲しみが覆い隠し聞こえなくなる。

 

 ……あとでミアに聞いてみよう。

 

 止めようとしても涙が止まらず、首を横に振りながら無くしたかもしれない事を伝えた。

 黙って見つめていたテオフィルスは、(おもむろ)に掴んだ僕の手を口に寄せ、屈み込むように指にくちづけをした。

 普段であれば払い除ける行為なのに、今はその気力もない。

 彼は顔を曇らせた。

 

「おい、らしくないぜ。やっぱり、ヘタレ小竜の方が良いか?」

[若君!]

 

 マシーナが怖い顔で、彼を睨みつける。

 

「エアリス姫、俺を利用しろ」

「……」

「アルマレークを利用して、エステラーン王国を生き残らせろ」

 

 悲しみの意識が、辛うじて彼の言葉を救い上げる。

 泣きすぎて頭が重く痛い中、意味を汲取るのに少し時間がかかる。

 

「僕は…………、《王族》を捨てるんじゃないのか?」

「形だけだ。レクーマオピオンの領主家は、エステラーン王国の《王族》の血を継承する。俺が共和国議会から、お前を守る!」

 

 意外な言葉に、涙が止まった。

 ゆっくり疑念を込めて、彼を見上げる。

 いつもの皮肉っぽい青い瞳が、今は冷静な執政者の瞳をしている。

 

「セルジン王を、助けたくないのか? それが出来るのはお前しかいないのだろう? 泣いている場合か!」

「助けたい、セルジンを。でも……」

「だったら、毅然としていろ! お前にしか出来ない事は、お前がやるんだ」

「でも、君との婚約は…………。考えられないんだ、今は……」

 

 苦痛に顔が歪んでいるのが、嫌でも解る。

 彼が悪い訳でないと解っていても、全身で否定している僕がいる。

 選ぶ権利も自由も残されていないのに、心はどうしてもセルジン王を追い求める。

 

「だったら、考えるな! ブライデインへ行くまで、まだ時間はある。……苦しむ気持ちは、理解出来る。俺の事は気にするな」

「…………本当に? それで良いのか?」

「ああ、元より覚悟の上だ」

「……」

 

 その言葉で、気持ちはほんの少し落ち着いたが、頭が混乱をし始める。

 

 この人は、何が目的で僕を引き受けた?

 レクーマオピオンの領地のためか?

 それとも七竜の定めた婚約者だから?

 

 じっと彼を見つめた。

 今は執政者の顔ではなく、背の高い普通の男の顔をしている。

 彼は先程から(とら)えている僕の手を、自分の左手の竜の指輪の上に置いた。

 

「お前はオリアンナ姫を捜し、俺はお前に協力する」

 

 その言葉には、覚えがあった。

 レント城塞で交わした、「竜の指輪の約束」だ。

 あの時はアルマレーク語で約束し、今はエステラーン語で彼が告げた。

 驚きに涙で曇っていた目が、ようやく鮮明に見え始めた。

 彼は、優しく微笑んでいる。

 

「約束だ。お前は、お前自身を捜し出せ、エアリス姫(・・・・・)

 

 そう言って掴んでいた手を放し、背を向けた。

 

 僕自身を捜し出すって……、どういう事だろう?

 

 ぼうっと見送っていると、前衛隊から道が開通した合図のラッパが吹き鳴らされ、周りが慌ただしく動き始めた。

 エランがトキの許しを得て近付く。

 

「大丈夫か、あいつに何か嫌な事を言われたんだろう? あいつの言う事なんか、聞くな!」

「エラン……、僕は何か魔法をかけられてないか?」

「え?」

 

 エランがモラス騎士隊の総隊長の目で見つめてくる。

 

「別に、君の泉の精の魔力と、《王族》の魔力以外は感じない」

「そうか……。それなら良いんだ、ありがとう」

 

 心配するエランを残し、テオフィルスの乗る馬の横にいる、僕の馬の元に向かう。

 まるで魔法をかけられたのかと思うほど、意識がスッキリしている。 

 

 僕はセルジンを助け出す、それ以外は考えない。

 見えない未来に、僕の心を明け渡したりしない!

 

 テオフィルスの横で馬に乗り、進行方向を見つめる。

 松明(たいまつ)に照らされた薄暗い道の向こうには、《ディスカールの聖なる泉》が待っていた。


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