王子な姫君の国王救出物語【水晶戦記】    作:本丸 ゆう

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第九話 イリの望み

 先程現れたオリアンナと見知らぬ男のせいで、ハラルドの魔力はてきめんに衰えたようにエランには見えた。

 黒い渦はハラルドの姿を覆い隠し、明らかに背後の男を恐れ委縮している。

 オリアンナは不思議な光に包まれて、エランに近づいて来る。

 

「エラン、呪いを解くんだ!」

 

 なぜ、いきなり黒い渦の中に彼女が現れたのか見当も付かないが、揺らめく炎のようなものに守られているのは感じ取れる。

 事情の解らないエランは、戸惑いながらもハラルドに斬りかかる。

 動きの鈍いハラルドを、難なく追い込んで行く。

 元々、剣技は彼の方が得意なのだ。

 

 あと一歩踏み込んでハラルドに止めを刺そうとした時、それは突如起こった。

 周りを包む黒い渦が爆風で吹き飛ばされたのだ。

 ハラルドの姿は黒い渦と共に掻き消え、エランも飛ばされ意識を失った。

 

 

 

 

 

 突然現れた光の爆風の中で、僕は身を屈め《聖なる泉》の魔力のおかげで、何とか意識を保っていた。

 マルシオン王は強力な輝きを放ち、怒りを滲ませて叫ぶ。

 

「何を考えている、セルジン王! この世を滅ぼすつもりか!」

 

 僕達から遠い位置で、光に包まれたセルジン王が立っていた。

 周りの臣下や近衛騎士達は、王を中心とした爆風に吹き飛ばされ、王から少し離れた先に円を描くように倒れていた。

 王はやつれた表情で、マルシオン王と僕を呆然と見ている。

 

「……確かに、水晶玉は兵器だな。周りの人間を守るだけで手一杯だった」

 

 僕は倒れたエランを助け起こそうとしたが、僕を覆う炎が彼にどう影響するのかを思うと躊躇(ちゅうちょ)した。

 

「安心しろ、片方の魔力は私が抑えていた。この程度の被害なら、問題はない」

 

 マルシオン王が顔を(しか)めながら、周りを見回して言った。

 僕は吹き飛ばされた木々や、大地の荒廃ぶりに固唾(かたず)を飲む。

 セルジン王が何をしたのか伺い知れないが、何かを試したのは確かだ。

 

「それで、何が掴めた?」

「アドランの意識は、魔界域の雁字搦(がんじがら)めの闇の中にある」

「助けようとしても無駄だ。我等に出来るのは、せいぜい水晶玉から切り放す事。それだけだ」

 

 マルシオン王は厳しい顔で、国王に忠告する。

 

「一度異界に囚われた意識は、この世には戻れぬ」

 

 僕には、彼の言いたい事がすぐに理解出来た。

 ロレアーヌ妃は彼より、《聖なる泉》の楔石となる事を選んだのだ。

 そうした事で黒い渦の流出を食い止めたが、《聖なる泉》の役目から、逃れる事が出来なかったのだ。

 セルジン王は頷きながら、少し悲しい顔で言った。

 

「助け出したい訳ではない。たとえ今、水晶玉から切り離したとしても、魔界にあるアドランの意思は永遠に残る。それはいずれ、この世に再び現れると私には思える。今なら、滅ぼせないのか?」

「無理だな。そなたはまだ水晶玉の〈管理者〉ではない。今はせいぜい彼を水晶玉から切り放す事だけだ」

「……マール」

「マルシオンだ。セルジン王」

「……」

 

 セルジン王は戸惑いながらも、古の王マルシオンを心に刻み込むように見詰めていた。

 王が彼の存在に慣れるまで少し時間がかかりそうな事に、僕は同情を覚える。

 彼の薬師マールに対する信頼は、僕の比ではなかったからだ。

 王は僕に気付き、微笑む。

 

「新しい(しるべ)を手に入れたな。美しい炎だ」

 

