天馬に乗った天界の兵士達が、隊列を組んで雲の道を駆け上ってくる。
僕を守る近衛騎士達が、剣を手にしながら急ぎ後退する。
光り輝く天界の兵士達は近付くにつれその大きさを増し、天馬の足の一踏みで人間など簡単に殺せそうだ。
為す術もなくモラスの騎士達の張る障壁に守られながら、皆は巨大樹の方向へ雲の坂道を駆け上る。
「オーリン様、障壁に触れると怪我をしますわ。あまり近付かないで下さい」
「平気だよ。それより早く陛下の元へ行こう!」
僕は気が気ではなかった。
セルジン王はもう間もなく、女神アースティルのいる巨大樹の下へ辿り着こうとしている。
女神に王を連れ去られる危機感に、僕の心が悲鳴を上げていた。
上空から見ると、天界の宮殿の入り口と巨大樹へと続く雲の道以外は蒼天で、外見の建物とはまるで違う異空間の中を、テオフィルスの乗る七竜リンクルが急降下した。
女神の放つ死の閃光が、竜を撃ち落とそうとする。
[リンクル、入り口にいる天界の兵士を止めろ!]
オリアンナ達の脱出を兵士達が阻んでいる事に気が付き、テオフィルスは彼等に攻撃を始めた。
リンクルは兵士達の頭上すれすれに飛び、テオフィルスは無意味な事を知りながら兵士に矢を射る。
天界の兵士達は七竜の後を追うように、一斉に天馬で飛び立った。
兵士達がいなくなった事で、出口が見えた。
「出口だ、早くここから脱出するんだ!」
トキが厳しい顔で、僕に近付く。
再び捕えられる事を恐れた僕は、障壁に近付く。
「嫌だ! 僕は陛下の元へ行く!」
「オーリン様、危ない!」
突然、障壁の外に強烈な光がぶつかった。
人々は咄嗟に身を屈める。
女神の放った死の閃光が障壁に当たり、ゆらゆらと揺らぎ消失した。
「障壁が消えたわ! モラスの騎士達、張り直すのよ!」
トキは僕を捕まえようと手を伸ばしたが、一歩遅かった。
僕は皆から離れ、一人雲の坂道を登る。
「オーリン様、駄目だ! 皆、オーリン様を守れ!」
トキの指示に、皆は僕の後を追う。
モラスの騎士達もルディーナの指示に従い、僕を保護するために走り出す。
もはや障壁を張る余裕等なく、人々は激しい戦闘の合間を駆け抜ける。
女神の放つ死の閃光と天界の兵士の放つ光の矢、そして兵士達に反撃の炎を吐く七竜リンクルの攻撃の間を搔潜り、視界の悪さに進む先を見失いそうになる。
一本道でありながら、雲の道はどことなく不安定で、皆はなかなか前に進めない。
「オーリン様、お待ちください!」
ルディーナの声が、戦いの
雲の坂道を上る事は僕には優しかった、まるで女神の元へ招かれているように。
遅れて〈ありえざる者〉オーリンが、翼を羽ばたかせ僕に追いつき立ち塞がる。
『ねえ、オリアンナ姫。行かない方がいいよ、ただでさえ母上は、気が立っているんだから逆撫でしないでよ』
「でも、セルジンが捕まってしまう! 助けなきゃ」
オーリンは僕を捕え、女神から隠すように自分の翼に包み込んだ。
『これはね、もう昔から決まっていた事なんだ。君はブライデインで父上を水晶玉から解放するだけでいいんだよ』
「嫌だ! 君はいったい誰の味方なんだよ、オーリン?」
『父上がオリアンナ姫を守れって言っただろ、だから君の味方さ』
「だったら、そこを退け!」
翼から逃れようとした僕は、柔らかそうな翼が実は堅牢な檻のように、自分を捕えている事に愕然とする。
オーリンはオッドアイの目を細めて、妖しく微笑んだ。
『ここの方が安全だよ。我が儘は、許さないからね!』
テオフィルスは天界の空に脅威を感じていた。
もともとここは天界にある宮殿の中で、本来の空という空間ではないはず。
異空間の空はまるで粘着質な液体の中に沈んでいるように、動きづらく呼吸さえ苦しい。
[リンクル、なんとかならないのか?]
返事は返ってこない。
リンクルが彼の要求に最善の対応をしている事は、今までの経験から感じ取れる、きっと息が出来るだけマシなのだ。
早く決着を付けないと、殺される!
四方八方から天界の兵士達が、光の矢を射ってくる。
何度も
七竜に中った矢は弾き飛ばされるが、テオフィルスは確実に死を迎える。
上空の戦闘を何度も経験してきている彼でも、死をこれほど間近に感じるのは初めてだ。
突然、リンクルの正面に強烈な光が出現した。
女神の放つ死の閃光が迫りくる。
リンクルは炎を自分の進む方向へ吐き出し、テオフィルスは猛烈な熱に晒され身を縮める。
何かが焼ける臭いがした。
彼の体毛か皮膚か、灼熱の痛みに彼は悲鳴を上げた瞬間、熱と痛みが消えた。
俺は、死んだのか?
意識を失いそうになりながら、そう思う。
リンクルは炎の中を潜り抜け、彼の傷をすばやく治したのだ。
かすむ目で捉えたのは、女神アースティルの動き。
槍を手に優雅な動きで死の閃光を繰出す、まるでそれは美しい死の舞踏、嬉々とした戦いの女神はその舞踏に恍惚の表情を浮かべながら、声を上げて笑っている。
テオフィルスの背筋に、恐怖が這い登る。
[リンクル、女神を攻撃しろ!]
