「無駄な努力は止めよ。それより、私と共に竜騎士に立ち向かえ!」
セルジン王の大きな声が響き渡った。
森の中の兵士達は、消火のために枯れ木を切り倒す手を止め、声の主を探し道に視線を向ける。
誰も王が単独でその場にいる等、思いもしなかった。
長い黒髪を涼やかになびかせ、黒紫に銀糸の豪華な刺繍のある長衣を纏った騎士が、毛並みの良い黒馬に跨がり兵達に視線を向けていた。
「こ……、国王陛下!」
王はおもむろに手を挙げ、下ろした。
次の瞬間、前方を覆っていた炎が消え、暗闇が戻ってくる。
松明の灯りまで消してしまったのだ。
「やり過ぎたな」
そう呟いた途端、松明の灯りが復活した。
兵達が跪こうとした時、ようやく王の近衛騎士達の騎馬隊が到着する。
「敬礼は後だ。炎は消えた。竜の炎は私が抑える、弓兵は竜の目を狙え。他の者は竜騎士を打て!」
「はっ!」
兵達は消火のための道具を、武器に持ちかえ隊列を組む。
その様子を確認しながら、王は後方の近衛騎士に問いかけた。
「トキがいない」
「隊長は拠点本部に残られました」
「……」
王は即座に指示を出す。
「前進せよ! 竜を恐れるな、エステラーン国王軍よ」
兵は竜の駐留する場所へ、前進を開始する。
「そなた達は我が天幕の守りを固めよ。私が到着するまで、何人たりとも天幕の外へ出してはならぬ!」
「しかし、陛下の守りは?」
「私は影だ、本来守り等要らぬ。早く行け! トキの命令より、我が命令に従え!」
それが何を意味するのか、近衛騎士達は戸惑いながらも王の命令に従い、全員来た道を引き返す。
兵達が王の横を通りすぎる中、セルジン王は目を
するとエランの見ている景色が見えてくる。
トキ・メリマンと二人のアルマレーク人、そしてオリアンナ姫。
「なるほど、助け出すつもりか。だか、そうはさせぬ」
王は人差し指の先で、空中に弧を描いた。
その指先から小さな蛇が現れる。
「〈七竜の王〉を、
その蛇は王の天幕へ飛び去った。
「小賢しい者、人の心を惹き付け操る。それが出来るのは《王族》のみ! それ以外の存在は、断じて認めぬ!」
王は冷たい緑色の瞳で、自分の生み出した死の蛇を見送った。
竜騎士の到着に竜達は喜び、炎が燃え盛る中で、翼を広げ炎を煽った。
「竜達が暴れているぞ、上空へ退避させよう!」
なんとか国王軍と炎を避けながら、竜の元へ辿り着いた竜騎士達も、これには驚き、慌てて騎乗し上空へと舞い上がった。
これ以上燃え広がると、テオフィルスを救出に向かった者達に悪影響が出る。
竜騎士達はマシーナの指示通りに、国王軍を引き付ける役割を担い、低空飛行で飛び交った。
国王軍が消火のために、必死に枯れ木を切り倒そうとしていたが、次の瞬間、何かが起こり炎が消え辺りが暗闇に包まれる。
少しすると松明の灯りだけが点き、地上に少しの明るさが戻る。
竜の炎が、一瞬で消えた?
竜騎士の一人が事態の確認をするために、国王軍のいる上空へ接近した時、地上から無数の矢が放たれた。
矢が竜の目に当たれば、失速し墜落する。
竜騎士は冷静に竜の目を守りつつ、上空へ退避させた。
マシーナの竜エーダや、他に救出に向かった者達の竜、そしてイリが地上に残り自分達の竜騎士を待っていた。
イリは苛立ちながら、オリアンナを待っている。
本当は彼女の元へすぐにでも駆け付けたいが、七竜の規制を破る事は出来ない。
炎が消えたせいで、自分の場所が判らないのだとイリは思い、再び燃え残った枯れ木に炎を吐く。
ところが炎は何かに跳ね返され、イリめがけて戻ってくる。
「そなたの炎は、私には無意味だ。イリ」
煙が充満する燃え残った木々の影から、馬に乗った人間が現れた。
「そなたは全ての火種、生かしておく訳にはいかぬ!」
国王セルジンが魔力を揺らめかせながら、イリの前に立つ。
長剣を馬上で抜き放ち、剣から強烈な赤い光が長く伸び、イリを突き刺すくらいの大きさになった。
イリは殺気を感じて憤り、首を高くし翼を大きく広げ、威嚇の姿勢を取る。
そして息を吸い、金属的な咆哮を王に浴びせかける。
「無駄だ、それは効かぬ。私は影だ」
国王軍は予め後方に待機させている。
竜の咆哮に対する対策も講じての事だ。
王の剣から出る赤い光は、馬上からイリに届く長さまでに達していた。
剣でゆっくりイリの目に狙いを定めた、その時―――赤い光の切っ先にオリアンナが現れ……、消えた。
王は彼女が消えた切っ先を見つめながら、眉根を寄せた。
「結界を破ったか……、オリアンナ」
憤りより深い悲しみに似た感情に捕らわれた。
オリアンナが自分を裏切り、テオフィルスを救おうとしている。
アルマレーク人なのだ、オリアンナ姫の半分は……。
深い溜息が漏れた。
王は気を取り直し、剣で真っ直ぐイリの目を狙い、竜目掛けて突進した。
すると、まるで横槍を入れるように、マシーナの竜エーダが目の前に炎を噴いた。
リンクルの子竜であるエーダは、イリを助けた訳ではない。
ただ王の放つ魔法の剣に、怒りを覚えただけだ。
他のリンクルクランの竜達も同様に憤り、王に向けて炎を吐いた。
「それは効かぬと言ったはずだ」
炎に呑まれ前方が見えない状態で、王はイリの目と思える位置に剣を突き刺す。
するとそこから膨大な光が現れ、影である王の姿をかき消した。
炎だけが揺らめく中に、輝く光が七竜リンクルの姿を取り実体化した。
リンクルは辺りを見回しながら、変わった調子で一声鳴く。
するとリンクルクランの竜達は、一斉に炎の噴出を止めた。
真黒く焼け焦げた地面の真ん中に、セルジン王が馬に乗り、何事もなかったように立っている。
「七竜リンクル……、死の蛇が仕留め損ねたな」
『我等が眷属の死はまだ先だ、水晶玉の〈管理者〉よ。戦う相手が違うのではないのか?』
「私はまだ、〈管理者〉ではない!」
王は七竜リンクルの、金色の目を睨みつけた。
リンクルは興味深いものを見るように、その凶暴な顔を王に近づける。
『人間とは面白いものよ。なぜそんな些細な感情で動く? 我が眷属もそうだ。今は貴殿に対する嫉妬心を制御すら出来ない』
その言葉に、オリアンナが完全に性別を悟られ、王の婚約者である事に、テオフィルスが気づいたのだと解る。
絶対に生かして帰さぬ!
