しばらくして僕はようやく冷静さを取り戻し、心配するミアをおいて再び天幕から出て王の元へ向かう。
泣き顏を見られないようにマントのフードを深く被って顔を隠し、少し不貞腐れ気味にセルジン王の前に立った。
「気に入らない事をしたようだな。怒りは当然だろう、私が突然、勝手に考えを変えたのだから」
「……どうぞ、陛下のお心のままに」
テオフィルスが王の側にいる限り、気安く王の名を呼ぶ事も出来ない。
彼に正体を見破られた事を、王に悟られてはいけないのだ。
王の前で男子を装うのが辛く思えていた矢先に、逆戻りを強いられる。
僕は……、誰を守っているんだろう?
フードの陰から、テオフィルスを睨みつける。
彼は無表情を装いながら、真青な瞳を僕に向けていた。
その瞳に心を奪われそうになる自分を、心の中で
七竜に操られているだけだ、彼を好きな訳じゃない!
しっかりしろ!
王は僕の言葉を汲取り、次の指示を出す。
「そうか。では、そうさせてもらう。トキ・メリマン!」
僕の心が凍り付きそうになった。
トキが王を裏切る行動を起こした制裁が、今行われるのではないのか。
僕はフードの影から緊張しながら、事態の成り行きを見つめていた。
「御前に、国王陛下」
近衛騎士隊長トキは元より裁きを受ける覚悟で、王の前に
「ルディーナ・モラス」
「はい、セルジン様」
王の後ろからちょこんと、モラスの騎士の総隊長が姿を現し跪いた。
緊張したその場にまったく不釣合いな彼女は、人形のように華やかで、愛らしく微笑む。
「そなた達の私への、警護の任を解く」
二人は静かに王の裁きを受け止めたが、僕は衝撃を受け王に詰め寄った。
「待って下さい! 二人は僕を助けてくれただけです。陛下に逆らった訳ではありません!」
マントから
驚いた王は、僕のマントのフードを外し、顔に手を添え上向かせた。
「そなた、泣いていたのか?」
僕は怯み王の手を逃れようとしたが、王は屈み込んで僕を抱き上げ、自分の腕に座らせた。
「わぁっ……! 陛下?」
突然の視界の高さと、バランスの悪さに恐怖を感じ、僕は思わず王の首に抱き付く。
「陛下! 降ろして下さい!」
僕は真っ赤になって抗議した。
王はそれを無視して、次の指示を出す。
「エラン・クリスベイン、ここへ!」
モラスの騎士隊の後方にいたエランは、突然の呼び出しに狼狽える。
昨夜の行動を王は全て見抜いている、関わった誰もがそう思った。
「セルジン様、詳細は先程お伝えした通りですわ」
エランの呼び出しに、ルディーナも黙っていられない。
斜め後ろに控えるエランを庇うように立ち、王から隠す。
王が怒りを継続させていると誰もが考え、辺りに緊張が漂う。
「陛下、彼等は関係ありません! お願いです、降ろして下さい」
こんな時に他の誰より高い位置にいる事に、僕は困り果て助けを求めるように周りを見渡した。
王の隣にいるテオフィルスと目が合う。
昨夜のエランとの
それはエランも同じで、明らかに彼等が殴り合った事を証明していた。
テオフィルスは呆れ顔で僕を見上げている。
呆れているのは王の大らかな行動に対してか、困ってあたふたしている僕に対してか。
僕はあからさまに視線を逸らしたが、そんな様子を気にもせず、王は声を張り上げた。
「そなた達三人とその部下は、今からこの王太子専任の近衛とする。私に何があろうと、必ず王太子を支え守り抜く事を私に誓え!」
王を取り巻く者達から、
僕は驚き、降ろそうとしない王を見下ろした。
「陛下?」
「トキ・メリマン、ルディーナ・モラス、エラン・クリスベイン、私に誓いを!」
王は真剣な眼差しで、三人を見つめていた。
「もとより、オーリン王太子殿下をこの命に代えてもお守りする所存で御座います。陛下に誓います」
「私も、当然ですわ。誓います」
「陛下の御意志に従います。微力ですが、必ずお守りする事を誓います!」
三人はそれぞれの意思を王に告げ、セルジン王は頷き、微笑みながら僕を見上げる。
「そなたは国のために命を懸ける者達を守るのだ、それが《王族》の務め。出来るか?」
「はい、僕は彼等を……、国王軍を守ります。陛下に誓います! ……でも、陛下は誰がお守りするのですか?」
僕は王の顏を、心配そうに上から覗き込む。
王は僕を支えながら、優しく唇にくちづけた。
アルマレーク人が大勢いる中での王の大胆な行為に、僕は思い知った。
テオフィルスに完全に気付かれた事を、セルジンは知っているんだ。
だから、彼を手元に置いた!
