[お前は、本当に残念な男だな、マシーナ]
〈七竜の王〉テオフィルスの天幕で、若君が低い声でボソッと呟いた。
落ち込むルギーを出入り口から追い出し、私は怪訝な顔で振り向く。
[はい? 今なんておっしゃいました?]
[残念な男だ!]
[って……、私の事ですか?]
[お前以外、いないだろ]
思い当たる節がない。
顔はまあまあ良い方だと思っている。
スタイルも人気の竜騎士体型で、そこそこ女にモテてきた。
性格だって、かなり良いと自負している。
その上、長年の努力の結果、竜騎士隊の精鋭とまで言われ、もはや非の打ちどころがない!
それなのに、……残念な男?
私より四歳年下の〈七竜の王〉に仕えるようになってから、こんな事ばかりだ。
早いうちに口の悪さにも慣れ、腹も立たなくなった。
[私のどこが残念なのでしょうか、若君?]
若君はいつもの無表情で、懐からサッと手紙を取り出した。
[リーサからの、手紙だ。出立前に、預かった]
私の心に突然、花火が打ち上がった。
リーサ!
愛しのリーサ!
喜びながら若君に詰め寄る。
[下さい!]
[ほらね、そこだよ。まるで懐いたばかりの竜だ]
[いいから、下さい!]
[そんなにリーサが大事なら、お前も帰ればいいじゃないか!]
[…………いいんですか?]
[ああ、いいよ!]
そんな事を言われると、すべて放り出して帰りたくなる。
若君から手紙を奪い取り、わくわくしながら開けてみる。
『お仕事、頑張ってね! リーサより』
それだけ…………。
それだけ~っ?
……これじゃあ、帰れないじゃないですか!
泣きたくなってきた。横から若君が覗き込み呆れる。
[はっ、相変わらず淡泊だな。愛妻家の旦那に、仕事に集中しろって言っているんだ]
[私はいつも……、仕事に集中しております!]
[ふふん。それじゃあ、帰らないのか?]
[帰りません!]
[あ、そ。じゃあ、ついて来い!]
がっかりしながら、天幕を出た。
それでも、手紙は大切に懐に入れる。
リーサは〈七竜の王〉テオフィルス・ルーザ・アルレイドの元「親衛隊」隊長……いや、会長だった。
親衛隊と言っても、身近にいて警護する親衛隊ではない、いわゆる〈七竜の王〉ファンクラブ「親衛隊」の会長だったのだ。
「親衛隊」は領主家血縁のご令嬢ばかりが集う、我々竜騎士隊にとってそれは恐ろしい集団だ。
若君が少しでも怪我しようものなら、竜騎士隊は責任を糾弾され、倍返しの目に遭う。
反撃しようものなら、共和国議会に裏で手を回し、竜騎士の資格を一時的に剥奪される。
当時の若君は今と同じ、無表情で無関心。
[放っておけ!]
まったく気にもしない。
部下達が何人か被害に遭い、堪り兼ねて会長リーサの屋敷に直談判するべく忍び込み……、ミイラ取りが完全にミイラになった。
《テオフィルス様を、お守りする気はおありですか?》
出会って一目惚れして、口説いて、口説いて、口説き落とした。
親が決めたお互いの婚約者も、身分も、家も……、何もかも捨てて駆け落ち同然の結婚をした。
結局、若君に連れ戻されたけどね。
あれから三年、いろいろな事が……。
[なにボーっとしている! イリを見張るぞ]
[はい!]
王太子の天幕の前に、大きな塊が
イリはオーリン王太子の指示以外、受け付ける気はないようだ。
数人の竜騎士がイリを取り囲んで見張っていたが、若君が来ると頷き交代した。
彼等も急ぎ出立の準備をしなければならない。
イリは石のように固まって、動く気配がまるでない。
若君と場所を離れて見張る事になっていたが、気になる事があった。
少しぐらいの会話なら、出来そうな間がある。
リーサは以前、若君と結婚の口約束をしていたらしい。
本当に幼い頃の話で、当の若君はすっかり忘れていたが……。
いや、忘れたふりをしているだけかもしれない、だから聴いてみた。
[若君は、どんな女性がお好みですか?]
[なんだ、それ?]
[いえいえ、残念な男ついでに、聴いてみました]
若君は無表情に、私をチラ見した。
[……短い金髪で目は大きくて灰色、細くて折れそうなのに、ヘタレ小竜のように、クソ生意気な
なんとなく、顔が笑っている。
リーサとは、かなりタイプが違う令嬢だ。
その時、イリが動いた。
二人は咄嗟に緊張し、制御不能の竜が周りに危害を加えないように気を配った。
イリは天幕の出入り口に向かって、甘えた声を出す。
竜の身体が邪魔で見えないが、オーリン王太子が出てきたのだろう。
若君は出入り口を確認するために移動したが、私は彼が見える範囲での移動に留めた。
竜の動きを周りに警告するためだ。
若君が立ち止まり、不意に極上の笑顔を見せた。
珍しい!
若君も、あんな顔するんですねぇ。
何を見ているのか気になり、イリがそれ以上動く様子がないのを見極め、彼の元に移動する。
「前に言ったはずだ、顔に触るな、ヘタレ小竜! 大火傷をしたいのか」
真顔に戻った若君は、大きな声で警告する。
入り口にオーリン王太子が立っていた。
フィンゼル家の竜騎士の正装をしたオーリン王太子は、それは初々しいアルマレークの領主家の子息に見えた。
レクーマの残した竜の抜け殻から作った銀色の鎧に、彼の金髪が映え、神々しくさえ見える。
灰色の大きな瞳が、若君に向けて見開かれていた。
ヘタレ小竜のように、クソ生意気な
え?
私は今、なんて思いました?
唖然としながら、若君とオーリン王太子を交互に何度も見た。
若君……、王太子は男子ですよぉ。
男好き……だったんですかぁ?
思い当たる節がないではない。
リンクルクランの竜騎士隊には、他の領地の竜騎士隊に比べ、女子の数が少ない。
人選は領主と若君が受け持っている。
…………だから私は、残念な男なのですかぁ?
リーサに夢中な男だから?
若君は私の様子に、不思議そうな顔をしながら呟いた。
[なに一人で、百面相しているんだ?]
私は顔色を青くしたり赤くしたりしながら、激しく首を振った。
[な……、何でもありません!]
それからしばらく、私の若君を見る目が、変わったのは言うまでもない。
マシーナ・ルーザ ―――精鋭と言われるこの男は、弱腰でよく喋り、変なところ鈍感な良い男である。