王は剣を握りしめた。
リンクルは面白がるように目を細める。
『殺気に満ちているな、我らが眷属は貴殿には打てぬ。貴殿はまもなく、エステラーン王国から解放される』
「何? どういう意味だ?」
『王としての意識から、〈管理者〉としての意識に変えられるからだ』
「……意味が解らぬ。動揺させようと思って言っているのであれば、無駄だ!」
王は剣を七竜リンクルに向けた。
剣から伸びる赤い閃光が、リンクルの首を貫く。
『無駄だ、水晶玉の魔力と七竜は、お互い不可侵。我らは《神族》、他の竜とは違うぞ!』
王の放った赤い閃光はリンクルに吸収され、王の魔剣はただの剣と化した。
セルジン王は愕然と、その剣を見つめる。
水晶玉の魔力は七竜には効かず、《王族》はただの人と化す。
それは即ち、これから出会う女神に対しても、同様という事だろう。
『解ったであろう? 貴殿はまだ唯の人間。水晶玉の〈管理者〉とならねば、我らと渡り合う事は出来ぬ』
「……私はエステラーン王国の王だ。国を守る責務がある! 王太子をあの男に、渡す訳にはいかぬっ!」
『エステラーン王国は貴殿が完全なる〈管理者〉となった段階で、《王族》と共に滅びる。王国の存続等、ありえない! 女神が許さないだろう』
「……」
セルジン王は憤り、歯噛みした。
《神族》の決めた事に、人間が太刀打ち等出来ないのだ。
「私は《王族》の存続を望む!」
『……』
七竜リンクルは黙り込み、観察するように王を見つめる。
しばらく時間が経った頃、悠然とリンクルが伝えた。
『〈ありえざる者〉があの娘の命の光である限り、我々には手は出せぬ。〈ありえざる者〉が離れた直後が肝心だ』
「何の事だ?」
『元々あの娘は、七竜レクーマの眷属となるべく生まれた者、それを〈ありえざる者〉が奪い取った』
「……」
それを招いたのは王自身だ、彼女が《王族狩り》の犠牲になった幼い頃に。
『七竜レクーマは弱っていた。眷属エドウィンを助けるために、全てを費やしていたから、オリアンナ姫に行き着く前に奪われた、女神に……』
「女神……? オリアンナ姫は今、女神の手の中にあるという事か?」
『そうだ。だが、奪い返せる。それが我等と貴殿を救う、敷いてはエステラーン王国を救う鍵となる』
「……あの男に、委ねるという事か?」
『違う、委ねるのは我等七竜とアルマレーク共和国。《王族》と王国を、我等と国が女神から隠し通す』
王の背に、戦慄が走った。
そして……、悲しみが王を支配した。
手放さなければならない―――、オリアンナと王国を生かすために。
王の瞳から、一筋の涙が流れた。
「それは取引か、七竜リンクル?」
『取引? それは人間の尺度だ。我等は本来あるものを守るだけ。オリアンナ姫はアルマレーク人で、七竜レクーマの眷属。たまたま国が付いて来るだけだ』
「ふっ……」
王は笑った。
救いが訪れたのだ……、悲しい救いが。
彼女を救い出す方法が見つかったのに、王は脱力し心が傷ついた。
「それ以外の方法はないのか?」
『貴殿も女神に会えば判るだろう。神の残酷さが……』
「貴殿も、神ではないのか?」
リンクルは顔を上に向け、軽く炎を吐いた。
不思議そうにセルジン王は見ていたが、やがてそれが竜の笑いである事に気付く。
「何が可笑しい?」
『そう、我等は神だ。だが、女神のように残酷ではない。なぜなら、この地上を住処にしているからだ』
「……?」
『我等は天界の住人ではないという事だ。地上の生き物と共生してゆく、それが我等だ』
「共生……、なるほど」
王は暗闇に包まれた地平を見た。
荒れ果てた大地に、人の灯した灯りは見えない。
空は屍食鬼に覆われ、月も星も見えず暗黒が広がっているだけだ。
「共生か、良い響きだ」
国王軍のいる森の向こうの灯りを見た。
大地にしがみ付いて、何とか生きている彼らの灯した光だ。
王は目の前にいる七竜リンクルの、金色の瞳を見つめた。
そこに自分の姿が映っている。
エステラーン王国の、王としての姿だ。
「取引に、応じよう。七竜リンクル」