その事に戸惑いながらも、僕の意識は王の行為に呑まれ何も考えられなくなった。
やがて脱力した僕は、王に抱きしめられながら地面に足を降ろす。
「セルジン……」
「そなたは、誰にも渡さぬ」
王は僕の耳元で
僕は微笑みながら、彼にしがみ付いた。
「離さないで下さい。僕はあなたと一緒にいたい。ずっと……、あなたの側にいさせて下さい」
答えるように王は、抱きしめた腕に力を込める。
王の長い黒髪が、優しく流れ僕を包む。
少し苦しい状態で僕は、今まで経験した事のない幸せに自然と涙が溢れた。
王がアルマレーク人の前で、僕を一人の女性として扱ったのだ。
それは長年課せられた男子としての
王太子オーリンではなく、王の婚約者オリアンナ姫を印象付ける。
僕の無意識の望みを、セルジン王は叶えたのだ。
王は腕の力を弛め僕を少し離し、指で優しく涙を拭った。
「私は影だ。本来護衛等、必要ない」
僕を見つめながら、王は優しく微笑んだ。
王の手を取り、僕はその手の平にくちづける。
「では……、私がお守りします」
「私」という言葉を自然と口に出来たのは、オーリンとしての呪縛から解放されたせいだろうか。
それと同時に、周りの者達が息を呑む。
オリアンナの姿が不思議な事に、どこから見ても、誰の目からも女性として映り始めたのだ。
一人の姫君として、本来の愛らしさが滲み出る。
それは魔法が生み出す作用とはまったく関係のない、恋という自然の感情が作用させた劇的な変化だった。
「オリアンナ姫?」
王は驚き、僕に見入った。
そして少し困った顔で微笑む。
「そなたは……、私を惹きつけ過ぎる。困った姫君だ」
僕はその言葉に、頬を赤く染める。
王は再び僕を抱き寄せ、テオフィルスとアルマレーク人達に向き直った。
「今さら隠し立てしても、貴殿達は気付いているであろう。このオーリン・トゥール・ブライデインが、貴殿達が探し求めるオリアンナ・ルーネ・フィンゼルである事に」
フィンゼルの姓で呼ばれた時、僕は王に強くしがみ付いた。
アルマレーク人達に
竜騎士達は事前にテオフィルスからその事を聞かされていたため、驚きはなかった。
「王に逆らわない」それは〈七竜の王〉の絶対的な命令だ。
隠し立てしていたエステラーン王国の人間に対して、抗議する者は誰もいない。
「初めて出会った時から、薄々気が付いておりました。アルマレーク人の体型と、領主家の血脈は隠す事は出来ません」
テオフィルスは胸に手を当て、
「フィンゼル家の血族を健やかに育てて頂き、エステラーン王国に対し、我等は感謝の念しか御座いません」
「勘違いされても困る。彼女はオリアンナ・ルーネ・ブライデインでもある。我が国で唯一生き残った《王族》であり、私の婚約者だ。貴殿達に渡す訳にはいかぬ!」
テオフィルスは頭を上げ、僕を見た。
その青い瞳には憂いが浮かび、悲しげな微笑みを浮かべている。
「連れ去りは致しません。エドウィン殿に何かあった時に、オリアンナ姫にレクーマの指輪をはめて頂くだけで、我が国は救われます。他に望みは御座いません」
竜騎士達がテオフィルスの意思に従うように一斉に跪く。
それはまるで〈七竜の王〉の言葉を、僕に懇願して見えた。
「そなたはどうしたい、オリアンナ姫?」
僕はセルジン王の深い緑色の瞳を見つめた。
「選択権は僕にあるの?」
「僕」と言う言葉に戻った事に、王は苦笑しながら頷いた。
僕は王の腕から離れ、テオフィルスの前に立つ。
長身の彼は、優しい瞳で僕を見下ろした。
「僕は……、セルジンを愛している」
本人にも告げた事のない言葉を、なぜ異国の彼の前で素直に言えるのか不思議に思った。
テオフィルスは無表情で、その言葉を受け止める。
「そう……だろうな」
「本当にレクーマの指輪をはめるだけで良いのか?」
彼は静かに頷く。
僕は満面の笑みで、残酷な言葉を口にした。
「それじゃあ、父に何かあった時は、竜の指輪をはめると約束するよ。でも
「……そういう事になるな」
七竜の決めたとは言わず、親同士の約束という事にしておく。
その方が解消出来る。
テオフィルスの顔が、一瞬強張った。
婚約解消はしたくはないのだ。
僕は勝ち誇った笑みで、彼に手を差し出す。
「君との婚約は解消する。同意するなら、握手を!」
しばらく
二人が握手を交わした事により、婚約は解消された。
「君とは友達だ。これからもよろしく頼む」
微笑みながら手を離した僕は、七竜レクーマの意思が感じられない事を不思議に思った。
七竜リンクルの気配も、感じない。
セルジンが僕を守っているのか?
単純にそう思いながら、王の元に駆け寄り抱き付いた。
七竜の加護が僕から消えた事に、まだ誰も気が付いていなかった――――。