「何を食べさせた?」
聞き慣れた声が、七竜リンクルの下方から聞こえた。
竜の鞍に横向きに座り、テオフィルスの側で涙に
「エラン?」
リンクルのすぐ横に、朱色の長いマントを着たエランが立っていた。
つい最近までルディーナ・モラスが、同じ様相のマントをまとっていたのだ。
モラスの騎士全員が総隊長と認めた者以外、羽織る事が許されないマント。
ルディーナ・モラスの死と同時に、彼女の魔力を全て収めた魔剣と、その地位を譲り受けた彼は、モラスの騎士全員に認められるまで、僕に会わない誓いを立て去った。
成人年齢に達したばかりのエランに、大人の魔法使い達を取りまとめる事が出来るのか、彼の状況は僕と似ていた。
あれから、ひと月あまり。
「認められたんだね、エラン」
「ああ。君に早く会いたくて、頑張ったんだ」
彼の体型に合わせて作られた長い幅広のマントは、モラスの騎士全体のイメージを力強く見せ、ルディーナとは一線を画す。
新しいモラスの騎士隊が、彼を総隊長とした新体制で出来上がったのだ。
久しぶりに見るエランは、また背が伸び男らしさが増していた。
「降りなよ、受け止めるからさ」
エランが両手を差し伸べてくる。
嬉しくなって彼に抱き付くように竜から飛び降り、首に腕を回してしばらく抱き合った。
幼い頃から兄弟のように育った僕達は、無意識にお互いを必要としている。
足が地面に着かず、宙に浮いたまま抱きしめられ、今までとは違う感覚とほんの少し抗議も交えて、彼の顔をまじまじと見入った。
「久しぶりだ、オリアンナ」
「……背が、凄く伸びた?」
にやにや笑いながら
抱きしめる腕の力はそのままに、彼はテオフィルスを睨み付けた。
「言え、アルマレーク人、何を食べさせた?」
「ナツの実の干した物だ。元気が出るし、栄養がある。文句があるなら、そいつにもっと食わせろ! それから、俺の名はアルマレーク人じゃない、テオフィルスだ」
面白くなさそうに二人を見下ろす彼は、殴り合いの喧嘩をして以来、エランに対して心の
エランは安心したように頷く。
「嘘はついてないようだな、ありがとう。言われなくても、今後は僕が食事に付き合うさ、毎回ね」
そう言って僕にいきなり顔を近付け、くちづけを浴びせてくる。
王がいなくなって、彼が一番身近な存在になった。
戻ってくれた安心感から抵抗せず受け入れ、人の温もりに飢えている自分を見つけ出す。
[リンクル、馬に戻れ!]
テオフィルスが不機嫌そうに、わざと大声で言った。
「尻軽なまぬけ小竜、早く馬に乗れ、置いて行くぞ! エラン、今のそいつを甘やかすのは止めろ!」
怒ったように言い捨て、マシーナに指示を出す。
マシーナは困って溜息を吐きながら、申し訳なさそうにエランと僕を引き離す。
「甘やかすって何の事さ? 君の言葉にオリアンナがどれだけ傷付いているか、解っているのか! 無礼にも程があるぞ!」
「……そりゃ、失礼した。でも本当の事だ。そいつは女王として、一人で立たなきゃならない、今のお前は、邪魔なだけだ」
「支える事ぐらい出来る!」
「呪われた身で、偉そうにほざくな!」
「…………」
テオフィルスは以前、メイダール大学街でエランを殺そうとした。
〈契約者〉ハラルドが掛けた呪いによって、エランはいずれ屍食鬼になる。
そうなる前に、殺そうと判断したのだ。
セルジン王から賜った銀の額飾りの効果と、ルディーナと出会い魔力を高めた事で、ある程度先延ばし出来たとしても、いずれそれはやって来る。
避ける事は出来ない。
「なぜ、君が知っている?」
エランの身体から今にも黒い渦が吹き出そうで、僕は思わず彼の手を取った。
「セルジン王から王太子に関する事は、すべて聞いている。呪いが解ければ、お前は王配候補に戻れる事も知っているさ」
触れられたくない事を指摘され、エランの表情は暗く沈んだ。
「ハラルドを殺し、呪いを解く、必ず! 彼女を君には渡さない!」