彼の本能がそう叫ばせた。
ところがその瞬間、七竜リンクルは失速し消えた。
[リンクル! うわあああ…………]
彼は緩い弧を描いて墜落する。
禁忌に触れたのか?
七竜は女神と争えない……。
自分の失策を呪いながら、テオフィルスは雲の道に墜落し意識を失った。
ドサッという何かが落ちた音が、すぐ近くで聞こえた。
僕はオーリンの翼に阻まれ、周りで何が起っているのか知る事も出来ない。
早くセルジン王の側に行きたいのに、〈ありえざる者〉の魔力に捕らわれ身動きも出来ない。
「いい加減、放せ!」
彼の足を蹴る。
『残念だけど君の得意技は、通用しないよ。僕は聖霊だからね』
「怒るぞ! 霊体なら、僕の中に大人しく収まってろ!」
『ここは天界で、余所者は君の方さ! それはこっちのセリフだよ』
僕達は睨み合う。
「せめて外を見せてくれ! 羽で見えないよ!」
『もっと女の子らしく頼んだら、見せてあげるよ』
「この非常時に、ふざけるな!」
『その非常時に皆を置き去りにして、迷惑かけているのは誰だ?』
「……」
オーリンの言う通りだ。
王の後を追う事が頭を占めて、後先考えずに皆を置き去りにした。
彼等はどうしただろう、自分の身勝手さと不安に、
「お願いです、外を見せて下さい」
『ふふん、もっと女の子らしい方が好みなんだけどな。ま、いっか』
そう言った途端、翼が消えた。
最初にセルジン王を探す。
彼はもう間もなく、女神アースティルの元に辿り着こうとしている。
僕は思わず彼の元へ走ろうと身体を動かしたが、まだ堅い翼に囲まれている事に気付く。
『透明になっただけだからね』
オーリンはにっこり笑いながら、僕の両手を掴んだ。
『放さないよ』
僕は顔を
天界の兵士達の姿が上空を動き回り、光の矢を一点に集中して攻撃していた。
その標的は国王軍だ。
まだ障壁が形成されていないうちに、光の矢に次々と人が倒れていく。
「攻撃を止めろ!」
『仕方ないだろ、竜の眷属がこの宮殿に入り込んだんだ。昔の敵だよ、君だってアルマレーク人に警戒していたじゃないか』
「僕達は殺してない!」
『父上は何度も、殺す命令を出していた』
「エランがあの中にいるんだぞ! 君にとっても幼馴染みだろう!」
『…………』
オーリンは珍しく困った顔をして、溜息を吐く。
『エランは大事だよ。……困った姫君だ』
その瞬間に攻撃が止んだ。
「君、兵士達に命令出来るの?」
『一応、女神の息子だからね。でも、母上には通用しないよ』
僕はエランの姿を探した。
彼はルディーナや他のモラスの騎士達と共に、新たな障壁を張ろうと必死になっている。
「良かった、生きている」
『うん』
障壁を作る円陣の中に、怪我で倒れた者達が多く収容されていた。
天界の兵士達の放つ矢は、女神の放つ死の閃光を違って、瞬殺の魔力はないように見える。
『殺したいのは、竜の眷属だけさ。僕が父上を使って、あの馬鹿な眷属を殺させようとしたのに、七竜が邪魔をしたんだ。君もね……』
オーリンが不快そうにボソッと呟く。
今の彼の言葉を深く考える暇もなく、円陣の一角に僕の目は釘付けになる。
血を流し横たわっているテオフィルスの姿を発見したからだ。
身体中の力が抜けるような感覚に襲われた。
「テオフィルス……、死んだのか?」
『残念ながら生きているけど、時間の問題だよ。あんな奴に巻き込まれて、エランも死ななきゃ良いけど』
「え?」
次の瞬間、強烈な光の束が張られたばかりの障壁をめがけ突き進んできた。
女神アースティルが竜の眷属を抹殺するため、死の閃光を放ったのだ。
「止めろ! オーリン、助けろ!」
強烈な光の中で、すばやく剣を抜くルディーナの姿が見えた。
障壁を出た彼女の周りから、大量の黒い渦が湧きおこる。
それは光の束めがけて突き進み死の閃光を、障壁に到達する前に切り裂き消滅させた。
『汚らわしいな! この宮殿で闇の魔法を使うなんて……、許せない!』
オーリンが叫ぶ。
光が消えたその時、皆に振り向き障壁の中に入ろうとしたルディーナの身体が弾け飛ぶ。
魔法で生きた人間を装っていたルディーナ・モラスの身体は、バラバラに壊れた人形と化し障壁の周りに飛び散った。
「ルディーナ!」
僕は叫んで彼女の元に駆け寄ろうとしたが、当然のようにオーリンの翼が阻む。
僕はオーリンの身体に何度も拳を打付けながら、怒りに身を任せて泣きながら叫んだ。
「君がやったのか!」
『落ち着け、違うよ、母上だよ! それより見ろ、エランを……』
「……」
僕は涙を拭いながら、障壁の中のエランを見た。
ルディーナの剣が障壁に飛び込み、エランの足元にまるで意思を持つ物のように転がっている。
エランはルディーナの死に呆然としながらも、約束に従い魔剣を取り上げた。
強力な魔力に翻弄されている、彼の様子はそんな風に見える。
『あーあ、これでエランは魔界域に行っちゃう。僕じゃ、これ以上守れないよ!』
「なんだって?」
オーリンの悔しがる言葉に、僕は真っ青になった。