 そう言いながら、制御の腕輪を取り出した。

 僕はその腕輪に恐怖を覚える。

 マルシオン王の妻、ロレアーヌ妃が天界人の罠に落ちたのは、その腕輪のせいだ。

 

「姫君、天界の罠に堕ちたくなければ、嵌めるべきではない」

「マルシオン王、女神の意思に逆らえないんじゃないんですか?」

「私は妻を人質に捕られたようなものだ。そう仕向けたのは、他ならぬ女神!」

 

 マルシオン王から憎しみにも似た感情が滲み出る。

 長い年月を生きても人間らしさを失わないのは、ロレアーヌ妃がいるからではないかと僕には思えた。

 セルジン王は制御の腕輪を見て(いぶか)しむ。

 

「この腕輪に何かあるのか?」

 

 王は僕に触れようとしたが、〈祥華の炎〉に弾かれた。

 僕は驚き炎を制御しようとしたが、どうしても出来ない。

 このままでは、王と触れ合う事も出来ないのだ。

 

「セルジン、腕輪を下さい!」

「……」

 

 王は躊躇しながらも、僕に腕輪を投げる。

 腕輪は弾かれる事なく、僕の手に収まった。

 なんとか竜騎士の腕甲を外し、腕輪を嵌める。

 そうして僕を取り巻いていた炎は、姿を消した。

 

「セルジン!」

 

 僕はセルジン王の、腕の中に飛び込む。

 

「愚かな姫君、後悔するぞ」

 

 マルシオン王は、そう言い残して背を向けた。

 セルジン王は僕を抱きしめながら、立ち去ろうとする異質な存在に声をかける。

 

「マルシオン王! 貴殿は誰の味方だ?」

「……誰の味方でもない。私は水晶玉の〈管理者〉。今は……、新たな〈管理者〉の誕生を待ち望む」

 

 そう言ってマルシオン王は振り返った。

 新たな水晶玉の〈管理者〉、即ちセルジン王の事だ。

 二人は睨みあう。

 僕を抱きしめる腕に力が入り、王が珍しく緊張しているのを感じた。

 

「セルジン……」

 

 マルシオン王が立ち去り、王が腕の力を弛めた。

 

「私は本当に、水晶玉の〈管理者〉になるのだな」

 

 青ざめた王の顔に、僕は手を添えた。

 

「どうぞ陛下の、ご意志のままに」

 

 王は驚いたように僕を見つめ、そして激しくくちづけした。

 

 

 

 

 

 水晶玉の魔力がぶつかり合ったせいで、《聖なる泉》の〈門番〉を取り巻いていた黒い渦は消えた。

 〈門番〉は意思を失った大きな騎士人形のように、ただ立ち尽くしている。

 泉の門は僕のいる位置からは見えないが、《聖なる泉》の〈門番〉の後ろに存在しているのだろう。

 

 先ほどの王が放った何かで、《聖なる泉》は正常に戻ったのだろうか。

 少なくとも泉の〈門番〉に、黒い渦は見えなくなった。

 〈門番〉の鎧が、煌めく赤である事に、僕は驚きを感じる。

 まるで僕がもらった(しるべ)に、呼応している。

 

「これでしばらく屍食鬼は近寄れない」

 

 王は周りを見渡しながら、自分の張った魔法の障壁が完全に機能している事を確認し、《聖なる泉》を取り囲む歪んだ木々の森の向こうにある、切り立った断崖に立つトレヴダール城を見つめた。

 屍食鬼が支配する薄暗い空を背に、その異様な廃墟の城は、国王軍を暗黒に引きずり込む迷宮の入口のように見える。

 マルシオン王は先にあの廃墟へ行ったのだろうか。

 女神が待つ山城へ。

 

 先ほどから兵士達が、慌ただしく行軍の準備に取りかかっていた。

 僕も行軍の用意をしようとしたが、王が歩み寄る。

 