対立が激化していくようで、僕は思わず二人の間にわざと立ち、テオフィルスを見上げた。
「そんな事まで、セルジンが君に教えたのか? ……どうして?」
「……」
余計な事を言ってしまったのだろう、彼は口を押え、目を瞑った。
しばらくの沈黙の後、いつもの無表情さが戻ってくる。
「王国の未来はお前に掛っているが、共和国は王制を受け入れない」
「え?」
「お前が退位して、レクーマオピオンの領主となれば話は別だ。エステラーン人はアルマレーク人に受け入れられるだろう」
「……《王族》を、捨てるという事か?」
「そうだ。その判断を下すために、まずお前自身が女王として立たねばならない」
共和国――――全てを議会で決定し、国王のように一人が国を支配する事を拒む国。
アルマレークは七竜の意志を聞ける七領主家の者が、共和国政府の高官となる貴族制共和国だ。
エステラーン王国とは全く違う政治体制。
セルジン王はなぜ彼に《王族》を預ける気になったのか、いつもの疑問が湧き起こる。
「僕は……、セルジンを水晶玉から解放したら、死ぬんだよ。女王には、なれない」
「……それは、お前次第だろう」
そう言って何かを求めるように、彼の青い瞳が僕を見つめてくる。
僕の心の片隅で、何かが「思い出せ!」と訴えていた。
それをセルジン王への思いが、完全に否定する。
苦しみの中に浸って、目の前の現実を拒否し続けている。
僕はセルジンを解放して終わる、それが役割だ。
「お前の生存を望んだのは、王だ。お前を助けたいのは、セルジン王だよ!」
その言葉に、涙が頬を伝った。
先程泣いてから、涙腺が壊れたように簡単に涙が出る。
どうかしている……。
止めようとして涙を拭っても、次から次へと溢れ出て止まらない。
王が生きる事を望んでいる。
それは天界の意志に反する事であり、堕ちた神である七竜のいるアルマレークへ託した理由は、そういう事なのだと解った。
僕は……、生きる事を望めない。
王が戻って来ない限り、苦しみが大きすぎて希望を見出せないでいる。
エランが近付こうとしてマシーナに止められた。
解っているんだ、これは僕自身の問題。
誰にも僕を助けられない。
テオフィルスの横に、鞍を置かれた僕の馬が
「早く乗れ、もうすぐ道が開通する」
「……」
涙を振り払い、重い足取りでテオフィルスの側に近付く。
ふと疑問が湧き起こった。
テオフィルスはなぜ、セルジンの提案を呑んだのだろう?
婚約を解消して、僕には関心が無いはずだ。
レクーマオピオンを助けるためか?
じっと彼を見つめた。
青い綺麗な瞳が、今はとても冷たく感じ、投げかける酷い言葉も、心に憤りすら覚えない。
関心が無いのに、なぜ構う?
なぜ、王の言いなりになる?
「僕の事……、構わないでほしい」
「ふん、まぬけ小竜。お前は、抜け殻にでもなるつもりか?」
テオフィルスはリンクルの化けた裸馬を降りた。
目の前に来た彼の背は高く、まるで壁に阻まれた気分になる。
「お前自身の問題で、国王軍を危険に陥れるなよ。王が望んだのは、お前の生存だけじゃない!」
「それは……、解っているよ。ただ、君に関わるのは嫌だ」
「なぜ? セルジン王を、心から追い出されそうだからか?」
蔑んだ目で見下ろす彼は、心の奥底の感情を引きずり出す。
恐怖に首を横に振りながら後退り、見たくない感情を必死に抑え込もうとする。
「セルジンを追い出すなんて、君に出来るものか! そんな事、僕は許さない!」
「だったら、馬に乗れ! 俺に関わる以外の選択肢が、お前にあると思うな!」
「……どういう事だ?」
テオフィルスは顔をしかめた。
本当は言いたくない事なのだろう。
自然に気が付く事を、待ちたかったのかもしれない。
「まだ解らないのか? お前は〈七竜の王〉の婚約者に返り咲くんだ。それ以外、お前を救う方法は無い!」
僕の周りの全てが、消滅したように思えた。
親密さの距離を測れない相手に、どう向き合えと言うのだ?