「あの男が来る。気をつけるのだ」

 

 僕はハッとした。

 セルジン王の見ている方向をわざと見ない事にして、王太子である事を意識する。

 青い目の竜騎士は、足早に歩み寄り、王の前で膝を折った。

 

「国王陛下、先程の衝撃の影響で負傷者が出ました。出来れば暫し、国王軍に滞在を願えないでしょうか?」

「負傷者が出たとあっては致し方ない。滞在は許可しよう。しかし、竜が我が国に留まる事は許さぬ」

 

 テオフィルスは解っている素振りで頷き、セルジン王の意思に従う旨を伝えた。

 竜が水晶玉の魔力の圏内に留まる危険は、彼もイリの変化を目の当たりにして実感していた。

 

「もとより、そのつもりです」

 

 僕は彼が危険を承知しても留まる事に、戸惑いを感じた。

 イリもこの危険な場所に留まるという事だ。

 

「僕は反対です!」

 

 テオフィルスは冷たい青い目を僕に向ける。

 

「イリがアルマレークへ帰れない! 君が連れて行くんだろう」

「動かせない、怪我人がいる。それに視力を失い、死にかけている竜も」

「……」

「イリは、俺より君を選ぶ。何とか制御してくれ」

 

 僕は真っ青になった。

 イリが留まるという事は、竜騎士の訓練をするという事だ。

 王は僕の肩に手を置き、落ち着くように促した。

 

「今は戦時故、命の保証は出来ぬ。また、戦いは避けられぬし、客人としての扱いは出来ぬ」

「承知しております、国王陛下。私共は必ず国王軍のお役に立つ事を、約束致します」

 

 テオフィルスは毅然と王の前で宣言する。

 

 これじゃあ、この男の行軍参加の望みを、叶える事になるじゃないか!

 

 僕は憮然としながら彼を睨みつけ、その視線に気付き彼は口角を上げる。

 僕の中で憤りが沸き起こる。

 彼は王との仲を、完全に邪魔する存在でしかない。

 王はその心を察したように声がけた。

 

「オーリン、アレイン大将を呼んで参れ」

「は……、はい!」

 

 僕は戸惑いながら王の命令に従った。

 人を呼びに行くのは、王太子の仕事ではない。

 何か意図があって、アレインの元へ向かわせるのだ。

 僕は竜騎士を見る事なく、王の側を後にした。

 

 

 

 

 

 アレインの居場所は、同行する近衛騎士が教えてくれた。

 

「アルマレークの竜騎士が来たのですね」

 

 大将アレインは僕が伝える前にそう告げ、僕は頷き、不思議そうに彼を見る。

 

「陛下と事前に決めていたのです。アルマレークの竜騎士は、私が引き受けます。オリアンナ様は安心して王のお側にいらして下さい」

「……はい」

 

 僕は微笑みながらも、どことなく釈然としないものを感じる。

 アレインが引き受けるという事は、彼等は最前戦に配備されるのが、決定している事になる。

 父の国人を、そんな危険な場所へ配備していいのだろうか。

 

 ふんっ、自分から好きで飛び込んで来たんだ。

 心配なんてするものか!

 

 そう思えば思う程、心の中で何かが引っ掛かる。

 アレインと共に王の元へ行こうと歩き出した時、後方から兵達の大騒ぎする声が聞こえた。

 振り返った僕は、地響きに気付く。

 大きな何かが、こちらに駆けてくる。

 

 近衛騎士達が警戒し剣を抜き、兵達がそれの前進をくい止めようとするが、勢いに負け慌てて飛び退く。

 僕の前まで来たそれは、瞳孔を真ん丸にさせて可愛い金属的な声を上げた。

 そして頭を地面まで下げ、服従の姿勢を取る。

 

 かわいい……。

 

 僕は溜息を吐いた。

 これでは拒否出来ない。

 

「分かったよ、イリ。君の竜騎士は、僕なんだね」

 

 僕は、頭を抱えた。


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